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滅びの王国と奈落の森

この世界には数多の王国が存在し、剣と魔法による戦乱の歴史が絶えたことはない。

 都市が築かれ、王国が栄え、そして侵略され、滅びていく。それは繰り返される運命の輪のようなものだった。


 その中で、かつて「セリオス王国」と呼ばれた国があった。


 大陸中央に位置し、豊かな土地と恵まれた気候を持つこの王国は、多くの交易路を抑え、長きにわたり繁栄を誇ってきた。王族は高貴な血統を継ぎ、騎士たちは強き忠誠心を誓い、宮廷魔導士たちは高度な魔法技術を研究し続けていた。


 しかし、どれほど繁栄していようとも、外敵の脅威を退け続けることはできなかった。


 ヴァルム帝国——それは、まさしく破壊と征服を掲げる巨大な軍事国家であり、魔法と戦術を駆使して次々と周辺諸国を飲み込んでいった。帝国軍は鉄壁の防御を誇る兵士たちと強力な魔導士団を抱え、征服のたびにその力を増していった。


 やがて、彼らの矛先がセリオス王国へと向けられたのは、必然だった。


 王国は誇り高く抵抗した。

 騎士団は剣を振るい、魔導士たちは炎と氷の魔法で迎え撃ち、砦は帝国の軍勢を何度も跳ね返した。


 しかし、戦争は十年に及んだ。

 国力が尽きるのは時間の問題だった。


 王都は次第に消耗し、食糧は乏しくなり、兵は減っていった。もはや、王国は「持ちこたえている」だけの状態だった。


 そして、帝国はついに最後の一撃を放った。


その夜、王都は地獄と化した。


 帝国の軍勢は圧倒的な兵力を持って城門を突破し、黒甲冑を纏った兵士たちが波のように王城へと押し寄せた。


 炎が天を焦がし、壁は崩れ落ち、悲鳴と怒号が入り混じる。


 「総員、最後まで陛下をお守りせよ!」


 城内では騎士たちが必死に抵抗していた。

 だが、帝国軍の進撃は止まらない。


 「くそっ、持ちこたえられない……!」


 最前線にいた騎士が叫ぶが、すでに王都の防衛は崩壊していた。帝国の魔導士たちは空から雷を降らせ、火球を放ち、王国の戦士たちは次々と倒れていく。


 王城内に響く剣戟の音。


 そして、ついに玉座の間へと敵の影が迫った。


 「陛下、逃げ場はありません……!」


 王であるセリオス九世は、静かに剣を握りしめた。

 彼はもはや、逃げるつもりはなかった。


 「……セリオスは滅びるのか」


 その隣で、王妃は生後五年の王子を抱きしめていた。


 王子レオネル——彼こそがセリオスの正統な後継者。


 しかし、その幼き身では、何が起こっているのか理解できるはずもない。

 ただ、母の腕の温もりにすがり、震えていた。


 王妃は涙を流しながら、騎士のひとりに向かって言った。


 「この子だけでも……どうか……」


 それは、王としてではなく、母としての願いだった。


 騎士は一瞬だけ躊躇した。

 だが、その刹那、玉座の間の扉が吹き飛んだ。


 帝国軍の将校たちがなだれ込み、王を取り囲む。


 「セリオス王よ、覚悟するがいい」


 王は剣を構えた。

 最後の戦いが始まる——だが、それを見届ける者はいなかった。


 王子は、騎士によって密かに連れ出されていたからだ。


それは、ただの逃亡ではなかった。

 追っ手を振り切るために、血路を切り開く壮絶な戦いだった。


 騎士は王子を抱え、燃え盛る城を駆け抜けた。

 しかし、帝国軍の追撃は厳しく、彼もまた傷を負っていった。


 「……このままでは、共倒れだ……!」


 やがて、森の手前まで辿り着いたとき、騎士は決断する。


 「王子を、この森に——」


 奈落の森。

 それは、人間が決して踏み入れてはいけない禁忌の地。


 彼は迷わず、王子を森の奥へと押し込んだ。


 そして、自らは帝国軍を引きつけるべく剣を構える。


 王子レオネルは、たったひとり、奈落の森へと彷徨い込んだのだった。


奈落の森。

 それは、地図にすら記されぬ禁忌の領域。


 人間の世界と魔の領域を隔てる境界であり、森に足を踏み入れた者は二度と戻ることはできない。


 陽の光は届かず、常に薄暗い霧が地を這っている。

 森の木々は異様にねじ曲がり、まるで生きた触手のように揺れていた。葉は紫がかり、幹は不気味な脈動を繰り返している。


 地面に広がるのは黒く粘ついた泥。時折、泡のようなものが浮かび上がり、呻き声のような音を立てて消えていく。それは、かつて森に足を踏み入れた人間たちの名残かもしれない。


 獣の鳴き声も、鳥のさえずりもない。

 代わりに、聞こえてくるのは——囁くような、不快な声。


 「オォォ……ニンゲン……」


 「クラエ……クラエ……」


 見えぬ存在たちが、死にかけた魂を求め、彷徨っている。


 この森に住む者たちは、決して人間のような生き方をしない。

 彼らは喰らい、奪い、力を増し、滅びる。


 だが、そんな混沌の中でも、圧倒的な支配者が存在していた。


 奈落の森の王——「災厄の魔王」リリエル。


奈落の森の中心部、虚無の玉座ホロウ・スローン


 そこには、ただひとりの悪魔が鎮座していた。


 「災厄の魔王」リリエル。


 彼女は、この森に棲む全ての悪魔を支配する絶対的存在。


 深紅の瞳は夜闇のように冷たく、長い黒髪は霧に溶けるように揺れる。

 白磁の肌には一片の汚れもなく、紅い唇は常に何かを企んでいるかのように歪められている。


 彼女は、人間たちの歴史の裏側で語られる「死の象徴」だった。


 「リリエルの微笑みは死を招く」

 それは、古くから人々の間で語られる言い伝えだった。


 彼女は「死にかけた人間の魂」を糧とする悪魔。

 それはただの魔力の補充ではなく、「生と死の境界にある魂」ほど極上の滋養になるからだ。


 戦場の跡、疫病の広がる村、荒廃した都市——

 彼女は常に「死の匂い」がする場所を好み、魂を狩る。


 そして、今夜もまた、死の匂いが彼女を呼び寄せた。


 「……これは」


 リリエルは、ふと足を止めた。


 森の奥深く、朽ちた木々の間で、一つの微かな命が震えていた。


 それは、泥にまみれた幼子。


 血と土に汚れた衣、黄金色の髪は乱れ、傷だらけの手足。

 肌は青ざめ、今にも息絶えそうな状態だった。


 「……王族の子供か」


 リリエルは、一目でその血筋を見抜いた。


 この蒼碧の瞳、この気品——セリオス王家の者に違いない。

 王国が滅んだという噂は聞いていたが、生き残りがいたとは。


 「フン、だがどうでもいい。人間がどうなろうと、私には関係のないことだ」


 リリエルは指を動かし、魔力を流す。

 死にかけた人間の魂——それは、彼女にとって何よりも美味な糧。


 この幼子の魂もまた、上質なものだろう。


 今すぐ引き抜いて、喰らう。


 ——そのはずだった。


 「……お母さんなの?」


 その瞬間、リリエルの手が止まった。


リリエルの表情が、一瞬だけ曇った。


 「……何?」


 幼子は、朦朧とした意識の中、ただ目の前の存在を見つめていた。


 透き通るような蒼碧の瞳。

 そこに映るのは、恐怖ではなく、ただ純粋な疑問。


 ——この子は、自分を母親と間違えた?


 リリエルは思わず失笑しそうになった。

 自分は悪魔であり、人間の母親になどなれるはずがない。


 「お前、正気か?」


 答えはない。ただ、幼子は小さな手を伸ばした。


 その手は、あまりにも儚い。


 リリエルは、しばらく動かなかった。


 なぜか——この子の魂を喰う気になれなかった。


 これは、彼女にとって初めてのことだった。


 魂を喰うことをためらうなんて。


 何の役にも立たない、ただの人間の子供に。


 「……フン。私は、お前の母親ではない」


 リリエルは冷たく告げた。


 だが、それでもなお、幼子は彼女を見つめていた。


 無垢な眼差し。


 リリエルは、目を細める。


 「……いいだろう」


 それは、彼女自身にも説明のつかない衝動だった。


 「お前を育ててみる」


 それは、魔王が決して口にするはずのなかった言葉。


 幼き王子と災厄の魔王——


 この出会いが、世界に何をもたらすのか。


 まだ、誰も知らない。

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