57話 ミッション …は置いといて、糸を作る-2
箱庭世界51日目の朝。
ローズは池をのぞき込み、たわたに揺れる自慢の縦ロールを水鏡越しに見ていた。
「オホホホホホッ♪
何でしょう…この気持ち…忘れておりましたわ!
わたくし最強!
という気持ちが魂の奥底から湧き上がってまいりますわ。
縦ロールからしか得られないこの栄養!!」
朝の見回りで元気よくスライムをぶち倒したり、山ヒトデ達に畑作業の指示をしたり、一通りルーティンを済ませたローズは、ようやく糸の製作が途中だったことを思い出した。
「あらあら、そうでしたわね。
今日は糸作りに取り掛かりましょう。
ではさっそくリネン繊維を…って、ボサボサですわ!
… … …なんだか昨日と同じことをやっておりますわね?」
しかし、今日は新兵器がある。
「コームでリネン繊維さんをとかして差し上げましょう。
わたくしの髪のようにサラサラのフワフワにおなりなさい♡」
少しとかしただけでゴワゴワとしていた繊維が柔らかく、細かくなった。
「繊維を抑えながらコームでとかすのは難しいですわね…少しずつしか解せないので、頻繁に左手を離してコームからほぐれた繊維を取らなくてはいけませんわ。
こういう時は…発想の逆転でございます!」
ローズは切り株にコームを差し込める切り込みを入れ、固定したコームに繊維を乗せて引っ張る形にした。
「こちらの方がやりやすいですわ♪
コームを抑える手が必要なくなった分、ほぐれた繊維を空いた手でどんどん取っていけばいいんですもの」
こうして、作業を始めて5分。
「飽きましたわ~~~!!!」
いくらなんでも早すぎる。
しかしこのめんどくさがり気質は捨てたものではない。
昔から、”怠惰””短気””傲慢”は技術者と悪役令嬢の美徳と言うではないか。
「3倍の速さで終わらせる方法はありませんかしら…?
ハッ!
埋め込むコームを3本にすればよいのですわっ!」
物事、そう簡単にいくわけが…あった。
3倍にしたコームは3倍の速さでリネン繊維をフカフカにしたのである。
ガッシュガッシュガッシュガッシュ…すごい勢いでリネン繊維についていた茎などのゴミが取れていく。
ハンマーで叩いて取り出したままだった太い繊維が細かく裂かれて、もはや植物から採れたとは思えないぐらい柔らかな繊維になっていた。
「オホホ!
今日のところはこのぐらいに手加減しておいて差し上げますわ!」
本気になればどこまででもフカフカさせられるんだぞ、という脅し文句だ。
「ではさっそく、『撚って』糸にしていきましょう…」
右手で繊維を少しつまみ、ねじりながら引っ張っていく。
すると…
「あ!
糸!
これもう糸ですわ!!!」
引っ張ると引っ張るだけ糸になった。
もちろん、ねじって撚るのを忘れてはいけない。
「ちょっとずつ引っ張っていけば、どんどん繊維が糸になっていきます!
これ、楽しいですわ~!」
繊維は撚ることで一本の糸になる。
糸を何本も集め、太くすれば頑丈なロープになる。
「それってなんだか…わたくしと、ブリリアントさん、山ヒトデさん達の関係みたいですわね?」
その通り、人も繊維も同じようなものだ。
1人より2人、2人より10人の集団の方が、力を合わせて多くの困難を乗り越えられただろう。
「いえいえ!
そうじゃなありませんわ!!
平民という無秩序な繊維の塊を、貴族が適切に導くことで、一本の糸のように価値をもった商品にして差し上げることができるのです。
そして貴族は平民の糸で布を織りあげ領地を覆い、領主の名前を忘れぬようにその布に刺繍をするのです!
オォーーーーッホッホッホッホォ!!!」
心のないローズは放っておき、人は昔から協力する様子を糸やロープに例えたりしてきた。
『単糸、線を成さず』ということわざがある。
糸は一本だけでは何の役にも立たない。
つまり人はひとりだけでは何かを成し得ることはできない、また生きていくことも他人との関わり合いなしでは成立しないという教えだ。
繊維を糸にする作業を『紡ぐ』と言う。
具体的な行為から転じて比喩表現となり、今では感情、言葉、未来、歴史などの目に見えないものを表す単語になった。
思いを紡ぐ、心を紡ぐ、経験を紡ぐ、気持ちを紡ぐ、夢を紡ぐ…。
モコモコとした繊維の塊から一本の糸が伸びていくのを見て、昔の人々は抽象的なものが形になる瞬間の不思議さに、様々な感情を抱いたのだろう。
切れないように慎重に撚られていく長い糸に、どこまでも続いてほしい伝承や記録、願いを重ねていたのが伝わってくる。
「オホホ!
よくそんな恥ずかしい言葉を口にできますわね?
そんなポエミーな発言を聞いたら進入禁止の円錐ですら顔をそむけてしまうでしょう!
これはただのリネン糸!
それ以下でも、それ以上でもございませんこと!」
――――――――――
こうして…亜麻はリネン繊維となり、糸となった。
「絡まないように木の棒に巻き付けておきましょう」
作業をしていると、畑仕事を終えた山ヒトデ達が戻ってきた。
小さなバスケットの中には、今日収穫した作物が入っている。
トマトも2色ターニップもジャガイモもゲーミンググラスも美味しそうだ。
「オホホ!
みなさん、お疲れ様でした。
民がいなくては貴族は成り立ちませんことよ!」
ランチを食べた後、ローズはクッションボアの牙からゴールドを彫り出し、いつも助けてもらっている山ヒトデ達に活動の対価を支払った。
…納税とセットではあるが。
「わたくしや山ヒトデさん達は糸ではありませんが、それでも、確かに仲間が集まって仕事の成功に向かい、糸を集めて撚られたロープのように…団結してこの世界の発展を目指すというのは良いものですわね♪」




