後編
なんで忘れていたんだろう。
こんな大切なことを。
俺自身が転生者だった。
この世界のマットという子供の体を奪った。
その子供は生死を彷徨っていた。
死んだのだろう。きっと。
だから、魂がない体に俺が入り込めたんだ。
女神もそう説明した。
だけど、俺は知っている。
マットの魂のことを。
生きたい、消えたくないとばかり輝きをました魂が、女によって消滅させられた。
ギリシャ神話の神々のような服を纏っていたから、きっとその女が女神だ。
「悪しき魂はいりません。日本から来た可哀相で善良な魂を代わりに入れてあげましょう」
女神と思われる女の隣にいた、黒髪の女が微笑む。
「井野川甚二さん。新しい人生を送ってください」
女の声を最後に聞いて、俺はマットとして目覚める。
しばらくは、日本にいた時の記憶を持っていた。だからおかしな子に思われただろう。だけど、マットは酷いガキだったから、両親には歓迎された。
しかし、数ヶ月後、馬車で出かける途中、事故にあって、俺は両親と記憶を失った。
そうして孤児になった俺は、ジャックという名を与えられた。数年過ごし、庭師の技術を身につけて、お嬢様のお屋敷で働くことになった。
俺もお嬢様と一緒だった。
そうなると本当のお嬢様の魂はもうこの世にはいない。
女神によって消滅させられたんだ。
ケイトの異母姉の魂もそうだろう。
「聖女に会いたい」
なんでこんな酷いことを繰り返すのか。
日本で俺たちは死んでいる。
その死んだ魂を、生きている人間の体に入れる。元の人間の魂は消滅させて。
そんなおかしな話があるか。
確かに、俺はまだ死にたくなかった。
だけど、誰かを殺してまで生きたいとは思わなかった。
マットが素行の悪い人間。そうだ。だが、それだけだろう。マットはまだ子供だった、やり直しも聞く。
そんなことより、この体はマットの体だ。俺が使っていいわけがない。
俺は死んだ人間なんだ。
きっと、他の転生者もそうだ。
死んだ奴らばかりだ。
おかしい。
なぜ、生きていけるんだ?
人を殺しているんだせ?
他の転生者に会う。そして問いただすんだ。
俺はケイトの異母姉に会うために奔走した。
そうして庭師として入り込むことができ、彼女が庭に出てきた時に偶然を装い近づいた。
「何をおっしゃってるの?」
そいつは令嬢の仮面を被って、俺の質問「前世のことを覚えているか?」をはぐらかした。
想定内なので、俺は親しみを持たせるように微笑んで言った。
「俺も転生者だ。日本からの」
「日本!うわあ。他にも転生者がいたんだ!」
そいつはとたんに朗らかに笑う。
よく笑えるもんだ。
体を乗っとった上、ケイトを追い出し、死にやった癖に。
「あんた、罪悪感とかないのか?」
「罪悪感?なんで?」
「いや、人の体を乗っといて悪いとか思わないのか?」
「何言ってるの?乗っ取って?私は前世を思い出しただけだよ。乗っ取るとか何?」
そう思い込んでるのか?
いや、思い込まされているんだ。
「女神に会ったのを覚えているか?」
「うん。新しく生まれ変わりなさいって言っていたね。本当、びっくり。なんで今まで忘れていたんだろうね。あの時、階段から落ちてよかったよ。じゃないと、とことん虐められて、変なところに嫁がされていたはずよ」
俺と違って、本来の体の持ち主の魂が消えるところを見てないんだな。
俺も見ていなかったら、こいつのように思ったかもしれない。
だけど、俺は知ってる。
女神が前の魂を消滅させたんだ。
そうじゃないと、性格がまったく変わるとかありえない。
改心しても、それなりの元の性格は残るはずだ。
「違うよ」
「へ?」
「女神は嘘を言っている。俺たちは、前の魂を犠牲にして、転生してるんだ」
「嘘よ。何言っているのよ」
「本当だ」
「嘘、嘘。馬鹿じゃない。私は死にかけて前世を思い出したの。マリアは私、私自身なの」
「本当にそう思うか?マリアの過去の記憶は本当にあんたのものか?」
そいつはぶるぶると震え始めた。
「ええ、私の記憶よ。私はマリアよ!」
「マリア様!?」
やばい。
こいつが取り乱して大きな声をあげたせいで、侍女がやってきた。
「あなた、何をしているの?マリア様に何かしたの?」
「俺は、何もしていない」
「したわ。おかしなことを言ったの。レベッカ。教会の人を呼んで頂戴。おかしな思想を持っている人よ」
「畏まりました」
まずい!
俺は逃げ出そうとしたが、護衛が飛んできて、ただの庭師である俺はすぐに捕まえられた。
「地下に閉じ込めて置いて」
そいつは護衛たちに羽交い締めにされた俺に向かって、そう吐き捨てた。
*
「君ですか。警告を無視したのですね」
地下に閉じ込められ、しばらくすると教会ではなく聖堂に連れて行かれた。
そこで、俺はあの司祭と再び対峙した。
「すぐに浄化したいところですが、聖女様がお会いしたいということなので、案内します」
「聖女!」
「ふん。嬉しいですか?そうですよね。君のような人が滅多に会えるお方ではないのですよ。女神様と対話ができる尊いお方なのです」
司祭は目を輝かせてそう語り、それは狂信者そのもので、寒気しかしない。
もとから聖女に会いたかったんだ。
このおかしな転生は、あの聖女がしている。
女神を使って。
だから、聖女にやめろって言ってやる。
俺たちは死人だ。
生きている人間の魂を消滅させるなんて、その体を使うなんて、やっちゃいけないんだ。
「あなたは下がりなさい」
「しかし」
聖女はやはり、女神の隣にいた黒髪の女だった。
黒髪といっても日本人の顔立ちではない。瞳も黒ではなく紫色だ。
聖女に追い出されそうな哀れな司祭は、聖女の前なのに不満そうな顔をしている。
なんだか、ザマアミロって思う。
「私は聖女です。あなたは私の命令を聞かないのですか?」
「いいえ。私はあなたの信徒です。あなたの命令は絶対です」
渋る奴に聖女がそう言うと、顔色を変え、逃げるように司祭はいなくなった。
部屋には俺と聖女以外誰もいない。
考えてみれば危険な状況だな。聖女にとっては。俺が歯向かうとか考えないのか?
「井野川甚二さん。お久しぶりですね」
「やっぱりあんたか。あんたが俺を転生、いや憑依させたんだな」
「私ではなく、女神様ですよ。私にはそのような力はありません」
「どっちでもいい。あんたが何を考えているかはわからないが、今すぐこんなことやめろ。死んだ日本人の魂を、こっちの人間の体に憑依させるなんてイカれてる!」
「どこかですか?あなたの元の体、確かマットでしたか。あの少年は見るに絶えなかった。暴力を振るい、我儘放題。将来はきっと人殺しになったはずです。それを私が女神様に頼んでやめさせたのです。あなたなら、そんなことしないと思ったので」
「俺ならって、俺のことを知らないくせに」
「私は知ってますよ。あなただけでなく、私はその人の人格を知り、選んで、こちらに呼んでもらっています」
「なんでだ?必要ねぇだろ。なんでそんなことするんだ!」
「悪い人間が多すぎます。日本では、私にはそんな力がなかった。でもこちらでは女神様が私に力を貸してくれます」
「日本では?じゃあ、あんたも元日本人か!」
「ええ。私の日本での名前は、荒田葉那子。井野川くん、あなたを私は知っています」
「荒田、葉那子?」
その名前には聞き覚えがあった。
ずっとジャックとして暮らしてきて、日本人であった記憶は最近取り戻したばかりだ。
あまりいいものじゃないから、考えないようにしていた。
俺は、崖から身を投げた。
会社が嫌でたまらなくて、逃げたくて、旅に出てそのまま崖から飛んだ。
荒田葉那子は、中学校時代に住んでいた住宅の隣に住む子供だった。隣からいつも泣き声が聞こえ、男と女の怒声がした。
ある日、階段で見つけた時、ものすごく細くてびっくりした。俺は違う学校に通っていたから、学校で虐められているのを知ったのは、彼女が死んでからだった。
「あの時、あなたにもらったパン。美味しかったです」
「……そうか」
そんなこともあった。
俺は彼女が死んだと聞いて、少しだけ悲しかった。
でも一週間くらいして、家を引っ越してからは忙しくて彼女のことを思い出すことはなくなった。
「俺は、あんたのことをほとんど覚えていない。あんたがいう善良な人間ではない」
「そうかもしれません。だけど、あなたはお腹が空いていた私にパンをくれました。そして、あなたは会社で不正が蔓延っているのが嫌で、絶えられなくて自殺した。それを善良ではなくて何と言うのです」
「偽善者だよ。俺は」
「それでも、マットよりはましでしょう?」
「知らねーよ。マシかもしれねーし。そうじゃないかもしれない。そんなことはどうでもいい。あんたは、いや女神はマットの魂を消滅させた。なんでだ?俺を入れるため?そんなことする必要ねーだろ?」
「悪い人間は必要ないでしょう?善意のある者たちでこの国を満たすの」
「そんなことできるわけがない!」
「少しずつ、女神様の奇跡として私は善良な魂をこちらの悪意のある人間の魂と入れ替えている。だからそのうち、善良な人間ばかりになるわ」
「間違ってる!なにが悪意がある。あんたが決めているのか?なんの基準だ?ケイトの異母姉は悪意をもった人間だったか?違うだろう?」
「悪意がなくても弱い人間には強い魂が必要です。強い魂が体に宿り、悪を滅ぼすのです」
「アホか!悪ってなんだ?ケイトは悪だったか?それは性格が悪そうで、虐めもしていただろ。だけど、それは悪か?」
「悪です。あなたにはわからない。虐められている子の気持ちなんて」
「わかんねーよ。魂を入れ替えるのではなく、別のやり方があるだろう?ケイトの異母姉は、多分そんなこと望んでなかった。自分自身が消滅するなんて」
「マリアはきっと喜んでます。虐めていた姉が死んだのだから」
「知っていたのか。殺すように命令したのはあんたか?」
「ええ。あの人は最悪です。マリアを虐めただけに限らず、あなたをも誘惑しようとするなんて」
「は?誘惑。そんな理由で、あんたはケイトを殺すように言ったのか?」
聖女、葉那子は答えなかった。
「ケイトは、俺のせいで死んだのか?俺が会いにいかなければ」
「ええ、あなたのせいです」
「なら、俺を殺せ。そして二度と転生なんてさせるな」
「できません。あなたも殺しませんし、転生は続けさせます。悪意のある人間をすべて、善意のある人間に変えるのです」
「なんでだよ!やめろよ!」
「やめません。衛兵、この者を捕らえて!」
「させるか!」
俺は葉那子に飛びかかった。
「やめて!」
そして首を締める。
こいつを殺したら、全てが終わる。
とんでもないことをしているのはわかっている。
だけど、俺は止めないと。
葉那子が死んだら、俺も死ぬ。
だけど、俺は彼女を殺せなかった。
それは俺が力を弱めたからじゃない。部屋に入ってきた衛兵に止められたからだ。
そのまま、俺は聖堂の地下の牢屋に入れられた。
興奮気味にあの司祭がやってきて、俺は死刑だと笑って言った。
当然だな。
俺は何もできなかった。
止められなかった。
*
「あなたが死んだら、また転生させます。だから安心してください」
俺の死刑は聖女も止められなかったらしい。
しかし、聖女、葉那子は微笑みながらそう言った。
気持ち悪い。
その思いしかない。
転生なんてしたくない。
俺は、ここで死にたい。
マットは俺のために死んだ。
俺はまた誰かの魂を犠牲にして転生させられるのか?
そんなこと嫌だ。
だったら、死んだらだめだ。
「明日がジャックとして、あなたの終わりです。でも新しい始まりでもあります。今度は私に近い人物に転生させたいです」
誰にでも憑依させられるわけではない。
健康で、生きる意志が強い魂は体にしっかり根付いているからだそうだ。
だから、女神と葉那子は死にかけた者にしか干渉はできない。
俺は死なない。
そう死ぬ選択はしない。
葉那子は俺に執着している。それを狙う。
「葉那子」
檻の向こう側の彼女に呼びかける。
「俺を助けくれ。死にたくない。ずっとそばにいるから」
彼女の瞳孔が開く。
「本当に?」
「ああ」
葉那子が何をしたのか、俺にはわからない。
だけど俺は翌日牢から解放された。
そして彼女付きの従者になった。
あの司祭は顔を醜く歪め、俺を殺したいとばかり睨んでいた。
「聖女様。ありがとうございました」
「二人だけの時は、葉那子って呼んでもらっていい?」
「はい。葉那子様」
「敬語もやめてよ。あなたらしくない」
「そうだな。助けてくれてありがとう」
「だって、あなたはずっと一緒にいてくれるんでしょう?」
「ああ。約束だ」
俺が選んだ道は彼女の側でいて、転生を止めることだった。
葉那子と一緒に過ごし、余計なことを考えないように、甘やかす。話を聞いてやり、不満を和らげる。最初は色々な感情が込み上げて複雑だったけど、長く過ごすうちに葉那子と一緒に過ごすのが楽になった。
俺たちはたくさん話をするようになった。
葉那子は笑うようになった。
あのおかしな微笑みではない、自然な微笑みだ。
新しい転生の話も聞かなくなった。
ああ、これで大丈夫。
俺はほっとしていた。
だけど、事は起きた。
「貴様が、貴様が、聖女様をたぶらかしたんだ!聖女様がお前と結婚したいなど言うわけない!」
一緒に過ごし初めて二年、俺たちは結婚を考えるようになっていた。
おかしな話だがな。
だが結婚すれば、聖女ではいらない。
俺はよかったし、葉那子もそれでいいと言っていた。
だけど、皆が反対した。
狂信者のあの司祭が刃物を持って、俺に襲い掛かる。
それを庇ったのは、葉那子だ。
「な、なんで」
「よかった。あなたが死ななくて」
「馬鹿野郎!庇うなんて、また俺を転生させればいいだろう?」
「だめよ。誰かの魂を犠牲にするなって、あなたが言ったんでしょう?」
「そうだけど!じゃあ、あんたがもし死んだら、絶対に転生しろ。あんなならできるだろう?」
「しないわ。私はこの人生がとても幸せだった。これで終わりでいいの」
「そんなこと!」
「甚二さん、あなたもそうでしょう?」
「そうだけど!」
「天国で待ってるわ。もしかしたら地獄かしら」
「天国だ。天国。もし地獄でも俺は絶対に探すから!」
「お願いね。甚二さん。ありがとう。私と一緒に過ごしてくれて。本当に」
そう言って葉那子は死んだ。
その後、俺も狂った司祭によって殺された。
俺たちは転生しなかった。
そしてあの世で再会した。
ここが天国でも地獄かまだわからない。
俺はただ葉那子と一緒に過ごす。
ずっと。
読了ありがとうございました。