成り上がり男爵令嬢は金貨がお好き
主人公はかなりのママ好き子です。苦手な方はご遠慮下さい。
よろしくお願いします。
私の名前はチェルシー。
下町でママと二人暮らし。
アパートはボロで狭い。
天板に鍋が置ける竈兼暖炉の横に、猫の額のキッチンスペース。水道が通ってなくて、共用井戸からの汲み置き。ベッドが一つにタンスが一つ。テーブルの代わりに縦に積んだ2個の木箱と、椅子の代わりの大きい木箱が一つ。便所は共用。終わり。
ベッド一つに椅子代わりが一つで困らないかって?大丈夫。ママは夜のお仕事だから。寝る時間が違うの。ご飯の時、ママはベッドに座るしね。
タンスは六段あって、一番下が私のスペース。
下着と着替えとポーチと、あと拾ってきた石とか。ドングリ沢山拾ってしまってた時は虫が湧いてママにクッソ怒られたからもう拾わない。
ママが帰って来たら、ママが持って帰って来たパンを一緒に食べる。
そしたらママは寝るから、私は外に出る。
朝は教会の孤児と一緒に掃除と読み書きの勉強して、そのまま教会で出るスープを貰う。
その後は町に出て、ゴミ捨てとか便所掃除とか。運がいいと店番とかやらせてもらえる。空き瓶見つけるとラッキー!ガラス工房で換金してくれる。
夕方になる前にレストランの裏で野菜の皮を拾って、お家に帰る。
帰るとママが起きていて、野菜の皮でスープ作ってくれる。
「今日は仕事あった?」
「今日はね、ゴミ捨て!ほらお金!」
「…半分はママに頂戴ね」
「いいよ!はい!ママ大好きだから全部でもいいよ!」
「…いいのよ。ママが帰らない時はこれでパンを買うのよ」
「…うん」
ママが頭を撫でてくれるといい匂いがする。
帰って来ない時は寂しいけど、何日かするとちゃんと帰ってくる。
ママは綺麗な服を着て、髪を纏めて、お化粧してお仕事に行く。
「行ってらっしゃい!」
「いってくるわ」
ママが私のおでこにキスして、顔を顰めた。
「貴女臭いわ。ママが居なくてもちゃんと拭きなさい」
「わかった!」
ママが仕事に行ったら、水瓶から桶に水を入れて体を拭いた。桶に頭を突っ込んでじゃぶじゃぶして絞って、手拭いで拭いた。使った水を窓から捨てて、頭に手拭いを巻いたまま寝た。
これが私の一日。
特に不満はない。
でも夢があるんだ。
『ここからここまで、全部下さる?』
前に町で見かけた。
すっごいキラキラのドレス着て、髪の毛が長くてコテで縦に巻いてる人が言ってたの。
その人がそう言ったら、お店の人が皆んな来て、お洋服を袋やら箱やらに詰めて、本当に全部持ってっちゃった。
一緒に居たお爺ちゃんが、キラキラ光る金のお金を払っていった。
キラキラな人はお金もキラキラなんだなって思った。
私もいつかキラキラなお金を持って言ってみたい。
「ここから、ここまで!ぜーんぶください!うふふふ」
お駄賃で貰った鉄のお金を貯めた瓶を片手に持って、お部屋でお金持ちごっこするのが一番好きな遊びだった。
***
6年後。私は14歳になった。
大きくなった私は、綺麗にしてれば可愛いって言われるようになった。
野菜の皮を拾っていたレストランで、清潔にするなら働いてもいいよって言われて、貯めてたお金全部使って、新しい服とか石鹸を買って、晴れて定職を得た。
もう少しでママと同じ仕事に就かないといけなかったから、助かった。
レストランだから、残飯を貰える。定期的に買う石鹸は高いけど、それでも前より早く瓶が埋まって行く。お給料で産まれて初めて銀貨を手にした時は笑いが止まらなかった。貯めるお金は鉄貨から銅貨にランクアップした。
休みの日は全部出して数えるの。
あぁ、なんて楽しい。
今も休みの日は教会に行って、お掃除とか子供の世話を手伝って、お昼にスープをもらう。
最近ママが帰って来ないんだって言ったら、教会に泊まってもいいよってシスターが言ってくれた。
でも帰ろう。今日こそ帰ってくるかもしれないし。
***
1年後。
ママは帰ってこない。帰って来なかった。
代わりに、昔見たあのキラキラのお嬢様の横にいたお爺さんみたいな人が、ボロアパートにやってきた。
「貴女がチェルシー様でしょうか?」
「…はい、確かに私はチェルシーですが」
レストラン勤めで、言葉使いはかなり綺麗になったと思う。
「ケイティ様が旦那様の後妻に入る事になりました」
「え」
ケイティはママの名前。
「ケイティ様は長年我が主人の愛人をしておられました。お子が居られるとの事ですが、多分主人の子であろうと。主人が貴女を養女として引き取ってもいいと申されまして、お迎えに上がった次第です」
え??
「さぁ、行きますよ。お荷物は?」
「ママ、どこ?」
「主人と邸でお待ちです。さぁ、お早く」
「え、あ、」
急かされるまま、古着で作った通勤バックに着替えと小銭瓶を入れて、お爺ちゃんの後に付いていった。
着くなりお湯たっぷりのお風呂に入れられた。贅沢!凄い!綺麗に洗ってくれる。
お湯が薄汚れると、メイドさんが顔を顰めて、もっと湯を持ってくるよう指示してた。
綺麗に洗ったら、甘い匂いの液体をべたべた塗られた。折角綺麗に洗ったのに…。
そしてキラキラのドレスを着せられると、養父になるという人に面会させられた。
びっくり。茶色の髪も、緑の目も私と一緒じゃん。
まぁ、私の顔はママ似だけど。
「君がチェルシーかね」
「はい。…おじさんが、パパ?」
首を傾げて訊ねると、おじさんは口の端を上げた。
「ふむ、まぁ悪くないな。君にはこれから教育を受けてもらう。済み次第王都にある貴族学園に編入してくれ」
「貴族学園…?」
「そこでとある伯爵子息を始めとした数人と友達になってきて欲しい。パパの為にね」
「ママはどこですか?ママに会いたい」
「ではパパの望みを叶えておくれ。そうしたらママに会わせてあげよう」
「わかりました」
部屋に戻ると荷物が無くなっていた。
雑に部屋の説明をしているメイドに聞いた。
「ねぇ、ここに置いておいた…」
「ああ、ゴミですか?捨てましたよ。あんな臭い物御屋敷に持ち込むなんて、もうやめて下さいね」
顰めた顔、見下した目。知ってるよ。
伊達にゴミ食って育ってないよ。相手をヒトと思ってない、何しても許される、そうゆう相手に出る態度だよね。
「もうしないわ」
素直に応えたら、それはそれで面白くない顔をされた。
あーあ、私の瓶詰め貯金、さよなら。
屋敷での生活はちっとも楽しくなかった。
朝起きると、既に冷めかけの湯を張った洗面器と紅茶が置かれている。
クローゼットルームで着替えて部屋に戻ると、朝食が置かれていて、食べ終えた後は家庭教師が来るから、授業のセットを持って勉強部屋へ向かう。
午前はずーっと勉強して、お昼休憩で部屋へ戻るとランチボックスと水筒が置かれている。食べたらまた勉強部屋へ。
授業を終えて部屋へ戻るとお風呂の用意がされていて、お風呂から出ると夕食が用意されている。
もうなんだかな。
妖精かな。
家庭教師の先生と、時々お爺ちゃん執事と足りないもののやり取りをするくらいしか話す機会がない。
出来るだけ沢山喋りたくて、先生にはいつもいっぱい質問した。
でも明かりを消して、大きいベッドにうずくまる時はいつも淋しい。
「マぁマ…会いに来てよ」
淋しい。
***
1年後。
私は貴族学園に編入した。
15〜18歳の子息令嬢が通うこの学園で、16歳の私は二年生からの編入だ。試験結果がかなりギリギリで冷やっとしたけど、無事入園出来てホッとした。
王都にあるパパのお家から通学する事になる。
パパのお家は領地の本邸に比べると随分小さい。普通の市民の一軒家って感じ。一緒に来たのはお爺ちゃん執事だけ。多分監視と報告係だよね。
家事全般は近所の奥さん3人雇って、家庭教師はもう居ないから学校で質問してきなさいだって。
朝の支度もお風呂も全部自分でする事になったけど、それはまぁ大丈夫。
通学は徒歩。
「3年のベルダー伯爵令息。2年のザーム子爵令息、エルバ伯爵令息……と、後えーとえーと1年のぉ…1年のぉ…グリーズレット侯爵?令息…だっけ?お友達になれるかなぁ…」
メモはしたら駄目だった。
何とか名前を捻り出して物陰から目標を確認する。
四人と仲良くしたらママに会える!
恋愛小説とかによくあるベタな手でそれぞれ接触を試みると、呆気ないくらいに直ぐ仲良くなれた。
ハンカチ落として、ベルダー令息。
角でぶつかり、ザーム令息。
猫を抱えて木から飛び降りれば、エルバ令息。
街でのお忍びエンカウントで、グリーズレット令息。
編入からひと月も経つ頃には、学園では必ず誰か1人が一緒に居るようになった。
だけど彼等には皆婚約者がいるようで、女の子のお友達は1人も出来なくなった。
お爺ちゃん執事に「お友達になれたよ!」と言ってみたけど、もっと仲良くならないとママに会わせてくれないって。仕方ないから4人とにこにこと話を合わせて、それ以外では嫌がらせを受けて。
そんな日が続いてその日は、疲れてて嫌だなぁ独りになりたいなあって思って、学園の車止め近くの厩の陰に座り込んだんだよね。
そしたらなんと、先客がいた。
彼は厩の木陰に腰を下ろして本を読んでいた。
「何君、誰?」
「チェルシー……ヘッダ、です」
「……あぁ、ヘッダ男爵のトコの愛人の子だな。去年、貴族名簿に追加されてたな」
「えぇ、えぇ、そうです。その通りです」
一瞬で彼から目が離せなくなった。
輝くばかりの金の巻き毛。同じ金色のつぶらな瞳。白く艶やかな頬。シャツのボタンを引き裂かんばかりのまぁるいお腹。
すごい…初めて見た!こんな金貨みたいな人!!
うっとりして、ずーっと見ていたいと思っていたら、彼は顔を顰めて睨んできた。
「何だよ。文句でもあるのか」
「いいえ、いいえ!文句なんてあるはずもない!完璧です」
「…嫌味か?」
「いいえ!あ、あの、そのお名前をお聞きしても?」
「……レオンだ。どうせ君も“獅子”より“豚”がお似合いだと、そう…」
「そうですか!そうですか!!金色ですものね!何て素敵でピッタリなお名前なんでしょう!」
「ん?」
「え?何か言いましたか?」
お互い顔を見合わせる。
金色のまんまるな目が自分を見ている。
私は頬が熱くなるのを感じた。
「お前…変だと言われないか」
「言われない。ママには危機感の薄い子ねって言われた事はあるけど」
「そ、そうか」
それからは時々、レオン様とお喋りをした。
場所は決まって厩裏の木陰。
「レオン様はどうしていつもここにいるの?」
「ここは貴族連中は誰も来ないからな。厩が臭くて嫌なんだそうだ」
「そんなに臭くないよねぇ?ヒトが出すゴミのがよっぽど臭いと思うけど」
レオン様は軽く肩をすくめた。
お友達が居なくて、家にも話し相手がいない私はレオン様に何でも喋った。
大好きなママに会いたい事。
4人と仲良くすれば会わせてくれると、パパが約束してくれていること。
子供の頃の事。
育った町や働いてたレストランの事。
金貨が大好きな事。
レオン様が大好きな金貨にそっくりなこと。
「き、金貨…」
「そうよ!本物は一回しか見た事ないけど、とってもまあるくてキラキラしてて綺麗なの。レオン様みたいに素敵よ」
「まるくて、キラキラ…」
レオン様は金貨に似てるって言われてもあんまり嬉しくなさそうだった。
ところで、気になる事がひとつある。
「…レオン様、水浴びしてきたの?」
レオン様のキラキラに拍車をかけるように、今日は水が滴っていた。
「……汗だ」
「そうなんだ。はい、ハンカチ」
「そんな布切れ一枚ではどうにもならんから、いらん」
「それもそうだね。でも顔くらい拭けるよ。レオン様びしょびしょなの気持ち悪くない人?」
「気持ち悪い…」
「ふふ、レオン様って変な人。はい、ハンカチどうぞ」
ありがとう、って小さく呟くとレオン様は真っ赤になって顔を拭いた。
「レオン様真っ赤よ?ダメよ、銅貨になっちゃう!」
「何でだ!意味がわからん!」
軽いやり取りで笑い合う時間が、幸せだと思った。
秋が来て、四人達と街デートして高級スイーツを初めて食べた。美味しかった。
厩裏で、レオン様と台所からこっそりくすねてきた作り置きのスコーンを食べた。喉がつまって、2人で咽せた。笑った。
冬が来て、学園の年末パーティのエスコートを誰がするかと話しているから、面倒臭くなって「5人で入ればいいじゃない?」と言った。4人はドレスやアクセサリー、靴を分担して贈ってくれた。
パーティでは全員と踊って、最後にどこかのご令嬢に葡萄ジュースをかけられて、独り歩いて帰った。
新年の贈り物に、レオン様に刺繍入りのハンカチをプレゼントした。きっと夏に大活躍だと思って。
「この、黄色い刺繍?はなんだ」
「金貨よ」
「ヘタクソ過ぎる。これでは黄色いケサランパサランだ」
「けさ…何?」
「妖の類だと言った」
ただ、笑い合った。
春が来て、また夏が来て。
読んだ本の話。
ママの話。
食べたご飯の話。
ママの話。
「其方は母君の話ばかりだな。あと金貨」
「だって大好きなんだもの。娼婦の話は嫌?」
「嫌じゃないよ」
レオン様は私が何回もするママの話を、何時も嫌な顔せずに聞いてくれた。
あと半年で卒業してしまうのに、まだママに会えない。
なのにレオン様とも会えなくなってしまう。
卒業したら、またあの下町に戻されるのかしら?
無一文は流石に大変よね。
屋敷のキッチンからこっそり瓶をくすねると、中に4人からプレゼントされた指輪やネックレスを入れて厩裏に持ってきた。
「チェルシー、今日も来たのか?連日で来るのは珍しいな」
「うん。これ埋めとくの」
アクセサリーを詰めた瓶を見てレオン様は怪訝な顔をした。
「何故?」
「もうすぐ卒業だから。パパはまだママに会わせてくれないし。失敗したら追い出されるかも。まぁそれはいいんだけど。無一文は嫌かなって。だから隠しとく。レオン様、内緒にしてね」
唇に人差し指を当ててウインクすると、レオン様はまた銅貨になってしまった。
かわいいひと。
「レオン様に会えなくなるのは淋しいね」
そう言ったら、今度は彼の顔が真っ白になった。
見た事無いけど、プラチナってこんな色かしら?
「あ、会えなく、なる?」
「どうかなぁ。どうなるんだろうね」
いつも通り笑ったけど、レオン様は笑わなかった。
***
冬が来て、もうすぐ年末パーティという時だった。
校舎沿いを歩いていると、いきなり大量の水が降ってきた。何?と顔を拭っている間にビリリっと破ける音と共に後ろに引っ張られた。スカートが裂けていた。尻餅をついて泥まみれで、そこに教科書やノートがバラバラと降ってきて、最後にぼこっと頭に何か当たった。
「私の、鞄」
鞄には、「パーティに出るな恥知らず」と書いてあった。
「まぁそーだよねぇ」
婚約者いる人達だもんねぇ。
泥だらけの荷物を全部拾って教室に戻ろうとすると、4人と出会した。4人は事のあらましを聞くや憤慨して、「自分が必ず犯人を見つけるから!」と争いながら犯人探しを始めてしまった。
さ、寒い…。
びしょびしょなの、気持ち悪い…。
俯いて、階段を上がる。寒くて歯の根が合わない。
踊り場に足をかけると、トンと軽く肩を押された。
「ごめんあそばせ」
逆光で顔は見えない。クスリと笑う口元だけわかった。
彼女が視界から外れていく様がひどくゆっくり感じられた。
死ぬかな。
死ぬかもな。
あーあ。最期にレオン様に会いたかったな。
…あれ?ママじゃなくて?
ドン、と衝撃がして視界が消えた。
…さむい。
『マァマー、さむーい!』
『夏のお洋服も出して、全部着たらママにくっついてなさい』
『うん!』
雪の日は寒いけど好き。ずーっとママにくっついていても邪魔よって言われないの。
薪は少ないから節約する。でも消えないように、小さく頼りない炎でやかんを沸かして、お湯を飲む。
『ねー、何で冬は寒いのかなぁ?』
『お日様があんまり出ないからかしらねぇ。…隣の国は冬でも暖かいらしいわよ』
『ええっ、どうして?』
『さぁねぇ。海があるからかしら?ベリーズ海岸って所は色々なベリーをぶちまけた様な夕日が拝めてとても美しいし暖かいんですって』
『いいねぇ。行ってみたいねぇ』
『そうね。いつか行きたいわね』
ママにくっついて、お湯を飲んで、なんだかぽかぽかしてきた。
あったかい。あったかいのは気持ちいいなぁ。
「チェルシー…」
『え?』
小さなその呼び声に、意識が浮上した。
目を開けると、見慣れない天井だった。
白いカーテンに囲まれたベッドで、左には俯いて私の手を握る人がいた。
「れ、オ…さま」
声が上手く出なかった。でもレオン様は、ハッと顔を上げた。
「チェルシー」
「こ…こ、どこ?」
「学園の医務室だ。其方、階段から落ちたのは覚えているか?」
「う、ん」
「家に連絡したところ、男爵が不在でな。男爵の許可が無ければ医者を呼ばないと宣ったので、こちらで保護した」
笑おうとしたけど力が入らなくて、ふへ、と口から空気が漏れた。
「どうした?」
「生きてるな、と…思って」
「っ!」
その瞬間、レオン様の金色の瞳にうるりと涙が溜まった。
レオン様は慌てて顔を伏せて立ち上がる。
「医者を呼んでくる」
暫くすると、白髪混じりの髪を後ろに撫でつけた男の人が入ってきた。落ち着いた茶のベストとスラックス、白いシャツは肘まで捲り上げられている。
おじさんは「失礼」と声をかけてから、私の下瞼をめくったり、口の中を見たり、ランタンを目の前で動かした。それから手足の痺れとか、動きとかを確認して微笑んだ。
「脳震盪の後遺症はなさそうだね。打撲は2週間程で良くなるだろ。1番酷いのはその腫れた喉だ。風邪だね」
濡れ布巾で手を拭うと、おじさんはカーテンを出て声をかけた。
「レオン様、よろしいですよ」
「失礼するぞ」
交代で入ってきたレオン様はトレイを持っており、ふわんといい匂いがした。
「パン粥を持ってきた。食べられるか?」
「たべ、たひ…」
レオン様に準備をされて、膝の上でほっこりするトレイを有り難く受け取る。
「おい、ひぃ…」
「良かった」
「……れお、さま。わだし…せんせぇに、いくらはらえば…いぃ?」
「あぁ…彼は私の主治医でね。ある程度融通がきくので気にするな」
「しゅ…じぃ?」
レオン様は少し目を伏せると、遠くを見ながら話した。
「食事の共に、少し私の話をしよう。いつもチェルシーがしてくれるように」
「う、ん…」
「私の父には妻が3人いてな、私の母は第2夫人であった」
お貴族様に奥さんが複数いることは珍しい事じゃ無い。正式でなくとも愛人とか。お金が沢山ある人は、その分沢山の人の生活の面倒をみなくちゃいけないんだって。
「第1夫人が長男、次男、四男の母で、第2夫人が三男と五男の母であった。私は五男でな、三月違いで第3夫人が娘を産んでいる。
長男は後継、次男は補佐、末子は可愛い初娘。父の関心が薄いと感じた母は焦った。そうして母は五男のミルクに薬を混ぜた。少しだけ代謝を落として、少しだけ発育が鈍くなる薬だ」
「ご、なん…」
「本当に少しだけ。だけど長い間。父は五男が病弱で可哀想だとよく見舞いに来てくれるようになった。母は嬉しくなり、薬の量を少しだけ増やした。五男が大きく元気になってきたらまた少し、もう少し。やがて五男の体質は狂い出した。代謝が著しく低くなり、ご飯を食べても体温が上がりづらく、食べる量が少なくても太る。運動すれば倒れ、常に貧血だ。医者が異常に気がついた時には、五男はもう10歳であった」
レオン様はまるく艶のある指を握ったり開いたり繰り返す。
「母は離れに幽閉され、一生出る事は叶わなくなった。面会も出来ん。…まぁ、彼はそんな私の主治医だ」
ママに毒を盛られた?
それは…辛い。でも責められない。だって皆んなママって大好きでしょ?
でも、それより、何より。
「何故、其方が泣くのだ」
「よ、よが…た。よかっ、た。れお、様…生きて、会えて、うれしぃ」
レオン様はくすぐったそうにふふ、と笑った。
「あぁ。私もチェルシーが生きていて嬉しいよ。とても」
***
10日程学校の医務室とレオン様にお世話になり、
年末年始休暇が明ける直前に家に帰ると、誰も居なかった。
「お爺ちゃん執事も居ない…」
執事の部屋の机上には幾つかの書類が出しっぱなしだった。何気なく手に取り眺めると、それには国印が押されていた。
「脱税…取引法、違反……えっ」
この手紙、領地にも行っているのだとしたら。
「逃げた?」
え、待って。ママは?
この家も差押えになる?
他の書類にも目を通すと、令息達の婚約者家からの抗議文や、家を取り潰すと脅迫状まがいものまであった。
ここにいたらもうママに会えないかも。
私も出て行こう。
そう思った瞬間、レオン様の顔が頭を過った。
「そうだ。あの埋めたもの、取りに行かなきゃ」
着替えを何着かと毛布を纏めて、直ぐに家を出た。
あの、厩裏。私の2年間を支えてくれた場所。最後にもう一度だけ。
厩裏につき、瓶を掘り起こしていると人の気配がした。
「チェルシー!」
「レオン様」
汗だくで、運動はダメだって言ってたのに走って息切れしながらも来てくれた。
「家が取り潰しになると聞いた。…行ってしまうのか」
「うん。行く。ママを捜さなきゃ」
「…これを」
レオン様がポケットから、金色の何かを取り出した。
受け取ってよく見ると、金貨を嵌め込んだペンダントだった。刺繍枠みたいに上に螺子が付いていて、金貨を取り外せるようになっている。
「きらきらきんか…」
「去年はチェルシーがプレゼントをくれただろう?今年は私が、と」
お返しなんていらないよ。だってただのヘタクソな刺繍のハンカチだよ。
そう軽く返したかったのに、何も言えず涙が溢れた。
私の話をきちんと聞いて、覚えてくれている。その事が嬉しくて嬉しくてたまらない。
レオン様は私の手からペンダントを取ると、後ろに回って首に着けてくれた。
「チェルシー、私は其方がすきだ」
「私も、すきよ。レオン様がだいすき」
口付けて、抱きしめ合った。
レオン様は柔らかくて、包まれる感触が安心をくれた。
そして、厩の藁の上で睦み合った。
ただただ満たされて、涙が止まらないひと時だった。
事が明けると、疲れやすいレオン様は気絶する様に藁で眠ってしまった。自分とレオン様の服を整える。
レオン様が風邪をひかない様に、持ってきた着替えや毛布を全部レオン様に掛けた。
空のバックに貴金属の瓶だけ入れて、首にかかったペンダントを握りしめた。
「おやすみ、レオン様。さよなら」
***
私は王都を出た。
生まれ故郷の、ヘッダ領の下町に戻りかつてのボロアパートを見にいった。
そこにはもう別の人が住んでいて、ママは居なかった。
ヘッダ家の本邸も別邸にも行ってみたけど、衛兵らしき人が入り口に立っていた。暫く見張っていたけどママは居ないみたいだった。
移動や邸の見張りを繰り返し数ヶ月過ぎた頃、体調がおかしい事に気がついた。
「妊娠、してる…?」
嬉しい。でもそれ以上に不安が湧き起こった。
どうしたらいい?どうしたら。どこで産んだらいい。産後にまた冬が来る。お金は?住処は?暮らしは…
『ベリーズ海岸ってところは、美しいし暖かいんですって』
「ママ…レオン様…っ」
泣いちゃダメだ。
行かなきゃ。万が一屋根が無くても、凍死しない所へ。
***
それから五年が過ぎた。
ベリーズ海岸のあるザビの街は観光地で、家賃は高かったが、人は穏やかで優しく、身寄りの無い妊婦に随分優しくしてくれた。
街に着いて暫くは教会に身を寄せていた。その手伝いでお使いに出た先で破水し、近くの厩の藁の上で出産した。授かりも誕生も厩とは、奇妙な縁に産まれた子である。
出産を診てもらった先生への支払いと、働けない間の家賃と食費。アクセサリーを少しずつ売ったが足りず、レオン様から貰った金貨は使ってしまった。今は空になった枠だけを大事に首から下げている。
今は民衆食堂でウェイトレスして働く毎日だ。外で働けなくなったお婆ちゃん達が、親が働く子供達を安値で預かってくれるので助かっている。
その子供達も6歳位になると観光案内やゴミ拾いで小銭を稼ぎ始める町だ。
「ルド!迎えにきたよ!」
「ママ!」
駆け寄ってくる息子のルドは金髪金眼で、顔立ちもレオン様似だった。ただ食が細く、もっと丸くならないかなぁとよくオヤツ(そこらじゅうに自生している果実類)を渡している。
「今日ね、ジョンのヤツがいきなり殴ってきたんだ」
「あらら。機嫌が悪かったの?」
「ママがいてズルイって!でもジョンだってパパがいるんだよ!」
「あら〜」
「ママ!しんけんにきいてよ!」
「うんうん、ママもそうだったよ」
「え、ママも?」
ルドがきょとんと見上げてくる。
「そうだよ。ママもね、ママしか居なかったよ。でもママが大好きだから幸せだったよ」
「ママのママは今どこにいるの?」
「わかんないの。だからルドが大きくなったら一緒に探しに行ってもいいかな?」
「うん!いいよ!ルドもママのママにあいたーい!」
海沿いの道には波の音が届き、いつも心を穏やかにしてくれる。その道をルドと手を繋いで家へと帰る時が1番好きな時間だ。
家は小さな小屋の様な建物だ。
竈と調理場兼食事用のテーブルと椅子とベッド。あとキッチン棚と洋服箪笥。少しの収納スペース。隙間風も雨漏りもあるけれど、温暖なザビで凍える事はない。
緑色の屋根がお気に入りの、小さな小さな家。
「え」
その玄関扉の前に人が立っていた。
「ママ、だれかいるよ」
ルドの声にその“だれか”は振り向いた。
金の髪、金の瞳、頬は少し日焼けして、変わらずにお腹はまぁるくて。汗だく。
その人はルドを見ると軽く目を見開いた。
「レオン様?」
「チェルシー…本当にチェルシーかい?」
「それはこちらの台詞です」
レオン様から少し離れた所で立ち止まった。
少し困惑したから。
だけど残りの距離を、ゆっくりとレオン様から近づいてきた。
「その子は」
「息子のルドです」
ルドを見下ろすと、金の目をぱちくりさせてレオン様を見つめていた。
「私の子…?」
「はい」
その瞬間レオン様の両目から波の様に涙が溢れ出てきた。
「れ、レオン様!?」
「チェルシー、すまない!君に、君だけに苦労を…」
「いいえ、ルドの事でしたら私、産めて幸せでした」
その瞬間、今度はレオン様の顔が泣きながら真っ赤になった。相変わらず、かわいいひとね。
「レオン様、何故ここに?」
「君を、探していた。君を迎えにきた!結婚して一緒に暮らそう!」
「えっ!?」
レオン様からはハッキリ聞いたことはないけど、多分上級の貴族だ。五男と言っていたが、主治医がいて服もいつも清潔だった所を見れば、裕福な家に違いない。
こんな貧しい平民と結婚する事はないのだ。
「ご家族が反対するでしょう?」
「もう家は出たんだ。商会を開き軌道に乗ってきちんと独立した。だから君を探してたんだ」
僅かに戸惑う私に、レオン様は畳みかける。
「君に会わせたい人もいるんだ」
「会わせたい人?」
「君のママを見つけた」
「!!」
私は驚きすぎて声が出せずに、ぎゅうとルドの小さな手を握りしめた。
捜す、とは口で言っていたけど、本当は半分くらい生きている事を信じられなかった。
「い、生きて…?」
「生きてるよ!君の生まれ育ったあの町で、シスターをしている!君の帰りを待っている。顔が君とそっくりだね。直ぐにわかったさ」
9年前、久しぶりにヘッダ男爵がお客としてケイティの前に現れた。折角だからと下心で彼の子供がいる事を伝え、少し金銭を要求すると、彼は「仕事をするなら」と答えたそうだ。
ケイティは自分が仕事をするものと思い「是」と答えたが実際は違った。チェルシーに仕事をさせると知った時にはもう遅く、ヘッダの下町から離れた別邸に軟禁されていたそうだ。逃げれば娘を殺すと。
それから国の査察が入るまでずっと、別邸で過ごしていたらしい。
調査が済み、かつて暮らした町に戻るも部屋には別の人が住んでいて、それからずっと教会で暮らしている。
レオン様が静かにそう話した。
「別邸も…ヘッダの下町も…行ったのに…っ」
「すれ違ってしまったんだね」
いつの間にかレオン様は目の前まで来ていた。腕を伸ばし、そっと抱きしめてくれる。
「どうか君を、君とルドを私に守らせて欲しい。私…いや、僕にはチェルシーが必要なんだ」
「…はい。レオン様」
「本当!?チェルシー!すきだ!」
「きゃっ!」
急に強く抱きしめられて声を上げてしまった。相変わらず、胸からお腹までもっちり包まれる安心感が堪らない。
一連の話を横で聴いていたルドがレオンに話しかけた。
「おじさんがぼくのパパ?」
レオン様は私を離して膝をついた。
「そうだよ。初めまして。レオンだ。会えて嬉しいよ、ルド」
「パパ…想像してたより、まるい」
その瞬間レオン様の笑顔がビシリと固まった。私の涙も瞬時にひっこむ。笑っちゃダメだよね?笑っちゃダメだよね??
「い、嫌、かな?その…ママはね、まるいのが気に入ってくれてて、くれてる…はずで」
しょんぼりと俯き自信のない発言をするレオン様を前に吹き出さない様に必死だ。
ルドはにっこりと満面の笑みを浮かべると、レオン様の首元にぎゅっと抱きついた。
「いやじゃなーい!ぼくのパパ!ぼくのパパだ!!ママ、パパがいた!」
そうしてパッと赤い顔を上げたレオン様を見て、とうとう吹き出してしまった。
「ぷっ、ふふふふ。そうね。とりあえずお家に入りましょうか」
「パパ、ちいさいいえだけど、ようこそ〜」
「あぁ、入らせてもらうよ」
レオン様はルドを抱き上げて、私に寄り添ってくれる。
ベリー色の夕焼けが、大好きな金色達と私を優しく包み込んでくれた。
〈終〉
>チェルシーはレオンが風邪をひかない様に持ってきた着替えも毛布も全てかけた。
「ドロワーズとシュミーズは流石にビビった…回収して持ち帰るのも凄い大変だったよ」
(後日レオン談)
***
「ねぇ、なんで“私”から“僕”に変えたの?」
「う…それは…その…」
「なんで?」
「な、なんとなく、だよ」
「ふーん?」
“ボク”はへり下って“シモベ”の意味で使われる事もある。レオンは一生、チェルシーの前で“私”を使う事はなかった。
“恋の僕”ということで。
***
「ところでチェルシー、ルドの名前の由来って…」
「ん?“ゴールド”の“ルド”だけど?」
「だよね!(本当ブレないよな…そこがすきなんだけど!)」
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テイストが違うエピなのでカット致しました小話です。
ありがとうございました。