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第一話「最強の騎士」

 いつの季節だか、部屋の中ではわからない。

 布団の上で彼は呻いた。この世界で生きていることに呻いたのだ。

 職を辞してから一年は経とう。この頃にはすっかり追い詰められて、息をするのも苦しい。なにしろ金がない。すなわち死だ。

 彼は日頃利用するショッピングモールの駐車場の屋上から飛び降りることも考えた。けれど体がついていかない。意気地がないのだと彼は思った。

 そして結局、ようやく起き上がったならぼさぼさの髪のまま、市役所に向けて自転車を漕ぎ出していた。

 思えば損の多い人生だった――彼は道中些細な苦い思い出を頭に浮かべていた。中学生の時、浮ついたクラスメイトの代わりに女子の告白を断る役目を請け負う羽目になり、その子から大層憎まれるということがあった。その後も就職厳しい時期に大学を卒業し新卒の肩書が使えず苦労した挙句に就職したもののブラックで、結局肌に合わず辞めてしまって今に至る。人の不運なんて少なくないが、彼には特別自分がそうだと思えた。

 人生が終わっている。そう意識する一方でみじめにしがみつかんとする彼がいた。行政に頭を下げてなんとか生かしてもらえないだろうか――

 市役所は自転車で三十分ほどの地点にあった。

 日光に照らされて並々と輝く木々の緑は優しいどころか彼には毒であった。ギラギラと極彩色の景色を避けるようにグレーの無機質な建物に吸い込まれていった。

 生活支援課、の部署を彼は探す。

 だが滅多に市役所なんて来るものじゃない。彼は恥ずかしながらも受付に訊いてみることにした。

 受付嬢は顔色を変えず、機械的に場所を教える。まっすぐ行って、つきあたりを右で曲がって。言われた通りに彼は進む。

 そして着いた。が、明らかに異様だった。

 そこは生活支援課などとは程遠い。彼は看板を見てみる。異世界転生課などと書いてある。道を間違えた、と来た道を戻ろうとするが一寸先は闇であった。まるでここだけ空間が隔絶されているかのようだ。カウンターの向こう側の職員に声を掛けられる。不気味なくらい、笑顔の。


「ご用件は何でしょうか」

「いや、ここはどこです? 生活支援課に行きたいのですが」


 彼は率直に言った。なにやらただならぬ気配に逃げ出したい気持ちだった。しかし若い女性職員は言葉でぐわっと捕まえる。


「人生の行き止まりではないのですか? やり直す相談を承りますよ」


 女は彼より十歳は若く、よく見れば大層な美人だ。しかし怪しい影が見え隠れもした。宗教勧誘よりももっとおぞましい、何かに思えた。ついには手を伸ばし、怯える彼を掴んだ。


「まずは座ってみてください」


 職員を装った女に彼はたまらず着席させられる。もはや身動きも取れない。彼は彼女のエメラルドグリーンの瞳から逃れるすべを持たなかった。


「いくつか案を出させていただきますがこれといったものをお選びください。たとえばこの世界はどうですか。天空界ラ・ピュータ。ここであなたは最強の騎士として生まれ変わるんです。あなたにピッタリだと思いますよ」

「何が」

「ご存じありませんか? 異世界転生」


 女が何を言っているかさっぱり理解できない彼だった。無理もない。彼が二十数年かけて身につけた常識の範疇を超えている。しかし女は気にせず続ける。


「申し遅れました。私は女神をやっていますカレンと申します。今しばらくだけの間ですがお見知りおきを」

「はぁ」


 彼は溜息をつくことしかできない。

 自称女神はいくつかの資料を提示した。そこに映る写真はどれもゲームの画面のような、現実感のないものばかりであった。そして美しい光景ばかりであったが、彼には悪い夢にしか思えなかった。


「やはり私はラ・ピュータの騎士がいいと思いますよ。まずは一ヵ月やってみて、それから生きるか死ぬか選ぶのがいいと思います」


 断る、と言ったらどうなるのだろうか。しかし彼は実際に拒絶の意思を示すことは出来ず、有無を言わさず飲み込まれた。


「それでは健闘をお祈りします。行ってらっしゃい」


 腕をしっかりと掴まれ、引きずり込まれる。さながら女はブラックホールであった。もはや人間の形を保たない、異空間の扉であった。そうして彼は――

 異世界に来ていた。

 けたたましいアラーム音が鳴り響く。人の群れが蟻のようにせわしなく、雑踏に彼は投げ出された。すると不意に、誰かが耳元で怒鳴った。


「おい新人、何をしている! 貴様はこっちだ!」


 また腕を掴まれて、彼は引きずり回された。今度は男だ。大男である。筋骨隆々としていて、剃った武骨な頭はいかにもマッスルチャンプか軍人の顔つきだ。この男は後者であった。


「全く世話を焼かせるな」

「ゴリア隊長!」

「ロバート、ちょうどいいコイツを持ち場に連れていけ」


 もう一人男が現れる。すらっとした優男だ。髪を逆立ててニンマリとしている。そして二人とも、戦闘機乗りのようなパイロットスーツのいで立ちだ。正確には三人――彼もまた、同じ服を着ていたのだが。

 ロバートはこちらに来いと手招きしてみせる。彼は素直に従うことにした。何がなんだかわけがわからない。そういう時は物知りについていくしかないと彼は悟っていた。

 背の高いロバートを目印に、彼は人混みを掻き分けていく。すると何か異様なものが並んでいるのが見えてきた。ロバートよりも遥かに大きい、15メートルの何かだ。それは人の形をしていたが、もっと無機質なビルに近いものだった。

 ロボットか――と目の前にして、彼は気付いた。

 そう、彼の知識を搔き集めた中では、ロボットに近い。人型の機械。だが人よりもずっと腕が長く、胴が大きく、そして四枚の虫の羽根のようなものが背中に生えていた。空を飛ぼうとするイカロスにしては不格好に思えた。

 ロバートが彼の背中を叩く。


「何ボケっとしている。てめぇのバンダルに乗り込めよ」

「バンダル? このロボットの名前か?」

「バンダルはバンダルだろ。新人だから十式には乗れねぇぞ。その九式を使え」

「一体どれの」

「見てわからないか? 青いだろ!」


 そう怒鳴ってロバートは指を差す。白いロボット群の中に目立つ青色のものがあった。ロバートの剣幕に押され、彼の足はそこに向かう。


「おう新人、あったまってるぜ」


 ロボットの整備をしていたらしい髭もじゃの男が彼を迎え入れる。流されるままに彼は青いバンダルの開いた腹部に押し込まれた。


「動かし方くらい、わかるよな? ハッチ閉じろ、すぐに出てくれよ」

「は、はい」


 つい返事をしてしまうが、わけもわからずこんなものに乗れるかと彼は思った。だがそれは一瞬であった。すぐに彼は意味を悟る。計器の一つ一つが何を指していて、レバーを動かせばバンダルがどう動くのかを。

 彼は知っていた。知っていることに驚く。


「なんで俺は、バンダルに乗れるんだ……」


 誰かに訊くように言ったが、独り言になった。誰も答えない。だが自然と彼は赤ん坊が立って歩き始めるようにバンダルの足を動かした。


「おい、ハッチ開いたままだぞ!」

「すみません、今閉じます!」


 整備兵にどやされて、彼はバンダルのハッチを閉じる。一瞬何も見えなくなるが、バンダル頭部のメインカメラが光った途端モニターに周囲の状況が映し出された。その中にはオペレーターの純朴そうな女性の顔も小さくあった。


「敵戦艦はベガ級3、デネブ級5。バンダルは30機を超えている模様。新人君はとりあえず生きて帰るのを目標に」


 誰もが彼を新人と呼ぶ。だがだんだんと彼自身は歴戦の戦士のような気がしてきた。今の言葉もなぜかすんなり頭に入る。不思議に思うが、そろそろ出撃するので疑問符を浮かべてもいられない。

 カタパルトに九式バンダルの足を乗せる。すると目の前の扉が自ずと開けていって、青空を映した。


「行きます!」


 彼の宣言と共に青いバンダルが飛び出す。見渡す限り一面の空。そして背後には空に浮かぶ巨大な島が鎮座していた。

 天空界ラ・ピュータである。

 そして地上から空中戦艦で侵攻する侵略者共からラ・ピュータを守るのが、バンダルの騎士達の仕事だった。


「飛んでる……俺は空を飛んでいるのか?」


 やはり彼の独り言に答えるものはいない。当たり前のことだからだ。バンダルは四枚の羽根を駆使し空を飛ぶ。大勢の味方のバンダルが次々と飛び立っているのが彼にも見えた。そして遠い雲の向こうには、地上軍の戦艦から飛び立つ敵方のバンダルが多数いるのだ。

 戦争は、バンダル同士で行われる。

 彼はアクセルを踏み、空の色と同じバンダルを飛翔させる。すると目の前に黒いバンダルが躍り出た。お互い前に出過ぎだ。敵の出現に彼は動揺する。相手も戸惑っているように見えた。

 しかし敵の方が先に撃ってきた。


「武器は、武器はないのか!」


 彼は焦りを口にする。このままでは一方的に蜂の巣だ。九式バンダルをぐんと飛翔させながら、彼は気付く。手に内蔵された銃火器の存在を。


「メガ粒子砲、これか!」


 勢いよく彼はトリガーを引いた。レーザーが空を裂く。だが敵には当たらず見当違いの雲を撃ち抜いた。黒いバンダルの方は青いバンダルを狙って撃ってくる。彼も狙いを引き絞り、二発目を発射した。

 すると直撃だった。一撃だった。黒いバンダルが爆散する。

 まるで出来の悪いゲームみたいだ、と彼は思った。だが現実には命の取り合いで、敵も必死だった。

 黒いバンダルの編隊が孤立した青いバンダルを餌食にせんと飛翔する。その接近を示す警戒音に慌てて彼は我に返る。

 五、いや六機か。黒いバンダルが撃ってきた。集中砲火だ。


「ぐうっ」


 彼は唸る。羽に掠っただけでも致命傷なのだから。張りの糸を通すかのような避け道に入り込まざるを得なかった。


「新人、前に出過ぎだ! 下がれ」


 ゴリア隊長の檄が飛ぶ。しかし聞いている余裕もなくなった。レーザーの光がチカチカとする。

 だがこの危機的状況で妙に冷静になる彼がいた。なにしろ敵がどう動くのか、手に取るようにわかってしまう。すれば動かぬ的も同然。彼はトリガーを引く。一機落とした。

 一機、また一機。青いバンダルの放つレーザーが黒いバンダルを撃滅せしめる。

 仲間を失った黒いバンダルの一機が激高したかのように突進を掛けた。レーザーを交わし、一気に接近する。手練れだ。黒いバンダルは背中に取り付けていた巨大な斧ハルバードを抜き、彼のバンダルに切りかかろうとした。


「接近戦の武器は……これか!」


 彼もまた青いバンダルの腰に差していたオリハルコンソードを抜いた。ハルバードの一撃を間一髪でかわし、オリハルコンソードを相手の腰に当てる。すれば一刀両断。爆発間近の黒いバンダルを蹴飛ばし、飛翔してその場を離れる。

 青いバンダルの全身から、赤い光が漏れだした。バンダルをバンダルたらしめる魔導エンジンの核となる、エリクシルの発光だ。機動する彼のバンダルを一気の黒いバンダルが追うが、撃ち落とされる。


「化物!」


 とは誰が言ったか。敵編隊の最後の一機はその場から逃げ出そうという動きを見せたが、これもあえなく撃墜された。その上、光条は雲に隠れる母艦の看板を掠めた。


「おい新人、大丈夫か」


 ゴリア隊長が通信を送ってくる。だがまだいける、彼は判断した。まだ敵戦艦が残っている、それを落とさんと。青いバンダルが飛ぶ。

 巨大な空中戦艦は異様なプレッシャーを対空砲火と共に放つ。だがこの時の彼に普段の押しの弱さはなく、ぐんぐんと接近していく。そして射程圏内に入ったならレーザーを艦橋と動力炉の二つに絞って撃った。

 デネブ級戦艦は大爆発を起こし、地上への沈下を始める。


「はっははははは、やった、やったのか!」


 彼は自分の戦果を喜んだ。と同時に驚いた。己にロボットを操る才があるなど。ゲームでもここまで上手くはいかない。

 そう、これこそが転生の女神から与えられた「最強の騎士」のスキルであった。

 しかし彼は気付かない。若返っていて、バンダルと同じ蒼い瞳をしていることにもまだ。異世界転生の恩恵に。


「おい新人、てめぇ何機撃墜した?」


 ゴリア隊長の声は驚愕に彩られていた。彼は七機のバンダルと一隻の母艦を撃破したと伝える。すると隊長はますます驚いてみせた。


「たいした新人じゃねぇかスーパーエース……何者だ?」

「ヤマギだ」


 彼は自分の名を名乗った。

 敵部隊は地上へと撤退していく。天空界ラ・ピュータは何度目かの防衛に成功した。

 そんな空を見上げながら、ひそかにほくそ笑む男がいた。


「マクレーン大佐が引き上げていくようです」


 若い将兵が男に報告する。それを聞いて男はワイン片手に微笑む。


「まぁあんなものだろう」

「次は司令の番でしょう。期待していますよ」

「物怖じしない言い方だな」


 男は精悍な顔つきで不躾な若い将兵を見つめる。お互い値踏みしているかのようであった。


「安心したまえ、無駄死にはさせんよ」

「ハッ。無敗のホダカ司令殿」


 ホダカと呼ばれた金髪の男は赤くなり始めた空を再び見上げた。

短期集中連載です。よろしくお願いします。

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