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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

不良少女は保健室の先生に誑かされる

作者: ピッチョン


 不良って言葉は嫌いだ。良から()なんて言われても良い悪いを基準にして行動したことなんて一度もない。

野暮ったくて地味だから髪を明るく染める。制服を着崩すのも胸元は開けた方がセクシーだしスカートは太ももが見えるくらい短い方がスタイルが良く見える。誰かが言っていたが人間は人から見られることで自分の外見や体つきを意識し、より良くあろうとするのだという。つまり綺麗でありたいなら自分の体をどんどん見せていくべきだ。

 ともっともらしい正論を言ってみてもあたしのような勉強は出来ない授業もサボるような落ちこぼれを世間は相手にしてくれない。それは分かっているがそれでも現状を変える努力をしないのは、結局あたしが今の自分を受け入れてしまっているからだ。

 だって人生は一度しかない。好きなように生きたって構わないじゃないか。

 大人たちはこぞって『将来後悔する』と言うが、後悔上等。あたしの人生の善し悪しはあたしが決める。いくら他のやつが批評しようがあたし自身が良いと言えばそれで良い。

 齢十七にしてあたしは固い信念を抱いていた。不良と呼ばれようがこれだけは譲れないのだと決めていた。だがその信念が今揺らごうとしている。

「――っ、んっ……」

 口から漏れそうになった声を唇を噛んでなんとか抑え込む。あたしの様子を見てすぐ後ろからくすりと笑う声が聞こえてきた。

「まだ10分ちょっとしか経ってないのにもう余裕なくなってるの?」

「だ、誰がっ! こんなの余裕だっての!」

「あら頼もしい。じゃあもっと激しくしても大丈夫?」

「大丈夫に決まって――んぅっ」

 強くなった刺激にあたしは再度唇を噛み、視線を自分の胸元に移した。

 制服の内側でもぞもぞと動く手。そしてその更に下ではもう一つの手が太もも辺りを撫でている。

 放課後の保健室で何故こんなのことになってしまったのか。

 始まりは三日前のことだ。



 五時限目はたいてい保健室に行ってサボるのが普通になっている。

 お昼ごはんを食べたあとというのは眠たくなる。眠いまま授業を聞いても意味がない。だから保健室で一度ぐっすり眠る。昼食後の軽い睡眠は仕事の効率をあげるとかいう話もあるのだから学校でもシエスタを導入するべきだ。別に起きたあとに勉強をするわけではないが。

 保健室の扉を開けながらいつものセリフを口にする。

「よーこちゃん、体調悪いから寝かせて」

「――あぁ猫谷さんちょうどよかった」

 いつもと違う反応にあたしは「ん?」と正面を見やった。そこにはよーこちゃんこと菊池耀子先生の横にもう一人見知らぬ女性が立っていた。

 ミドルショートの黒髪にメガネ、よーこちゃんと同じく白衣に身を包んだ姿は理知的な化学教師のようにも見える。

 保健室の中へと進むあたしによーこちゃんがその女性を紹介する。

「こちらが私の代わりに来てくれることになった犬森先生」

 よーこちゃんの手が自分の大きくなったお腹をさすった。そろそろ産休に入るから新しい保健室の先生が来るという話を前にしていたのを思い出した。

「よろしくね、猫谷未亜さん」

 犬森と呼ばれた女性がにこやかに会釈をする。首から下げられたカードには『養護教諭 犬森和音』と書かれていた。

「いぬもり……わおん?」

 いやに可愛らしい名前だなと思って呟くと犬森先生がくすりと笑った。

「『かずね』よ。小さい頃は『わおんちゃん』って呼ばれてたけど」

「じゃあわおんちゃんって呼んであげる。そっちの方が可愛いし」

「いいわよ。猫谷さんの好きに呼んでちょうだい。なら私も猫谷さんのこと『みゃあちゃん』って呼ぼうかしら」

「まぁあたしも何でもいいよ」

 犬森先生改め、わおんちゃんは見た目に反してかなりフランクな性格のようだ。堅苦しい先生よりかは気が楽だ。ようはあたしが休むのを邪魔されなければいい。

「ベッド借りるから」

 空いているベッドへと向かうあたしにわおんちゃんが声を掛ける。

「六時限前に起こした方がいい?」

「てきとうに自分で起きるからほっといて」

 ベッドの仕切りのカーテンを閉めて話を終わらせる。相手が先生でも生徒でも必要以上に仲良くする気はない。よーこちゃんだってあたしを気遣ってくれてはいたが無理矢理踏み入ってくるようなことはしなかった。それくらいの距離感が丁度いい。だから後任のわおんちゃんもそういう風にあたしに対しても接するものだと思っていた。

 翌日、それが誤りだったと気付かされた。

 昼寝を終えたあたしはふと果物の匂いを感じて体を起こした。スマホで時計を確認するとすでに六時限目に入っている時間だった。カーテンを少し開けて外を窺うと、わおんちゃんがカップを片手に机に向かっている背中が見えた。音で気が付いたのかあたしの方を振り返る。

「おはよう。授業戻る? それともまだ寝とく?」

「……それは?」

 あたしの視線にわおんちゃんがカップを持ち上げてみせる。

「あぁこれ? アップルティー。猫谷さんも飲む?」

 頷くとわおんちゃん立ち上がって準備を始めた。カップにティーバッグを入れ、電気ポッドからお湯を注ぐ。カップに蓋をしてからわおんちゃんが聞いてきた。

「砂糖は?」

「たくさん」

「結構甘党なんだ?」

「苦いより甘い方が好きなだけ」

「そりゃそうね。それじゃあこっち来て」

 あたしはベッドを降りて、机の横に置かれた丸イスに腰掛けた。蒸らし終わったアップルティーとスティックシュガーの入った箱が目の前に運ばれてくる。

「分量わからないから好きに使って」

「あ、うん」

 スティックシュガーを四袋開けて紅茶にざばっと入れてからティースプーンでかきまぜる。一口飲むと林檎と紅茶の混ざった香りと共に甘さが口中に広がってきた。

「どう? おいしい?」

「……まぁ」

「クッキーもあるんだけど食べる?」

 引き出しをあさり始めたわおんちゃんを見て思わず言う。

「先生が生徒にお菓子なんてあげていいの?」

「え? 逆に何であげたらダメなの?」

「いや、あたしサボってるし……」

 授業をふけているあたしがこんなとこでのうのうとお茶とお菓子を食べていていいのかという疑念はある。

 わおんちゃんがにんまりと笑った。

「自分が悪いことやってる自覚はあるんだ?」

「べ、別にあたしはあたしのやりたいようにやってるだけで、悪いことなんてひとつも――」

「じゃあいいじゃない。保健室で休んでた生徒に先生がお菓子をこっそりあげる、なんて昔からあることよ。はい、どうぞ」

 わおんちゃんがクッキー缶の蓋を開けてあたしに差し出した。少し逡巡したものの確かにあたしが遠慮するのもおかしな話だと結論付けて、手を伸ばしてクッキーを一枚取る。それを見てわおんちゃんがにこっと笑った。

「あ、でも全部食べないでね。私の分が無くなっちゃうから」

「そこまで食い意地は張ってないよ」

 しばらく雑談しながらティータイムを楽しんだ。好きな食べ物、好きな芸能人、好きなテレビ番組などなど。先生というよりは同年代の友達と話しているような感覚だった。もちろんあたしに友達なんていないわけだが。

「でも良かった。猫谷さんが思ってたよりずっと良い子で」

 飲み終わったカップなどを片付けながらわおんちゃんが言った。

「良い子?」

 どういう意味だろうか。自分で良い子だなどと思ったことは一度も無いが。

「私が赴任して来る前にあらかじめ猫谷さんのこと聞いてたのよ。毎日保健室に来る髪を染めた不良の女子生徒がいるって。最初はもうどれだけ凶暴で恐い子が来なんだろうって思ってたけど、実際に会ったら全然おとなしい可愛い普通の女の子じゃない。私安心しちゃった」

「…………」

 不良、という単語に一瞬胸の内側がもやもやとしたが、可愛いと言われて今度は違うもやもやが胸に広がってきた。

「ねぇ、その髪って自分で染めてるの? それとも美容室?」

「美容室だけど……」

「やっぱり。ちゃんと綺麗に染められてるなって思ったのよ」

「……注意とかしないの?」

「注意? あぁ染めてることに対して? 私はそういうの賛成派だから別に。似合ってないなら言ったかもしれないけど、猫谷さんのそれは似合ってるから」

 まただ。似合ってると言われて変な感覚があたしを襲ってくる。

 沈黙したまま視線を下げるあたしに構わずわおんちゃんが話を続ける。

「もし私が注意するとしたら、猫谷さんが夜遊びしてるときかな。ぶっちゃけどうなの? 夜に繁華街に行ってそういうグループとつるんでたりするの?」

 あたしはすぐさま首を振って否定する。

「な、ないない! あたしはひとりでいる方がいいから」

「本当? ウリとかもやってない?」

「やったことない! 絶対やらない!」

 脂ぎったおっさんに自分の体を、なんていうのは想像するだけで鳥肌が立つ。たとえお金に困ったとしてもやりたくない。

「そう言ってくれるなら大丈夫ね。けど――」

 わおんちゃんが視線をあたしの顔から下へとおろしていき、開いた胸元と短くしたスカートを見つめた。

「その格好だと危ないこともあるから気を付けた方がいいわよ」

「……男に襲われるってこと?」

「可能性は高くなるわね。いくら猫谷さんがファッションだからと言い張っても見る方からすれば誘ってるように取られる場合もある。勿論一番悪いのは襲ってくる人なんだけど、そうなったときに一番つらいのは猫谷さんだから」

 言っていることはわかる。今までも男子生徒や男性教諭、通りすがりのサラリーマンたちに胸や太ももを見られることは多々あった。しかしそれは同時にあたしの自信にも繋がってきた。だってそれだけあたしの体に魅力があるということだ。容姿やスタイルを磨いた結果がそうなるのはむしろ喜ばしいことではないだろうか。

「別に心配されるようなことじゃないよ。もし襲われそうになっても逆にぶっ飛ばしてすぐ逃げるって」

 あたしが言い放つとわおんちゃんはふっと笑ってから不意にあたしの肩に手を置いた。

「でも本当に襲われるときなんて一瞬のことなのよ?」

 そこからは本当に一瞬だった。わおんちゃんはあたしの両腕を取って背中側に回し、交差させてから押さえつけた。

「――え?」

 体を前かがみにさせられたまま何が起こったか分からずに戸惑っていると太ももに何かが触れた。

「ほら、こうされたらどうやって抵抗するの?」

 わおんちゃんの手があたしの太ももをさすっている。手は左右に滑りながら徐々に太ももの内側へと近づいていく。細い指があたしの肌を弾くたびにこそばゆさと恥ずかしさが入り交じる。

「え、ぁっ――」

 声がうまく出ない。振り払おうにも腕を固定されて動けない。あたしに出来るのは両足をぎゅっと閉じて耐えることだけだった。

「まったく、ダメでしょそんなんじゃ」

 不意に拘束が解かれて体が自由になった。わおんちゃんがあたしの背中をまっすぐ伸ばし乱れたスカートを整える。

「猫谷さん、こういう経験全然ないでしょ? 黙ったまま身を縮めるって一番やっちゃいけないんだから」

「…………」

 あたしはぼうっとわおんちゃんを見返した。さっきのはいったい何だったのかまだ理解が追いついていない。

 学校の終了を告げるチャイムが鳴った。

 わおんちゃんがあたしの頭をぽんと叩いた。

「はい、終わったんだから部活のない子は早く帰りなさい。荷物教室でしょ?」

 追いやられるように保健室を出たあたしはカバンを取りに教室へ戻ったあと、家へと帰った。

 帰路の間ずっと先程のことを考えていた。そして状況を思い出せば思い出すほどムカムカと怒りが湧いてきた。

 なんであたしがいきなりあんなことをされなきゃいけないんだ。腕もちょっと痛いし太ももだって……。太ももを撫でられた感触がよみがえり、振り払うように首を横に振った。

 ともかく色々と文句を言ってやらないと腹のムシが治まらない。

 翌日になって、昼ごはんを食べ終わったあたしはすぐさま保健室に乗り込んだ。

「あら、いらっしゃい。そんな怖い顔してどうしたの?」

 涼しい顔をして出迎えたわおんちゃんにあたしは詰め寄る。

「昨日のアレ!」

「あぁどうかした?」

「生徒を襲って無理矢理触るとか犯罪じゃないの!? セクハラだ!」

「あれはあなたが襲われても大丈夫だって言うから試しただけよ。そうしたら全然抵抗もされなかったからどうやって切り抜けるつもりなのかなって見守ってたの」

「あんな不意打ちされたら抵抗できるわけない!」

「今から襲いますって宣言して襲う暴漢なんていないと思うけど」

「う……」

「それに口は自由だったのに猫谷さん叫びもしなかったじゃない」

「うぅ……」

 どんどん論破されてあたしは反論する機会を失った。わおんちゃんの言う通り何も出来なかったのは事実だ。うなだれるあたしの手をわおんちゃんが握った。

「大丈夫。特訓すれば猫谷さんもああいうアクシデントに強くなれるから」

「……特訓?」

「そう。猫谷さんが咄嗟に抵抗出来なかったのは触られることへの耐性が全然なかったことに起因してると思うの」

「触られることへの耐性……」

 耳に入ってきた言葉をそのまま繰り返す。わおんちゃんがしかと頷いた。

「だから耐性をつける方法は簡単。猫谷さんが触られることに慣れちゃえばいいのよ」

「…………」

 確かに昨日は驚き過ぎて動けなかったところはある。あらかじめ慣れておきさえすれば冷静に行動も出来るというわけか。

 わおんちゃんが悠然と足を組んだ。

「猫谷さんは高校卒業したら進学希望? 就職希望?」

「えっと、多分就職……」

 進路希望の紙は白紙で出したが、早くひとりで生活したいので就職になるだろう。会社が見つからなければバイトでもするつもりだった。

「でしょう? そうなるとその若さで社会人として生きていくことになると思うんだけど、もしかしたら勤め先で上司やお客から触られることがあるかもしれないわけよ。ううん、猫谷さんだったらまず間違いなくセクハラされる。そんなときどうするの? 黙ったままセクハラされ続けるの?」

「それは……」

「今のうちにセクハラされ慣れておくとね、いざ社会に出て遭遇したときに『あぁこの程度か』と簡単にあしらうことが出来るのよ。猫谷さんだってどんなときでも慌てることのない余裕のある大人になりたいでしょ?」

「……ま、まぁ」

「よし、じゃあさっそく特訓開始しましょうか」

 わおんちゃんが立ち上がり、あたしの手を引いてベッドの方へ向かった。

 色々とおかしい部分があるのは分かっていても何故か抗うことが出来ないのはわおんちゃんの言葉がすべて本気であるように聞こえたからだ。保健室の先生にここまで自信満々に言われてはそうなのかな、と思ってしまう。

 そうしてベッドの縁に腰掛けたわおんちゃんの膝の上に座らされ、特訓が始まること十数分。冒頭の状況へと至る。


 触られるのは太ももだけだと油断していたらいきなり胸元から手を入れられ下着の上から胸を揉まれ始めたときは恥ずかしさで死ぬかと思った。

 わおんちゃんいわく、『恥ずかしければ恥ずかしいほど克服したとき耐性がつく』らしい。確かにその理屈は分かる。分かるが恥ずかしいこと以上に未知の刺激が襲いかかってきて頭の中がすでにいっぱいいっぱいになってしまって克服どころの話じゃなくなっている。

「やっぱり若い子の肌っていいわねぇ。すべすべで弾力があって触り心地がいいわぁ」

「――っ、感想が、オヤジっぽい、ん――」

「率直な感想を言ってるだけよ。私も高校生のときは同じようなものだったんだから」

 息も絶え絶えなあたしと違ってわおんちゃんは余裕たっぷりだった。

「ん~、猫谷さんのうなじ、すっごくそそる」

 ちゅっ、と何かが首筋に当たったような気がして後ろを見る。

「い、今首に何かした!? したよねっ!?」

「たまたま唇が当たっただけよ。これも特訓特訓」

 再び首筋にキスをされ、背筋にぞくっと電気が走る。

 絶対たまたまじゃない……。そう思っても言葉にするほどの気力はあたしにはもうなかった。

 特訓は五時限目の終わりのチャイムが鳴るまで続けられた。

 ベッドで手足を投げ出してぐったりと休むあたしのもとにわおんちゃんがアップルティーの入ったカップをソーサーに乗せて持ってきた。

「お疲れさま。砂糖はもう入れてあるから」

 あたしはのそりと体を起こしてソーサーごと受け取りアップルティーを飲んだ。疲れたからか甘さが昨日よりも染み渡る。

「……わおんちゃん、めちゃめちゃ楽しんでなかった?」

「そりゃあ楽しいわよ。猫谷さんみたいな可愛い子の肌を触れるんだから」

「…………」

 怒るつもりだったのに、可愛いと褒められたせいで怒りがしぼんでいってしまった。

 まぁそんなに楽しいと言ってくれるなら、この特訓ももう少し続けてみよう。せめて多少の成果が出てきてくれるまでは。


 次の日からお昼ごはんを終えるとあたしは荷物を持って保健室に向かい、五時限目の間は特訓、六時限目の間はお茶をしてから帰宅するようになった。

 一週間も経つころには特訓にも慣れてきて、触られながら雑談を出来るくらいには余裕が生まれつつあった。

 これはそろそろ特訓も終わりかもと思いながらいつものように保健室に入ったとき、わおんちゃんの様子がいつもと違っていた。

 あたしを見るなり人差し指を口に当ててベッドの方を指さした。二台あるベッドのうちの片方の仕切りカーテンが閉まっていた。

「誰かいるの?」

 小声であたしが尋ねるとわおんちゃんが頷いた。

「体調不良で休んでいる子がいるから静かにね」

「ってことは今日は特訓は無し?」

「…………」

 わおんちゃんが口元をいやらしく歪めた。そして。

「猫谷さんも具合悪いのね。じゃあベッドで寝てていいわよ」

 わざとらしく言った後あたしの手を取り空いているベッドへと連れていくわおんちゃん。嫌な予感しかしなかったが嫌な予感通りになった。

 あたしを後ろから抱いたままわおんちゃんがひそひそと囁く。

「このままここで特訓するから声はちゃんと抑えてね」

「ま――」

 わおんちゃんの手と指が問答無用であたしの体をまさぐり始めた。それ自体はいつもと変わらない。変わらないのだが、隣に人がいるというだけで緊張感が桁違いだ。

 声どころか吐息でも気付かれるかもしれない。だから口をぎゅっと閉じて息をひそめる。けれど声が出てはいけないと思えば思うほど触れられている部分に意識が集中してしまい声が漏れそうになる。

 それでもなんとかしばらく耐えていると、だんだんとわおんちゃんの手つきが激しくなってきた。ぎゅっとあたしを抱き締めながら胸に入れた手を動かし、うなじから耳に向かって唇を這わせる。

 頭の中が沸騰しそうなくらい熱い。声が出せない分息が苦しい。心臓が痛いくらいうるさい。なのにこの特訓をやめようとしないあたしがいた。

 もしも隣の子にバレたらと思うと気が気じゃないが、それよりもこの特訓が中止されることの方が嫌だった。

 そうだ。これは特訓なんだ。だからもっと触ってもらって耐性を高めていかないと。

「……もっとやって」

 あたしが囁くとわおんちゃんはくすりと笑い、さらに手を強く動かし始めた。左手で耳たぶをいじり、右手で胸を揉みしだく。

 両方の刺激に声が出そうになるが、下唇を噛んで必死に耐えた。大丈夫。まだギリギリ耐えられる。そう安心したときだった。

 故意か偶然かわおんちゃんの右手がブラの下に入り込んだ。

「――ひっ」

 しまった。声が出る。その瞬間あたしの口をわおんちゃんの口が塞いだ。

「――――」

 思考も体も時間すらも停止したような錯覚。唇と唇を合わせる行為をなんと呼ぶのかさえ思い出せない。ただ熱い。繋がった唇から伝わってくる体温が、切なそうに呻く鼻息が。

 いつまでこのままでいればいいのだろう。声なんてとっくに治まっているのにわおんちゃんは唇を離さない。時折唇が動くたびに聞こえる唾液の音がこれ以上なく大きいように感じられる。

 そのとき保健室のドアががらがらと開く音がした。

「失礼しまーす……あれ? 先生いない?」

 生徒らしき声がしたかと思うとわおんちゃんはあたしを降ろして急いでカーテンの外へと出て行った。

「ここにいるわ。ごめんなさいね、ちょっと具合見てたから。どうしたの?」

「あ、ちょっと擦りむいちゃって絆創膏もらおうと思って」

 二人のやりとりを聞きながらあたしはベッドに背中を倒した。指でそっと自分の唇に触れる。さっきまでそこにあった感触を思い出しながら指を滑らせた。

 キス、された。

 胸や太ももに触るのがセクハラに対する特訓なのはまだ分かる。けれどキスは違う。キスをするのはそこに明確な理由があるからだ。たいていその理由は恋慕のせいに他ならない。

 わおんちゃんが、あたしを……?

 もしそうならあたしはどうすればいいんだろうか。わからない。わからないのに何故かあたしの唇の端っこは上がっていた。だったら答えはそれなのかもしれない。

 しかしわおんちゃんはキスしたことについて何も言ってこなかった。というよりそんなことなんて無かったかのようにまた今まで通りの特訓を続けている。

 わおんちゃんが気持ちを打ち明けてくれるならあたしも、と思っていただけになんとも不完全燃焼な毎日を送っていた。

 ある日、あたしがあんまり体調が良くなかったのでお昼前に保健室に行ったときのことだ。

 保健室にわおんちゃんは居なかった。まぁ適当にベッドで休んでようと中へ入ったとき、机の上に置きっ放しのクリアファイルを見つけた。そこに挟まれていた紙にはこう題がされていた。

『三年一組女子生徒Aへのカウンセリング記録』

 下には女子生徒Aの日頃の生活態度、保健室の利用頻度、病気の有無などが記載されており、一番下の欄には手書きでカウンセラーのメモが書かれていた。

『言葉遣いや教師への呼称は誰かに構って欲しいという孤独からくる無意識のメッセージ。これは母子家庭の影響が推測される。従来のカウンセリングを行う前にまずは友人として彼女と親身になっていくべき』

 そこまでであたしは読むのをやめた。この女子生徒Aが誰なのかは簡単だ。そしてカウンセラーが誰かも。

 結局全部嘘だったんだ。あたしという不良を更生させる為に芝居をしていたんだ。

 そう思うとなんだか全てがどうでもよくなってきた。保健室にさえ居場所がなくなったらあたしが学校に来る必要もなくなる。

「帰ろ……」

 あたしが踵を返したとき、カツカツカツとヒールが走るような音が遠くから聞こえてきた。その音は保健室の前までくるとドアを開けた。

「あ……」

 肩で息をしながら入ってきたのはわおんちゃんだった。わおんちゃんはあたしの顔と机の上を交互に見て、はぁ、と深く息を吐いた。

「大事な書類忘れたときに限ってこうタイミングが悪いのは何なのかしらね。寝坊したときに限って赤信号に多く止まるみたいな」

「……そんなに見られたらまずいものでもあった?」

 あたしが睨むとわおんちゃんはメガネのブリッジを押さえてまた息を吐いた。

「ほらそうなるでしょ? だから見せたくなかったのよ」

 わおんちゃんが保健室の中に入り、後ろ手でドアとカギを閉めた。

「そこどいてよ。あたしさっさと帰りたいんだけど」

 ふつふつと怒りが沸いてきた。なんでわおんちゃんはこんなに落ち着いているのか。あたしがあの紙を読んだことを分かっているならもっと説明するとか謝罪するとかあるだろう。

 あたしはわおんちゃんを押しのけて無理矢理ドアを開けようとした。

「はやくどいてって――んんっ!?」

 両肩を掴まれてわおんちゃんにキスをされた。

「ん~~っ!!」

 引き離そうとするが密着しすぎて力が入らず押しきれない。

「ん、ん……」

 キスはまだ終わらない。それどころか唇は蠢きはじめ、舌があたしの口中へと入り込んできた。

「んっ、んん――」

 口内を蹂躙され、それでもキスは終わらなかった。

 お昼休みのチャイムが鳴っても、遠くで生徒達が楽しく話す声が聞こえても、唇は離れない。

「ん、も、もういい、から……!」

 あたしがキスの隙間からなんとか喋り、ようやくキスを止めることが出来た。

 わおんちゃんがあたしの頭を撫でて穏やかに微笑む。

「落ち着いた?」

「……全然」

 顔は熱いし心臓の鼓動は早い。わおんちゃんは苦笑してから視線で机の上を指した。

「あのカウンセリング記録なんだけど、猫谷さんが考えているのと逆なのよ」

「逆?」

「カウンセリングの為に猫谷さんに近づいたんじゃなくて、猫谷さんに近づくためにあの記録を作ったの」

「??」

 まだピンとこないあたしにわおんちゃんが更に説明する。

「えっとね、特訓と称して色々やってたでしょ? それで最近ずっと午後の授業丸々潰してたことを突っ込まれちゃってね。いやいや違うんですよカウンセリングしてたんですよってことで誤魔化したの。あの記録はそのカモフラージュのため」

「…………」

 一応納得はいくが、それでも真実かどうかは分からない。

「証拠は?」

「証拠? 今見せたじゃない」

「どこ?」

「キス。十分見せたつもりだったんだけど」

「……なんで証拠になるの?」

 あたしが首を傾げるとわおんちゃんは目を瞑ってしばらく考える素振りを見せたあと剣幕を強くしてまくしたてた。

「最初はちょろい女子高生を言いくるめてちょっかいかけて楽しんでただけなのに、いつの間にか本気で好きになってたっていう証拠のキス! わかった!?」

 わおんちゃんの顔が赤くなっているのを初めて見た。同時に初めて可愛いと思った。年上相手に思うのは変かもしれないが。

 ようやく聞きたかった答えを聞けて、あたしの胸が嬉しさであたたかくなっていく。

 さて、決めていた返事を返さないと。

 恥ずかしさで悶えているわおんちゃんの顔を手で挟み、その唇にキスをした。驚くわおんちゃんに素っ気なく告げる。

「返事の言葉、言わなくてもわかるよね」

 あたしたちの秘密の特訓は終わった。けれど特訓に似た何かは毎日続いていくのだろう。

 自分の好きなように生きるのがあたしの信念だったが、今ならきっとこう言いかえられる。

 自分の好きな人のために生きるのがあたしの信念だ、と。

 心安らぐあたたかいぬくもりに包まれて、あたしは初めてこの人の前で笑った。




〈おまけという名の蛇足会話〉



「ところで猫谷さんにお願いがあるんだけどいい?」

「なに、わおんちゃん?」

「えっとね、その『わおんちゃん』っていうのそろそろやめない?」

「え? だって好きなように呼んでいいって」

「そんなの嘘に決まってるでしょ!? あのときは猫谷さんと初顔合わせだったし、機嫌を損ねないように気を遣ってたの。じゃなきゃ何で年下の子に『わおんちゃん』なんてあだ名で呼ばれなきゃいけないのよ!?」

「あ、う、ごめん」

「ということで、これからは二人きりのときは『和音』。周りに誰かいるときは『犬森先生』と呼ぶように」

「えー、めんどくさ」

「こういう気配りは社会に出て絶対必要になるから今からきちんとしなさい。言葉遣いもビシビシ注意していくからそのつもりで」

「えぇ~、最初の頃はあたしのやること全然オッケーみたいな感じだったくせに」

「それは気難しいいち生徒への対応。相手が恋人だったら扱いも変わるわよ。恋人だからこそ外に出たときに苦労して欲しくないの。あなたはまだ若いんだから、今からでも十分間に合うわ」

「うぅ……」

「あ、そうそう。スカート丈も膝くらいにしてね。それ折ってるだけでしょ? ほら今すぐ直す」

「はぁ!? なんでそんなとこまで言われなきゃなんないの?」

「私の大事な未亜の太ももを他のやつらに見せたくないって言ってるの」

「…………」

「分かったら返事」

「はぁい……」

「もしいやらしい目で見てくる先生とかいたらちゃんと私に報告しなさいよ」

「報告してどうするの?」

「懇切丁寧に国家権力をちらつかせてくるから」

「……あぁそう」

「あと、万が一触られたり襲われるようなことがあったら叫んで助けを呼ぶか、全力で逃げてすぐ私のところに来ること」

「大丈夫だって。そのために特訓したんだし」

「あんな特訓役に立つわけないでしょ」

「えぇ……」

「いいから叫ぶことと逃げることだけ頭に入れておくの。分かった?」

「……じゃああの特訓ってなんのためだったの?」

「私が楽しむため」

「いや、うん……いいけど」



          終

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