彼女は僕を見ていない
タイトルイラスト:相内 充希さま
僕の兄貴はハイスペックだ。
「論文って卒業のために書くものじゃないの……?」
「大学生なら普通はな。でも研究したいことあったから、他分野だけど書いちまったよ。卒論もがんばるさ」
難関大学に入って、熱心に研究と勉強してる。その上バスケ部のキャプテンだし、どのスポーツでもうまい。この前一緒にランニングしたとき、一応長距離やってる僕のペースに余裕でついてきた。
「おかえり兄貴」
「琢真、友達連れてきたから一緒にゲームしないか?」
「信一って弟いたんだ」
「うん、高2だよ」
「よく似てんなー。お邪魔します!」
それに誰とでも仲良くなれる。本当に誰でもで、よく近所のお年寄りのゲートボールに混ざってたりする。笑顔も愛想もいいからなんだろう。
『あのおじいさん、かばんがしんどそうだな。声かけるか……』
「すみません、もしよければ荷物お持ちしましょうか?」
「ありがとう、助かるよ。どの辺まで道一緒かな?」
『また兄貴に先越された』
それに、とても優しい。困ってる人がいたらほっとかないし、表裏がない。兄貴の口から誰かの愚痴を聞いたことがない。
本当に自慢の兄貴だ。嫉妬なんて、小学校と一緒に卒業した。
――でも、今だけは兄貴を恨みたい。だって、
「信一先輩、だいすきです」
「僕は……兄貴じゃ、ない」
こんな告白、されたくなかった。兄貴がここまで優しくなければ、起きなかったかもしれないから。
☆
あの子のことは知ってる。4月に引っ越してきた転校生。ちょっとドジが多いけど活発そうな感じで、クラスに溶け込むのも早かった。子犬系?って言うんだろうか。決してクラスのリーダーではないけど、なかなか目立つ人気者。そんな印象。
だから今までほとんど話したことはなかったし、これからもそうだろう。だって、自分とタイプが違う。
関わるのなら――兄貴のような人間だ。
「そういや最近、琢磨の同期の子と仲良くなったよ。梅田 麻琴ちゃんって言うんだけど、知ってるか?」
「同級生だから、一応」
嬉しそうな顔をしている。『女の子と仲良くなれたひゃっほい』なんかじゃなくて、純粋に友達が増えて喜んでるんだろうなと思う、さわやかな笑顔だった。
「男女どっちにも人気ありそうな子だよな。実際どう?」
「関わったことはほとんどないけど、たぶん合ってるよ。ムードメーカーかな」
兄貴みたいなね、とはさすがに気恥ずかしくて言えない。
「やっぱりな。だからなんだろうけど、こないだ体格のいい男子に絡まれてるの見かけてさ。なんとかそいつをなだめて仲裁できたんだよ。それで話聞いたら、どうもしつこく言い寄られてたみたいで」
「好きすぎて、ってこと?」
「そうそう。麻琴ちゃん本人は単に部活の後輩としか思ってなかったらしい。……まあ、そういうことがあって話すようになったわけ」
「いつもの流れだなあ。僕だってたまには兄貴みたいに勇気出して手助けしたりするけど、それで仲良くなったりとかないよ」
その人と仲良くなるために人助けするわけでは当然ないけど、それで交流が増えるならとてもいいことだろう。でもきっと、兄貴ほどの積極性とか人懐っこさとかがないと起きにくいんだろうなとも思う。あと心からの優しさ。
「まあそれで、あの子もけっこう気を許してくれたみたいでさ。もうじき夏休みだし、家へ遊びに来てもらおうかなと思ってる。そのときはよろしくな!」
こんな発言をしても嫌味がないのは、年齢=恋人いない歴の僕に気を遣ってなのかどうなのか。たぶん自然体なんだろうけど。
「それ、彼女さんは大丈夫? 恋人が他の女子と遊んでたら、怒る人もいるんじゃないの?」
「だから琢磨にいてもらうんだよ。抑止力お願いな……ってのは冗談冗談。そこはちゃんと分別つけるし、彼女も『ただ遊ぶだけなら余裕で許容範囲だよ』って言ってくれる人だから。じゃなかったらここまで続いてない」
「まあそっか、心配しなくてよかった。じゃあ安心して来てもらえるね。むしろ僕があの子と話せるかが不安だけど」
「琢磨ならいけるって。麻琴ちゃん彼氏いないらしいし、これを機会に……とかあるかもしれないぞ?」
「いやいや……」
端から見てても楽しそうな人だし、ちょっと仲良くなれたらいいな。もしそうなったら、兄貴に感謝だ。
☆
あれから結局、親しくはなれていない。夏休みの失敗を悔やんだまま冬になった。
兄貴が電話に出ていて2人っきりのとき、どうして深く考えずに梅田さんの親のことを聞いたんだろう。話の流れが、とか言い訳はしない。その話を振った瞬間、彼女が少し目をそらしていたのに、突っ込んで質問した自分のせいだ。
「お母さんと2人暮らしなの。お父さんは……あいつは、」
ここでもう止めるべきだった。兄貴ならたぶんそうしていた。いや、梅田さんが目をそらしたときに察して話を変えたかもしれない。
彼女はしばらくうつむいたあと、巻いていたスカーフをほどいて、花柄の白いワンピースのえり元をまくったんだ。
――大きなあざと、やけどの痕みたいなものがあった。きれいな首元だったから、余計にそれが目立つ。
「これ、見えるんだよね?」
悲しそうにこっちを見る大きな目には、涙が溜まっていた。それだけで全部伝わってきた。
父親への恨みも、できれば言いたくなかったという気持ちも、僕への怒りも、全部。
だからその感情と同じだけ、いやそれ以上の気持ちを込めて僕は謝った。自分がどれだけ悪いことをしたのかは痛いほどわかっているから。
最終的に『いいよ、気にしないで』って言ってくれたけど、僕はあの子に話しかけられないままだ。その後何回か家に来たときも、僕はほとんどあいさつしかできなくて。
「そういや麻琴ちゃんの話なんだけどさ」
だから、兄貴の口から梅田さんの名前が出たときは、どう反応しようかと思った。
「……梅田さんがどうしたの?」
「俺さ、あの子に告白されたんだ。でも断るしかないじゃん」
「そうだよね」
僕が会話に参加する必要なんてないくらいには梅田さんは兄貴に懐いていたけど、彼には分別がある。恋人を大事にしている。
「もちろん丁寧にお断りしたよ。気持ちは嬉しいけど、俺には彼女がいるからって。でもこれからも仲良くしてくれると嬉しいって。だいぶ受け入れられなそうにしてたし、たっぷり1時間はかけて伝えた。せっかく勇気を出して告白してくれたんだろうから、それくらいしないと」
「兄貴は優しいね」
これならきっと、梅田さんと兄貴はいい関係を保てるんじゃないか。そうだったら自分も嬉しい。
次の日に、それが半分間違いだったことを知った。
☆
放課後の理科準備室。僕は梅田さんに呼び出されていた。
昨日の今日だ。たぶん兄貴とのことだろう。どうして僕に言うのかはわからないし、不安ばっかりだ。まあでも、少し距離を縮めるきっかけにできたら万々歳、かな。自分から行動を起こせなくて申し訳ないけど。
「……待たせたかな、ごめんね」
鍵をぎゅっと握って、小走りで梅田さんはやってきた。低めの位置のお団子ヘアを揺らし、謝りながらもほほえんでいる。
けれど――扉がかちゃりと開いて閉じたとき、そこにさっきまでの表情はなかった。勝ちを確信した、捕食者の顔だ。そして本当に飛びかかってきた。
「痛っ……なにして、」
「話したいことがあるんです、信一先輩」
「こんなことする必要、ないだろ……」
全身が痛む。その上、とても重い。のしかかられているらしい。回らない頭で、それだけは答えた。
「続けますね」
耳元でささやかれる。ぞくっとする声音。
逃げられそうにない。でも考える余裕は出てきたような。だから、話を遮る。
「今、兄貴って呼んだ…?」
「だって、あなたは信一先輩だもん。そう、なんだもん」
それはまるで、自分に言い聞かせてるみたいで。何言ってるんだとは、口から出なかった。
「今から言うことは秘密にしてください。それと、本当の話なんです。……わたしが父から虐待を受けていたことは知ってますよね。そのせいで、わたしは変な能力に目覚めたみたいで。自分が受け入れたくないと思ったものが見えなくなったり、別のものに見えたり。例えば、身体のあざは自分では見えません」
逃げたりせず真面目に聞かなきゃと、何となく感じた。
「この能力で、わたしにはあなたが信一先輩に見えます。見た目もそうだし、においや声だって。ずっと、私のことを本当に大事にしてくれそうな人を探していました。だからいろんな人と関わることにしたけど、当てはまりそうな人は1人だけしか見つからなくて。それが、信一先輩です」
「僕は琢磨だよ。信一の弟。それに、梅田さんは兄貴に振られたんだろ」
身動きできなくても、あえて強く言い返した。全部わかったから、どうか覚めてほしい。
「本当はどっちもわかってるんです。でも、無理です。探偵さんに調べてもらってるんですけど、父がまた私たちを探し出そうとしているみたいで。いつまでここにいられるかもわからないので、見つかる前に琢磨くんを信一先輩にしてみせる。2人っきりのときだけでいいから、自分を信一先輩だと思って生きてほしい。あの人を諦めきれないんです」
目の前で震えるその顔が切実すぎて、いたたまれない。
「信一先輩、だいすきです」
「僕は……兄貴じゃ、ない」
それでも、僕は僕なんだ。
中辛くらいでお願いします




