【 カチュア ―異邦ノ迷イ風― / 1 】
灰の街、中央街の南端にある喫茶店『ブラックキャット』。
窓の向こうの景色が夜闇へと落ち、古ぼけたハト時計が午後七時を告げる頃。不意に、ドアベルが軽快な音色を立てる。
店主のマリーは戸棚の整理をしながら、振り向かずに声だけを送る。
「あぁ、ごめんなさい。今日はもう店仕舞いなのよ」
「知ってるよ。いつも僕はそれを見計らって来てるんだから」
「知ってるわ。いつもながら、迷惑な常連客よね」
現れたのは、飾り気の薄い真っ白なコートを着込んだ一人の青年だった。
背丈はかなり高い、百九十センチ前後。線の細い面持ちにディープブルーの瞳、ライトブラウンの髪をかき上げ白い歯を見せたなら街の至るトコロから黄色い声が飛んできそうな優男の笑み。
砕いて言えば、イケメン。
しかし、マリーはそんな好青年の登場に喜ぶでもなく歓迎するでもなく、眉根を寄せながら小さな溜息を捨てた。
「……ふぅ。で、ご注文は?」
「カプチーノ。あぁ、ついでに何かお茶菓子も欲しいな」
「はいはい」
何度聞いたか分からない注文に応じ、マリーはカプチーノと適当なクッキーを数枚並べて青年に差し出す。自らで注文した品への興味もそこそこに、青年はそわそわと周囲を見渡す。何か、いや、誰かを探しているかのように。
「ところで、ボクのスノゥは何処だい?」
「あらやだ、教会の激務の所為で気が狂ったのかしら? 私の、スノゥよ」
「はは、そりゃなかなか面白いジョークだね」
「あら、あなたもなかなかのセンスよ? ふふふ」
二人の微笑には、言い知れぬ凄味がある。
数秒ほど笑顔で睨みあってから、青年はようやく注文したカプチーノに口を付ける。優雅で、ブロマイドとして売れそうなシーン。
「そ、れ、で? 本日はどんな厄種をお持ちなのかしら? ……ま、何となく想像はついてるけど」
マリーの視線が、カウンターの上にある新聞にずれる。中央街の新聞社『グレー・タイムズ』が出している、区画を問わず様々な話題を記事にしている、この街でも珍しい全うな会社。
『南西区を騒がす連続殺人事件。殺人鬼か、それとも、執行者か?』
二、三日前から灰の街全体で話題になっている殺人事件。
そんな事件の真っただ中、彼が訪れたということはつまり、そういうコトになる。
「正しく、ソレさ。記事に詳細は書かれていないけど、不思議な事に、狙われているのは西区画方面のギャングばかり。それも争ったという感じではなく、一方的に虐殺されているんだ。鋭利な刃物で、腕や足を一刀両断って具合にね。僕もちょっと見に行ったんだけど、あんなコト出来る業物なんてカナンぐらいしか作れないと思うなぁ」
「……あら、妹を疑ってるの?」
マリーの目が不意に鋭く、細くなる。
青年はいやいやとかぶりをふった。
「どんな業物でも、使う人間が平凡じゃ傷だって平凡だ。というか、道具とか人間のチカラだけであそこまで綺麗に両断するのは不可能。あれは何らかの魔法でやった傷だよ。つまり、魔女の仕業ってワケ」
青年が長い脚を組み直すと、チリ、と小さな金属音が響く。
彼の胸元で揺れる、十字架のペンダント。
一目で誰もが分かる、彼の仕事のシンボル。
「それで、つまり? あなたは何が言いたいのかしらね?」
「何も。単なる世間話さ。僕の立場としても、討伐、だなんて物騒なキーワードはほど遠いし。
体よく言うなら……忠告だね。しばらく南西区画は危ないから、近づかない方がいいよ、みたいな」
「そ、残念だけど興味が湧いたわ。その件については後で少し調べさせるとするわ」
「……ところで、ボクのお姫様はまだかな?」
「あら、私のお姫様だけど?」
「ただいまー……あー……」
ドアベルがコロンコロンと小気味よく音色を立てたのにも拘らず、店に入ってきた黒髪の少女はアンニュイな顔を惜しげもなくしかめ、足の止まった彼女の背後からはまた別の少女が顔を出した。
「……お姉ちゃん? どうし……あ」
「やぁ、ウルリカちゃん。そして僕の愛しのス」
名前を言い終えるよりも先に、少女は青年に目がけ焔を纏った投げナイフを放つ。
白焔を上げて揺らめくナイフを、しかし、青年はいとも容易く、笑顔のまま右手の指に挟んで受け止める。瞬間、白い焔は幻かのようにフッと消え失せ、あち、わっちち、と青年の情けない声が続く。
「いやいや、いやはや、ふぅ。燃えてるナイフをプレゼントってコトは、つまり、これはボクへの情愛の焔ってコトでいいのかな?」
「スノゥ、そこまで。今掴んでる傘立て投げたら給料と夕飯とを一年抜くから」
「……はぁ」
「あ、アレックスさん……来てたん、ですね」
「うん、ちょっと世間話にさ。ウルリカちゃんも変わらず元気そうだ。病気とか怪我とか、ないかい?」
「は、はい。大丈夫、です」
「そりゃ良かった」
アレックスが、ニコリ、と微笑むとまるで小さな陽だまりと爽やかな微風が吹いたような、そんな感じがする。……微笑まれたのが、この店にいない一般人なら、の話。
大きな紙袋をカウンターに置いてから、スノゥとウルリカはカウンター席の一番端に並んで腰を掛ける。単純に、アレックスから一番遠い席である。スノゥとしては珍しく嫌ぁな顔色を浮かべ、ウルリカはスノゥとアレックスとの間に座って、その小さな背中をスノゥに預ける。
「あ、あの……アレックスさんって、教会の、大司教さんですよね。……い、いいんですか? こんなトコロにいて」
「あはは、僕は“温厚派”の人間だからね。君たち“魔女”の日常は少なからず把握しておかないと」
『教会』。
神に祈りを捧げる敬虔な連中――も、もちろん存在しているが、この街では一種の企業としての意味合いが強い。その名の通り、中央街に存在する本部の教会を解放して近隣住民に礼拝の場を設けたり、定期的に貧民街への炊き出しを行ったり、幅の広い慈善事業を執り行っている。
が、その裏では、この『灰の街』に蔓延る“魔女”の動向を監視、或いは、管理を目論んでいる。
……この、目論んでいる、というのが重要点。
「ウルリカちゃんには話したかな? 教会は今、内部で二つの派閥に分かれちゃってるんだ。
ひとつは、“不穏派”。
特に名前がついてない時にボクが勝手に呼んでたら名前と定着しちゃってて……あぁ、少し反れちゃった。まぁ、魔女狩りを始めとした、誰にでも分かりやすい“魔女”の排除を狙うグループだね。
で、もうひとつが、僕の“温厚派”。
“魔女”とはいえ、君たちは普通の“女性”に変わりないのだから、むしろ保護するべきだよってボクが主張してるグループ。基本的人権の尊重、男女平等に、そういうモットーのね」
女性には優しくすべきだよ、というのが彼の――教会のトップである大司祭の言。
トップがこんな有様なので、表向きの慈善事業はともかく、魔女の動向やら管理やらなぞ口だけで大雑把にしか出来ていないのが現状である。
「あなたがもう少ししっかりしてれば、もう少しマシなんじゃないのかしらね?」
「ご尤も。ってもまぁ、ボクだって好きでこの地位についたんじゃないからね。数奇な運命の悪戯と一握りの幸運、そして」
アレックスは立ち上がり、ゆったりとした歩調でスノゥへと歩み寄り、その手に自分の手を伸べて、そっと取り膝をつく。
「一人の女神との出会い、さ」
「」
ダイヤモンドを散りばめたように光り輝くアレックスのスマイルに、スノゥは、元から返す言葉もないのだがげんなりする。
実に不愉快な事に、彼はスノゥに“恋”をしている。
それはもう、傍目から見ても、恋を知らない子供が見たって「あ、あのオジサンはあのお姉さんのことが好きなんだ」「はっはっは。僕はまだオジサンじゃないんだけどなぁ」と分かっちゃうくらいに、彼は常日頃から真摯な情熱をその眼差しに湛えている。汚物の溜まったバケツから手を引っこ抜くかのようにアレックスの手から逃れると、スノゥは無言で立ち上がりに手洗い場に向かう。
……やけに激しい水音がしてから、タオルで念入りに手を擦るスノゥが戻ってくる。
「お前に触られると焔が出なくて困る。消毒も出来ない」
「はっはっは。そういう体質だからね。惚れたかい?」
「マリー、小麦粉ある?」
「気持ちは分からんでもないけど、粉塵爆発なんて起こしたらこの店が無くなっちゃうわ」
「だ、ダメですよ!? まだ、お、おおおお姉ちゃんは結婚とか、そそ、そういうの……だだ、ダメ!」
「はは、可愛い従業員に恵まれてマリーが羨ましいや」
カプチーノと茶菓子の代金をカウンターに置くと、アレックスはやや名残惜しそうに店の出口へと向かっていく。
「とまぁ、そんな感じさ。後のことは任せる。好きにしていいよ」
「……了解よ」
「じゃ、スノゥ。今度は花束を持ってくるから」
「消炭にする」
「はっはっは」
じゃあね、と一言残してからアレックスは中央街の奥へと消えていく。
他に誰もいなくなったところで、スノゥはカウンターにべったりと身体を沈めた。
「マリー、アレのカプチーノに毒とか入れないの?」
「……まぁ、あんなのでも一応常連客だし。無下に出来ないでしょ?」
「ま、魔法を消しちゃうって体質……ほ、ホントなん、ですね……」
「だから皆困ってんの。あーもー……ダルい」
カウンターに残された熱の失せたナイフを指で弄びながら、スノゥは重たい息を吐いた。
こんばんは、夜斗です。
お待たせしました。
本日より『灰の街の魔女』第2章【 カチュア ――異邦ノ迷イ風―― 】のスタートです。
活動報告の方でも書きましたが、今日から全10話を1日1話ずつノンストップに更新していきます。
……半分くらい更新したら、小ネタ的な活動報告を一つ書くかも。
して、次回更新は明日……俺の誕生日こと10月27日の22時。
第2章もよろしくお願いします。
では、待て次回。