【 ウルリカ ―孤独な雨音― / 6 】
二年が経った、ある日の朝。
喫茶店『ブラックキャット』二階にあるアパートの201号室の扉の前。
雪だるまのイラストが描かれたドアプレートの扉を叩く、一人のゴシックロリータの姿があった。
「…………寝てる、なぁ」
ノブを回すと不用心な事に鍵は掛かっておらず、少女は勝手知ったる面持ちで上がり込み、キッチンを通り過ぎて左の部屋のドアを開く。部屋に入るなり、黒いブラにショートデニムというあられもない姿でベッドの上でひっくり返っている家主の姿が目に映った。
「……やっぱり」
脱いで放り捨てられたロングベストにバゼラード、スナック菓子の残がい、組み立てた食玩はきっちりとウインナーケースに収まっているのに、それ以外のモノは全て床に転がっていた。
少女は溜息をつくと、足の踏み場もない部屋を進み、下着や肌着をシャツを丁寧に畳んでクローゼットに収め、そこから掃除機を引っ張りだしてケーブルをコンセントに繋ぐ。汚れたカーペットを引っぺがし、少なくとも女子の部屋からは出て来て欲しくないであろう黒いアレを仕留め、あれやこれやとしているうちに清掃作業は着実に進んでいく。耳やかましい物音が鳴り響いているというのに、家主は実に健やかな寝顔を浮かべていた。
「お姉ちゃん、起きて……ほら、朝だから」
「んん……もう少し…………十五分……」
「…………ぇいッ」
「うをぼッ」
埒が明かないと判断した少女が家主の胸元に飛び込むと、その衝撃でようやっと家主は目を覚ます。寝ぼけ眼に映る少女のぼやけた姿を見て、家主は間抜けな欠伸を一つこぼす。
「あー……ウルリカか、…おはよ」
「おはよう。……普段はあんなにカッコいいのに、お姉ちゃん、朝はいっつもだらしない」
「今日は休みだからいいの……ほれ、離れて」
「も、もう少し……こッ、このまま…………ダメ?」
「……しゃーないなー」
「えへへ……」
むぎゅーっと胸元に顔を埋めるウルリカに、スノゥはやれやれと爆発した黒髪をいじる。
あれから、二年。
ウルリカは二つを歳を経て十二歳、現在はブラックキャットで小さな看板ウェイトレスとして働いている。背丈も少し伸び、ここに来てからは食欲も旺盛で、そんな影響か出るトコもしっかりと出始めている。前に何となしにサイズを測ったら“D”となった。スノゥの一つ下である。恐るべし十二歳。
「……お姉ちゃん、あったかぁ……い……」
「そりゃまぁ、一応火を使う“魔女”だしな。って、そろそろ着替えるから。ちょっと退いて」
「お、お手伝いは?」
「いらね」
何故かしょぼくれるウルリカを部屋から出して、スノゥは綺麗になったばかりのクローゼットを開いてロングベストと適当なシャツと適当な靴下を引っ張りだす。着替えが終わって扉を開けると、下腹部に、ぼふッ、と軟い衝撃。
「マリーは?」
「さっき、お買い物に行っちゃったから、今はお店にはいないよ。……二人っきり」
「……まず朝飯だなー」
「冷蔵庫いつも空っぽでしょ?」
「あぁ、そこの戸棚に菓子が」
「だ、ダメ! お姉ちゃんは、ちゃんとしたモノ食べないと」
「ポテチだってクッキーだってちゃんとした食いモノだって」
「……栄養が、ちゃんとしてない、です!」
まるで口うるさい母親のようなウルリカに、スノゥは、はぁー、と大きく息を吐く。
存外、頑固な性格してる。
戸棚の中身も空っぽだったので、結局ウルリカが朝食を作ることとなった。わざわざ下の店から材料を持ってきて、ゴシックドレスの上からエプロンを着用。鍋とフライパン(こういう時の為にと常備されているモノ。基本的にスノゥは触らない)とを取り出し、鍋に水を注ぐ。このパターンはパスタだ。
鼻歌を交えながら調理するウルリカの後ろ姿を、スノゥは何となしにぼんやりと眺める。
この二年で、色々な事が変わった。
シュガーラスト所属の殺し屋から、ブラックキャットのウェイトレスとなったウルリカは、接客の仕方などをマリーから教わり自分の仕事として立派こなしている。その合間に、スノゥは“魔女”としての戦い方を暇つぶしに教えたりもしている。今では、一人の“魔女”としてそれなりに戦えるように育て上がっている。仕事も戦闘に関しても、ウルリカはとても要領の良いコだった。
口調も前よりしっかりしてるし、当時に比べたらずっとたくましくなったと思う。
元より可愛らしい容姿は歳を経てさらに美しく、ゴシックドレスが彼女の魅力をより一層引き立てるくらいに女としても磨きがかかっている。そういえば、仕事中に客から告白されて断ったという話も聞いた覚えがある。何故断ったのかと聞いてみたら、
「す、好きな人……いるんです。黒い髪の、綺麗でカッコいい、憧れのヒトです」
頬を染められて言われても、そんな野郎にはさっぱり見当がつかなかったのでスノゥはそれ以上気に掛けなかった。
「お待たせ、しました」
取り留めもないことを考えていたらテーブルの上に出来上がったばかりのパスタが並んでいた。ほうれんそうとスクランブルエッグの色どりが目に優しいウルリカのオリジナル。料理に関しても才があるらしく、既にお店のアレンジメニューをいくつも考案している。
スノゥは、基本的に食べる専門。
厨房に立つなと言われてるし。
「いただきます」
「……私、いいお嫁さんに……なれそう、かな?」
「多分なー」
食うのに夢中なスノゥの物凄く適当な相槌に、ウルリカは恥ずかしそうに顔を真っ赤にしてからフォークを掴む。コショウのアクセントがなかなかでフォークが止まらない。
それからは、他愛のない雑談。
ゴシック専門店が新しく中央にオープンしただとか、お店に来るお客さんの話だとか、基本的には表向きの話。雑談をするウルリカは幸せそうな表情で、聞きに徹しているスノゥも時々優しい気分になる。“お姉ちゃん”と呼ばれてる所為だろうか。自分にはもったいないほど可愛い“妹”である。
「お、お姉ちゃん、今日は予定ない……んだよね?」
「マリーにお使い頼まれてないし、まぁ…………暇だな」
「じゃ、じゃあ一緒に買い物行きたい! い、いい? ……ダメ?」
「んー……別にいいよ」
「ホント? や、やった!」
そこらへんの男を十人ぐらい一気に落とせそうな笑顔を浮かべると、ウルリカは食べ終わった食器の片付けを始める。さっきより、明るめの曲調の鼻歌を混ぜながら、より上機嫌に。
「……ま、イイ子だよね」
あの日、実を言えばスノゥはウルリカのことをマリーから事前に知らされていた。
彼女の名前も、異名も、彼女が自分を標的に動こうとすることも全て。
そうした事の顛末も含め、マリーの思い描くような流れを綺麗になぞって終結した。
最初から、どうやらマリーはウルリカを欲しがってたらしい。
直接理由は訊いていないが、多分、ちょっと変わった従業員が欲しかったとか、そんなトコだろう。
料理はともかく、まともな接客は自分には出来ないし。
「……? お姉ちゃん、どうしたの?」
「んーん、何でもない」
二人で揃って戸締りをしてから部屋を出て階段を下りていく。街の名にふさわしい地味な街並みを、ゴシック衣装のウルリカとラフな格好のスノゥが往く。奇抜なでこぼこ姉妹である。
「なぁ、ウルリカ」
「? なぁに、お姉ちゃん」
「今、楽しい?」
「……うん!」
「……そっか」
ま、それならそれでいいんじゃない。
スノゥは小さく微笑を浮かべながら、少し前を往くウルリカの姿を見つめた。
アントマンって映画を観てきました。
マーベルシリーズはアイアンマン以外ほとんど知らないんですが……これはこれですげぇ面白かったです。
さて、次回から第2章なんですが……ちょっと間が空きます;
今月中には間に合わせるので、少々お待ちくださいませ。