【 ウルリカ ―孤独な雨音― / 3 】
「……あぁ、もう。あなたが厨房に立つと大災害起こすでしょうに。って、何を作ってるの?」
「えっと……なんちゃってミルク粥?」
「どうしてお粥に“なんちゃって”が付くの……って、何でそんなモノ入れ……あぁ、そこから先は私がやってあげるから。ほら、行った行った」
「じゃあ、私はどうしたらいい?」
「…………テーブルでも拭いてて頂戴」
・ ・ ・
何処からか聞こえてきたそんな話し声に、少女は気がつき目を覚ます。
見覚えのない天井、背中に伝わる程良い反発感、身体には薄いタオルケットが掛けられていて、ベビーローズの香りがする。ゆっくりと身体を起こしてみると、カウンター席やラウンドテーブルがいくつか見えた。レストラン、じゃない。カウンター席の後ろには色取り取りの瓶や小洒落た箱が見えるし、コーヒー豆や、細かく刻まれた葉っぱの詰まった瓶も、それからお酒と思しきものもある。喫茶店、だ。名前を知っているだけで、実際に来たことは一度もなかったが。
「お」
「え……? ィひッ!」
カウンターの奥側から足音が聞こえて思わず視線を向けると、今まで戦っていたスノゥがひょっこりと顔を出したので少女は小さな悲鳴を上げた。スノゥの顔は、また何処か気だるそうで、しかし対峙していた時と違って敵意のようなものは失せている。何というか、寝起きでゴミを出しに来た、着の身着のままの、化粧っ気は無いけど綺麗なお姉さん、的な雰囲気。
「気がついたんだ。もう少ししたらお粥が出来るからちょっと待って」
「え……? ぇ? え? おか、ゆ……?」
「お粥を知らないの?」
「そ、そんな、ことは……」
「スノゥ、そこに立たれると邪魔……あぁ、そのコ気が付いたのね?」
スノゥの後ろから、今度は全く見知らぬ妙齢の女性が現れ、少女の元へと向かってやってくる。
黄色い眼がらんらんと輝く黒猫のエプロンを付けた、プラチナブロンドのロングヘアが良く似合う美人。ミトンで掴んでいるのは、今の話に出てきたお粥らしい。陶器の鍋の蓋が開くと甘い香りがふわりと漂い、少女が無理やり忘れさせていた空腹感を自然と呼び醒まし、腹の虫が正直に、きゅう、と鳴く。
「さ、どうぞ? ……残念ながら変なモノが入ってるけど、毒は入ってないから安心して」
「それじゃ安心できないと思うんだけど」
「変なモノ入れた本人はお黙りなさいな」
「……何か入れたっけ?」
「ぅ……あ、えっと……ぇ?」
ど、どういう状況……?
少女は、目の前にいるスノゥを殺すように動き、そして戦って、負けて、目が覚めたらお粥を振舞われている。何を言っているのか、自分でもちょっとわからない。だけど、少なくとも、目の前のミルク粥とやらは美味しそうだ。
「…………………………………………い、いただき、ます」
初めて触った木のスプーンにも少々驚きつつ、少女は、おっかなびっくりな調子でお粥を掬い、ぷるぷると震えながら口元に運んで、息を吹きかけて十分に冷ましてから一口。
……スプーンを咥えたまま、ぴったり、十秒硬直。
「……ごめんなさい、どっかの誰かさんが塩と片栗粉間違えて入れちゃったもんだから、変にとろとろしてるでしょ」
「え? あれ塩じゃなかったの?」
「お砂糖に間違えられた方がまだマシだったわよ。……あぁ、不味かったら捨てちゃっていいわ。また作り直すから」
「…………ぃ、です」
ぽろぽろと、少女の瞳から大粒の涙が零れる。
「美味しい……です、すごく……本当に、本当に……」
涙を零しながら、少女はやけにとろみの強いミルク粥を頬張っていく。
初めて、いや、久しぶりの暖かな手料理。
人の感情がこもった料理というものは、これほどまでに美味しいものなのか。感動のあまり無意識のうちに食が進み、あっという間に皿の中身を完食してしまった。スノゥと、女性の顔に笑みが浮かぶ。……したり顔、ではない。一応、念のため。
良い香りのするお茶を一杯もらって一息つけてから、改めて少女はスノゥと、女性へと向き直る。状況を、聞かなくてはならない。
「あ、あの…………どうして、私を? それに、あ、あなたは……?」
「私はマリー。この喫茶店の美人店主よ。助けた理由は……あとでスノゥに聞いて頂戴」
そう言われて少女がスノゥへと視線を動かすと、平坦な表情のまま、何を言うでもなく。
「さて、早速で悪いけど私からも少し訊いていいかしら? 別に言いたくないなら、黙っててもいいから」
「…………はい、わかりました」
マリーと名乗った女性は柔らかな表情を崩さず、少女から見て一番近い席に座ると両手を顔の前で組んだ。
「あなたのお名前は、ウルリカ、でいいわね?」
「ッ……! は、はい……」
既に“異名”を知られているのだから名前を知られているのは当たり前、か。
少女――ウルリカの肩が小さくすぼんでいく。
マリーは、そんな彼女を見て薄く笑った。
「大丈夫よ? あなたを始末しようだとか、そういう物騒な事は一切思ってないから。何て言うかまぁ……そうね、事実確認ってヤツ? ちょっとした面接みたいなモノよ、気楽にしてて頂戴な」
「そ、そんなこと……言われても……」
すごく、気まずい。
少なくとも、ここはウルリカにとって居心地のいい空間では決してない。マリーの言葉から察するに、今すぐ殺されるということはない、もしくは、本当に殺したりしないのか。まだ分からない、完全に気を抜いていい状況ではないことは確かだ。
「ん、それじゃ次。ウルリカちゃんは、誰かの指示でスノゥを殺すよう指示された。いいわね?」
「…………誰かを、教えろってことなら」
「シュガーラストのオーナーでしょ?」
「ど、どうしてそれを……!? ッあ」
思わず身を乗り出してしまい、マリーにクスクスと微笑され、ウルリカはまた別の意味で小さくなる。
「ふふ、ウルリカちゃんって見た目通りでピュアねぇ。今、いくつ?」
「え、ぇ? あの…………じゅ、十歳……です、けど……」
「いやぁ、若いわねぇ。そのゴシックドレスも似合ってるし、素質も十分」
「……? 素質? 魔法の、こと……ですか?」
「あぁ、うぅん違うの。それはこっちのハナシ。それにしても、甘い最期を、なんて随分洒落た企業名よねぇ。やってることが殺人じゃなければ、だけど」
シュガーラスト、というのはつい最近になって『灰の街』で名を馳せ始めた殺人代行企業。
もっとラフに言えば、殺し屋だ。
殺し屋自体は別にこの『灰の街』全体から見ればピンからキリまでごろごろといるのだが、このシュガーラストという企業は、それとは少し違う意味合いで有名になっていた。
主に、そのスカウト方法について。
「ウルリカちゃんはどういった経緯で参加させられたのかしら? 誰かを、例えば両親を人質に取られてるとか?」
「…………ぜ、全部、お見通し……なん、ですか?」
「言ったでしょ、事実確認、って。」
「……そうです。一年前に、ママと、パパを……」
名を馳せた理由、というのが企業としての成功ではなく、その強引なスカウトの所為だというのは企業としてプラスなのかマイナスなのかで言えば、きっと後者だろう。
このシュガーラストという企業は、素質のある少女を見つけては非道な方法でスカウトを繰り返し、少女を無理やりに殺し屋として仕立て上げる。ターゲットとしてはウルリカのような十代を迎える頃の少女ばかり。この時点で、既にオーナーの性癖が出始めている。
「ウルリカちゃんの“魔女”としての才能を欲しがったんでしょうね。普通の女の子を調教するより、最初から殺傷能力を持つコを鍛えた方が将来性もあるでしょうし。……ちょっと筋から外れるけど、その衣装は、制服?」
「……そ、そこまで分かるんですか? そうです。この服着て戦えって、最初に会った時からずっと」
話を訊いてたスノゥの顔がげんなりする。
それ、殺し屋じゃなくていっそ売春宿でもやれよ、みたいなニュアンス。
「まぁ、こんな年端もいかないコに暗殺されるなんて普通は思わないでしょ? オトコを油断させるって意味合いでなら、まぁ不正解ってわけじゃないわよ」
「……なぁ、ウルリカ」
「は、はひッ」
急にスノゥに名前で呼ばれ、裏返った声で返事を返すと、彼女は至って真面目な顔を浮かべてウルリカを見据える。
何を、言われるのだろう。
ウルリカの肩肘はガッチガチに緊張している。
「スカート、ってさ」
「……は、はひ?」
凄い剣幕で、出てきたのは何とも普通な言葉。
「パンツ全開でスースーして、落ち着かなくないか?」
「……………………………………………………え?」
「ん、ん。今のスノゥの話は忘れて頂戴。スノゥも、こんな時だけ真面目な顔して同族を求めようとしないの」
「あ、あの? あの、あの……?」
そこから大真面目な顔でスノゥとマリーとが痴話喧嘩じみたやり取りを始め、ウルリカは話の流れから完全に脱線した挙句、取り残されてしまって呆然とすることしか出来ない。
「もう、スノゥの横槍の所為で話の雰囲気が変になっちゃったじゃないの。えーっと、何処まで……」
「……わ、私、どうなっちゃうんですか?」
思わず口から飛び出してしまった本音。
決壊したダムのように、ウルリカの口から、感情という名の濁流が止め処なく溢れていく。
「こ、殺されるんですか? 情報を訊き出して、用が、済んだら……う、売られるんですか? 私はうにゅ」
ウルリカの唇に、マリーの人差し指がそっと栓をする。その時の、何とも慈愛に満ちたマリーの顔といったらない。天使か、女神か。否――母親のような、何もかもを抱擁してくれそうなあまりにも優し過ぎる表情。
「はいはい、落ち着いて落ち着いて。少なくとも、私たちにあなたを殺したり売ったりするつもりはないわ。……というか、私の顔ってそこまで悪人面に見えるのかしら? ねぇ、スノゥ?」
「……………………フィフティ、フィフティ」
「ジョークなんだから、そこはスルーなさい。
……ウルリカちゃん、私たちとしては一つだけ教えてほしいことがあるの。それを教えてくれさえすれば、それ以上はもう何も言わないわ。解放……って、この言い方だとウルリカちゃんを監禁してるみたいな言い方でちょっと嫌だけど、全部話してくれれば、もうそれでおしまい」
「教えてほしい……こと?」
「シュガーラストの、オーナーの居場所」
ウルリカの唇から指を離し、マリーはウインクを一つ。
「それを教えてくれれば、他には何も要らない。そうね、このお粥とお茶の代金代わりみたいなモノかな。良心の呵責がないなら、別に食い逃げてもいいのよ? スノゥの給料から引いておくから」
「やっぱり悪人じゃん」
「わ、わかり……ました。話します、話します……から……」
選択肢は、無いに等しいものだ。
例えここで黙っていたとして、おめおめと戻るわけにもいかないし、仮に戻ったとしても、依頼を果たせなかった自分には遠からず死が待っているだけ。
教えて……いや、教えたらどうなるのだろう?
彼女は、シュガーラストのオーナーの居場所なんぞを知って、何をするつもりなのだろう。
「……やーっぱり移動してたか。じゃ、後はお願いねスノゥ」
「あいよ」
住所を記した紙片を手に、スノゥは喫茶店のドアベルを鳴らす。未だ雨が降り続ける表路地を、傘もささずにとぼとぼと歩いてく。
「あ、あの……」
察しはついているのだが、聞かずにはいられない。
そんなウルリカの心情を既に見透かしているかのように、マリーはニコリと微笑む。
「興味があるなら、ついて行ったら? 論より証拠、百聞は一見に如かず。ウルリカちゃんの疑問も、悩みも、全部解決すると思うから」
「…………い、いいん、ですか?」
小さな、首肯。
ウルリカはソファから跳ねるようにして立ち上がり、スノゥを追いかけるべくドアノブに手を伸ばす。
綺麗で、お洒落な音色のベルが頭上で響く。
傘を持っていたことも忘れ、ウルリカはスノゥの背中を探し、駈け出した。
お粥の件は、俺の好きなとある作品のオマージュ。
……たぶん、あれは全巻通して唯一のコメディシーン(笑)
次回更新は無論、明日の22時。
では、待て次回。