【 アニュエス ―バイオレンス・ライトニング― / 9 】
前を往く魔女二人の動きが変わった。
不意に一人が急加速したかと思うと、その後ろ姿を慌ててもう一人の魔女が追いかける。
方角は北西――この街で最初に“雷”を操る魔女を目撃したあの広場の方へと向かっているらしい。
「逃がす、わけには……!」
あの日の、あの惨劇を、あの光景を、彼――リーベリットは忘れない。
忘れることは決して出来ないだろうし、のうのうと忘れるつもりなぞ決してない。
ほんの、二年ほど前の事だ。
雨降りの日午後。
家路を急ぐ彼の目の前で唐突に“雷”が落ちた。
確かに空は重々しい黒一色で、この雨脚が強くなることも後に嵐になるかもしれないと、何となくの察しは付いていた。早く帰ろうと思い立った直後に雨脚が強まり、故郷の村の門が見えた辺りで雨粒が大きくなるのも肌で感じていた。
そして、何の予兆もなしに目の前が暴力的な轟音と閃光で塗りつぶされる。
「…………え」
キィイン、と激しい耳鳴りが頭の中を右往左往する中、彼は首を振り、光に眩んだ両目をこすってから顔を上げると、目前に広がっている光景に――我が目を、疑った。
村が、無くなっている。
今リーベリットの視界に映っているものは村ではなく、燃え盛る火柱を抱えた民家や砕け散った門扉。煙を上げる村の惨状。彼が今見ているものは、厳密に言えば“村”だったモノだ。
「な……何が、起こって……!? クラリス……ッ……ミウ!?」
愛する妻と娘の姿が脳裏をよぎり、彼は手にしていた釣り道具と今日の夕食予定だった獲物を放り捨てて一心に駆け出す。焼け落ちた門の隙間をくぐり抜けたその先は、地獄としか言いようの無い悲惨なものだった。近所の家々は、まるで空から巨大な拳を振り落とされてしまったかのように潰れ、火の手を上げながら崩壊の悲鳴をなおも上げている。そのそばで黒焦げになっている人型の何かは、よくリーベリット達に温かなシチューを御馳走してくれた人とお揃いの服を着ていた。火の粉を浴び、パステルカラーのエプロンは無惨に燃え上がって風の吹く先で虚しく果てていく。日中、子供たちで賑わう公園に人気は無く、ただただ焼き焦げた臭いと黒い塊が点々としているだけ。胸の鼓動が、骨を突き破って飛び出してしまうのではと思う程に早鐘を打って止まない。
リーベリットの家は、この公園を越えた先の小さな一軒家。
大きな広葉樹が目印の、我が家。
「……クラリ……ス……?」
無意識の内に妻の名を呟きながら、リーベリットは燃え盛る我が家を間に崩れ落ちた。
ここで生活するようになって、妻と出会って、村の男衆とで一緒に汗を流して作り上げて、可愛い娘も生まれて、これから家族でたくさんの思い出を詰め込んでいくはずだったのに……なのに。
「く、クラリス……! クラリス、何処だ!? ミウ、ミウは……ミウーッ!!」
ガシャ、バキッ、と我が家が壊れていく音を聞きながら、彼は妻と娘の名を叫んで、立ち上がって、歩いて、走っていた。
裏庭に回れば小さな倉庫がある。
もしかしたら、二人でそこに避難しているかもしれない。
一縷の望みに賭け、娘のためにと作った小さなブランコが粉々になっているのを尻目に、リーベリットは一目散に駆け出す。
希望は、一瞬で絶望へと変わり果てた。
「…………嘘、だ」
ひしゃげた屋根、押しつぶされた衝撃か何かで中身が散らばったらしく、倉庫の側には収納されていた農具やストーブが転がり、そして他と同様に燃え上がっている。
その、ひしゃげた屋根の隙間からは、婚約にと贈ったブレスレットを巻いた、女性の腕のようなものが、見えていた。
「クラリ……ッ!」
伸びた手を嘲笑うかのように、リーベリットの目の前で倉庫が崩れて落ちる。支えが燃えて無くなってしまったのだろう。ガシャガシャと粗暴な音を立てて、あっという間にただの瓦礫と化してしまった。
リーベリットは、喉が壊れそうになるほどに叫んだ。
一心不乱に駆け寄り、燃え盛る廃材を素手で掴み、投げ捨て妻の救出を図る。火傷の痛みなどどうでもよかった。妻と娘の無事を取り戻せるなら、この両手を犠牲にして助かるなら悪魔にだって擲っていいと本気で思いながら、二人を求めて彼は血走った眼で手を動かした。
「あぁ……あ……ッ!」
手遅れだった。
結果を言えば、妻の上半身こそ無事だったものの、それ以外は滅茶苦茶に潰れた肉片と赤黒い血だまりが小さな倉庫を埋め尽くす勢いで広がっていただけだった。それが何か、と認識して、受け止められる精神状態は今の彼には無かった。ただ叫んで、叫んで、この世の何もかもを恨む眼差しで空を見上げていた。
「誰が…………誰が、こんな……!」
まさか村を一つ壊滅させるような超規模の“雷”を一介の自然現象とは言うまい。
幸か不幸か、この世界にはそういった、ただの人間では出来得ない現象を意のままに操る異質な存在――魔女がいる。リーベリットもそういう話は新聞で見たりもすれば、酒の席で時より耳にもしていた。そんなささやかな認知のお陰で、彼の憎悪の矛先はまっすぐに“魔女”という存在に向けられた。
誰かの所為にでもしないと、目の前の現実に打ちのめされたまま立ち上がる気力さえ湧きそうになかったから。
妻のブレスレットを掴み、手近な場所にあった廃材を武器代わりに、リーベリットは村の中心部へと走り出す。
もう一度“雷”が落ちたら、などという懸念など毛頭無く、彼の頭の中身はただただ“雷”を落としたであろう“魔女”のことしか考えていなかった。
そんな頭のまま中心部に辿り着き、辺りを見回し、適当な目星をつけて走り出す。
道を往く彼の視線の端に、見知った死体が映るたび涙が滲んで、胸の内から轟々と憎しみの炎が焚きつけてくる。
やがて――村から外へと伸びる足跡を見つけた。
自分の物と比べてもかなり小柄な足跡は、すぐさま彼の脳内で女性の物だと無理やりに断定された。細かな理性が失われていく中で彼は薄れていく足跡を辿り、小高い丘に差し掛かった辺りで人影を見つけ足を止めた。
「……あ?」
「お前、かぁ……! 村を、妻を……娘をぉおおおお!!」
憎しみで濁った双眸に映り込んだのは、ボロボロのローブを纏った女だった。
フードを深く被っているせいでハッキリと顔は見えなかったが、フードの陰からは金色の髪が見え隠れしているのが分かる。
それだけ分かれば、あとはどうだって良かった。
素性を改めるよりも先に駆け出し、手にした凶器で形振りも構わずに襲い掛かる。この場に偶然居合わせただけ、何てはずはない。後先を考えずに振りかざした一撃は、しかし、女に届く前に砕け散ってしまった。耳朶を打つ雷撃の音と同時、彼の体は大きく吹き飛ばされてしまう。
「がッ……あ!?」
「んだよ、いきなり……変なオッサンだな」
女の、ひどく、鬱陶しそうな低い声音。
痛みを堪えリーベリットが体を起こしたその先で、女の全身がバチバチと音を立てながら青白く発光していく。
その光は、今しがた村に落ちたあの“雷”と同じ。
緩慢な動作で右腕が持ち上がると、その指先に直視できないほどの激しい閃光が集まっていった。ただの人間には真似出来ない、リーベリットが初めて目の当たりにした“魔女”の“魔法”。
村を壊滅させたような“雷”が自分に落ちたらどうなるか、もはや考える事すら愚かしいほどに分かり切っている。リーベリットは、所詮ただの人間だ。
「…………」
フードの奥の瞳が細くなる、その瞬間彼は目を瞑った。
何も出来なかった自分を呪いながら、死の瞬間を迎えようとして――、
「……あぁ、もう」
聞こえたのは、苛立ち混じりの野暮ったい悪態。
目を閉じた闇の中で、何故か荒い衣擦れの音がする。
恐る恐ると目を開くと、電光を迸らせていない左手で携帯電話を取り出し耳元に当てていた。
「何だよイイトコで……って、あぁ? あの村は関係ない? んなの今言われたってもうぶっ壊しちま……はいはい。すぐ戻ればいいんだろ、戻れば。ったく、アンタの調査はいつも口ばっかで……チッ、切りやがった」
「…………」
携帯電話をしまうと、女は持ち上げていた右手を下ろし、呆けるリーベリットに一瞥もくれずに崖の下へと飛び降りてしまった。数秒遅れてから、慌てて女の姿を追いかけるも、そこに影もカタチも残っていなかった。
「……」
幸か不幸か、結局リーベリットに死は訪れなかった。
しかし、訳もわからぬまま手にした生を、彼は素直に喜べなかった。
脱力し、全身から力が抜け落ちて彼の体は支えを失い緩やかな傾斜に仰向けに倒れる。
今の彼の心を表しているような、灰色の空が力を失った瞳に映り込む。
「…………」
胸の内に空いた大きな空洞。
虚ろな瞳にはやがて命を拾ったという安堵が浮かび、そしてシャボン玉のように友人や家族の姿が、浮かんでは消えて、浮かんでは消えていく。
頬を伝う雫、やがて降り注ぐ、冷たい雨粒。
ぽっかりと空いた彼の胸の空洞に冷たい雫が注がれていく。
氷のように冷たい雫が胸の穴を満たすと、やがてそれは黒く濁って澱んでいく。
生き永らえたことへの感謝などなく、生き永らえたことへの悲しみも無く。
ゆっくりと立ち上がり、ずぶ濡れになった彼の瞳は、あまりにも虚しい復讐一色に染まっていた。
「必ず……探し出す…………見つけて、この手で……!」
固い決意とは裏腹に止まらない両手の震え。
人を殺したことの無い人間が、人を殺そうと決めた、稚拙でか弱いちっぽけな手。
荒れ野で生まれた、このちっぽけな復讐鬼は、やがて確固たる足取りで村へと戻っていった。
文章的にも第4章と第5章はもうちょいパワーアップしたい。
そして、午後ティー新作のティーグルトは不味い。
次回更新は明日。
残りわずかですが、最後までお付き合いいただけたら幸いです。
では、待て次回。