【 アニュエス ―バイオレンス・ライトニング― / 6 】
スイングドアをいつもより強く蹴飛ばした所為ではない――と、アニュエスは思う。
店に入るなり彼女を出迎えてくれたのは店全体を覆う何とも言えない違和感だった。
その違和感の正体を探るべくざっと店を見回すと、普段から見慣れている飲んだくれの含んだような視線が二つ。それから、見慣れない客の姿が最奥の席に見えてアニュエスは眉根を寄せる。とりあえずは何も言わず、いつものカウンター席で報酬を受け取る手筈ついでにそっと尋ねてみた。
「……なぁ、オッサン。奥のアレは何だ?」
視線はグリーズへ向けたまま、親指で例の客を指差す。
「……仕事で中央から来た“魔女”だそうだ。お前より年下だぞ、ありゃ」
「はぁ? んなの冗談だろ……」
ちら、とアニュエスは横目で“魔女”へと視線を送る。
店の一番奥のテーブルには、この北区画街ではまずお目に掛かれないようなゴシックファッションの少女がいた。アニュエスも他の大人からしてみれば十分にガキだが、ゴシックファッションの少女はそれよりも遥かに幼い顔立ちをしている。装飾のたっぷりついたポーチをテーブルの上に載せ、コップに注がれたコーラを両手で持ってチビチビと行儀正しく飲んでいる。そして、小さくむせる。
レースのハンカチで上品に口元を拭って、ふと、アニュエスの視線に気づいたらしく小さな顔をこちらに向ける。化粧っ気の無い無垢で綺麗な小顔。目が合うなり、少女は数秒ほどアニュエスを見つめて、
「……えへ」
「ッ……!?」
はにかんだ。
朝露を浴びて目を覚ました野花のような、この汚らしい店には不相応な純粋で可愛らしい笑顔。はにかまれた途端、何故か急に頬の辺りが熱くなってきてアニュエスは慌てて視線を反らした。
「……つ、ってか! そんなことより報酬の話だよ報酬! あのガキならはっ倒したぞ、だから」
「それなんだが……お前、昨日何かあったか?」
「は……? あぁ? どういう意味だよ」
「少し、声を落とすぞ」
そう前置いてから暑苦しいヒゲ面をぐいっと寄せ、アニュエスへ耳打ちする。
「二時間くらい前だ。寝起きの俺が店の掃除をしてる時にな、見慣れない男が訪ねてきたのさ。ぶすっとしたロマンスグレーの男なんだが、妙なことを訊ねてきやがった。アニュエスって女を知らないか、ってな」
「……ふぅん」
「喧嘩屋にならって俺は言ったさ。そしたらそいつ、続けてこう訊ねやがった。そいつは――雷を使う“魔女”かってな」
「……!!」
アニュエスの表情に緊張が走るのを知ってか知らぬか、グリーズは肩をすくめながら話を続ける。
「魔女が喧嘩屋なんてやってたら商売上がったりだろって言ったら、そいつは適当な生返事だけしてどっか行っちまった。ウチに来るロクデナシの連中も何人かその男を見掛けたり、似たようなことを訊ねられたって話もあるだがよ……お前、心当たりはあるのか?」
「……まさか」
思い当たる節しかない。
「ま、ならいい。変な男が来たからちょっと心配になったってだけの話さ。……あぁ、もちろん、お前が仕事をしくじったって風には聞いてないから報酬はちゃんとあるぜ。ほれ」
「……」
ご丁寧に封筒に収まった紙幣を引っこ抜き、一枚一枚を数える。
その手が、微かに震えている。
生業の都合上、標的に恨まれて報復されたことは何度かあるし、返り討ちにしたことだってある。だが、今となっては些細な事に過ぎない。それよりも問題なのは、アニュエスが“魔女”とバレていることだ。顎しゃくれをぶちのめした際、念を押して忠告はしたはずなのにあっさりと漏れている。飲んだくれの刺さるような視線の意味を理解して、アニュエスの特等席は一瞬にして居心地の最悪な場所へと変化していた。
今までも何度か勢いで魔法を行使してしまったこともあったが、今度ばかりは状況が最悪らしい。
「……オーケー。確かに普段よか色が付いてる。んじゃ、オレ今日はもう行くよ。買いたい物もあるしな」
「あぁ、わかった。出歩くんなら気をつけろよ。その男がまだうろついてるかもしれねぇし」
「はッ、んなヤツ返り討ちにして終いだよ」
紙幣の入った封筒をポケットに捻じ込むと、アニュエスはそそくさとスイングドアの向こうへと出て行ってしまった。
ただでさえ小さな後姿が徐々に遠くなっていく様を見送りながら、グリーズは大きく溜息を吐いた。
「……ったく、まだまだガキだな。あからさまに不安が顔に出てやがる」
「だから、ブラックキャットにご依頼した……んですか?」
気が付けば、今しがた間でアニュエスが座っていた席の側にゴシック少女がちょこんと立っていた。
グリーズは、ふ、と小さく鼻を鳴らしてから返す。
「依頼自体は俺じゃなくて、アイツが厄介になってる孤児院のシスターだ。俺は、そういう仕事をしてくれる何でも屋があるって教えただけさ」
「まるで、子供を心配する……お父さんと、お母さんみたいですね」
「ま、近いモノはあるんじゃねえかな。シルフィとは幼馴染だし、アイツが捨てられた日からこの仕事をやるってなった時も含め色々世話してるんだし」
「……」
遠くを見つめる彼の姿を見、ゴシック少女は少しだけ切なそうに目を伏せる。
やがて、胸の内に沸いた小さな雑念を振り払うように小さく首を振り、少女はその表情を切り替える。
「……では、改めて今回のお仕事のお話をしますね。今回のご依頼は、彼女の周辺警護とその犯人の調査……ということで、よろしい……ですか?」
「あぁ、それでいい。ただの男なら大袈裟に依頼なんぞしなくてもアイツが返り討ちにするんだろうが、今度ばかりは嫌な予感がしてな」
「……ロマンスグレーの、変な男……ですか?」
「死んだような目のくせして、その奥からすげぇ憎悪を感じてヒヤッとしたよ。殺人鬼とかそういうのよりも性質の悪いヤツだ。言うなれば……復讐鬼ってかね。探してる“魔女”とやら相手に何か因縁があるんだろうが……間違っても、アイツじゃねえよ」
「わかりました。……じゃ、私はこれで」
トン、と床板から耳を疑うような綺麗な音を響かせ、ゴシック少女は優雅に会釈をして見せる。こんな汚らしい店で優雅な所作を見せたならば、慣れていない飲んだくれのぎこちない会釈までも誘う。両手でスイングドアを開き出ていくその様は、出で立ちも相まって舞踏会に向かう姫君のようにさえ見えた。
「……なぁ、オッサンよぉ。あのコどっかで見た覚えないか?」
「あー、俺もそう思ってたんだがよ……」
頭の奥で引っかかって取れない記憶。
さりとて無理に思い出す理由もないため、グリーズは店の仕事に忙殺され、そんな意識は知らぬ間に忘れてしまった。
半分!
……して、活動報告は何書こうか。
次回更新は言わずもがな。
では、待て次回。




