【 アニュエス ―バイオレンス・ライトニング― / 4 】
「やっちまったな……」
洗面台に手をつき、目の前の鏡に映ったのは寝起きの無様な顔と、だらりと垂れるくすんだ金色の髪。
憂鬱そうな顔に加え、せっかくの朝だというのに彼女の頭の中も憂鬱な煙に包まれてスッキリしない。
原因は、昨日の戦闘で派手に“魔法”を使ってしまったこと。
「アニーねーちゃーん! ごはんだよー!」
「……あー、今行くから待ってろって」
濡れた顔を雑巾のような汚いタオルで拭ってから着替え、髪をツインテイルに結ってから梯子を下りていく。
一人がギリギリで通れるような狭苦しい通路を少し歩けば微かに香ばしい匂いが漂ってきた。今日は珍しくパンを焼いたらしいとわかると、自然にアニュエスの腹の虫も呼応する。
「遅いよアニー姉ちゃん!」
「アホ、寝起きの人間に最初に言う言葉があるだろうが」
「んー……? あ、おはようございます!」
「あぁ、それでいい」
「おはよー!」
「おはよう!」
「おう、おはようさん」
そんなやり取りを口火に、食卓を囲んでいた他の少年少女たちも一斉に朝の挨拶を飛ばしてくる。男子が三名、女子が四名。まだ十歳にも満たない彼らは皆、このグローリースター孤児院に集められた孤児たち。中央街に近いとはいえ、荒んだこの北区画に生まれたというのに彼らは一様に無垢で純粋で、やんちゃである。
「おー、旨そうなパンじゃん」
「ダメだよアニーお姉ちゃん! まだシスターが戻ってきてないもん!」
とはいえ、アニュエスが世話をしているというわけではなく、ちゃんとこの孤児院の責任者のシスターがいる。出来立てであろうパンを一つつまみあげてかじろうとした矢先、ぱたぱたと忙しない足音が聞こえてきた。
「はぁ……ふぅ……ご、ごめんなさいねみんな、って、アニュエス! 起きてたなら手伝ってほしかったわぁ……」
「悪いねシルフィ、起きたばっかだよ。今日は豪華な朝飯じゃん?」
「たまたま、御贔屓にしてるパン屋さんから少し期限の切れちゃった小麦粉を頂いてたのよ。ほら、あなたも座って座って」
「へいへい」
このグローリースター孤児院の現責任者であり、中央教会に属するシスターでもあるシルフィーユにそう言われ自分の席に向かうと、孤児の中でも一番内気な女の子が椅子を引いてくれていた。確か、ここ最近来た新しい子。頬の火傷跡が目立つ、名前は……
「お、ありがとな。コリン」
「あぅ、うぅ……」
仕事を終えたコリンは顔を真っ赤にしながら自分の席に戻ると、テーブルの上に乗っかっていたボロボロのぬいぐるみをぎゅうっと抱き寄せて俯いてしまった。改めてアニュエスとシスターが席に着くと、それまで賑やかだった食卓の空気がほんの少しだけ静かになる。
「本日も、天の神々に感謝をこめて」
「……」
「んー……」
両手を組んで祈ったり、手を合わせたり、目を閉じるだけだったり。
スタイルは様々だが、シルフィーユは食前のお祈りを欠かさない。
アニュエスは自分の目に見えないモノなんぞ信じていないので、手持無沙汰な間にテーブルの上の食事に視線を動かす。
焼きたてのパンは、確かに香ばしい香りと湯気で食欲をそそられる。だが、それ以外は普段よりほんの少し豪華といったところだ。小枝のような細いソーセージ、ぱっと見雑草にしか見えない野草のサラダ。無論、害のないモノ。薄めたオレンジジュースに、少量のスクランブルエッグ。成長期真っ只中の彼らには少々足りないラインナップ。
「いただきまーす!」
「はい、召し上がれ。アニュエスも」
「ん? あー、そうだな」
自分の皿のソーセージを人数分に切り分け、アニュエスは他の子供たちに一つずつ分ける。こっそり、大きめにカットしたものは先のコリンへのお礼として彼女の皿に転がした。
「アニー姉ちゃん! いいの!?」
「おう、オレは今ダイエット中でな」
「えー!? これ以上胸ぺったんになるの!?」
「おー? お前も(背丈を物理的に)ぺったんにしてやろうかぁ?」
「アッハハハハぎゃああああああ!?」
胸の話となると、アニュエスは子供相手にも容赦はしない。
※
食事を終え、それぞれが遊んだり、勉強をしたりと過ごす休み時間。
シルフィーユが後片付けをしようとキッチンに戻ると、既に先客が洗い物を始めていた。
「ごめんなさいね、アニュエス」
「んん? あぁ、朝飯の手伝いできなかった代わりにな」
「……いいえ、諸々のことも含め、ですよ」
アニュエスの隣に立ち、シルフィーユは彼女が洗った食器を布巾で拭いていく。カチャカチャと食器がこすれる音と、水を節約しながら洗い物に集中する二人の、静かな時間。
「おかげで孤児院の修繕もかなり捗りましたし、ここ最近はまともな食事も出せるようになりました。……これも、匿名でこの孤児院に寄付をしてくださる“魔女”さんのお陰です」
「誰だろうなー? んなお人好し。親の顔が見てみたいね」
「えぇ、同感です」
また一枚、洗い終えたお皿をシルフィーユに手渡す。
おどけるような調子で、アニュエスはまた新しい皿に手を伸ばした。
「……お人好しな“魔女”さんからの寄付が始まったのが五年前。最初は、寄付なのかただの落し物なのか判別に困るような金額だったけど、その日から毎月一回、やがては毎週一回と頻度が増えて、今じゃ、あなたがボロボロになって帰ってくる日に必ず寄付が来るの。金額もどんどん大きくなってきて……」
「ふぅん」
「……アニュエス、何かあった?」
「何かって?」
「物心ついた頃からの付き合いでしょう? あなたが何か悩んでいるのくらい、顔を見ればわかります」
彼女は、アニュエスがここに捨てられてからずっと寝食を共にしていた親代わりのような人。嘘を吐いてもバレるし、元気がなかったり問題を抱えているとすぐに突かれてしまう。今まで、一度だってアニュエスの嘘が通用した試しはない。
……一つの、例外を除いて。
アニュエスは肩をすくめた。
「……ちょっとさ、仕事でやっちゃいけないコトしちゃった。そんだけだよ」
「もう……あなたの短気は未だに治りませんね。またカッとなってやったとか、そういうコトですか?」
「お恥ずかしながら」
今なら、たまにニュースや新聞で見聞きする「ついカッとなってやった」という犯人の気持ちがよーく分かる。人間の持つ怒りという感情は時に自制が全く効かなくなってしまう。走り出した勢いが強ければ強いほど、ピタリと制止することは不可能。それと同じ。
「大丈夫だよ。別にシルフィが心配するようなこたぁ何もない。でもま、ちょっとお給料が落ちるかもねぇ」
「……ま、本当にお金に困ったら私がこの体を以て何とかしますから大丈夫です。アニュエスも、あまり無茶をしてはいけませんよ?」
「はー? 今時四十路を越えたオバサン買うモノ好きがいるかよ?」
「殿方を満足させるような術は持ち得ていませんが……まぁ、そういう経験もない私の、中身なら欲しがる人がいるかもしれませんね」
「…………」
そんなシルフィーユの言葉に思わず手が止まり、笑えないジョークのお陰で背筋がゾッと冷え込むような静寂が訪れる。
節約の為と適時止めた蛇口から水滴が、一つ、二つと残った皿の上に落ちていく。
「あら、本気にしました?」
「……うっせ」
絶対にそんなことさせてたまるかよ。
そうしないために、アニュエスはこの“魔法”の力を秘密裏に行使している。
だが、その“魔法”は時にアニュエスを縛る枷となってしまう。
第6話更新した辺りで、また活動報告を書こうかなぁと。
そして今更ながらモンハンクロスやってます。
エリアル+片手剣が楽しい楽しい。
次回更新も明日!
では、待て次回。




