【 アニュエス ―バイオレンス・ライトニング― / 2 】
過去、経済的成長を遂げて伸張した東区画と西区画に挟まれ、まるで細長くなったピザの切れ端のような地形をしているのがこの北区画街。
ピザの“耳”の部分――ここを縁と呼ぶか、あるいは他の名称を出すかでささやかな議論が生じそうだが、それはさておくとして。
“耳”となる北側は灰の街の外壁に阻まれているから論ずるまでもないが、切れ端の南端部は中央街に面しているせいか、貧民街と卑下するほどに寂れきった街ではない。
他の区画街に比べれば確かに面積自体は狭いが最低限街としての機能は残っているし、孤児院もあれば飲食店だって指折り数える程度には点在している。この店も、その一つだ。
「オッサーン、来たぞー?」
壊れかけのスイングドアを蹴飛ばして強引に入店。
アニュエスの立てた雑多な音への反応もそこそこに、昼下がりのこの時間から酔いの世界へダイビングする輩がちらほらと視界の端に映り込むが、アニュエスは歯牙にもかけない。うっかり穴の空きそうな古ぼけた床板を進み、店主の真正面のカウンター席に座りこむ。
着席と同時、少女の正面で熊が振り向いた。
「おお、アニー。今日もお勤めご苦労さん」
「勤めてねーっての」
本物の熊、ではもちろんない。
が、一見するとまるで熊の擬人化とでもいうべきほどに店の店主は巨大で恰幅がよかった。向かい合うアニュエスと店主とを見比べると彼女の姿はミニチュアサイズにしか見えない。はち切れそうなレザージャケットからは着用できているのが不思議なくらいに膨れ上がった筋肉。モミアゲなのかヒゲなのか本人以外には区別不明な口元でニィっとワイルドに笑ったならば、おそらく見かけた子供は一生モノのトラウマだろう。テディベアだって怖がって拝めなくなるかもしれない。
「グリーズ、酒だぁ……酒持ってこぉい……」
「あぁ? てめぇはそれより先にツケを払えってんだよ!」
とか何とか言いながら、店主ことグリーズはお呼びのかかった席に向かってビールの瓶を放り投げる。割れる音と、小さな悲鳴っぽいものを背中で聞き流しながらアニュエスはカウンターに頬杖を突く。
「さっき、オレに話があるみたいな伝言もらったから来てやったけど、何か用? あ、オレにもビールな」
「アホ。お前が飲むにゃ一億光年早えぇんだ」
「一億光年って何年だよ?」
「一億年生きてから考えりゃいいだろうが」
荒い口調からカウンターに、ドン、と重い音が連なる。王冠を指で弾くようにしてこじ開け、アニュエスは中身を一気にあおる。粘つくような甘みと安っぽい炭酸の刺激。ぶっちゃけ、アニュエスがこの店で飲める唯一のドリンク。
「で、話って何? いくらの仕事?」
「あぁ、それなんだがよ。最近目障りなガキがルーニー通りを歩いてるって話聞いたか?」
「ルーニー通り? あー……知らね」
ルーニー通りというのは東区画側にある細い裏路地。
特別変な店が軒を連ねたりもしない、時折ストリートチルドレンが寝転がってるくらいしか特徴のないような暗くてジメジメした細い道だ。そんな辺鄙な場所に目障りなガキが歩いている、と言われてもアニュエスにはピンと来ない。
「無駄に羽振りのよさそうなガキが路上の連中に適当な因縁つけて殴ってくるんだと。どーも東区画のお坊ちゃんらしくてな。度胸試しだか憂さ晴らしなんだか理由は知らんが、ガキの連中からこっちに苦情が来たんだ」
「あぁ? くっだらね。んな一銭にもなりそうな話吹っ掛けんなよ」
「安心しろよ。ちゃーんと喧嘩屋としての依頼で来てんだ」
「……ふぅん?」
アニュエスの眼が鋭利に細まる。
話を続けろと言わんばかりに、その鋭い表情のまま顎でしゃくって先を促す。
「苦情が広まった所為かね、それを鬱陶しがる連中も少なからず出てきた。そこで俺を介してお前に依頼が来たってわけよ。報酬はいつもよりかは高いぜ。相手が“お坊ちゃん”だからかね? そういう鬱憤の分、上乗せが入ってる」
「……楽に金が貰えるから別に文句は言わねぇけどよ、毎度毎度回りくどい商売だよな。そいつらが勝手にやりゃあいいのに」
「ここは北区画だぜ。都会派の魔女もいなけりゃマフィアとギャングとの板挟みを受けて縮こまるような連中しかいないような場所だ。お前さんみたいに強い人間なんてのは指折り数える程度だし、それで金貰ってるんだからお互いに言いっこなしってモンだろ?」
「まーなぁ……」
「何だ、乗り気じゃないのか?」
「んなコト言ってねぇだろうが」
空になった瓶を放り捨て、肘鉄をカウンターに当てて苛立たしさを誤魔化す。金はともかく、何とも面白くない話、というのがアニュエスの本音である。
「……ルーニー通りね、わぁった。んじゃ適当にぶらついて、適当にボコってやるよ」
「オーケー、報酬は後でだ。コイツはターゲットの写真。……ま、楽な仕事だろ」
差し出された写真をひったくり、一度拝見。
パープルのスーツに身を包む、しゃくれた下顎の目立つ何ともまぁユニークなガキが映っている。
「あぁ、アニー。夜には雨だそうだ。気をつけろよ」
「っせ、ガキ扱いすんじゃねぇーっての」
スイングドアを蹴飛ばし、店の軒先でアニュエスは空を見上げる。
既に重々しい雲が、ゆっくりと灰の街を覆っているのが見えた。
何故か章の区切りがおかしくなってたので慌てて修正。
それと、紆余曲折ありましたが第3章は全12話構成と相成りました。
次回更新も明日!
では、待て次回。




