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灰の街の魔女  作者: 夜斗
【第3章】
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【 アニュエス ―バイオレンス・ライトニング―  / 1 】 

 金は天下の回り物。

 “金”という、名前のような煌びやかさなど実はカケラもない欲望の権化たるこの媒体は、本来であれば然るべき人へと渡り、そして然るべき者が消費し、やがてまた他の然るべき者の手に渡り、また他の……と、延々と果てのない輪を巡っていくモノ。

 授かる者、行使する者、造る者、授ける者。

 東の国で伝わるこのコトワザは、そういう流れ方全般を差し、つまりは、金というものは絶えず人と人とを行き来していて、貧富の差というものが固着しませんよというある種の教訓なのだが、世間一般が必ずしもコトワザ通りに動くわけがない。

 人という生き物は生憎と、豊かさを覚えるほどに欲を増す生き物。

 一度この手で掴んだ快楽、快感というものは忘れ難く、哀れな人は何度となくそれを求める。

 熟練の冒険者が、絶えず新たなる未知を求めるように。

 名声を求め、向上心とともに学を志すのも。

 一度得た富を他者から奪ってまで得ようとするのも、得た富を以てして他者を虐げることも。

 時にそれは歪んで欲望となり、醜く膨張してしまう。



 この街――に、限った話でもないが『灰の街』でも、それが顕著に出る場所がある。

 北区画街(ノース)

 この『灰の街』で貧民街、あるいはスラム街と言えば大抵はここを指す。

 治安の悪いことを除けば比較的賑やかな南区画街や、東西に分かれた区画街は、それぞれが独自に成長を遂げ、歓楽街、あるいは繁華街と拡大していく中、北区画街だけは商業や工業などの発展はなく、ただただ荒廃を続けていくばかりだった。

 故に、北区画街は『灰の街』で最も危険な区画と言える。

 日夜素性の知れないようなゴロツキが跋扈し、人攫い、犯罪、血生臭い話題は後が絶たず誰も望んでこの区画に足を踏み入れることはないだろう。

 ボロ雑巾のような身なりの男は常にナイフを懐に隠しながら歩き、路地に立つ女は空を駆ける猛禽類よりも鋭い眼光を放つ。無法者の集団、ここに極まれり。

 そんな北区画街の最奥部、灰の街の外壁に阻まれた袋小路に小さな人だかりが出来ていた。

 下卑たヤジが飛び交い、薄汚い罵声が路地に響いて渦を巻く。

 そんな渦中に、紅一点とばかりに一人の少女がいた。


「おいおい、自分から喧嘩吹っ掛けといてそのザマかよ? ハナシになんねぇな」


 野暮ったい穴の目立つ厚手のパーカーに、見目麗しい金色のツインテイル。両足には華奢な細さをカバーするためと思われる大きな黒いレガース。目の前の男と身長差は優に三十センチほどあるのに、少女は堂々と平たい胸を張っていた。

 凛とした闘志というより、自分の強さを相手に、延いては周囲に見せつけるような豪胆で大胆な物言い。その言葉の矛先にはガタイの良い男が両拳を握りながら立っている。少女と面向かって対峙しているというではなく、男は完全に身が竦んでただ立ち尽くすことしか出来ないでいるようだった。

 何かの冗談だろ……?

 か、勝てない……強過ぎる。

 今の男の胸中は、そんなところだろうか。

 この北区画街で“女”の喧嘩屋がいると噂を聞きつけ、女相手なら楽勝だろうと男は高を括りタイマンを挑んだ。実際にお目に掛かった時点では勝利を確信して内心で笑い、そして気が付いたらこのザマだ。

 幸いかどうかは不明だが、少なくともまだ男には戦おうとする意志は残っている。

 だが、そんな意志とは裏腹に両足は既に恐怖で根付いてしまったかのように動いてくれず、構えている両手だって風にでも吹かれれば崩れてしまいそうなほどに弱々しい。

 その実、戦おうとする意志とは方便もいいところだ。

 それを認めるかどうかはともかくとして、今の彼の意志は闘争ではなく生存への執着に傾いている。そんな人間の構えが、及び腰になるのはもはや自明の理。


「かまうこたぁねぇアニュエス! やっちまえ!」

「喧嘩屋アニュエスの名前を、そいつの全身に叩きこんでやんなァッ!」


 熱の入ったギャラリーの野次と罵声。

 ここは既に完全に男のアウェーであり、そして少女――アニュエスのホームグラウンド。

 最初の攻勢以降手を出さずガードに徹している男に、アニュエスはとうとう痺れが切れた。姿勢を低く、その瞬間に脚部の筋肉に電気信号を送り、一瞬にして男の真正面へと肉薄。「ひッ」と情けない声が聞こえたならば、アニュエスの瞳が一気に不機嫌に濁る。


「おごはッ!?」


 男の視界が強引に、左側に捻じれる。少女のハイキックが頭部をぶち抜いたと気がついたと同時に今度は顎を思い切り蹴り上げられる。激しく揺さぶられる男の脳事情などお構いなしに、アニュエスは怒涛の蹴りを何度も何度も男にぶつけていく。殴打音に混じって、時々、グシャ、バギッ、と体の神経に直接響き激痛となって伝わるが、男は既に痛みに叫び声を上げる意識を失ってしまっていた。

 何とも呆気ない、喧嘩の幕切れ。

 打ちのめされた男を嘲笑うような歓声が沸き起こり、手を叩くギャラリーもいたがアニュエスは仏頂面で男の体に唾を捨てた。


「いくらなんでも弱過ぎ……力量も推し量れない様じゃ、素人以下だっつの」


 完全に呆れた溜息を吐きながら、アニュエスは溝のような異臭を放つ路地に潰れた男のポケットにさも当然の権利かのように手を突っ込む。薄っぺらな財布から薄っぺらな紙幣を引っこ抜くと男の背中に捨て踵を返す。


「後は任せるわー……あぁ、暇つぶしにもなんねぇ」

「任された。……っと、そうだアニュエス。グリーズの旦那が後で店に顔出してくれって言ってたぜ。頼みがどうとか言ってたな」

「オッサンが? ……わぁった、途中で顔出す」


 顔は覚えているが名前を忘れた同業者に手を振ると、アニュエスは馴染みの酒場の方へと足を向けた。

第3章、本日より始動です。

やー、実に3カ月ぶりで申し訳ないですが、またよろしくお願いしたします。


次回更新は明日!

では、待て次回。

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