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灰の街の魔女  作者: 夜斗
【第2章】
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【 カチュア ―異邦ノ迷イ風―  / 9 】

 街の空を見上げると、大体はその名の通りくすんで陰鬱な灰色の空ばかり。

 周囲の気候の影響か、ただ単純にスノゥがそういう(、、、、)女なのか、何の因果かは不明だが、少なくともこの街の空は見上げればほとんど曇り空だ。青空を見たのは、今でも指折り数える程度かもしれない。ほとんど、記憶に残っていないが。


「……」


 三階建ての診療所、その屋上。

 専ら職員の休憩所か喫煙所として使われているのだろう。清掃の行き届いた灰皿の傍に飲料水メーカーのロゴが入ったシンプルなベンチが二つ。そこから数歩ほど足を延ばせば自動販売機が二つ。一つは缶の、もう一つは紙コップの。

 重たい鉄製の扉を閉め、スノゥはウルリカからもらった缶ジュースのプルタブを開き、転落防止用のフェンスにもたれ掛かりながら口を付ける。コーラだった。


「おやおや、美しい“魔女”がこんな場所で一人黄昏(たそが)れている。どうかしたかね?」

「はーや。もうフラれたの」


 コツンコツン、ともたれたフェンスに爪でたたく音と羽ばたきが響く。

 振り返る必要もない来訪者に、スノゥは適当な言葉を放ってコーラに二口目を付ける。


「いや? 私がちょっと時間を間違えただけだ。もう十分ほど暇を潰したくて戻ってきたんだよ」

「……困ったなぁ。アタシ今ちょー忙しい」

「それにしても、君はずいぶんと変わった。君の【異名】を初めて与えた時と、今の【異名】を与えた時と比べたら、今の君は」

「何?」

「今の君は……ずっと自由だ。この自由という言葉は、この言葉本来の責任のある自由ではなく、在るがままの意味での自由だ。良くも悪くも、しがらみ(、、、、)のない生き方」

「…………」


 コーラの野暮ったい甘さと炭酸の刺激が舌に残る。

 スノゥの瞳は遠く、この世界の何処でもないような遠くの方を見据えていた。


「やはり、彼女の影響かい? もう……何年経ったのかな」

「悪いんだけど、過去は振り返らない主義」

「結構。それはつまり、少なくとも自分自身の中で振り返りたくない過去を持っていると自覚している証拠だ」

「……見てるばっかのヤツに言われても」

「見てたからこそ、さ。君のような特例の魔女を、私は今のところ他に見ていない」

「結局何が言いたいのさ」

「何、とは決まってはないよ。ただ久々に君の姿を見て、暇つぶしの肴として私が選んだに過ぎない」

「……」


 残った中身を一気にあおって、空になった缶をゴミ箱に放る。中身の無くなった缶は小気味な音を立てて、残響が風に流されて消えていく。ふと、“観測者”の視線が中央に設えられた時計の方へと向けられる。


「では、そろそろ行こうかな。君も達者で」

「……」


 意図の分からない雑談を終えて、件のカラスはデートの待ち合わせ場所へと飛んでいく。黒と赤の混じった小さな背中を無言で見やって、目を閉じた。


「そう生きろって、言われたんだよ。それを守ってるだけ。……けふ」


 脳裏を過ぎる、大切な人の後ろ姿。

 昔のスノゥに手を差し伸べ、今のスノゥを作り上げた、優しくて、甘くて、だけどもう手の届かない場所にいる大切な先生(、、)

 その先生の遺言を、スノゥはただただ全うしているに過ぎない。

 “観測者”はスノゥを自由だと言っていたが、遺言に縛られている時点でその言葉が本当に当て嵌まるのかは怪しい。

 でも、これは紛れもなくスノゥ自身の意思によるもの。

 自らの意思で遺言を守っているのだから、確かに、これはこれで自由と言えるのかもしれないが。


「……」


 止めた。

 今ここで考えても詮無いことだし、別に今も昔もスノゥは答えや正解を求めているわけではない。

 この街で、スノゥのしたいように、生きるだけ。

 日々を適当に、それなりに退屈しないように、死なない程度に。


「……そろそろ戻ろ」


 マリーの話もひと段落つく頃だろう。

 スノゥが振り返って建物に続くドアを見ると扉が開く。

 現れたのは、明千花だった。


「アチカ?」

「はぁッ……スノゥさん、屋上にいるって、はぁ、ウルリカちゃんに、はぁッ……聞いて……」

「ん……? アタシに何か用?」

「はぁッ……す、すみません、ちょっと」


 階段を駆け上ってでも来たのだろうか。ぜぇはぁと荒い息を胸に手を当てつつ整えながら、明千花はスノゥへ力強い眼差しを向ける。


「その……私、マリーさんのお店で働くことを決めました。不束者ですが、こ、これからよろしくお願いします!」

「あー、了解」


 育ちの良さが分かるようなご丁寧なお辞儀に、スノゥは軽く手を振って返す。別にそこまで畏まる必要もなかろうに。

 しかし、顔を上げた彼女の表情は相も変わらず強い意志を漂わせている。まだ何か続きがあるらしい。


「それで、不躾とは思いますが……スノゥさんに、お願いが、あります」

「お願い? まぁ、アタシに出来ることなら」


 何だろう。

 スノゥに出来ることなんて高が知れているが。


「私に、名前を付けてくれませんか?」

「名前? アチカって名前でいいんじゃ」

「……明千花という名の人間は、既にこの世にいません。故郷で異端の技を使い島流しを受け、その罪を上塗りするような悪行を重ねて……」


 尻すぼみになっていく明千花の言葉に、スノゥは何となしに察する。

 黙ったまま、彼女の次の言葉を待つ。


「そんな私を、あなたは命を賭して助けてくれました。だから……だからこそ、あなたにお願いしたいんです。新しい私の名前を、今日からこの街で“魔女”として生きていくための、生まれ変わるための名前を付けてほしいんです」

「……」


 めんどくさ、と漏れかけた本音を飲み下してスノゥは手持無沙汰に髪をいじる。

 名をもらって初めて個となる――ふと、さっき聞いたばかりの観測者の戯言を思い出す。

 人は名前をもらって、初めて一人の個となる。

 要するに明千花は、非道を繰り返してきた過去の自分との決別を望んでいる。

 新しい自分へとなるための、新しい名前を欲している。


「……アタシ、そういうのやったことないんだけど」

「何でも構いません。わ、私はあなたにお願いしたいんです! どんな名前でも文句は言いません! お願いします!」

「…………」


 他に誰もいないとはいえ、自分の真正面で深く頭を下げられるとスノゥとしても気まずいし、何とも言えなくなる。

 しかし、人に名前を付けるとなると、犬や猫に名前を与えるのとでは意味合いが違い過ぎる。

 スノゥがここで付けた名前は、後の彼女の人生全体に大きく影響する。

 今後、彼女はスノゥが付けたその名前で呼ばれ、認識され、公的な書類やサインなどは全てその名前で適用される。

 状況は軽いように見えて、実は予想以上にへヴィだ。


「……やっぱ、マリーに頼んだ方が」

「お願いします!」

「……」


 どうあってもスノゥに名付け親になってもらいたいらしい。

 思っても見なかった彼女のお願い(、、、)に、スノゥは割と本気で困っていた。

 誰かを呼びにでも行ったりしたら、たぶん彼女は泣き付いてくるんじゃないだろうか。明千花の目元、なんかプルプルしてるし。


「明千花……アチカ、か。じゃあ…………の前に。念押しだけど、本当に、どんな名前でも文句言わないんだよな?」

「天地神明に誓って!」

「……じゃあ」


 灰色の空の下、彼女は今日から新しく生まれ変わる。

 彼女の、新しい名前は――。

次回で第2章はラスト。

うーん、1日1話だとやっぱあっという間です……


最終話は明日の22時。

では、待て次回。

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