【 カチュア ―異邦ノ迷イ風― / 7 】
突如、西区画街を襲った大竜巻。
過去に住居として機能していた団地はその七割ほどが崩壊し、まるで大地震に見舞われたかのような酷い有様だった。
人気はない、というより、無くなったが正しい。
元々住んでいた住人の大半はその余波に巻き込まれ、重たい瓦礫に潰され死んでしまった。正確な人数は不明だが、そもそも、そんな乞食同然の住人の生死を気に掛けるような人もいなかった。
「…………ッ、うぐ……」
刺すような激痛に意識が覚醒し、彼女は目を覚ます。足がつかないことに違和感を覚え、痛みで滲んだ視界で周囲を見回す。
暗い、だが無駄にだだっ広い部屋。
天井に僅かながらの穴が空いているらしく、そこから頼りない明りが差しこみ部屋の中で飛び回る埃を浮かび上がらせている。他に、丸い大きな缶と、木材、その他よく分からないガラクタのようなモノが積み重なっている。腕を動かそうとして――自由が利かない。顔を上げると、手首が縛られていて、何かに吊り下げられている。宙吊り状態のまま、彼女は放置されていた。どうにか解けないかと身を捩る度に激痛が伴って、結局彼女は途中でやめてしまった。
「……私……死ぬ……の、かな」
小さいころ、守護士官に赴く父や兄の姿を見て死んでしまうのではないかと涙を流したことがある。
死というものを漠然と知りながら、彼女は子供の時分でもはっきりと“恐い”と意識していた。
意味やカタチを熟知しているわけではなく、ただただ恐いという単純な恐れの感情。
しかし、今の彼女にはそんな恐怖の意識はなかった。
血を流せば死ぬ。
刃物で斬られれば死ぬ。
そんな、ただ事実だけの死を、彼女は――明千花は、受け入れようとさえしている。
「…………生きてても、もう……意味がない……私は……」
バケモノ、だから。
冷めた思考の中でその言葉を反芻すれば、今まで自分のやってきた愚行が瞼の裏に蘇ってくる。
御前試合の後、彼女に言い渡された処罰は国からの追放――島流しだった。
本来は即刻処刑だったらしいのだが、彼女の家系と王の恩情ということで死刑とはされず、代わりとしてこの処罰を受けることとなった。
小舟に最低限の荷物だけを載せられ、彼女は――士官と母親一人だけに見送られて大海原へ放り出された。
心細さよりも、途方もない虚無感に駆られていた。
夜を迎えるたびに彼女は理由もなく朝まで泣き続け、それを三日三晩続けた。
そして力尽きて、次に目を覚ました時にはこの街の南区画街に辿り着いていた。
港とは口ばかりの、あらくれの船乗りが酒と女に入り浸るような醜悪な光景に彼女は我が目を疑い口元を覆う。こみ上げてきたすっぱい液体を海にぶちまけてから、彼女はここが地獄なのだと悟った。
それからは――
「おい、気が付いてんじゃねえのか?」
「やっとお目覚めか……ま、目覚めなかった方が良かったって今から後悔するんだろうけどな、イッヒヒ」
突然、目の前から光が差し込むと、下卑た声に合わせて不潔な輩がぞろぞろと現れた。ざっと見て、数は十三名。フードを被る者、ナイフを手にする男、舌なめずりをしながら近づく男たちの姿を見て、明千花は顔をしかめる。状況から見て、ロクなことをされないのは確かだろう。
「魔女さんよぉ? 今回はまぁ派手にやってくれちゃってご苦労なこってなぁ?」
「……ま、じょ?」
何処かで聞いた覚えのある言葉、しかし、上手く思い出せない。
男たちはゆっくりと明千花へと近づいてくる。腐った魚のような異臭が漂ってきて不快感が増していく。
「おかげさまでよ、ウチらのメンバーも巻き添え食らってて大迷惑なんだ、ッよ!」
「っぎあ!?」
リーダー格と見られる男から蹴りをもらい明千花の悲鳴がこぼれる。一度や二度ではなく、男はそのまま何度も何度も蹴りつける。堪えようのない痛みに意識が真っ白になりかけたところを、見計らったかのように男は足を止めた。
「あ……ぎぅ…………」
「……っは! 魔女ったって所詮こんなモンだよなぁ? 結局はただの女なんだ、後はいくらでも使いようがあるが……お前ら、どうするよ? リンチにでもするか? 何なら“魔女”らしく火炙りにでもしてやろうかぁ!? ッハハハハハ!! おっらぁ!!」
「があッ!? ぁか……ぐ……」
トドメとばかりにもう一度激しく蹴りつけたところで、フードを被った男がそっと歩み出てリーダーの側に近寄り、耳打ちする。
「リーダー、火炙りするってなら火が必要ですね」
「あぁ、ったり前だ。それと木材とかガソリンとかな。燃えるモン何でもいいからありったけ全部持ってこい!」
「ご心配なく。……アタシの“焔”はよく燃えるんでね」
火種を灯した掌で、彼女は男の背中を、ぽん、と軽く叩く。
「んだ……? お、ぅお、おお!? な、服が燃え、っちあ、あちゃちゃちちち!? あっ、あぁああああっ!?」
勢いよく燃え上がる白い焔が男の身体を包み、あっという間に白い火ダルマの出来上がり。突然の発火に男はその場でごろごろと転がり自力で消火活動を始める。周りの連中は目の前の異変に素早く順応し、懐から各々銃を抜き放ち彼女へと突きつける。
「て、てめぇ!? リーダーになんてことを……!? つか、誰だお前!?」
「名乗るほどのモンでもないけど」
被っていたフードを取ると、現れたのは前髪に白メッシュを添えた黒い髪の女性。男どもは唖然とし、そして拘束されていた明千花はまた別の意味で驚いていた。
「この街じゃ、【焔雪 ―ホムラユキ― 】って異名で通ってる“魔女”だよ」
「……あ、なたは……!」
「お、お前見覚えがあるぞ!? さっきのストリートの……! おい撃て! 二人の魔女をまとめて始末だ!!」
「おいバカ!? 今撃つんじゃねぇ!? 俺に当たるだろうがいぃひぃいいい!?」
「待ってな」
言うが否や、スノゥは振り向きざまに明千花を縛り付けていた鎖をバゼラードで切断し、彼女を抱えて奥のコンテナの陰へと転がりこむ。拳銃の弾丸がコンテナに注ぎ甲高い音を反響させる。
「な、なんで……生きて……? それに、私はあなたを……」
「仕事。アンタを保護したいって言ったんだけど……覚えてない?」
「…………い、いえ……うッ」
「……積もる話は後にしようか。すぐ片付けてくるよ」
「ま、待っ……て! まだ、訊きたいことが……」
銃撃が止んだその瞬間、スノゥはコンテナをひとっ飛びで越えてギャングの正面に躍り出る。
翻るロングベストの後ろ姿に、明千花は、不意に彼女の姿を見失ってはいけないと、自分でも意味不明の焦燥に駆られ這うようにしてコンテナの傍から様子をうかがう。
「“魔女”二人も始末したとなりゃこっちの儲けも倍よ! おら、てめえ! 奥からアレも持ってこい! 出し惜しみすんな!! 残りは突っ込めぇ!!」
「……その儲けとやら、どっから出てんのかね」
三人ほどが部屋を出ていき、残った野郎は弾が尽きたらしい拳銃を捨てそれぞれがそれぞれに得物をひっさげスノゥへと押し寄せていく。
相手が女だと侮っている、欲に塗れた汚い瞳の中に白い焔が灯る。
焔を纏わせたバゼラードを右手で構え、スノゥは向かってきた男どもをその場で迎え撃つ。
さして訓練の経験もないような味気ない一撃を左の掌底で払いのけ、文字どおりの付け焼刃をバゼラードでへし折り、男の顎を思い切りハイキックで蹴り上げる。左右からの挟撃が来れば素早い足払いをかけて往なす。
「おらァッ!!」
「あ、危ないッ!」
スノゥの背後から跳びかかってきた男と、その脇からリーダーとのコンビネーションに数歩よろけ、その拍子に手にしていたバゼラードが遥か彼方に弾き飛ばされる。得物を失くした彼女に勝ち目があるのか。そんな明千花の不安を、件の本人は涼しい顔のまま知ってか知らぬか。
「へッ、その剣がなけりゃ」
「ん? あぁ、それハンデだから」
「はぁ? ッばあああ!?」
その瞬間、二人の男が同時に、素っ頓狂な叫びを上げながら真横に吹っ飛び明千花の目が丸くなる。突き出したスノゥの右手には白い焔が揺らめき、吹き飛んで行った男の腹部には花火の直撃でも受けたような丸い火傷の痕が残っていた。
「……ちょっと本気でやるか」
まるで自分への気つけのような小さなスノゥの呟き。
右から殴りかかってきた男の剛腕を最小限の動きで回避し、一歩踏み込むと白い軌跡を描くアッパーカット。未だに攻勢を緩めない男たちが二人掛かりでバックアタックを仕掛けるも、スノゥは振り返ると同時に白焔を灯した回し蹴りで文字通り一蹴。あまりにも鮮やかで、果ては美しさすら感じてしまう一方的な攻撃に、明千花は思わず見惚れてしまっていた。
「す、凄……い……」
「リーダー! ありったけ火器持ってきまし……んなああ!?」
「げはッ……あ、う、撃て! そいつを、生かすんじゃねぇ!!」
「りょりょ、了解っす!」
そう言って男が真っ先に担ぎあげたものを見てスノゥは思わず素で吹き出してしまった。
「っは、“魔女”一人にロケットランチャーとは贅沢だね」
「ろけ……え?」
「あぁん!? バッ、バカバカ、それを今ぶっ放したら」
「え?」
カチン、とシンプルなトリガー音が聞こえたならば、射出された細長い弾頭がスノゥへ飛んで行く。横で情けない悲鳴を上げながら転がる男を他所にスノゥは至極冷静に、右掌を正面に向ける。その指先に小さな炎が灯り、まるでカウントダウンのように一つずつ消えていく。
「ひええええええええええええええええ!!」
「――火 竜」
やがて、スノゥの手の中から巨大な焔の塊が現れ、“竜”のカタチを形成すると弾頭へと一直線に飛んでいく。火薬の塊と、焔の塊が衝突すればどうなるか――言わずもがな。
身体の全神経を響かせるような轟音が明千花の耳朶を打ち、真っ白に染まりゆく視界の中でスノゥの後ろ姿が塗り潰されていく。
暴力的な爆風と、衝撃。
明千花はコンテナの陰で身体を折り曲げるようにして庇う。誰かの悲鳴が数人分、聞こえたような気がした。
「………………ッ、あの人……は!」
物音や人の声が聞こえなくなったところで明千花は怪我の痛みも構わず立ち上がり、未だ火の粉が舞い上がる惨状の中で彼女の姿を探す。
ガラクタや廃材には火の手が上がり、そこかしこには焼け焦げた死体が一つ二つ、微かにうめき声を上げる者、腰を抜かしている者。どれもこれも、明千花が探している人物ではない。
「あの人は、何処に……きゃ!?」
「て、てめぇ、だけでも……んがッ!?」
不意に背後からリーダーの男に抱きつかれ、たかと思えば間抜けな声を上げて明千花の側にぶっ倒れる。振り返るとそこには、さも何事もなかったかのように平然とした表情のスノゥが立っていた。
「よし、生きてるな」
「あ、あなた……!? い、今何して……しかも、無事だったんですか!?」
「見ての通り。んじゃ、さっさと行こう」
「ま、待ってくださ……ぃッ、つつ……」
「けっこうな怪我してるんだし、医者にも行かないとだから早く」
「ま、待って、ください……ひとつ、だけ……」
「んー?」
変わらず、淡々とした調子のスノゥが軽く首を傾ぐ。
明千花の眼差しは真剣そのもので、それを見たスノゥはめんどくさそうに頬をかく。
「あなたは、何者……なんですか?」
「だから、アタシは【焔雪 ―ホムラユキ― 】って異名の“魔女”で……あぁ、めんどくさい。その辺もろもろ、後で全部説明するから、今はここから早く出るよ」
「で、でも……わ、ひゃ!?」
埒が明かないと判断されたスノゥは彼女を抱えて出口へと向かって走り出す。
同じ女性に軽々と抱きかかえられた明千花は諸々の意味で驚き、そして走るスノゥの顔を間近で見て――何故か、頬が熱くなるのを感じていた。
「にゃ、なにゃ……!?」
「喋ると舌噛むって」
「ちが、違うん、です! あ、あの……の、ぅ……」
言いたい事や訊きたい事が山ほどあるのに、緊張が切れた明千花の身体はゆっくりと力を失って、やがてスノゥの温かな胸の中に意識を落としてしまった。
うーん、5分遅れた;
非常に申し訳ない。
次回更新は、しっかり、明日の22時ピッタリにします。
では、待て次回。