怒れない男 1
Y次郎は自宅のマンションの屋上で悩み苦しんでいた。
悩みというのは今夜の晩ごはんは何にするか、などというありふれたものではない。今まさにY次郎が立っている屋上から身を投げ、自らの命を絶つか否かというものである。
「俺が一体何をしたっていうんだ?」
誰へもなしにつぶやいたY次郎の言葉は八月の夜にしては冷たい風にさらわれるかのようであった。
「父さん、母さん、ごめんよ。まだ親孝行もできてないのに犯罪者、いやそれ以上に危険なもんになっちまった」
柵を乗り越え、屋上の縁に立ってみれば先ほどから吹いている冷たい風がさらに強くなったように感じた。
死への恐怖も、まばらに光る幻想的に光る町明かりを見ればやわらいでいくようであった。
「俺は死ななくてはいけないんだ、死なないと!これ以上、誰かを危害にさらす前に」
Y次郎は自分に言い聞かせ、鼓舞し、少々のためらいの後、一歩を踏み出した。だがー
「だ、だめだ!死にたくない、死にたくない!」
弾かれるように飛び退き、がしゃりと柵にしがみつくY次郎。へなへなと柵の内側へと崩れ落ち、仰向けにひっくり返るとまばらに星が広がる都心の夏の夜空を見上げた。涙で顔はぐしゃぐしゃになっている。
自殺を思いとどまった安堵の表情から、段々とY次郎のそれは厳しいものへとなってゆく。
「だいたい、なんで俺がこんな目にあわないといけないんだ?。なんで、なんでこんな」
あまりにも不条理だ!!と、Y次郎が叫んだその瞬間。屋上から階下へと繋がるドアがバリバリとけたたましい音をたてて、まさに弾け飛んだ。
木っ端微塵、見るも無惨な姿となった鉄製のドアを横目にY次郎はあきらめたように息を吐き出した。彼の悩みとは、この突如目覚めた特殊能力のことである。