五
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「で、還……や、還己はどこまで知ってる?」
日差しが傾き、部屋も朱色に染まる頃、町に出て菓子を買って来てくれた随犁が、餡の入った餅を頬張りながら訊いた。
「知ってる、とは?」
私もそれを一口かじる。
「んーと、この国のこと。あるいは、この世界のこと。はたまた神子、神女のこと。何でもいいけど」
「神女?神子は教えてもらったけど」
随犁はきょとんとして、少ししてため息をついた。やれやれ、と言わんばかりに。
「解犁のやつ、教えてないのかよ。神女っていうのは、言わば神子の女。男は神子って言うけど、女は神女。呼び方が変わるだけだけど、間違えると色々煩いんだよ」
「へえ。なるほど」
「天皇のことは聞いた?」
私は頷く。
「この世界の創造主だとか、全国民の君主だとか。あと、神子を……神女もか。作ったって」
「そう。おれ達は王を選ぶ」
「王を?」
うん、と言った後に、随犁は俯く。
「何人か選ばれるんだ、候補に。その中で一番波長の合って、この人なら絶対いい国にしてくれると思った奴を選ぶ。候補は天皇が決める。候補以外から選ばれたこともないわけじゃないけど、大体はそうだな」
「じゃあ、依怙という人も?」
「まあ……」
依怙、という名を出すと何故か解犁も随犁も曖昧な返事をする。あまり快く思っていないのだろうか。
「他の国にももちろんいる。おれがよく遊ぶのは、隣の莱国の神子で、鏡莱っていう奴」
「遊ぶ?」
怪訝そうに眉を顰めると、彼は慌てて口を噤み、焦ったように笑みを浮かべた。
「暇なんだってば。解犂が万能なんだって、本当」
慌てて言い訳をする随犂に私はため息をつく。
「……そういえば、解犂も随犂も黒髪だな。さっき六帆も言っていたけど、神子というのと何か関係があるのか?」
「ああ、そうだな。神子は普通黒髪なんだよ。例外もいるけど……鏡莱は例外。銀髪だから」
「へえ……」
日本では黒髪が普通だったから、なんだか変な感じがする。そういえば六帆の髪は、藤色だった。私は疲れて眠っている六帆を少し微笑みながら見る。
「本人は……鏡莱は、自分が嫌いみたいだけど。銀髪も綺麗なのになあ」
「やっぱり、一人だけ黒髪じゃないと疎外感とかあるんじゃないかな」
「疎外感、ねえ。よく分からないけどさ。ええっと……そうだ、解犂は今日帰ってこないって?」
私は頷く。崇栄とやらと話しているのだろう。どんな重要な話か皆目見当もつかないが。
「じゃあおれはここにいろってことか」
「え……」
苦笑しながら呟く随犂を見上げる。
「大丈夫だよ。別に、寝込みを襲ったりしないから」
「誰もそんなこと心配してない」
呆れながら言うと、彼はけらけらと笑う。解犁の計らいだろうということは私でも分かる。こちらのことがまだ分からない私を気遣ってくれているのだろう。
「何か、不思議だな」
「何が?」
不思議そうに首を傾げる随犁に、私は笑う。
「私はこちらに来たばかりなのに、そんなに戸惑ってないなって思って」
「ん……でも」
「解犁は私はこちらに住んでいたことがあるって言っていたけど、私は全然覚えてないんだよ、随犁」
「そのうち思い出すよ」
私はそれに苦笑する。
「そうだといいな……」
随犁はそれには何も答えなかった。
少しして六帆が起きると、随犁は散歩してくると言い残して宿を出た。自由な人だと呆れたが、特別止める理由もなかったので見送った。そして六帆は、そろそろ帰らなきゃ、と時間を確認して焦っていたのでさっきの件も含め心配だったので、彼女の家の近くまで送った。
その帰り。
「依怙様!」
前方から聞こえた聞き慣れた名前に、私は歩みを止めた。
「なんだい、解犁」
解犁、と私は眉を顰めた。咄嗟に物陰に入り、気配を殺す。
「何故風諭に……!鳳犁宮からは出ないと、言ったではないですか!」
何やら怒った風の解犁の声に、少し低めの女の声が答える。
「いいだろう、別に。ここは私の国なんだ。しかも私は王だぞ?してはいけないことなどあるまい」
やはり依怙とは王だったのか。王が風諭に来ているなんて。
「護衛も神子も付けずに外出するのは控えて下さい」
「解犁。お前が宮を出ていたら私は外に出られないではないか。だから一人で来たのだ。お前を迎えにな」
すっと人影が二人横切った。
解犁ともう一人、緋色の髪をした如何にも高級そうな衣服や装飾を身に纏った女。あれが依怙……この国の王。赤色の紅がよく目立つ、長身で少しつり目、瞳は燃えるような赤。風諭のような区長とは言えど、田舎とも言える町に、不似合いだった。
「それに解犁……お前が連れてきた娘も気になるしな」
丁度見える位置で立ち止まり、依怙が低い声で言った言葉に私はどきりとした。
解犁が連れてきた娘ーーーそれは、私ではないだろうか。あのお喋りな門番が言ったのか?
「何をおっしゃいますか。私は一人で風諭に来たのです」
「では門番が言ったのは嘘か」
内心呆れる。あの門番、どこまで喋りたがりだ。王が来たら、少しは慌てたり緊張したりするだろうに。
「女と風諭に入ったのは確かですが、連れではありません。たまたまです」
解犁は否定する。日本から連れてきたというのがばれたらまずいのかもしれない。
「……そうか。では、信じよう」
ほっと息を吐く。しかし。
「だがお前が嘘をついているとしたら、その娘はお前に嘘をつかせている、と考えていいのだな?」
「……依怙様」
「神子に嘘をつかせるなど、とんだ大罪だ。処罰は厳重にせねばな」
にやりと寒気のするような笑みを浮かべた。私はそれを見て、冷や汗が出る。彼女に見つかってはならない、そう思った。
「私は嘘をついてなどいません」
解犁は言う。だが、依怙は依然、意味深長な笑みを浮かべているばかりだった。
「まあ戯言もそのうち言えなくなるだろうな。私はここの宿に泊まる。最高級の宿に案内せよ」
「……畏まりました」
二人は遠ざかって行く。足音が聞こえなくなったところで、私は息を吐いた。見つかりはしなかったがこれはまずい。何とかしてこの町から出なければならない。
出来るなら、解犁の力を借りずに。
手に力が入る。随犁は一緒に来てくれるだろうか。
ゆっくりと立ち上がり、路地から出た。
「あ、おい」
唐突に声をかけられ、ばっと後ろを振り返る。その姿を見て私は安堵の息を吐いた。
「随犁か……」
散歩から帰る途中だろうか、彼は手を頭の後ろで組んで立っている。
「あいつ、情報だけは早いのな」
「え?」
「依怙だよ、依怙。自分の損得に関わる情報だけは仕入れるの早いんだよ。本当呆れちまう」
そう言って、随犁は肩を竦める。どうやら先ほどの解犁と依怙を見ていたらしい。
「主人だろう?」
「そうだけどさ……」
苦々しげに言う彼に疑問を抱いたが、今はそれどころではない。この町に長く留まれば依怙に見つかる。私だけがまた罰を受けるのなら構わないが風諭が巻き込まれては駄目だ。
私ははたと顔を上げる。
ーーーまた?
「……依怙」
随犁が怪訝そうにこちらを見る。
「いや、何でもない」
首を振ると、彼は更に怪訝そうな顔をしていたが何も言わなかった。
私は、依怙のことを知っているんじゃないだろうか。そして、彼女も私を知っている。それはきっと、思い出せない遠い昔の出来事だ。
「そうだ、随犁。こんなことをしている場合じゃないんだ。私が依怙に会ってしまったら大変なことになる」
「うん。聞いてた」
「急いでここを出よう。荷物は……」
宿屋だ、と言いその方向に進みかけた私の袖をくいっと随犁が引き止める。
「最高級の宿に行くって言ってたよな?あの人は」
言われて、解犁と依怙の会話を思い出す。確かそんな風に言っていた。
「だったら、還己は戻るな。戻っちゃ駄目だ」
「だけど、荷物が」
「お前が泊まろうとしてた宿がこの町で一番なんだ。だから、駄目だ。もしかしたら解犁が二番目に案内してるかもしれないけど、でも依怙も風諭を全く知らない訳じゃない。一番のところに行ってる可能性のが高い」
「そうか……でも、どうしよう……」
お金も宿屋にある。他の荷物は正直どうでもいいが、お金がなかったら食べ物なんかも買えない。依怙から逃げたことで飢え死にするだなんて馬鹿馬鹿しいことこの上ない。
そんな私を見て、大丈夫、と随犁が笑う。
「おれだって一応、神子なんだからな?解犁とあの人が同じ部屋になることはないだろうから、おれが宿屋に戻って解犁に話してくるよ。その間に還己はここから出るといい」
「……道が分からない」
「大丈夫だって。あっちにも門がある。還己達が朝入ったところとは反対側」
随犁が指を差す。
「門を出たら道は暫く一本だ。迷うことはない。分かれ道に着いちまったら、右手の道を選ぶんだ」
「約紡という町に行くと言われたんだ、解犁に。その道でいいのか?」
「うん」
私は不安ながらも、しっかりと頷いた。ここで竦んではいけない。
「じゃあ還己は早く向こうに……」
「ーーーちょっと待って!」
聞き覚えのある声が背後からする。驚いて振り向くと、六帆が汗を流しながら立っていた。走ってきたのかもしれない。
「六帆、どうしてここに」
「ぬ、盗み聞きしてごめんなさい。宿に忘れ物して……取りに帰ろうとしたら還己がいて、随犁さんもいて……それで何か、還己が町から出るって言ってたから、思わず飛び出しちゃったんだけど」
彼女は気まずそうに上目遣いで私を見上げる。怒られると思っているのかもしれない。
「私も今さっき盗み聞きしてたからな。人のこと言えない」
苦笑いをすると、彼女も少し笑う。
「六帆の言う通り、もうこの町を出る。ちょっと事情があって」
六帆は少し俯く。やがて顔を上げ、強い意志を持った声音で言った。
「私も連れて行って」
それに私は驚き、目を見開く。随犁はすぐに首を横に振った。
「駄目だ。お前は連れて行けない」
「私は還己に言ってるのよ」
「おれは一度に二人も守れる自信がない。還己、何とか言ってやれ」
私は頷く。
「六帆、悪いけど駄目だ」
「足手まといになるのは……分かってる。でも、そうならないように頑張るから」
「危険だから駄目だ。正直に言えば、相手は犁国の王……私だけならいい。でも、六帆まで巻き込めない」
王、と聞いて六帆の顔色が変わった。心配そうな瞳で私と随犁を見上げる。随犁は安心させるように笑った。
「だーいじょうぶだって。還己なら心配ない。おれだっているんだからさ」
その言葉に六帆は首を傾げる。
「あ、そうか……嘘言ってたっけ。おれ、一応神子な」
え、と驚いたように声を上げる。そして彼女は私の手を引いた。
「神子なら信用できないじゃない。神子ってのは王に仕える者でしょ?なら随犁、あなたは還己の敵じゃないの?」
六帆はきっと随犁を睨む。彼は呆れたようにため息をついた。
「おれは還己の味方だ。……解犁も」
真面目な顔で言う随犁に、六帆も私も黙る。風が吹いた一瞬、私は一歩踏み出して手を差し出した。
「信じるよ」
随犁はそれを聞いて笑い、手を取った。私は知っている。彼が真面目な顔をする時は、決して嘘をついていないこと。
六帆も難しい顔をしていたが、やがて顔を上げ随犁を正面から見た。
「還己に変なことしたら、許さないから」
「するわけないだろ」
少し安心したようにふっ、と随犁は笑った。