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クラウン  作者: あまひら。
一章
5/6

 4


 少女は名を六帆むつほと言った。

 六帆は藤の花のような髪をひとつに括っていて、年頃は十歳かそこらだろう、背は大きくなかった。

 その少女が私の腕を掴み、路地裏へ連れ込む。

「ええと……?六帆……ちゃん?」

「ちゃん付けしないで」

「六帆。あの、何か?」

 彼女は私を見上げる。

「日国から来たのよね?」

「日国?」

 私が首を傾げると、彼女は私を指差した。

「こんな服、見たことないもの。犁国では」

「ああ……」

 もしかして、日本のことを言っているのだろうか。日本をこちらでは、日国と言っているのか。解犁もそれを言ってくれればいいものを。

「日本のことか」

 一応、確認はしてみるが、日本と言っても六帆には分からないようで、首を捻る。

「日本?」

「向こう側の世界、だろう?」

 そう言うと、ああ、と納得したように頷いた。

「日本って言うのね」

「うん。それで……何?」

 こんな路地裏へ連れてきて、何なのだろう。

「その、日国の話を聞かせてほしいの。すごく豊かなところなんでしょ?飢えとか、飢饉とか、全然ないって聞いた」

 期待したような目で六帆は私を見る。どうしたものか、と悩んでいると、彼女は提案をする。

「話を聞かせてもらう代わりに風諭の案内をしてあげるわ。どう?」

 確かにそれはありがたかった。ここの地理に疎い私を案内してくれると言うのなら、その好意を素直に受け取っておこう。日本のことを話しても、別に何が悪いというわけでもない。

「じゃあ、それで」

 私が微笑むと、六帆はぱっと明るい表情をした。

「ありがとう。とりあえず、こんな路地裏から出ましょう。どこか見たいところは?と言っても犁国は初めてよね、きっと」

「初めてだな……ああ、そうだ。風車を近くで見たいかな」

「風車?そんなところでいいの?」

 驚いたように言う六帆に、私は頷いた。

「変わった人ね。いいけど。じゃあ行きましょう、こっちよ」

 六帆に言われ、路地裏を出る。大通りを真っ直ぐ歩いた。

 区長、と言ったか。その割りに人は少なく、豊かというよりも寂れた感じが強い。解犁は比較的豊かだと言ったが、これでましな方ならば、他の町はどうなのだろう。

「難しい顔をしてるわね」

 六帆に言われ苦笑する。

「日本とかなり違うから」

「そりゃ、比べられたら困るわよ」

「そうかな」

 六帆は頷く。

「私達にとっては夢の国よ、日国……日本は」

 六帆は悲しげな表情だった。何と言葉を掛けていいか分からず、黙り込む。道は昼頃とは思えない程閑散としていた。どこからからか吹く風が、夏だというのに嫌に冷たく感じた。

 風車の前は小高い丘のようになっていて、草はあまり生えていなかったが、少しばかり緑があった。風車は近づくと本当に巨大で、見上げると眩暈のするような高さである。

「……すごいな」

 思わず感嘆の声を漏らすと、くすくすと六帆が笑った。

「そんなに?とりあえず、座ろう。少し歩き疲れちゃった」

 六帆は薄い草原に腰を下ろす。なるほど、風車は町外れにある訳だ。こんなに巨大な風車が、町中にあったら邪魔そうだと思った。

「日本の何を聞きたい?」

 腰を下ろしつつ尋ねると、六帆は笑う。

「何でもいいけど……そういえば、あなた名前は?」

「ああ、名乗ってなかったな。還己、という」

「姓は?日国の人はあるって聞いたわ」

「永瀬。永瀬還己」

 へえ、と六帆は言う。

「こちらにはないのか?名字」

「無くはないけど、偉い人だけ。ええと、今この町に来てる崇栄様とか。確か

 崇栄様の姓は……荘行そうぎょう

 崇栄。確か、解犁が呼ばれたっていう人だ。

「その崇栄って人、偉い人なのか?」

「そうよ。官僚様だもの。あんまり王宮の人が来ることってないから。しかもこんな風諭みたいな小さな町に。すぐ噂が広まっちゃうの。門番さんもお喋りだから、官僚様が来た、って私達みたいな庶民も崇栄様が来られたことを知ってる」

「確かにお喋りな門番だった」

 解犁に向かって崇栄様がいる、と軽く言っていたし。

「でも、風諭は区長なんだろう?年に何度かは王宮の者が来そうなイメージがあるけど」

 六帆はふるふると首を振る。

「全然。風諭は確かに区長だけど、区長の中では貧しい方。西の方は、貧しいところが多い。食べるものに困ることもあるわ。……だから、日国に憧れてるの」

「憧れ?」

「飢えもない、飢饉もない、戦争もない幸せなところだと聞いたから」

 それを聞いて、私はため息をつく。不思議そうな顔をする六帆。

「夢を壊すようで悪いけど、六帆が思ってるほど良くはないよ。自分で命を絶つ人だって多かったし、それに、今日本は戦争をしてないけど、他の国では続いているところもあるし」

「他の国?日国の他にもあるの?」

 目をぱちくりとさせて驚く六帆に私は微笑んだ。

「あるよ。覚えきれないくらい」

「へえ……」

 初めて知ることに、彼女は喜色を浮かべる。しかしすぐに、眉間にしわを寄せた。

「でも、戦争とかあるのね。日国じゃないところで」

「うん。日本はあまり飢えとかはないけど」

「それだけで十分幸せだと思うわ」

 六帆は立ち上がる。

「私ね、日国に行きたいの」

 その表情は、至って真剣だった。

「単なる憧れだし、自分勝手だと思う。飢え死にしたくないって、少しでも幸せになりたいって、思ってる。親には悪いけど」

「……親は」

「死んだわ。飢えで」

「…………済まない」

「ううん。親が飢え死にするところを見たから、自分はあんな惨めな死に方をしたくない。惨めな思いをしたくない。だったら、夢の日国に行きたい」

 言って、ぎゅっと固く拳を握りしめる六帆。私は俯く。

 戻るのには重大な理由と莫大な費用が。そう解犁は言っていなかったか。だったら、六帆はきっと、日本には行けない……。

「ねえ、行けると思う?」

 私の心を見透かしたように、彼女は問うた。

「それは……」

「本当のことを言っていいわ」

「……向こうに行くには重大な理由と、莫大な費用がかかるらしい。私でも戻れない」

「……そっか」

 六帆は笑ったが、やはり少し悲しそうだった。私は立ち上がる。

 小高い丘から見渡した小さな風諭の町は、いかに町が寂れているか明らかだった。

 ーーー昔はここも緑の草原だったのに。

「…………あ」

「……還己?」

 声を漏らした私に、首を傾げる六帆。

「ここって、前は草原だった……?」

「それは分からないけど……でも、緑が減ってるのは確かだと思う。どうして?」

「いや……何か、ここに来たことがあるような気がして……」

 いつだったろう。ここからの景色を、どこかで見たことがある。誰かと一緒に。

「いつ?初めて来たんじゃないの?」

「分からない……思い出せない。でも、確かにここに来た……」

 思い出そうとすると、思考がぼやけてくる。霧がかかったようにもやもやとして、輪郭すら掴めない。

 何やら難しい顔をしていたようで、六帆が心配そうに覗き込む。

「そんなに思い詰めること、ないわよ。いつかぽんって思い出すから、きっと」

「……そうだといいな」

「そうよ、絶対。ねえ、ずっとこんなとこにいてもぱっとしないし、今の時間なら人もちらほらいると思うわ。町の中を案内してあげる」

 明るい笑顔で彼女は言う。元気付けようと気を使ってくれてるのが分かった。私の方が恵まれた環境で育ってきたというのに、情けない。

「ありがとう」

 私が笑って礼を言うと、六帆もまた笑った。

 丘を降りて町へ行くと、幾分か先ほどより人がいて、市場にもほんの少しだが活気があった。大通りに並んでいる店からはいい匂いが漂ってくる。そういえば、と私は立ち止まる。

「どうしたの?」

「確か、宿に解犁が置いて行ったお金があると思う。取ってくるよ」

「かいり?」

「ちょっと待ってて」

「ええ?ちょっと還己!」

 私は大通りを走る。宿屋の場所は覚えている。

 部屋に行き、小袋を持つ。小袋は見かけによらず、ずっしりと重かった。走ってさっきの場所まで行くと、六帆の姿がない。どこだろうと周りを見回しても、姿が見えなかった。

「ちょっと!離して!」

 そう路地裏から叫び声が聞こえた。

 ーーー六帆だ。

 私は身を翻し、路地裏に駆け込む。すると、数人の男と、その男に腕を掴まれた六帆が見える。

 どうする。このままでは返り討ちになる。

 私の視界の端に、木の棒が映った。咄嗟に手に取り、駆け出す。

「んだよ、全然持ってねえ」

「仕方ねえ。区長とは言え、貧しいもんはーーーっ痛え!」

 男らは一斉に私に視線を向ける。六帆は戸惑ったように、そして絶望したような顔で私を見た。

 一人の男が手で後頭部を押さえている。私が木の棒で叩いたのだ。男は怒りで紅潮した顔で睨みつけた。

「何だ、お前は」

「その子を離せ」

 一人の男が馬鹿にしたような笑みを浮かべる。

「小娘。こいつの知り合いか?」

「そうだ。離せ」

「生憎だが、この娘は俺達の荷を盗もうとした。ただじゃ返せねえんだ」

「嘘よ!そんなことしてない!」

 たまらず六帆が叫ぶと、男が彼女を殴る。瞬間、私はそいつらに攻撃をしていた。

 六帆を殴った男はその場に倒れ込む。他の男は激昂した。

「小娘……許さん!」

 一人が拳を振り上げる。それを私はするりと躱した。何故だか、体が勝手に動く。男の鳩尾辺りに木の棒を命中させ、男は痛みで顔を歪め、その場に膝を折る。

「還己!後ろっ!」

 六帆に叫ばれても、遅かった。背後にいた男は斧のようなものを振り上げている。

 ーーー殺される。

 そう思った。

 しかし。

「ぐっ……」

 男は呻き声を上げ、その場に倒れた。私が訳も分からず呆然としていると、男の背後に少年がいたようで、その少年が助けてくれたらしい。

「大丈夫か?」

「あ、ああ……」

 少年は私と同じくらいか、下くらいかの年齢で、身長は私より低い。黒い髪を後ろで束ねている。武器を持っていないところを見ると、蹴り倒したかしたらしい。

「全く。無茶なことするなよなー。で、御嬢ちゃんも大丈夫かい?」

 地面にぺたりと腰を抜かしている六帆に少年は問いかける。六帆はこくりと頷いた。

「ほら。立てるか?」

 手を差し出して、立ち上がらせる。

「六帆、大丈夫?」

 私もそばに寄って訊くと、彼女は頷く。顔には殴られた後が残ってしまっている。

「宿屋に行って手当てしよう。君は、ありがとう。ええと……」

随犁ずいり)

 少年は名乗る。

「随犁さん、ありがとう」

「いや。あんたについてっても構わないか?」

 唐突な問いかけに、私は戸惑う。助けてくれたのはありがたいけれど、見ず知らずの人について来られるのは、何だか嫌だ。

 複雑な心境を読み取ったように、彼は苦笑する。

「解犁の知り合い」

「解犁の……?」

 驚いて目を見開くと、彼はうん、と頷いた。

「分かった。行こう」

 解犁の知り合いなら大丈夫。何故だかそんな気がした。

 六帆と随犁さんと共に、宿屋へ向かう。男達は放置でいいと言われたので、仕方ないが放っておいた。部屋に戻ると、六帆の手当てをしてやる。殴られた傷は腫れて、痣になってしまっていた。手当てをしている私を、随犁は窓枠に腰をかけながら見ていた。二階だから危ないと注意したのに、彼は大丈夫だと言ってそこに座ったままだ。

「ねえ、思ったんだけど」

 と、濡らした布を頬に当てている六帆が言う。

「黒い髪だし、名前の最後が『り』だし……どんな字を書くのかは知らないけど、何だかお金持ちそうだし。もしかしてあなた、神子なんじゃないの?」

 彼は頬杖をつく。

「んーどうかな」

「分からないの?」

「分かんねえなあ。おれ、気にしたことないし。ていうか、そこの嬢ちゃんも黒髪じゃん」

 六帆は私を見る。確かに、私は黒髪だけれど。そんなに珍しいものなのだろうか。

「まあ……そうだけど。でも還己は、日国から来た人だし……」

 六帆は目をこすり、小さく言う。

「どうしたの?平気?」

「うん。ちょっと、疲れたみたい」

「寝てていいよ。どうせ、解犁は帰ってこないし」

 うん、ともう一度頷くと、六帆は寝台に寝転がった。少しすると、静かな寝息が聞こえた。本当に疲れたみたいだ。安心したように眠っている六帆を見て、微笑む。

「えっと、随犁さんは解犁の知り合いって言っていたけど」

 彼はいつの間にか、窓枠から降りて壁に寄りかかっていた。

「うん、そう。呼び捨てでいいよ」

「知り合いってどういうこと?」

「そのまんま。まあ、知り合いって言うより、仲間というか同職というか」

 ということは、彼は。

「さっき分からないって言っていなかったか?」

 随犁は悪戯っぽく笑う。どうやら嘘をついていたらしい彼に、私はため息をつく。

「おれ、神子ってばれたくないし」

「そういうものなのか?」

「おれが嫌なだけ。でもまあ、今は神子って言うより、密偵って感じ」

「密偵?」

「そう。依怙って奴がさ……二人も要らないって言って、解犁だけ神僚として使ってやがんの。おかげでおれは暇人。解犁の近くにいて、いつでも対応できるようにはしてるけど、何しろ解犁は有能だから出番があんまりない」

「依怙……」

 私は呟く。ここに来てからもそうだが、来る以前にも聞いたことがある気がする。思い出そうとしてもやはり靄がかかったようだ。

「今回はまあ、役に立ったけど」

 にっと笑って随犁は言う。首を傾げると、得意気に手を腰に当てた。

「解犁に言われておれ、あんたのこと助けに来たんだよ。おれじゃなかったら間に合わなかったし」

「そうだったのか……ありがとう随犁」

「解犁から守るように言われてる。暫くお供させてもらうぞ」

 解犁に気を使われてたのか。私はそれが何だか嬉しくて、微笑む。

「ありがとう。よろしく」

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