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クラウン  作者: あまひら。
一章
3/6

 2


 授業も終わり、部活に所属していない私は帰宅途中、ずっと考えていた。

 行くか、行かないか。

 そもそも、本当に犂国なんていう国が存在するのだろうか。解犂が言ったことが本当だとは限らない。何か悪い夢だと思えばそれでお終いにできる気がする。

「……還る」

 ひとり、そう呟いた。

 私はどこに還りたいのだろう。もしかしたら犂国なのかもしれない。

 名前すら知らなかった国に。あり得ないことかもしれないけれど、そう思った。

 家の鍵を開け、中に入る。私の家は特別広くもなく、かと言って狭くもなく、普通の二階建ての一軒家だった。玄関を上がり、廊下をまっすぐ進んだ左の突き当たりにリビングがあり、母がそこでテレビを見ていた。

「あら、還己。おかえり」

 私に気づいた母は言う。それに少し微笑んで、答えた。

「ただいま」

「今日は変わったことはあった?」

 母の問いに、私は横に首を振る。

 母は、とても心配性で、少し消極的な私を心配し、学校から帰ったりするといつもそう訊く。変わったことはないか、何かされていないか、と。実際、中学の時はクラスの人から無視されていた。

「変わり者だ」とか、「暗い」だとか、一番よく言われたのは「どこを見ているのか分からない」だ。私は時々、宙を仰いでいた。そういう時大抵、還りたいと思っていた。それが他人には不気味に見えたのかもしれないと納得していた。

 無視だとかを辛いと思ったことは決してないのだけれど、どこかを通じて母に伝わり、それ以来こうだ。

 そんな母の前から、私が消えたらどうなるのだろう。きっと、とても心配する。やはり学校で何かあったのじゃないか、と思うだろう。

 テレビ番組を笑って見ている母の横を通り過ぎ、階段を上って自分の部屋に入った。

 朝開け放したカーテンを閉め、着替えを済ませてからベッドに寝転がる。

「犁国……」

 どんな国だろう。豊かな国だろうか、貧しい国だろうか。日本とどう違うのだろう。そんなことを目を閉じて、想像してみる。

 高い山が見えるだろうか。大きな宮殿がある。賑やかな市場がある。勝手な想像をしてひとり、くすりと笑った。

 夕飯だと呼ばれて、私は起き上がって下に降りる。リビングで母が、テーブルに食事を並べていた。それを手伝い、完了して、椅子に座る。

「いただきます」

 言って、食事にする。

 私は兄弟はなく、母と父と、三人家族だ。父は夜遅くに帰ることが多く、夕飯は母と二人で、ということがままあった。

「……お母さん」

 母は顔を上げてこちらを見る。

「もし、私が家出したら……どう思う?」

 犁国に行くことは、家出のようなものだ。気が引けたが、自分では中々、母の気持ちが分からない。心配する、ということくらいしか。

「……そりゃあ、寂しいかね。心配するし、何より自分らが至らなかったのかって。無理させていたのじゃないかって。何、家出でも企んでるの、還己は」

「そんなことはない。ただ……」

 慌てて否定し、俯く。母は怪訝そうに私を見る。

「まあ、自分で決めた道なら止めはしないよ、お母さんは」

 その言葉に、ぱっと顔を上げると、母は優しく微笑んでいた。それに堪らず、涙が出そうになる。

「……どうしたの、還己」

「私……私、行きたいところがある」

 震えそうになる声で、素直に告白した。

「家出とかじゃない。お母さんもお父さんも、学校も大切。だけど、どうしても行きたいの」

 犁国へ。今行かないと、きっともうチャンスはない。解犁が私を呼んでいる、今しか。

「それは、どこなの?」

「……外国」

 そう、と母は頷いた。

「知り合いが、連れて行ってくれるって、今日言ったの。お金とか、きっと要らない。でも……」

 でも、と次の言葉を紡ぐのに少し時間がかかった。これを言ったら、母は私を送り出してくれるだろうか。止めずに、行ってらっしゃいと言ってくれるだろうか。

「でも?」

 母は先を促す。私は深く息を吸って、静かに言った。

「もう家に帰ってこれないかもしれない……」

 しん、と静かな家が更に静かになり、重苦しい空気が漂った。

 ややあって、母が口を開く。

「……自分で決めた、のよね」

 その言葉に私は頷いた。

「なら、お母さんは止めないわ」

 母は涙声で言う。優しい笑みだった。

「……ありがとう、お母さん」

 心の底からそう言って、私は最後になるかもしれない、母の手料理を噛みしめるように食べた。

 食事の後、母が言う。

「お父さんには言っておくから。大丈夫、きっとお母さんと同じ気持ちだから」

 私はありがとう、ともう一度言って、自室に戻った。

 何を準備すればいいのか、全く見当がつかないので、鞄にメモ帳と、ペンだけ入れておいた。きっと明日、解犁が迎えに来て、一度家に帰ってから犁国へ向かうのだろう。

 時計を見ればもう九時過ぎだ。

 私は立ち上がって風呂に入り、それから寝る支度をした。髪が腰のあたりまであるので、風呂に時間がかかってしまう。支度をする頃には十時前だった。

 布団に入り、うとうとと微睡みながら、犁国に想いを馳せる。

 両親や友人と別れることは悲しかったが、それより、楽しみな気持ちが大きかった。


「ーーー還殿」

 そう低い声がして、私は目を覚ます。目の前に解犁が屈んで、静かに私を呼んでいた。

 私は驚いて身を起こすと、彼は人差し指を口に当て、静かに、と小声で訴えた。

 時計を見れば、夜中の一時くらい。

「お休みのところ、申し訳ない」

「……どうしたの、こんな夜中に」

 物音に気を使って、ベッドの淵に腰掛けた。

 解犁はすっと立ち上がって、手を差し出す。これは、昨日の。

「決めましたか?」

 手を取れば、私はここへ戻れない。いざ、となると、少し躊躇う。

 けれど。

「決めた」

 私は静かに、彼の手を取った。解犁はそれを見て、少しだけ微笑んだ。

「貴方はきっと、私共をお救いになるでしょう」

「それは……よく、分からないけれど。でも、早かったわね。てっきり今日の夕方とかに来ると思っていた」

 まさか夜中に来るなんて、思いもしなかったけれど。

「……どうして決められたのです」

 解犁は不思議そうに首を傾げる。

「誘っておいて、それ?」

「不思議なのです。昼間はあんなに渋っておられたのに」

「そう……ね。母が、背中を押してくれたから。それに元々、興味がなかった訳じゃない」

 そうですか、と彼は頷く。さして興味もないようだ。ただ何となく訊いた風であった。

「あ、ねえ。解犁さん」

「解犁、でよろしいと申し上げました」

「……解犁」

「はい」

「服は、動きやすい方がいい?」

 訊くと、静かに頷いた。

 だとすると、どうしようか。迷った末に、制服でいいかと思った。

「ちょっと、出ててもらえる?着替えたい」

「承知しました。後ろを向いています」

「……出ててもらえる?」

「ですが」

 逃げられでもしたら困る、と言いたげな視線に、私はむっと眉を寄せる。いくら何でも、ここで選択を変えたりはしない。

「出てて」

 少し強めの口調で言うと、解犁はため息をついて、窓枠に片足を乗り上げてこちらを向く。

「終わったら呼んでください。外にいます」

 そしてひらりと舞い降りる。私は不思議と、二階から飛び降りても解犁なら平気だと感じたので、ちらりと見たくらいで特に気にはしなかった。

 私はハンガーに掛けてあった夏用のセーラー服を着た。もう季節は夏に近く、夏服を着ても何ら問題はなかった。

「解犁」

 着替え終え、大きな声ではないが、窓から呼びかけた。すると解犁は地面を蹴って、ふわりとこちらに来る。

「終えましたか」

「ええ」

 では、と解犁は手を出した。掴まれ、ということだろうか。

「もう、行くのね」

「はい。手を」

 私は一度、部屋を振り返る。

 ここで過ごした十七年。優しい両親、学校、他にも多くの大切なものがある。それに私は今日、別れを告げるのだ。

 何だろう、この感覚。昔、こんなことがあったような気がする。最も、少し違うけれど。

 一体いつだっただろう。

「……さあ、手を」

「……うん」

 解犁に言われ、振り返るのをやめた。

 手を取ると、ふわりと浮遊感があった。

「浮いてる」

 あっと言う間に私達は電柱よりも高く舞い上がり、町をほぼ見渡せる高さまで来た。夜風が髪をなびかせる。

「まず、駅に行きます」

「駅って、あの電車とかに乗る?」

「はい。そこから犁国へ」

「まさか、繋がっているの?日本と犁国」

「繋がっている、という訳ではありません。私が繋ぐだけで」

 その言葉に私は首を傾げる。

 しかし解犁からの返答は特になく、駅に着いた。そういえば、もうこの時間では終電はとっくのとうに終わってしまっているはずだ。

 それなのに彼はずかずかと駅に入り、改札のバーを気にもせず駅のホームへ行く。私の手を握ったままなので、私もそのままホームへ行った。駅員もいるはずなのに、誰も注意も何もしなかった。

 しん、と静まり返ったホームを見渡す。ホームは不気味な程静かだ。

「本当に、ここ?」

「はい。少し待ってください」

 解犁はそれだけ言って、黙り込んだ。

 何分か経った頃、ふいに電車の様な音が聞こえた。

「来ましたね」

「乗るの?」

「もちろん」

 頷いた時、電車ーーーというよりは汽車と言った方が正しいだろうか。丹塗りの車体に、煙突から煙を吐き出している。段々スピードを緩めていき、ちょうど出入り口のところで止まった。煙を吐き出して扉が開く。

 さあ、と解犁に促され、私は車内に入る。

 中はクラシック調の赤を基調としていて、落ち着いた雰囲気だった。客は私と解犁以外誰もおらず、優しい光が車内を照らしていた。

「お好きなところへお掛け下さい」

「ああ……うん」

 私は近くの椅子に腰を掛けた。ふかふかとした感触が心地いい。

 少し間を空けて、解犁も腰掛ける。

「寝ても、いいかな」

 何だか突然、眠くなってきてしまった。

「構いません。起きた頃には、犁国に着いているでしょう」

「そう……」

 私は睡魔に導かれるまま、目を閉じた。




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