sweetな監禁生活
「あなたはだぁれ?」
「僕は、ずっと君のそばにいたんだよ」
「知ってる。でもどうしても、思い出せない の」
「そうだろうね」
少女は自分の周りを見渡した。静かな部屋 だった。白いソファに白いテーブル。白い床に 白い壁。ずっと見ていると、白の境がわからな くなるようだった。それから、甘い甘い匂い。
「この匂いはなに?」
少女がそう聞くと、こーたは嬉しそうな顔を して部屋から出た。そうだ。あの人はこーたっ ていうんだった。戻ってきたこーたの腕には、 抱えきれないほどのお菓子があった。それをド サッと床に置き、また部屋から出た。そんなこ とを何回か繰り返すと、お菓子の山はこーたよ りも大きくなった。
「すごい!まだあるの?」
「まだまだあるよ。全部ミカのだ」
少女はハッとした。そうだ。私はミカってい うんだった。
「どうしよう。太っちゃう」
ミカは感嘆のため息を吐いた。こーたが近付 いて来て、ミカに目線を合わせる。
「どんな君でもいいんだ。だからずっと、ここ にいて?大好きだよ」
こーたは言った。声が震えていた。
「こーたは悲しいの?寂しいの?」
ミカはこーたの頬に触れた。こーたは泣いて いた。
「ありがとう。名前を呼んでくれて」
ずっとここにいるよ。ミカはその言葉を飲み 込んでしまった。もちろん、いつまでもここに いられない、という漠然とした予感も。ミカは ただ、こーたの頭を抱いて撫でた。
ミカは目覚めると、お菓子を食べた。お腹が 空くとお菓子を食べた。お腹が空いてなくても お菓子を食べて、こーたに笑顔を見せた。その たびにこーたは嬉しそうに目を細めて、それか らほんの一瞬だけ悲しそうな顔をした。
こーたが用意したお菓子は、どれも本当に美 味しかった。そして特別美味しいお菓子は、 こーたにも分けてあげた。白いソファに二人で 座って、ふわふわした服をお互いにすり寄せ て。二人で食べるお菓子は、もっと美味しかっ た。
ある日、ミカはこーたにお願いをした。
「一度でいいから外に出たいの」
こーたは怒るでも悲しむでもなく、ただ怯え ていた。ミカと目を合わせないままで、震える 手をポケットに入れた。
「それはダメだよ、ミカ」
「どうして?必ず戻ってくるわ」
こーたは力なく頭を振った。
「・・・君は戻ってこない。だからダメだ」
ミカは、ポケットの中のこーたの手を取って 強く握った。目を覗き込むと、こーたは必死で 目を逸らした。
「絶対に戻ってくる。信じて!」
ずっと目を伏せていたこーたが、やっとミカ の瞳を見た。こーたの瞳は驚くほど澄んでいる ことを、ミカは改めて知った。なんだかとても 悲しかった。
「大好きだよミカ。必ず、戻ってきてね」
ミカは喜んだ。こーたに抱きついて何度も礼 を言った。こーたは驚いて、くすぐったそうに 微笑んだ。白い部屋にいる白い少年は、寂しげ に手を振っていた。
扉を開けると、そこも一面白の部屋だった。 その部屋も開けると、急に冷たい空気が入り込 んできた。ミカは、大きな冷蔵庫に入り込んで しまったような気がしたが違った。外にはも う、冬が来ていた。
暖かい部屋にいたから今まで気にならなかっ たが、この服装は冬向きじゃないらしい。ミカ はこーたから貰った袋の中を覗き込んだ。さ あ、何を買おう? ミカは洋服屋に入った。緊張したが、暖かそ うな上着を買って、それからこーたに似合いそ うなマフラーも。選んだマフラーは、やっぱり 白かった。喜ぶこーたが目に浮かんで、ミカは ふふっ、と微笑んだ。
歩いていると、開けた場所に出た。みんなが 集まる広場のようだ。そこでミカはハッと息を のんだ。
広場の真ん中に、大きな大きな木。その木に は、赤や緑や青や黄。色とりどりの光が灯って いた。まるで他の何物にも侵蝕されないという ように、それは存在感を示していた。
「ねぇ君・・・」
青い制服を着た男の人が、怪訝そうな顔で話 しかけてきた。
「君はもしかして・・・?」
「え?」
ミカは首を傾げた。この人は誰だろう。
「君はミカちゃんじゃないか?」
私の名前を、こーたとは違う声で呼ぶこの人 は誰?
「よく聞いて。君は誘拐されて、監禁されてた んだ。よく逃げてきたね。君は今までどこにい たんだい?」
言っていることがわからなかった。大人の人 はみんなこうなのかな。その人は興奮気味にミ カの肩に手を置いた。ミカはそれをとっさに避 けてその人を上目遣いに見た。なんだかとても 怖かった。
「君を監禁してたやつはどこにいる?大丈夫だ よ。お巡りさんがやっつけてあげるからね」
お巡りさん?ミカは無意識に頭を振ってい た。少しずつ後ずさって、お巡りさんが手を伸 ばした瞬間に一気に走り去る。後ろから声が聞 こえたけど、絶対に振り向かなかった。
走っ て、走って、自分がなにをしているのかわから なくなるくらい走った。
帰らなきゃ。帰らなきゃ。
走った。転んだ。持っていた袋はどこかに消 えていた。
帰らなきゃ。こーたが待ってる。
立ち上がると、ぽつんと店が建っていること に気付いた。ミカは吸い込まれるように、その 店に入っていった。
その店は、絵を描く道具が売られている店 だった。ミカはその中で、小さな絵の具セット を手に取った。居眠りしているおばあさんに声 をかけて、ミカは着ていた上着を脱いだ。
「この服とこれ、交換してくれませんか」
扉を開くと、こーたはテーブルに突っ伏して 眠っていた。ミカはそろそろと近付いてこーた の肩を叩いてみる。こーたは薄く目を開けて、 ミカの存在を認めた。途端にこーたは飛び起き て、ミカを抱き締めた。
「ミカ!ミカ!戻ってきたの?もう会えないと 思ってた。それでも・・・しょうがないって」
「泣かないでこーた。ごめんね、袋無くし ちゃったの」
「そんなの・・・そんなのいいよ」
こーたはずっとミカを強く抱き締めていた。 その匂いを、温もりを、全てを確認するよう に。ミカも負けじと抱き締め返した。ここにい るよと言うように。それからゆっくりと離れた 二人は、しばらく何も言わずに顔を赤くしてい た。
「こーたにマフラーを買ったんだけど、袋と いっしょに無くしちゃった」
「うん。ありがとう。また今度買って欲しい な」
「その代わりにね?これ買ってきたの」
ミカはじゃーん、と効果音付きで買ってきた ものを出して見せた。
「絵の具?」
ミカは頷いた。
「外で、とっても綺麗なものを見たの。こーた にプレゼントしてあげる」
ミカの言葉に、こーたは不思議そうな顔で首 を傾げた。一体何をするんだろう。絵でも描くの かな。
次の日ミカは早速絵を描く用意をした。よ し、と腕まくりをして絵筆を構える。緑色を大 量に作って、壁に描き出した。白に緑の線。そ れを見たこーたがとっさにミカの腕を掴んだ。
「ミカ、どうして汚してしまうの?」
「ここに絵を描くの」
嬉しそうなミカの顔を見て、こーたは黙っ た。そのまま見守ることしかできなかった。し ばらく見つめていると、ミカが描きたいものが なんとなくわかってきた。こーたは薄い水色を 作って、ミカのそばで背伸びした。
ミカはうーん、とうなって悩んでいた。細か いところがわからない。すると後ろから手が伸 びてきて、ミカの手を動かした。しばらくその ままにしていると、出来たよ、という声が聞こ えた。
「こーた、知ってるの?」
「これはクリスマスツリーだよ」
「クリスマスツリー?これは何?」
ミカは、クリスマスツリーのそばに描いてあ る水色の何かを指差した。
「雪だよ。雪は本当は白いんだ。真っ白なの に、それなのに、輝いてるんだ。キラキラって ね」
ミカはそれを想像して微笑んだ。
「見てみたい」
「うん」
「クリスマスツリー、こーたに見せたい。あん なに大きいの、こーたでもきっと見たことな い」
「うん」
「ね、いっしょに外に出よう?」
こーたは俯いたまま、目を数回瞬かせた。
「愛おしくてたまらなくって、胸が苦しくて死 んじゃうと思ったから、君をさらってきちゃっ たんだ。ごめんね」
ミカはこーたの手を握った。
「雪が降ったら、クリスマスツリーを見に行こ う」
「・・・うん。ありがとう、こーた」
二人はお互いの手を、ずっと握り締めてい た。
箱を開けると、ミカはそれを口に運んだ。甘 い香りと味が広がる。少しぽっちゃりしてきた な、と思いながらミカは立ち上がってこーたを 探した。こーたは奥の部屋で立ち尽くしてい た。
「こーた?」
「もう無いんだ」
こーたは弱々しい笑顔を浮かべた。
「もうお菓子は無いんだよ。さっきので最後 だったんだ」
声が震えている。それなのに笑顔のまま。何 かを決心したように、いや、諦めたように笑っ ている。ミカは今こそ言ってあげようと思っ た。 お菓子なんかじゃないんだよ。ずっとこーた といるよ。
口を開きかけたその瞬間、乱暴に扉を開ける 音がした。こーたはとっさにミカの前に立っ た。 入ってきたのは、見覚えのある青い制服の人 たちだった。ピカピカの黒い拳銃が見えたと き、こーたはすぐそばにあった椅子で、思い切 り誰かを殴った。倒れた男の人を見て、こーた は立ち尽くしていた。自分のしたことが、信じ られないようだった。
呆然としているこーたの腕を掴んで、ミカは 走り出した。逃げなくちゃいけない。その人た ちはミカとこーたにとって、絶対的な敵だっ た。 走って走って、部屋を出た。銃声が何発も聞 こえた。怖かった。どうしてこんなことになっ たのかわからない。
ミカは、ただこーたとお菓 子を食べていただけで、こーたも全然悪くない し、やっぱりどうしてこんなことになったのか わからなかった。泣きたかったけど、泣いたら 動けなくなるような気がして、動けなくなった ら、すぐ捕まっちゃう気がした。
急に後ろのこーたが座り込んだ。不意をつか れてミカも座る。
「どうしたの、こーた。捕まっちゃうよ!」
こーたは、荒い呼吸を繰り返していた。床に 目を落とすと、白が赤く染まっていた。ミカは 悲鳴を上げそうになった。
「こーた!こーた!どうしたの!?」
こーたは目を細めて、お腹を押さえた。汗が 滴り落ちて、血と混ざる。
「あの人・・・だいじょーぶかなぁ?」
のんびりと、こーたはさっき殴ってしまった 男の人の心配をした。ミカはどうすればいいの かわからずに辺りを見渡した。でも当たり前の ように助けてくれる人はいなくて、こーたを力 いっぱい抱き締めた。
「こんなつもりじゃなかったんだ。僕はただ、 君を幸福な気分にしたかったんだよ」
「お願いもう少し頑張って。この部屋を出れば 外なんだよ?」
こーたは、ミカの言葉が聞こえなかったよう だった。不意に握り締めた手をミカの前に差し 出して口をパクパクと動かした。やっと出た言 葉は、かすれていてよく聞き取れなかった。
「あった。・・・これだけじゃあ、そばにいて くれないよね」
ミカは、その手を握ってこーたの瞳を覗き込 んだ。こーたはある一点を見つめて、それから ふっと微笑んだ。
「ミカ、雪だよ」
ミカは、こーたが見つめていたところに目を 移した。窓から外が見えた。 それは、キラキラ輝く白いものだった。あま りに綺麗で、すぐ壊れてしまいそうで、悲し かった。
「ねぇこーた?」
応えはなかった。こーたは瞳を閉じていた。 ミカはこーたの手を開いてみた。ころころと何 かが落ちた。落ちたのは、ひとつのcandyだっ た。
「ねぇ、こーた・・・こーた・・・お菓子じゃ ないんだよ。好きなのは」
いつからか、涙が頬を伝って落ちていた。ま るで動物のようなうめき声が自分から漏れるの をミカは聞いた。
その一瞬、ミカは世界中の誰よりも大きな声 で泣いた。
好きだよ。大好きだよ。 ここにいるよ。そばにいるよ。君といっしょ にいたいんだよ。
もうその声は届かなくて、ミカの声はだんだ ん小さくなっていった。ミカは立ち上がって、 ふらふらと歩き出した。外に出ると、雪がしん しんと降っていた。思った通り、雪はすぐ壊れ て水に変わった。
それからしばらくして大人たちが見つけたの は、大きなクリスマスツリーに寄りかかって冷 たくなったミカだった。その頬には、白くてキ ラキラした涙が凍っていた。 二人が大事に大事に監禁したのはたぶん、雪のように真っ白な 心───。