挿話 [御伽噺]
「瑶子。ほら、来て?花が咲いたの」
何時のことだったかもはや定かではない。花が咲いた、というからには春かと思うが、それにしては涼しかったような気もする。とにかく、小さなころのこと。
遥子さんは季節の風物の一つ一つ、芽が出たとか葉が増えたとかで喜ぶ人だったから、呼びつけられたこと自体は珍しくもなんともなかった。なのに記憶に残っているのは、なぜだかその日に限って、母が慣れない御伽噺なんぞをしようとしたからだ。
廊下で寝そべりスケッチブックを広げていた私に、遥子さんは中庭から縁側に身をのりだして手招きした。艶やかな黒髪が肩からすべり落ちる。
そのとき示された花がなんだったのかは覚えていない。庭に植えられていた球根だったのかもしれないし、名も知らぬ野の花だったのかもしれない。
×××
「あのねえ瑶子、よく聴きなさい」
縁側の、母の隣に腰を下ろすと、暖かな日光が当たって気持ちがいい。ぷらぷらと裸足の足を揺らすと、母も同じように真似をした。子供でもないのに、妙な掛け声をつけてサンダルを飛ばす。勢いよく飛んだサンダルは向こうの塀にぶつかって落ちた。
あんなに遠くまで飛ばしておいて、取りに行くのは自分だというのに。けんけんで取りに行くのが目に浮かぶ。
「おおー、飛んだとんだ~」
暢気なものだ。一向に話し始めようとしない母に、焦れて問いかける。
「それで母よ、なにをよくきけと」
「いやだあ。お母さんとかママとかマミーとか遥子さんとかはるちゃんとか、言えないのかしらねえ」
「いつもそんなふうにいってないだろ」
「ちょっと思っただけだもーん」
ふう、と母は息をつき、笑顔でこちらを向いた。
「むかしむかし」
「とうとつだなオイ」
前置きも何もなくいきなり話し始めた母に、呆れとともに何をし始めるのか、という好奇心が湧き上がる。母が考えなしにすることは、失敗成功関係なくいつも楽しいから。
「黙って聞きなさい。あのね、結構大事な話なんだからね」
予想に反して、母は拗ねたように口をとがらせながらも声音は真面目そのものだった。
「本当は、まだ早いかとも思ったんだけどね・・・」
母がどこか、遠くを見るような眼をしていたものだから、なんだかとても不安になる。今まで同年代の友達みたいに思っていたのが、急に良識ある大人になってしまったみたいな。自分の親なのだから当たり前のことなのに、いつも、子供の私より子供っぽい行動をしているものだからひどく驚くのだった。
「あのね。あっちとこっちで、二つ、御山があるでしょう」
「うん」
母は、塀の向こうに見える山を指して言った。ごく近い場所に大きく見える一つの山。その向こうに遠く、同じ形をした山がもう一つあった。
山には正確な名前があるのかもしれなかったが、大抵西の山と東の山、もしくは、西の山はお城の山、と呼ばれていた。その名の通り遠くに見える西の山には城跡が、東の山にはどこかの金持ちが建てた高校がある。
×××
むかしむかし
東の山と西の山
ふたつの御山の頂には
それぞれちいさなお城がありました
×××
「東の御山のお殿様が、私たちのご先祖様なの。晃太郎君は西の山の、ね」
「うん」
×××
東の城にはたった一人の美しいお姫様がありました
国中の若者たちはみな彼女に恋い焦がれ
ほかの国のお殿様まで求婚のおくりものをするほどでした
でもお姫様はその誰にも心を許すことはありませんでした
彼女は生まれた時から西の山の若君様と結婚を約束していたからです
城が近い西の国と東の国で、昔からあらそいがたえません
しかしまわりの国は大国ばかり、小国どうしでけんかをしていたらあっという間に亡ぼされてしまいます
そこでふたつの国は
ちょうどおなじ年に生まれたそれぞれの若君と姫君とを結婚させて
ひとつのおおきな国をつくろうとしたのでした
そんな運命の
お姫様は
ある日ほんものの恋をしてしまいます
それは東の山に仕えるしのびのひとりでした
姫がほかの男を愛してしまったことを知った
西のお殿様は怒り狂い
『そんな女など ころしてしまえ』
西と東は戦になってしまいます
にげたふたりは
すぐに西のお殿様につかまってしまい――――――――――――――
×××
「・・・どうなったの?ふたりとも、しんじゃったの?」
黙っていることが我慢できずに、話の途中で口出ししてしまう。ゆっくりゆっくり話す母の腕を握って揺さぶった。
「死んじゃってたら、私たちだってここにはいないでしょう」
「じゃあハッピーエンドだ、やった」
「ううん、それがね、そう上手くはいかなくって・・・」
×××
つかまったしのびは
姫を西のお殿様にさしだし
すがたをくらましてしまったのです
けっきょく
姫は西の国へととつぎ
しのびはちいさな村の娘としあわせな結婚をしたといいます
うらぎられた姫君はこうおもいました
『女はつよくなくては 自分のおもったとおりに生きられない
かしこくなくては 敵をだしぬくことはできない
美しくなくては 好きな男の心も射止められない―――――――――――』
×××
「だからね。東側の宗田の家には、これが家訓に残っているのよ。
ひとつ、強くあれ。ふたつ、賢くあれ。みっつ、美しかれ」
瑶子もこの家訓を守れるように、日々努力しなさいね、と母は御伽噺を締めくくった。
けれど私はそんなことより、物語の結末に不満を覚えるばかりだった。
だってそんなの、お姫様の負け惜しみじゃないか。
「・・・じゃあけっきょく、しのびはお姫様のこと、好きじゃなかったのか・・・?」
「さあ?」
母はいたずらっぽく笑い、自分で考えなさいと言った。けれどそのあと、むっつりと考え込んだ私を見かねたのか、自分の考えも言ってくれた。
「お母さんの考えはね、やっぱり、お姫様の運命の相手はその忍びだったんじゃないかって・・・それだけ」
「・・・そのまま逃げちゃえばよかったのに」
「物語はハッピーエンドがいいものね」
こくんと頷いた。お姫様が幸せになれない物語なんて、悲しすぎる。
母は黙って、やっと花のついた植物を見つめていた。
ぷらぷらと裸足の足を揺らしながら――――――――――――
意図は今でも分からないけど、言うのを躊躇しているみたいに。
「・・・でもね」
「これからそうすることだって出来るのよ」
「・・・?」
「この物語は、まだ終わっていないの。どんな結末にするかは・・・あなた次第なのよ、瑶子」
×××




