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恋せよ乙女、しのぶれど  作者: eyebox
第二話 その少年、忍につき
12/13

その微笑みを、信じる

 間違っている、とは言わなかった。


「どういう・・・意味だ」


「そのまんまの意味さ」


 くっ、と喉の奥で笑う偽塔野。

 やはり何か見落としているのだ。些細な、それでいて重要な。


 偽塔野が近づいてくる分こちらも後ろに下がる。何をしようとしているのかわからないだけに警戒する。


 ・・・塔野め、早く助けに来ないか。邪険にしただけに癪だが、守るといったのだからちゃんと守れ。調子がいいといわれれば何も言い返せないが今やそれだけが頼みの綱なのだから仕方がない。


 ぴたりと偽塔野は足を止めた。自分との距離は少しも変わっていない。


「”防衛反応がなさすぎる”って、言っただろ?・・・ああ、覚えていないんだったか」


 偽塔野は、唐突に右手を差し出した。握手を求めるように手のひらを上向きにして。


「来い」


「・・・?」


 来い、と言われて素直に行くと思っているのだろうか。意図がつかめない。

 なおも、誘導するかのように手を動かす。


「!な・・・」


 驚きに声を上げた。自分は全く、偽塔野のもとへ行こうなんて思ってもみなかったのに。

 体が勝手に動くのだ。

 自分の感覚と筋肉が切り離されてしまったみたいだった。視覚的に動いたと分かるのが先で、筋肉が動いたかどうか、体に返ってこない。


 気持ち悪い。

 しっかりとした足取りで偽塔野に向かう自分の足を止めようとする。腕を動かそうとし、どう動かせばいいのかがまずわからなくてますます混乱する。


「なっ・・・、なんだこれっ」


 喉と表情筋だけは自分の指揮下にあるらしい。それだけは分かったが、何の役に立つというのだ。


「早く」


 偽塔野は口を釣り上げた。

 言葉に合わせて、自分も小走りになる。

 ―――――――――――まるで、これではまるで、偽塔野の操り人形じゃないか。


 勢いのまま、偽塔野の胸に抱きとめられる。背中に回された腕の感覚はあるのが不思議だ。

 見上げようとするも、首が自由に動かない。胸に顔を押し付けたまま屈辱に震えた。どうせこの男は意地悪く笑っているだろう。


「なんで言う通りに動くか、不思議だろう?つうか、自分で言ったんだろうが。俺には特殊な力があるんだろ、って。もっと警戒した方がいいと思うぜ?まあ、無駄だけどな」


 細い指が顎にかかり、上を向かされる。

 憎しみを込めてその顔を睨む。視線に力があればいいのに。そうすれば、こんな男など。


「お前を拘束しなかったのはな、最初からお前の自由なんてなかったからさ。その気になれば好きにできるのに、わざわざ縛り上げる必要なんてない」


 きつく結んだ唇を親指の腹で撫ぜられる。


 嫌悪感が募ったが、抵抗はしない。あと少しの辛抱と思えば。出来るだけ相手を刺激するのは避けたかった。

 自分を好きにできるからと言って、偽塔野の状況は何も変わっていないのだ。近いうちに本物の塔野がやってくるのだから。

 

「まだ自分の危機的状況が分かってないようだな、あんたは。考え付かなかったんだろうが?――――――――例えば、俺としのぶが協力して、あんたを誘拐したって可能性とか」


「!」


 ――――――――――――――まさか。

 

 でも。


 いや、意味がないじゃないか。

 そうだ、塔野がかかわっていないことは説明したはず。だから、・・・


 もう一つのことに思い当たる。

 ―――――急に、近づいてきた塔野。


 ―――――――――――――塔野の目的だって分(・・・・・・・・・)からないとい(・・・・・・)うことに。(・・・・・)

 

 体は自由に動かない。

 でなければ偽塔野に弱さを見せてしまっていた。

 きっと体が勝手に震えて、止まらなかっただろうから。


「塔野は、そんなことしない・・・」


 まだ大丈夫。そう言い聞かせていたのが、自身の声に裏切られた。

 かすかに震えた声は不安の色を隠しきれていない。


「しない?あんたがしのぶの何を知ってるって?」


 懸命に否定しようとする。開きかけた口は何も言えずにまた閉じた。


 大丈夫だ。これはきっと私を揺さぶろうとしている嘘なんだ。だから聞かなくていいんだ。すぐ助けが来るんだから。塔野が来るんだから。



  ――――――――あんたがしのぶの、何を知ってるって?――――――――



 ―――――――――――塔野が本当に来るなんて、誰が分かるんだ。


 何も知らないんだ。塔野のことなんて。当たり前だ、昨日会ったばっかりなんだから―――――――


 たとえば誕生日とか、好きなものとか、嫌いなものとか。

 すぐに思いつくのは月並みなことばかりだけど。


 たとえば、笑顔の理由とか。家族を亡くしたのはなぜとか。ここに来た目的とか。


 思えば、訊きたいことは山ほどあった。これから少しずつでも聞こうって思ったんじゃないか。

 塔野しのぶのことを泣きたくなるくらい何も知らなくて、そう思ったら本当に目の奥が痛くなった。


 


 


「―――――――って、・・・・た」


「――――は」


「守るって、言った・・・・・!」


 言った途端、堪えていた涙がしみだして目の縁にたまる。

 駄目だ。酷い顔をしている。顔を背けたくても、その権利は今の自分になかった。拭うことさえできずに雫は頬を流れ落ちていった。 

 

「それに・・・ッ、塔野は、私の知ってる塔野は、」


 口が止まらない。自分でうまくコントロールできない。喉もまた、偽塔野に操られているのだろうか。

 

「クリームパンを美味しいって言ってくれて、弁当を頼んでもいないのに作ってきててっ・・・、いらないって言ったら、笑うくせに淋しそうなんだ、それで、でもすごく美味しくて、手が込んでて」

 

 今日の朝食もとてもおいしかったこと。味噌汁なんて母の作ってくれた味とそっくりで、懐かしかったこと。美味しいっていう笑顔。困ったような顔。淋しそうな顔。頑固な譲らなさ―――――――――――――――――


 言うつもりなんて、ないのに。

 せき止められていた水が決壊して溢れ出し、無くなるまでそれは終わらないのだ。


「・・・ちょっと、とぼけてて。頑固者で―――――――――――――――」


 クリームパンを美味しいといえる奴に、悪い奴なんていないんだ。


「私は、あいつの笑顔を信じる・・・・・!」


 

 私の知っている「塔野」はすぐに言い終えてしまった。

 そのことがすごく淋しくて、悲しくて涙が止まらないから、塔野は悪い奴じゃないんだ。




 ――――――――――だって。


 知らないことが悲しくなるくらいには好きになれたってことだろう?




「・・・それだけ聞くと、本当に善人みたいだな」

 

 偽塔野はもはや軽薄な表情を浮かべてはいない。塔野本人よりもずっと真面目な顔つきで瑶子を射る。

 瑶子は、その顔に浮かんだものは何か読み取るのに苦心した。今までのような冷やかさは感じない。怒り?悲しみ?それによく似たものに思い当たるも、何故偽物がそんな感情を表すのか理解できない。



 ――――――――――――――まさか、憐みだなんて。


 


「―――――――――――あんたの素直さに免じて、一つだけ忠告しておく」




 偽塔野が何か言いかけた瞬間のこと。

 その鼻先を何かが鋭い音を立てて横切った。

 カアン、と背後で金属的な音が鳴る。雨音が大きくなり、月光が辺りを照らした。冷たい空気が髪を揺らす。


 光が差し込んでくる方向。月光を背にして彼は立っていた。




「――――――――――――――手を離しなさい。瑶子様への無礼、許しませんよ」




 影しか見えなかった。

 

 なのに、この込み上げてくる嬉しさはなんだろう。




「遅いぞ・・・莫迦」

 

 



    ×××





 見れば見るほど、奇妙な光景だった。


 全く同じ容姿の人物が向かい合っている。一方は人を小馬鹿にするような笑顔を張り付けて少女を抱き寄せ、一方は眼鏡を曇らせびしょ濡れだという違いはあったものの。


「迎えに来ました。瑶子様」


 水滴で曇った眼鏡を外し、安心させるような笑顔を見せてこちらに来る、一人。

 まごう事なき本物の、「塔野しのぶ」、だった。

 たとえ容姿が同じでも。比べてみればわかる。まとう空気がまるで違った。


「とう・・・」


 名前を呼びかけて、困惑する。の、が出てこない。ぱくぱくと口は動くものの、声が出てこないのだ。

 瑶子のその様子を見て塔野は形の良い眉をひそめた。


「・・・雪慈ゆきじ。瑶子様を返してください」


「へえ。一体いつからこいつはお前のものになったんだ?」


 神経を逆なでするような一言とともに、見せつけるかのようにきつく抱きしめられる。

 力を込められて痛い。声も出ないので、顔をしかめることでしか意思表示をできなかった。


 ―――――――――――――――――どうやら、偽塔野は雪慈というらしい。相変わらずの敬語だが、塔野が呼び捨てにすることに少なからず驚きを覚える。


 唐突に理解した。

 

 ずっと不思議だった、偽物の狙い。それは私ではなく、塔野をおびき寄せることだったのだ。おびき寄せてどうするかまでは分からないが、とにかく良くないことに違いない。


「塔野逃げろ!助けに来てもらって悪いが、こいつの狙いはお前だぞ!」

――――――――――――――――と言おうとして、ぱくぱくと口を動かす。全然声が出ない。はたして、塔野は読唇術が使えるだろうか?

 塔野はこちらを見て、悲しそうな顔をする。死にかけのフナでも想像したのだろうか・・・すぐに偽物―――――――――雪慈に向き直ってしまう。きっ、と眉をしかめて、多分、すぐに助けますというようなことを思っている。・・・ああもどかしい。伝わらない!


「言葉のあやです。瑶子様は誰のものでもありません。もちろん、雪慈のものでもありませんから」


「さあ。どうだろうねえ?お前が来るまで、ずいぶん時間があったからな」


 そう言って雪慈は瑶子を自分の方に向かせた。

 塔野には至近距離で見つめあっているように見えるかもしれない。嫌悪できつく瞳を閉じた。


「・・・な、」


 やはり塔野にはそう見えたらしい。


 誤解だッ!

 ・・・え?いや、誤解だよね?何もなかったよね?だって寝てただけだし。ッぐああ膝枕を思い出しちゃったじゃないか折角忘れかけてたのにっ!・・・て寝てた?待て待て、・・・記憶ない?なんか・・・なにもされてない保証何処にもなくないか?


 瞳だけを動かして自分の体を見る。・・・服は乱れていないようだ。安心していいものか微妙。

 

「雪慈っ!僕の姿でそんなことしないでもらえますか!?元の姿に戻ってください」


「そうカッカすんなって」


 腕が緩む。雪慈の手から解放され、力が抜けてへたり込む。

 しかし体が自由になった訳ではないらしく、未だ動くこともしゃべることもできない。


 雪慈は右手を高くあげた。目に見えない何かをつかむように、ゆっくりと拳を作る。その拳を顔の前で開き、手のひらで包み込んだ。




 それは、手品なんてものではなかった。たとえるならば、魔法の方がふさわしい。論理的には説明できない、摩訶不思議で理解不能な現象。

 

 雪慈が手で触れたところから、じわじわとにじむように姿かたちが変わっていく。

 中途半端な長さの黒髪は短くうねった輝く白髪に。白い肌は少しばかり色を濃くし、逆に瞳は漆黒が薄らいで灰色に、鋭い光を宿した。身長は十センチほど高く、細すぎる体には人並みの筋肉がついて。





 ―――――――――全くの別人。

 この姿を見て、先程と同じ人物だと断じる者はいないだろう。変装という次元ではない。


 月光に照らされた髪は、白髪というよりも銀色に見える。

 雪慈はズボンのポケットから黒い眼帯、指先に穴の開いた手袋を取り出してはめた。左目は何の異常があるようにも見えないが、眼帯をつけるということは実は見えていないのかもしれなかった。


 

「もう一度、言います。瑶子様を返してください」


 自分に向けられたわけでもないのに、ぞくりと背筋を冷たくさせた。塔野はこんな怖い声も出せるのだと思って。


「好きにすればいい。最初からこいつに興味があった訳じゃない」


 猛禽類を思わせる、鋭い瞳。めくれた唇からのぞく舌は血のように赤い。――――――――――こいつは、なぜ平然と言葉を交わせるのだろう?――――――――――


 ほら、と元の姿の雪慈は顎で瑶子を示した。物のように扱われてとても腹立たしい。


「術を解いてくださいと言っているんです。耳に印が見えましたよ」


「・・・ふん。つまんねえな」


 印?耳?何の事だかわからない。

 困惑しているうちに、雪慈は屈んで瑶子の右耳に触れた。じいん、としびれるような感覚が体中を伝わる。


「・・・わ、」


 四肢が自由になった。糸が切れた人形のように、力が抜けて雪慈に倒れ掛かってしまう。あわてて離れようとすると、雪慈は瑶子を猫のように襟をつかんで塔野の方向へ放る。


「ほら。返す」


 久しぶりに動かすからか足がもつれて転びかける。すぐに塔野が駆け寄ってきて支えてくれた。


「大丈夫ですか?」


「・・・うん」


 心配そうにこちらを窺う塔野に、自然と口が開く。




「――――――――その、」


「覚えておけよ」


 ・・・折角言いかけたところで遮るなんてなんて奴だろう。背後から雪慈が声をかけた。



「―――――――――――――いずれ、また。近いうちに会うことになる。覚えておけよ、オヒメサマ」


 なにを覚えておけというのか。それに、会うことになる、だなんて。こちらから願い下げだ。


 

「・・・二度目は、ありませんからね。そちらこそ、覚えておいてください」

 

 自分の代わりに塔野が返事をする。

 気が付けば雨は上がっていた。空は満天の星空。二人で一緒に扉をくぐり、倉庫の外に出る。


「待てよ、しのぶ?少し話をしようぜ」


「・・・え」




 ―――――――――おびき寄せてどうするかまでは分からないが―――――――――――


 


 脳裏によみがえる自分の言葉。




「・・・瑶子様、少し外で待っていてもらえませんか。長くはかかりません。―――――――あいつと二人で、話があります」



 駄目だ。


「まっ、塔野っ!」




 伸ばした手は空を切る。無情にも、鋼鉄製の扉は瑶子の目の前で閉められたのだった。




 







 

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