矛盾する仮面
―――――――――そんな、夢を見た。
ぼんやりした感覚が、段々と覚醒へと近づいていく。頭の裏には温かな感触。ざあざあという雨音が脳に響く。
薄く目を開けると、遠くに灰色の天井が見えた。――――何処だろう、ここは。知らない天井、どころではない。自分がどのような状態で寝ているのかわからない。
ずきん、と側頭部が痛んだ。
・・・寝ている?
急速に意識がはっきりとする。と共に、体の節々の痛みを自覚した。腰がつめたい。寝ているのはコンクリートの打ちっぱなしだ。外が暗いからなのか、窓のない部屋なのか、はっきりとした光源がなく薄暗い。
「・・・う」
太腿までの靴下をはいただけの下半身は冷え切っていて、今更ながら身震いした。
「―――――――ああ。意外と早かったな」
聞き覚えのある声。強烈な違和感が耳をつく。
声を上げる前に、横向きの見覚えのある細面で視界がいっぱいになった。
「わあっ!?」
全力の叫びが頭に響いたのか、そいつは細い眉をしかめて顔を上げた。
「・・・至近距離で叫ぶかね、フツー」
だって近すぎる!
こちらだって頭に響いた。なんでこんなに頭が痛いんだろう、ぶつけた覚えはないが。
あわてて立ち上がり、距離を取ろうと後ずさると足がもつれて尻もちをついた。
だって。
だって、・・・
しかめた眉をすぐに戻し、にやにやと意地の悪い笑顔を浮かべているそいつは、左足を立て、右足を無造作に投げ出して座っている。もし、・・・・もしも、これはあくまで仮定だが、万が一考えが正しければ、自分の頭はその右の太腿の上にあったのではないだろうかっ!
・・・何故!?
まて、現実から目を逸らすのはよくない。真実は火を見るよりも明らかだ。・・・・だが認めたくはない。だってそれって・・・膝枕、になるじゃないか。よりにもよって塔野のっ!
塔野の?
自分から離れた相手をまじまじと見つめる。先程感じた違和感の正体はなんなのか、と。
塔野だ。はねた黒髪に大きな丸い瞳。眼鏡はかけていなかった。けれどその優しい面立ちに浮かべた表情は見たことのあるそれではない。
・・・あれ、敬語じゃない?
言葉遣いだけではない。塔野の印象であった丁寧さや腰の低さがみじんも感じられない。
「え?な、お前誰だ!?本当に塔野か?」
「・・・」
塔野は答えず、室内には静寂が訪れた。聞こえるのは、激しさを増す雨の音ばかり――――――――――
初めて、人の笑顔を怖いと思った。
目を細め、心底楽しそうに口角を上げた、その顔。
「塔野しのぶだよ。”ようこサマ”」
×××
室内と言っていいものか、寝ていた空間は広くそして薄暗かった。
アーチ状の高い天井は金属の太い梁がめぐらされている。天井に蛍光灯がいくつもあるもののつけられておらず、明かりは窓から入ってくる微かな光だけだ。それも室内を明るく照らすほどの光ではない。雨が降っているからだが、もしかしてもう日が落ちているのかもしれなかった。
はっきりとは見えないが、奥には布をかけられた資材のようなものがあった。床は土埃で汚れている。
見たところ、瑶子と塔野がいたのは何かの倉庫のようだった。
「塔野・・・?」
そうだと彼は言った。確かに、見たとおり疑う余地はないのだが。
では今までの、穏やかな塔野は何処へ行った。
「うそだ・・・」
思わず否定の言葉が零れ落ちる。
「だァから、塔野だって言ってんだろ。前から思ってたけど、お前って真性の阿呆だよな」
「なっ・・・・!」
酷い言われようだ。・・・言い返したくてもすぐに反論が思いつかないのが情けない。
それにしても、今までの塔野とのあまりの差に慄然とする。やはりこれは私の知っている塔野ではない。そんな思いを強くする。
なにがどうとは言えないが、醸し出す雰囲気、笑い方から話し方まで、そんなものすべてを全く違う別物にすることは可能なのだろうか。というか、あの優しげな笑顔の裏でそんなことを考えていたなんて信じたくない。
「じ、実は双子とか」
とりあえず思いついたほかの可能性を言ってみる。
「いねーよ」
一刀両断。
「・・・二重人格とか」
「あほか」
やばい泣きそうだ!
「多重じ」
「そっちでもねーよ。てか同じだろ」
同じじゃないです。二重人格は二つだけだけど、多重人格は二つ以上の場合を言います。
なんて言わないけれども・・・ほんの小さな可能性にだってかけてみたいじゃないか!言い方がきついと思う!
偽塔野(と信じたい)は呆れた顔をして、面倒くさそうに口を開く。
「お前さあ、これが俺の素だって思わないわけ」
「思わない」
「力強く否定すんな」
溜息と共に、偽塔野(?)は立てていた右足も投げ出して座りなおした。
「―――よし、説明してやろう。実はこれが塔野しのぶの素で、眼鏡フェチであるお前を警戒させないためにこんな眼鏡をかけて超丁寧に接してきたわけなんですよ。なんせ”オヒメサマ”だからな。・・・分かったか?」
傲岸不遜といった態度で説明する塔野(?)。ならなぜ今になって豹変するのかの説明がされてないぞ。それに。
「フェチじゃない!!これは――――――・・・その、アレだ、分かるか」
「なに必死になってんだ」
なってない!
×××
「あっ」
UFOが、じゃなくて。
別に注意をひきつけて逃げようとしたわけではない。
「そうだ偽塔野!」
「偽じゃねーけど」
「此処は一体何処だ!?何で私たちはこんなとこにいるんだ。こんなとこ、来た覚えなんてないぞ」
そもそもなぜ此処にいるのかという基本的な疑問を失念していた。一番大事じゃなかろうか。
とまあ、そこまで考えたところで思考が止まる。
思 い 出 せ な い
ここに来た記憶がない。言い換えれば、授業が終わってからの記憶がない。
ちょっ、ええ!?いやいや有り得ないでしょう急に記憶が飛ぶなんて?え?これは、これは記憶喪失ってやつですか?夢遊病になった覚えはない。あ、覚えがないから記憶喪失なのか?此処は何処、私は誰。記憶喪失者の常套句だ。前者はともかく、後者は答えられる。宗田瑶子十五歳、九月九日生まれの乙女座血液型はO型最新のあだ名はよっきー、がベストアンサーだ。血液型が含まれていないのは減点1とする。なぜなら輸血の時困るから。
ってバカ!!何考えてんだこんな時に。そのあだ名は認めていないんだから答えたら減点されちゃうでしょう!?ここは趣味や特技を答えるのがベストだ。え~・・・剣道とか。あ、最近の趣味はプロレス観戦です。大変なのはクマのぬいぐるみであるクマピウスが壊れない程度に技を加減すること。
・・・また思考がそれた。まったく、くだらなすぎて泣けてくる。でもそれだけ動転しているということだ。ああ変な汗が出る。
授業が終わってからなにしたか?
よくよく思い出してみよう。えーっと、放課後になっていつものように広海と帰ろうとして。でもなんか私は一人で教室に残ってたんだよ。なんでだろう。あ、広海が用事があるって。それだけ?私はなぜ一緒に帰らなかったんだ。
そうだ、塔野が待ってろと言ったんじゃないか。なにか・・・えっと・・危険、だとか言って・・・おかしい。たかが数時間寝ていただけなのになぜこうも記憶があいまいなんだろう・・・?・・・そういえば、当然のごとく数時間しかたっていないと思っていたが、自分は今の時刻を知らないのだ。もしも、数日たってましたーなんてことになってたとしても分からないのだ。
気が付いてしまった不安に焦燥感が募る。
とにかくまずは、思い出そう。なぜか、ばらばらになってしまった記憶の切れ端は今捕まえなくては二度と手に入らない気がする。
そう、それで待っていて。暇で暇で仕方なくて、塔野について考えていたんだ。そうして、色々と疑問に思うことがあったりして。それで、・・・それで、塔野が帰ってきて・・・?
鈍い痛みが側頭部を襲う。左耳が熱くなり、霧がかかったかのように、見えかかっていた景色が曖昧なものになっていく。―――――塔野と何か話をしたんだ。それは覚えているのに、話の内容が思い出せない。
それが確かな記憶の最後で、全く今の状況を説明してくれなかった。
「ぶっ・・・・・く、ふははっ」
「な・・・、なにが可笑しい」
急に笑い出した塔野(?)に思考を中断される。不信感。今ではこの笑顔に得体の知れなさしか感じない。
「・・・いやあ。やっと聞いてきたと思ったら、黙り込んでひとりで百面相やってたから、つい」
してただろうか。百面相。・・・ともかく、やっと、というからには塔野(?)には状況が把握できているということなのだろう。
「なら、答えろ。ここは何処で、なぜ私はここにいる。あと今何時か。お前の目的は何か」
「ちなみに『何で私の記憶はないのか』、か?」
なぜ、それを知っている?
息をのみ、驚きに身をこわばらせた。
では――――――
それを知っているということは、その原因は自分にあると自ら言ってしまったようなものじゃないか?
余裕綽々の表情で言葉を続ける。
「ひとつ。ここは倒産した会社の廃倉庫」
塔野(?)は右の手のひらを開いて掲げ、一つ二つと数える度に指を折っていった。
「ふたつ、何故ここにいるのか。俺がお前を誘拐したから」
「みっつ。時刻は俺も時計を持っていないから分からない。携帯もない。お前が携帯を持っているかは知らないが、どっちにしろ荷物は教室においてきた」
「よっつ。目的?教えない」
平然と人をくった回答をする。まるで瑶子の反応を楽しむように。
「いつつ。―――ああ、何で知ってるのかって顔してるな。それは、俺がお前の記憶を消したから」
そんなことができるのか、とか。
何も言えなかった。こいつには簡単にできるような気がしたから。
だから、それでも一矢報いたくてやっと、口にする。
たったの一矢。でも確実な一矢だ。
「・・・そろそろ、塔野の姿でしゃべるのはやめてくれないか。吐き気がする」




