東洋医学的原子力論 ~人類はいつまで地球のニートでいるのか?~
西洋医学と東洋医学の哲学の違いについては、
ある病気があった場合、
その病原体を殺そうとするのが西洋医学、
その病原体があっても負けない体を作ろうとするのが
東洋医学であると言われている…
原子力の将来について、
これは必要か否か、議論が分かれている。
日本においては、東日本大震災において、
原発事故が発生し、放射性物質の被害が拡大してから、
原子力に対する否定的な意見が拡大している。
それまでは、化石燃料に頼らない
クリーンエネルギーとしての側面も注目されていたが、
今は、放射性物質の被害の負の面の方が目立っている。
ちなみに、今回の事故で一般的にも知られるようになったが、
放射能という物質は、世の中には存在しない。
すでに常用化されてきたので、
広義的には、放射能という言葉が、
放射性物質の同義語として使われつつあるが、
正確に言えば、放射能とは、
放射線を発する能力そのものを差す言葉であって、
物質の名称ではない。
「放射線を発する能力」の略語と思えばいい。
そして、放射能を持つ放射線を発する物質は、
放射性物質と言う。
確かに放射性物質の被害は恐ろしい。
一度、事故を起こせば、
その被害は、短くても数十年、
長ければ、何万年という期間も続く事もある。
例えば、原発から出る
放射性廃棄物の管理期間だけ見てもそれは解る。
放射性廃棄物は、基本的に、原発だけでなく、
医療機関や学術の研究機関からも出るものであり、
一般的にも、それくらい身近なものではあるが、
今、議論の中心になっている原発の話で言うと、
原発から出る放射性廃棄物については、
原子力庁の基準によれば、
地中最大100mの場所に保管して、
その管理期間は、最も短くても約50年、
長ければ数百年の管理期間を経なければ
処理できないようになっている。
また、再処理施設から出る
高レベルの放射性物質の処理については、
地中300mの深い場所に約数万年の保管しなければならない。
人間の時間的感覚からすれば、
半永久的な管理をしなければならないほど、
危険な物質であるということである。
これは、放射性物質の半減期が、
最も長いものでは何億年という時間を有するほど、
途方もなく長いからに他ならない。
これを聞いたら、原子力に対して尻込みし、
これをやめようという意見が出ても当然だろう。
もはや、人知の及ぶところではない気もする。
だが、俺は、原子力と言うのは、
人類にとって欠かせない技術であると考えている。
俺が、原子力の議論の中で気に食わないのは、
議論が、地球の中だけにとどまっている事である。
なんて視野が狭い議論をしているのだろうか。
これから人類は、宇宙に進出しようとしている。
宇宙には放射性物質なんてあちこちに存在している。
人類は、この放射能を克服しなければ、
宇宙になど進出する事は出来ない。
例えば、バンアレン帯。
地球を包む放射線の帯である。
地球はすでに放射線に包まれているのだ。
原子力を議論している人には、
そうした認識はあるのだろうか?
地球も宇宙の一部であり、
放射能というのは、当たり前のように、
地球上にも宇宙にも存在しているのだ。
これを克服できなければ、
人類は、原発なんか無くなったとしても、
自然に淘汰されて滅びゆくだろう。
だったら、宇宙になんか進出しなければいい。
…なんて事を言うなら、
それは、人類が不可能に挑戦して、
現在の文明を築いた事に対する否定に過ぎない。
そういう哲学を個人的に持つ事は自由だが、
人類は今、地球という親に依存するニートでしかない。
実家を出る事をせず、文明の発展と進化を否定し、
ひきこもりを肯定するような事は、
現に生き、進化を遂げている、
人間に限らない全ての生命の摂理に対する冒涜であり、
そんなものは、社会的に肯定されるべきではない。
人類は、近い将来、宇宙における大航海時代を迎える。
まずは、太陽系における大航海時代、
次に、その太陽系がある銀河系における大航海時代、
そして、その銀河系を超えていく大航海時代…
何千年、あるいは何万年先の話になるか解らず、
それはまだ、今の人類からすれば、
途方のない先の話であり、
まだ絵空事のようにしか思えないだろうが、
人間が生き続けていれば、
そうした時代は必ず来ると俺は確信している。
その時代において、原子力はエネルギーとして
欠かせないものになっているだろう。
そして現在、原子力を無害化する技術の研究が進められ、
それはまだ成果という成果は挙げていないが、
「想像できる事は実現する」というのが人間の文明の歴史である。
俺は将来、必ず人類は放射能の無害化に成功し、
放射能を克服できると信じている。
俺は、そこまでの将来を見据えて、
原子力は議論されるべきだと考えている。
そして、太陽系への大航海時代の始まりは、
もう、すぐそこに迫っていると考えている。
原子力は、宇宙の中の地球にある人類、
そうした観点で議論されるべきものと考えている。
原子力は、エネルギーにおいて、
多大な恩恵をもたらす反面、
その被害も大きく、確かに恐ろしいのは事実である。
言わば諸刃の剣だ。
けれども、だからと言って
西洋医学的な発想で、それを抹殺し、
否定してしまうのはどうだろうかと思う。
文明は、常に現実を肯定し、
その現実と共存しながら現実を克服し、
発展してきたものである。
例えば、空を飛ぶことにしてもそうだ。
不可能と思われた事でも挑戦し、
常に犠牲を出しながら、
人は飛行機を作って空を飛び、
より安全に飛べるものを作ってきた。
ここは、東洋医学的な発想で、
原子力の存在を肯定し、それを克服していき、
いずれは、それに負けない文明を築くべきではないだろうか。
何事もそうだが、否定からは何も生まれない。
肯定する事から、新たなものが生まれるのである。
原子力も、そうした観点で議論されるべきであり、
俺は、原子力については、
これからも肯定されるべきだと考えている。