日本の首相にリーダーシップがないという馬鹿に告ぐ
俺の背後霊のようについてくる女神様。
本当は、デスノートみたいな死神だったりして…
まあ、とりあえず何でもいい。
それにしても、ひとつだけ願いを叶えると言っておきながら、
これまで相当、俺の願いを叶えているような気もするが…
とりあえず、そこはヤブヘビだから、
ツッコまないでおくことにしよう。
さて、いきなりだけど、閣議ってやつはメンドクサイ。
内閣の閣僚、つまり大臣とか長官とかいう連中が集まって、
会議して内閣の方針を決めるのが閣議だけど…
とにかくメンドクサイ。
何がメンドクサイって、その決議のやり方だ。
みんなは知ってるか?
閣議は全会一致が基本だってことを。
つまり、会議に参加している人の1人でも反対したら、
何も決まらないってことだ。
普通は多数決で多い方の意見を採用するのが一般的だけど、
閣議は、全員が賛成しなければ、
何も決定できない仕組みになっている。
1人でも反対すれば、その議決は通らないのだ。
閣僚全員が拒否権を握っている。
だから、新しい内閣が出来る度に
組閣で派閥や連立する政党が、
必死になって大臣のポストを狙ってくる。
何もあれは、単純に大臣の名誉が欲しいだけでやってるわけじゃない。
大臣職を得られれば、閣議の決定権が握れるのだ。
つまり、権力の中枢に実権を持てるわけだから、
そりゃ、血まなこにもなるって話だ。
じゃあ、なんで、そんなシステムになっているのか?
全ては憲法に原因がある。
日本国憲法に次のような規定がある。
第66条3項
内閣は、行政権の行使について、国会に対して連帯して責任を負う。
連帯して責任を負う以上は、
全員が賛成できるような内容でしか決議出来ない。
だから全会一致となるらしい。
時々、閣内不一致とかが問題になってニュースになるが、
それは、これとからんでいるわけだ。
これが日本の政治家の無責任を助長してきた。
政治で失政があっても、誰も責任を取らない。
なぜならば、みんなで決めた事だからだ。
みんなで決めたのだから、
誰かの責任ではなくてみんなの責任。
だから、誰かが1人で責任を負わなくていい。
だから、誰も責任を取らない
…ってわけだ。
内閣総理大臣が責任を取れば…
…って奴は、もう少し政治を勉強した方がいい。
…っていうか、よく国民は、
「日本の首相にはリーダーシップがない」
と言うけれど、
そんな事を言う奴は、日本の政治を理解してない馬鹿だ。
内閣総理大臣には、意外と権力はない。
大臣の任免権(任免したり罷免したりする権利)と、
衆議院の解散権くらいだ。
あとは、行政権も持っていない。
日本国憲法 第65条
行政権は、内閣に属する。
日本の行政権は、内閣総理大臣ではなく、内閣に属している。
総理大臣は、内閣の主宰者に過ぎない。
つまり、内閣のメンバーを決めて、
その開催権を握っているだけなのだ。
行政の決定権は、総理大臣ではなくて、
内閣が握っており、閣僚の全員が握っている。
総理大臣は、1人では何も決められないのだ。
一方で、アメリカの大統領制はシンプルだ。
憲法でも「行政権は大統領に属する」って定めてる。
つまり、1人で何でも決められてしまうわけだ。
例えば、閣僚が全員反対する事でも、
大統領がイエスと言えば、行政権を行使出来る。
一方で、失政の責任は全て大統領が負う。
義務を負わせるなら権力を与え、
権力を与えたら相応の義務を負わせる。
当たり前の話だ。
だが、日本の国民は、総理大臣に権力も与えてないくせに、
責任だけ押し付けて、リーダーシップがないという。
原理原則も通じない馬鹿な話だ。
そこまで言うなら、総理大臣に権力を与えるべきだ。
時々、日本の政治家にも変人が現れて、
たまに強いリーダーシップを発揮する奴もいるが、
そんな人間が現れるのを期待しているようじゃダメだ。
国民は傍観者ではなく主権者、
命主主義で言えば首権者なのだ。
ならば、リーダーシップが発揮できるように、
やはり、システムから作り直す必要がある。
ただ、アメリカのように権力を集中させると、
独裁的になるのではないかと、
視野が狭い心配をする奴もいる。
何のために議会があるのか、
全く見えていない不毛な反論だ。
大統領制にしなければ、いいだけの話だ。
日本の首相も、国民が直接投票して決めて、
行政権を一括して与えればいい。
そうすれば、日本のリーダーシップの問題はすぐに解決する。
首相公選制の導入だ。
ただ、首相を直接選ぶと
大統領制になると勘違いしている奴もいる。
おいおい…
いまどき、首相と大統領の違いも分からないのか…
次は、この辺の説明を国民にしなければならないだろう。