アジェンダの前にイデオロギーだろ
まだ俺の傍には女神がいる。
願いはかなえたはずなのに。
アドバイザーみたいに寄り添っている。
みんなには見えないらしい。
彼女だったら自慢したいくらいの美人だから残念だ。
だけど性格はそうでもない。
名前を聞いても無視。
何でおれのところに来たのか聞いても…
女神「なぜでしょうね。」
…とはぐらかす。かわいくない。
ま、女神の話は、それくらいでおいといて…
総理大臣になると、いろいろと忙しい。
まずは組閣。大臣とかを決めなくちゃいけない。
神様は「適当でいい」と言ったので、
俺は自分が好きな政治家を、
俺なりの適材適所で配置していった。
政党とか派閥を超えて選んだけど、
みんなOKだった。
与党も野党もクソもない。
民間人も大臣に起用した。
俺の内閣にはお笑い芸人も一人いる。
一応、人気雑誌のアンケートとかで、
首相になってほしい芸能人のNo.1のタレントだ。
作ってみた後で気付いたけど、
俺の内閣は、国会総与党の布陣になっていた。
大政翼賛会も真っ青だ。
次の俺の仕事は国会での所信表明演説。
内閣の方針とかを国会で演説するのだが、
どんな演説をすればいいのか解らない。
また神様は「言いたいことを適当に言えばいい」というけど、
適当ほどアバウトでメンドクサイ事はない。
女の「何でもいいよ」くらいにメンドクサイ。
ただ…
俺は以前から政治家に言いたい事がひとつだけあった。
それは、政治家や政治評論家が、
馬鹿の一つ覚えみたいに…
「まずは政策が重要で…」
…と言うことだ。
この言葉を聞くと、俺は虫唾が走る。
政治は、政策が重要というのはもっともな話だが。
最近は国民まで、似たような事を言う。
無難な言い方として。
最近は、アジェンダなんて言葉まで飛び出した。
カッコ良さそうな横文字だけど、
要するに政策という言葉を言い換えただけだ。
だけど、俺はアジェンダを確立する前に、
やらなければならない事があると思っている。
それはイデオロギー(政治思想)の確立だ。
根本的な政治思想を練り直すことから、
日本の改革は始めなければならないと思っている。
今、日本を支配しているイデオロギーは、
自由民主主義ってやつだ。
横文字でカッコよく決めるならば、
リベラルデモクラシーだ。
戦後にアメリカから日本にもたらされた思想で、
これが今も日本のイデオロギーとなっている。
そして、アメリカの某政治思想家は言ったらしい。
「リベラルデモクラシーこそ、政治イデオロギーとしての最終形態である」
…と。そして、今の日本の政治家は、
これに疑いも持たずに政治をしている。
本当にそう思っているのか?
だとしたら、政治家と政治思想家の怠慢だ。
俺は、イデオロギーはまだまだ発展すると思っている。
リベラルデモクラシーは、
まだまだ政治イデオロギーの発展途上の過程であって、
最終形態などではない。
これを最終形態と思うのは人間の傲慢だ。
なぜ傲慢なのか。
それは、リベラルデモクラシーは、
所詮、人間本位の思想に過ぎないからだ。
環境破壊が人類の生存を脅かすとまで言われる時代において、
重要なのは、人間がどう自然と共存するかだ。
そもそも、人間が無くても地球は存在できるが、
地球が無ければ人間は生存できない身分なのだから、
厳密に言えば、対等な共存ではなくて、
明らかな人間の地球依存であり、
完全な他力本願である。
その根本に、人類は立ち戻らなくてはならない。
新しいイデオロギーは、
そうした観点を加味する必要がある。
そう考えてた俺は、
ニートのくせに新しいイデオロギーを創造した。
それは「命主主義」という思想だ。
カッコよく横文字にしたら…
そこまでは考えてないし、
英語があまり得意ではないから思いつかない。
現在、カッコ良い横文字募集中だ。
命主主義は、
基本的人権と国民主権を基調とする
リベラルデモクラシーに対して、
主権在命人民代権を基調とするイデオロギーだ。
要するに、主権者を人間に限定するのではなく、
地球に存在するすべての生命に主権を認め、
その上で、これを代表して、
人類が主権を行使するという考え方である。
だから、リベラルデモクラシーの下では、
国民は「主権」を行使してきたが、
これからは、代表した権利と言う意味で、
「首権」を行使する事になる。
「ちょっと待て。全ての生命に主権を認めるとは立派な話だが、全ての生命に主権を認めたら、例えば人間が他の命を殺して肉として食事をしたら、主権者が主権者を殺すということになり、それは殺人と同等の罪になるのではないか? そうした事を容認してしまう可能性があり、それは、生類憐みの令のような愚行の繰り返しになるのではないか?」
当然、そんな反論は聞こえてくる。
けれども、それこそ人間の傲慢な発想である。
そもそも人類は自然界の秩序で生きているのだ。
それを否定したら生きていけない。
では、自然界の秩序の根本たるイデオロギーは何か?
それは「弱肉強食」である。
これを否定するわけがない。
否定したら生きていけないし、
そもそも人倫が自然界の摂理を凌駕出来るはずがない。
主権を認めるという話は、
自然界が存在してこそ人間が生きていけるということを
政治思想として形にしただけに過ぎない。
難しくややこしく、しかも斜めに考える奴は、
まずはその性格を直して来い。
主権を代表して行使する話もそうだ。
「誰が人類を全生命の代表者として決めたのだ? それを自認する事こそ傲慢ではないか?」
そう言ってくる奴もいる。
だけど、現に人類はそうやって生きている。
なぜ生きられるのか?
自然界のイデオロギーが弱肉強食だからだ。
その恩恵にあずかって、
すでに地球を我がものかのようにして生きているのに、
そんな事を言うのは偽善者もいいところだ。
人間は地球なしには生きていけない。
これを政治思想として具現化したのが命主主義だ。
俺は、これを所信表明演説で熱弁しようと思う。
そして俺は国会で宣言した。
「命主主義こそ、新しい日本に必要なイデオロギーである!!」
俺の所信表明演説は、
スタンディングオベーションの大拍手大喝采で、
マスコミ各社から絶賛された。
神様の力は本当にすごい。
俺は、次に具体的な政治改革に取り組み始めた…