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今日から俺が総理大臣  作者: やいたもん
第二章 天皇論
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アマテラスが女神だから女系という馬鹿に告ぐ

婿ではないその家の男に子供が出来れば、

それは男系の子となる。

それは男子であっても、女子であっても変わらない。

その者から、父親の系譜だけをたどっていけば、

初代に行きつく場合、その者は男系である。

途中で母親の系譜をたどらなければ、

初代に行きつかない場合は、その者は女系である。


これが男系と女系の違いである。


では、日本の天皇家は、

なぜ男系にこだわる必要があるのか。

理由は簡単である。

易姓革命の否定である。

これだけで説明が出来る。


なぜ易姓革命を否定する必要があるのか?

そんな疑問を持つ人間は、

要するに、なぜ日本が、

現存する世界最古の国家という秩序を形成できたのか、

その理由を理解出来ていないということだ。



まず、中国の皇帝から独立するために、

天皇という地位が誕生した事は、

先に説明したとおりである。

地位的に言えば、皇帝と天皇は対等であり、

日本は、自らの元首を天皇とすることで、

華夷秩序からの独立を果たした。


では、皇帝と天皇の違いは何か?

易姓革命を肯定したのが皇帝、

易姓革命を否定したのが天皇である。


では、易姓革命とは何か?

元首の姓(血統)が変わる事である。

例えば、日本で言えば、

幕府の血統が足利氏(室町幕府)から

徳川氏(江戸幕府)に変わる。

これが易姓革命だ。


要するに、どんな血統の者でも、

皇帝になる事が出来る。

これが易姓革命の肯定である。

しかし、日本の天皇は、

天皇家の血統に皇位継承を限定した。

これが易姓革命の否定である。


では、易姓革命を肯定した中国はどうなったか。

野望を持つ者が次々と皇帝の地位を狙い、

国が乱れ、中国では何度も国が亡び、

中国人は、時に自らの国を失う事もあったのである。


他方、易姓革命を否定した日本はどうだったか。

誰も天皇にはなれないため、

国を象徴する元首の体制は維持され、

国という最低限の秩序は維持される事になり、

いかなる権力闘争をしても、

日本人は、日本人の国を失う事は無かったのである。


国という秩序を権力闘争から切り離すため、

易姓革命を日本は否定したのである。


これらの事は、先にも説明したから、

すでに理解してくれている事と思う。



元首という地位を政争の具にしない。

権力闘争で国を滅ぼし、

自分たちの国を失うような愚かな事はしない。

そのために易姓革命の否定は必要なのだ。

つまり、これが万世一系という概念の必然性である。

誰もなれない事にすれば、争いは起きない。

これが男系継承にこだわる理由である。


中には、歴史学的に見て、

天皇家が男系継承をしていない可能性を指摘して、

だから女系を肯定すべきという人がいる。

歴史学的に言えば、

本当に天皇家が常に男系継承を実現できていたのか。

疑問に残るところは確かにある。

だが、体裁としての男系継承は維持されている。

理由は、ここで説明したとおりだ。


逆に、染色体という話を持ち出して、

だから男系継承が必要だと主張する人もいる。

だが、それも違う。

…というか、意味のない男系の肯定論である。

秩序を維持するために男系継承は必要なのだ。


万世一系で継承されるのは権力ではない。

秩序なのだ。

たからこそ皇位は重要であり、

男系継承が重要なのである。


俺は、こうした理由から、

男系継承を維持するべきと考えている。

但し、それは女帝の否定ではない。

俺は、女帝は容認されて良いと考えている。



さて、その俺の女帝容認論を説明する前に、

ひとつ触れておきたい事がある。


女系継承を肯定する人の中で、

皇祖神(こうそしん)(天皇家の最高の氏神)である

天照大神(あまてらすおおみかみ)が女神である事を理由にし、

女系継承を肯定する奴がいる。


ちなみに天照大神が

女神かどうかについての議論もある。

男神という説を唱える人もいる。

だが、この事については、

ここでは置いておく事にしよう。

アマテラスが男か女か、

それは、歴史学界に議論を任せるとして、

ここでの議論ではあまり関係ない。


それ以前の問題だからだ。


神話の世界の話を出して、

現実世界の物事を肯定するなんて愚かだ。

…という反論もしないでおこう。

アマテラスは基本的に神話の中の存在であり、

現実には存在しない神的なものであるが、

神話は概念であり、

女系の概念が肯定されるか否かの話をしているわけだから、

例え、神話の話を持ち出しても、

概念的な反証材料としてはアリなので、

神話だから却下と言う反論こそナンセンスだ。


それでは、天照大神が女神だから、

女系を肯定する人に質問である。


「アマテラスの夫は誰ですか?」


たぶん、アマテラスを材料に女系を肯定するような

低次元な人のほとんどの人は、

こうした基礎知識すらないと思う。


では答えを言おう。

「いない」である。

学説として、弟とされるスサノオが夫であったとするなど、

アマテラスの夫については諸説あるが、

基本的に、アマテラスには夫はいない。

これが神話の上での体裁である。


アマテラスとはそういう存在なのだ。

つまり、概念的な議論においても、

アマテラスが女神である事が、

女系の肯定にはつながらないのである。



それでは、俺の女帝容認論に触れていく事にしよう。






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