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今日から俺が総理大臣  作者: やいたもん
第二章 天皇論
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8人の女王がいる日本

現在、日本には8人の女王がいる。

その事実を知っているだろうか?

それは、例えばスポーツ界の女王とか、

芸能界の女王とか、

比喩としての女王という意味ではない。

正式に女王の称号を持つ人が、

日本には8人もいるという事である。


2011年現在の日本の女王は、

以下の8名である。

なお、生誕順に記述する。



三笠宮彬子(みかさのみやあきこ)女王(1981年生)

三笠宮瑶子(みかさのみやようこ)女王(1983年生)

高円宮承子(たかまどのみやつぐこ)女王(1986年生)

高円宮典子(たかまどのみやのりこ)女王(1988年生)

高円宮絢子(たかまどのみやあやこ)女王(1990年生)

秋篠宮眞子(あきしののみやまこ)内親王(ないしんのう)(1991年生)

秋篠宮佳子(あきしののみやかこ)内親王(1994年生)

敬宮愛子(としのみやあいこ)内親王(2001年生)



いずれも日本の皇族である。

日本の皇室の場合、

皇統皇族、つまり皇族の子として生まれると、

男子ならば「王」、女子ならば「女王」の称号が、

生まれながらにして与えられる。

そして、これが天皇の子であったり、

天皇の孫である場合には、

王や女王より格上の称号である

男子ならば「親王(しんのう)」、

女子ならば「内親王」の称号が与えられるのだ。

だから、現在はあまり使われないが、

皇子(おうじ)皇女(こうじょ)という称号はあっても、

王子や王女という称号は存在しない。


なぜそうなのか?


これは、少し歴史を理解する必要がある。



日本において、天皇という称号が誕生したのは、

6世紀の第33代推古天皇の時代とされている。

これについては諸説あるが、

ここでは考古学的検証はしないが、

いずれにしてもその頃だ。

これは、華夷秩序から日本が独立するための手段であった。


当時、東アジアでは、

中国の王が、王の中の王としての称号として、

「皇帝」の称号を名乗り、

周辺国に朝貢をさせて属国とし、

代わりに王としての称号や、

中国との貿易を認めるという秩序があった。

当時の中国は最高の軍事大国にして、

最高の経済大国であり、

これに逆らえば軍事的に自分の国が滅ぼされる可能性や、

経済的に封鎖されてしまう恐れがあった。

このために周辺諸国は中国に朝貢し、

王の称号と中国との貿易を認めてもらっていた。

これを華夷秩序と言い、

中華思想に基づくものである。


ちなみに、皇帝というのは、

元々は中国独自の称号であり、

中国以外に皇帝は存在していなかったが、

明治維新の時、

日本人によって英語などが翻訳される際、

Emperorの訳語として「皇帝」が使われ、

それがその後、定着するようになった。

したがって、明治維新の以後に誕生した

大韓帝国や満州国には皇帝がいたが、

それ以前には、皇帝は中国にしかなく、

歴史の教科書などに登場するそれ以外の皇帝は、

説明便宜上のものでしかない。


日本も古代においては華夷秩序の下にあり、

倭の五王の時代などは代表的な例だ。

簡単に言えば、中国が親分、

日本が子分の関係だったわけである。


しかし日本は、この華夷秩序から脱却する。

聖徳太子の時代からだ。


 東天皇敬白西皇帝

 …東の天皇、西の皇帝(当時は隋)に敬白す


…と、中国に書状を送っている。

日本の王もまた、王の中の王としての称号として

「天皇」を名乗る事で、

名目的には中国と対等になり、

華夷秩序からの独立を果たしたのである。

当時は、中国でも皇族は

生まれながらにして「王」の称号を名乗っていた。

だから日本でも、国王が天皇という

一段上の称号を名乗ったため、

皇族もまた「王」や「女王」という称号に

格上げされたのである。


ちなみに韓国では、マスコミなどが、

日本の天皇の事を日王と表現しているが、

これは華夷秩序の下にあった

韓国の歴史の名残であり、

中国以外には皇帝は認めないという姿勢からのものだ。

中華思想の本場である中国ですら、

天皇という称号を堂々と使っているのに、

韓国で中華思想の影響が強く残っているのは、

実に不思議な話である。



現在、天皇は英語ではEmperorと訳される。

皇帝と同等なわけだが、

ただ、皇帝と天皇は全く違う存在である。

皇帝は易姓革命を基調とするが、

天皇の場合、万世一系を基調としている。

万世一系とは、神の子孫である事を自称し、

その男系の子孫しか天皇になれないというものだ。

これだけを聞くと、ものすごく傲慢で

専制的な印象に見えるかも知れない。

対して易姓革命は、天子は時代において変わるもので、

その時代の実力者が天子であり、

姓が変わっても(易姓革命)問題はないという発想のものだ。

これを見ると、万世一系より、

皇帝の易姓革命の方が正当にも思えるが、

これがために中国は何度も乱れ、

時に中国人ではない者に国を支配(清など)され、

その秩序は大きく乱れた。

中国は易姓革命を採用したがために、

中国人は、国を失う事もあったのである。


その点、日本の場合、万世一系と言っても、

それは皇位の継承に限られた話であって、

権力までが万世一系で継承されたわけではない。

権力は、時代時代の実力者によって継承され、

天皇は、権力の継承者ではなく、

権力の継承を認証する役割だけに徹し、

皇位という国の命脈を示す称号だけが、

万世一系によって継承されたため、

日本人は、いつの時代に革命や大改革が起きても、

国を滅ぼさず、国を失わず、

現在までやってこれたわけだ。

国という地位と国権という権力を分離する事によって、

日本は、世界で最も安寧なる秩序を築いたのである。



話を戻そう。


こうした歴史があって、

現在の日本には8人の女王が存在しているわけだ。

では、この女王は、

例えばイギリスのエリザベス女王と対等で、

天皇はそれよりも上だというのか?

…という疑問を当然持つだろう。

しかしそうではない。


エリザベス女王は、一国の元首なので、

その敬称は「陛下」だが、

日本の女王の敬称は「殿下」である。

日本で陛下を名乗れるのは、

天皇や皇后だけであり、殿下はその下だ。


ちなみに今、エリザベス女王を

「一国の元首」と表現したが、

厳密には、イギリスの国王は、

カナダやオーストラリア、ニュージーランドなど、

16ヶ国の英連邦王国の元首も兼ねている。

国旗にイギリスの旗である

ユニオンジャックが描かれている国があるが、

そうした国の元首は、

現在で言えばエリザベス女王であり、

エリザベス女王は、16ヶ国の王を兼務している。

カナダのように、

イギリス国旗が描かれていない国旗を

採用する国もあるけどね。


そして、決定的な違いは、その発音だ。

これまで、ふり仮名をふってこなかったが、

日本の女王の場合、

その発音は「じょおう」ではなく、

「にょおう」である。

たぶん、多くの人は「じょおう」と

呼んでしまっていたのではないだろうか?

なので、元首である王と

日本の王とでは全く違うのである。



さて、日本には8人いる女王だが、

俺は以前から、こうした伝統をもっと活用したいと思っていた。

もっと文化的に日本を活性化させ、

盛り上げていく手段として。

それを具現化した案があり、

俺は、これを憲法に盛り込みたいと思っている。


その案を「文王(ぶんのう)制」という。












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