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夏にピアノを弾く理由

掲載日:2026/10/17

その時はすでに日没していた。


高校3年生の成実(なみ)は教室に居残っていた。夢中で楽譜を作っていた。

成実の恋人である未央(みお)に向けて曲を書いていたのである。

未央は成実の恋人であると同時にクラスメイトだ。

未央は受験勉強のために教室に通わない日が続いている。


「あなたに伝えたい」「いつも覚えている気持ち」

「あの日見上げた星空」「はじめて手を繋いでくれた」

「誰よりも」「誰よりも」「愛している」


成実と未央の出会いは電車だった。未央が成実に声をかけたのがはじまりだった。

それから連絡先を交換して付き合うまでに時間はかからなかった。


未央が学校に来なくなってから、成実は毎日こうして曲をつくり続けた。

未央に誘われてはいった軽音部。初めて触れるキーボード。

音楽には未央との思い出がたくさん詰まっていた。


電話も音信不通がつづいている。それでも届けたくて作ったのが始まりだった。



いきなり静まり返っていた教室に着信音が鳴り響いた。未央からだった。



震える声を抑えておそるおそる電話に出た。

「もしもし?」


「成実……。よかった。出てくれないかと思ったよ。


おれ、第一志望の大学に合格できたんだ!


来週からまた学校に行くよ。 ごめんな、心配かけて。」


久しぶりに聞く声に涙があふれる

「ばか…。おめでとう。」


成実は大学に行くつもりはなかった。

そんなことよりもはやく家を出てみたかった。



高校を卒業して3か月。都内の企業で内定が決まった。


嬉しさと同時に、大学生の未央としばらく会えなくなってしまうのは、

成実にとって大きな苦痛でもあった。


成実は勇気を振り絞って未央にきいてみた。


「引っ越しまであと10日。それまで毎日会えない?

ほら、しばらく会えなくなるの、寂しいじゃん。」


未央は目を丸くして


「そうか……。もう会えなくなるのか。


またすぐに会えるよ。」


そういいながら、顔は笑っていた。



成実は未央に振られる覚悟で遠距離になることを話したが、

意外な反応にほっとした。



それからの10日間、夕方は毎日彼の大学の前で未央をまつようになった。


「今日はどこ行こうか。」「どんな楽しいことをしよう」


胸を弾ませていた。こんなに毎日会えるのは、一緒に部活していたころ以来だった。


いっしょに映画を見て笑いあったり、水族館に行ったり、

「まるで夢のようだった。」


未央は笑う。


「夢なんかじゃないよ。全部現実なんだよ。」


幸せだ。


高校生のときは放課後に一緒に帰るだけでも楽しかった。

でも今は、より長く、ずっと一緒にいたいと思った。


時の流れははやかった。最終日。

いつものように連絡を待っていた。


「きょうもきっと会ってくれる。」


なんでそこまで信じていたのかわからないけど、それだけは確信できた。


1件の新着通知。

「ごめん、もう会えない。」「さよなら。」


頭が真っ白だった。「え?」


あの未央がそんなこと言うはずがない。

しばらく動けなかった。胸が引きちぎれそうだった。


焦って家を飛び出す。



最後にお別れだけでも伝えないと。

大好きな彼に、伝えないと。


「あなたに伝えたい」「いつも覚えている気持ち」

「あの日見上げた星空」「はじめて手を繋いでくれた」

「誰よりも」「誰よりも」「愛している」


いつ書いただろうな、そんな言葉たち。

あの時の私も、きっと不安だったんだね。


頭の中をずっと反芻していた曲。


いつもの集合場所で、待っていたかのように未央はいた。


「最後に伝えないといけないことがあるんだ。」

「…」


「じつは、俺、もう、、長くないんだ。


病院に通っていたことも、ずっと言えなかったんだ。


ごめんな。心配かけたくなくて…。」


そういいながら、彼は私の顔に触れて泣いた。



言葉にならなかった。


私はただ彼の前で立ち尽くすことしかできない、弱かった。


ただ隣で寄り添うことしかできなかった。



「またね。また絶対に会えるよ。」



そう笑ってみせた、のが1年前。


仕事に疲れてやさぐれた成実は心の拠り所をもとめて未央に会いに行く。


石になってしまった未央の前で今日もピアノを弾いている。


今も、来年も、何年後でも、何十年後でも。「あなたに会いたい。」

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