聖女様がいなくなったからって元鞘に収まるとか、まさか本気で思ってたんですか?
センティーカ国立魔法学園。魔力の兆候が現れた者は十五歳になると身分を問わずこの学園に入学し、三年間魔法についての知識や実技を学ぶ。
一年校舎へと続く渡り廊下を歩いていると、後ろから誰かに呼び止められた。
「やあ、フレイラ」
声の主はこの国の第一王子、アンファだった。
「ごきげんよう、殿下」
「来週のパーティーのことなんだけど、当日はぜひ僕にエスコートさせてもらえるかな?」
「はい。むしろ殿下以外に私を気にかけてくださる殿方なんて、他にはおりませんから」
「そ、そうか…」
「はい」
「…えーっと、その小説、いつも持ち歩いているけどそんなに面白いのかい?何回も読んでいれば飽きるだろうに、よければ僕のオススメの本を贈ろうか?」
「せっかくですが、お気持ちだけ頂戴致します。それにこの本は、当時あの国でお世話になっていたお友達から頂いた思い出の品でもありますの」
「あー…そうだったんだね…」
「はい」
「…」
「…」
「…それじゃ、僕はこれで」
話が続かない気まずさに耐えきれなくなったアンファは、早々に去っていった。
本来であればここは気を回して私の方からも会話を広げるべきなのだろう。だが、本音を言えば彼と会話をすることすらできれば避けたかった。
そんな私達はかつて“婚約者”から“元婚約者”になり、そして現在は“婚約者候補”という関係にある。
この複雑な経緯には、ある一人の少女が深く関係していた。
◇◇◇
『救済の女神伝説』。この世界に住む者なら誰もが知る昔話。
かつてこの世界が大規模な飢饉に陥り、人々は疫病に侵され、もはや終わりを待つばかりとなった時、一人の少女が現れた。
少女の祈りは恵みの雨を降らせ、大地に植物を芽生えさせ、病気の人々を癒やした。
少女は『救済の女神』と崇められ、その存在は何代にも渡って語り継がれることになった。
女神はその後忽然と姿を消したが、それから数百年に一度、左手の甲に花のような痣を持った少女が現れるようになった。
救済の女神と同じ能力を持ったその少女は『聖女』と呼ばれ、聖女が生まれた国は繁栄が約束された。
私、フレイラ・ボルタニカの手の甲に痣が現れたのは十五歳の誕生日。来年に魔法学園への入学を控えていた年だった。両親は大変喜び、痣の存在を知った王家からの強い希望の末、第一王子アンファとの婚約も決まった。
天から聖女に選ばれた以上、この国のために誠心誠意頑張ろうと強く心に誓った私は、王子と共に魔法学園の門をくぐった。
だが入学式の最中、壇上の空間に裂け目が生じ、中から一人の少女が現れたことで私の運命は大きく狂っていった。
『ミドリ・ハルサカ』と名乗った彼女は異世界の出身であるにも関わらず、私と同じように左手に痣を持つ不思議な存在だった。
しかし、私達の痣は歴代の聖女のように美しい大輪の花では無く、丸く膨らんだ蕾であった。
伝承通りに植物の成長を促進させる魔法などは使えるものの、過去の聖女達と違ってその力は微々たるものだった。
「蕾が花開く時、真の聖女として覚醒する」
王宮お抱え魔術師の立てた仮説の元、今代の聖女は二人の内どちらかが選ばれることになった。
選定基準として魔力、学力、礼儀作法などの項目が設けられたが、後にそれらは全くの無意味になるなんてこの時点では誰もわからなかった。
ミドリは私を目の敵にし、彼女によって多くの罪を捏造された。私物を隠され壊され、人気の無いところで悪口を浴びせられたりなど。
また、ミドリは男性に取り入るのがとても上手く、学園の男性陣のほとんどが彼女の味方となった。
私の婚約者であるはずのアンファですら、学園をミドリと仲睦まじく歩く様子がよく見受けられた。
根も葉もない噂を流され続け、他の生徒達から遠巻きにされるのも慣れた頃、ミドリは「フレイラ様は悪魔の使いだという夢のお告げがあった」と信憑性の欠片も無い馬鹿げたことを言い出した。
しかし、アンファはミドリの言い分を信じ「聖女を陥れようとした悪魔を許すわけにはいかない」と大層お怒りになった。
そして私は二年生に進級することなく魔法学園を退学処分、アンファとの婚約も破棄され、国外追放の刑が下った。
両親は王家に対して私の無実を必死に訴えたが、爵位の剥奪をちらつかせられてしまえば押し黙る他なく、私は家と領民を守るため、国外追放を甘んじて受け入れた。
国を追い出される直前、聖女の証である痣を麻酔も無しに皮膚ごと剥がされた。ちなみにこれは王子直々の命令であった。
「いくら悪魔でもかわいそうだから」と、ミドリによってかけられた治療魔法はなんともお粗末なもので、再生した皮膚の色は赤紫色となってしまい、人前に出る時は手袋が欠かせなくなった。
センティーカを出てから山をいくつも越え、広野を歩き続け、疲れと栄養失調から目の前が霞んできた頃、ある国にたどり着いた。
そこはセンティーカの北に位置する同盟国『エノウ』であり、国の端に位置する小さな村のお世話になった。
「同盟国の出身とは言え、国外追放に処された元令嬢」という立場ゆえに当初こそ警戒されていたが、時間が経つにつれて人々の態度も軟化していった。
決して裕福ではないがのどかな生活はとても心地よく、親しい友人もできた頃、村に両親が現れた。
再会の喜びも束の間、二人から良い知らせと悪い知らせを告げられた。
私が国を出てから半年後、ミドリが突如センティーカから消えたという。更に詳しく言えば、魔法学園で特に親密だった男子生徒三人を引き連れて。
そしてミドリの失踪からまもなくして、彼女に頼まれて嘘の証言をした者達が次々と名乗り出始めた。
ある者は後日たんまりと謝礼を渡すと嘘をつかれ、ある者は弱みを握られて仕方なく従うしかなかったとのことだった。
こうして身の潔白が証明された私は、晴れて実家へと戻れることになった。
しかし、その後の悪い知らせは私の予想の斜め上の内容だった。
私がセンティーカに戻るにあたって、再びアンファの婚約者になってほしいと、王家から打診があったそうだ。
嘘を鵜呑みにして無実の婚約者を国外追放し、新たな婚約者だと公言していた聖女様には逃げられた間抜けな第一王子の評判は落ちるところまで落ち、新たな婚約者として目星をつけていた令嬢の皆様には軒並み拒否されたそうだ。
そこで私に白羽の矢が立ったとのことだが、アンファの妃になるなんてまっぴら御免だ。それこそ、野垂れ死んだ方が遥かにマシだと思えるくらい。
しかし、断ってしまえば今度こそボルタニカ家の爵位剥奪が確実になるだろう。
私は村で一番親しかった友人に相談をしたところ、アンファとの結婚を回避した上で家に戻ることができ、なおかつアンファ…もとい王家に意趣返しができる方法を提案してくれた。
そして私はある条件の元、センティーカへ帰国することになり、魔法学園での学びも新たに一年生からやり直しとなった。
◇◇◇
迎えたパーティー当日。
このパーティーは、センティーカやエノウを含める五つの同盟国の王族や貴族が一同に介する、四年に一度開催される懇親会だ。
今回の開催地であるセンティーカは、当初の予定では聖女のお披露目も兼ねていただろうからさぞかし鼻が高かっただろう。今となっては、ミドリさえ消えなければの話だが。
国王陛下が他国の王族と挨拶を交わしているが、どこか小馬鹿にした表情を浮かべる王族に対して、陛下はどこか気まずそうな顔で対応をしている。
遠巻きにその様子を観察する他国の貴族が、なんとも意地の悪い顔でひそひそと話し合っている。
「本来であれば聖女様もこの場にいらっしゃったのでしょうが…」
「『先代に続き、今代の聖女も我が国から現れた!』と、あれだけ触れ回っておきながら、ねえ?」
「二百年ぶりに現れた聖女様だったというのに…一目でもお目にかかれればと思っていたのですが。全く持って残念ですなぁ」
ミドリが行方不明になったことは他の国にも知れ渡り、センティーカの肩身はすっかり狭くなってしまった。
「ほら、第一王子のお隣にいらっしゃる令嬢。あの方がもう一人の聖女候補だったそうですよ?けれど聖女の証を剥がされて国を追い出され、挙句再び王子の婚約者に戻されたとか」
「なんともお可哀想に…奴隷の方がまだ人権がありますな」
本人達は声を抑えているつもりだろうが、会話の内容がこちらにまでうっすらと聞こえてくる時点で内緒話の意味が無い。
そんなことには一切気付いていないアンファが色々と話を振って来たが、彼の趣味である狩りや剣の鍛錬など、女性にとっては興味をそそられない話題ばかりであり、私は「はい」「いいえ」「そうですか」としか返せなかった。
そして会話が途切れて少し経った頃、一人の男性が私達に近づいてきた。
私とほぼ同じくらいの身長で、女性と言われても差し支えないほどの中性的な顔立ちの彼は、アンファに対して一礼した。
「お久しぶりです、アンファ王子」
「やあカデル王子。前回のパーティー以来ですね」
「そちらの方は?」
「彼女は僕の婚約者の…」
私がコホンと小さく咳払いすると、アンファは罰が悪そうな顔をした。
「…婚約者候補のフレイラ・ボルタニカです」
「候補、ですか」
「えーっと、はい。まあ色々ありまして…」
「なるほど。正式には婚約者ではないのですね。アンファ王子の口から確認できてよかったです。では、フレイラ嬢」
「はい」
私はカデル王子から差し出された手を迷いなく取った。
「えっ…フレイラ?」
呆気に取られるアンファを置いて、私達はパーティ会場の真ん中へと移動した。
カデル王子は私と繋いだ手はそのままに、私の真正面に跪いた。
「フレイラ・ボルタニカ嬢。私は貴女をお慕いしております。どうか、私の妻になっていただきたい」
カデル王子の少し高めな声は大きくハッキリと辺り全体に響き、賑わっていた会場内は一瞬でシンと静まりかえった。
「もちろん、喜んで」
私が微笑みながら返事をすると、目の前の彼は嬉しそうに破顔した。
夜会の場で、他国の王子が公爵令嬢に求婚するというまさかの出来事にざわつく会場内。それに紛れて拍手の音も聞こえてくる。
「ま、待ってくれ!何を言ってるんだ二人とも!」
慌てた様子のアンファが私達に駆け寄ってきた。
「カデル王子、一体何を考えているんだ!それにフレイラ!君も何故了承したんだ!?」
「何…とは?私はただ、誰とも婚約関係に無い令嬢に求婚をしただけですが」
「それはだけとは言わないよ!そもそも君達は初対面だろう!?」
「いいえ、違いますわ。アンファ殿下。カデル様は私がエノウに身を寄せていた頃から、私のことを気にかけてくださっていました。」
「は?だって君は王都でもなく、ただのちっぽけな村の世話になってたんだろう?どうしてカデル王子が…」
「その説明については僕が」
カデル様が手を上げて、私をアンファから隠すように前に出た。
「フレイラ嬢がちっぽけな村…もとい、コジハ村に身を寄せていた時、僕はたまたま名と身分を偽って村の視察に訪れていましてね。村民からフレイラ嬢の話を聞き、接触を試みました。最初はどんな悪女がやって来たのかと思っていましたが…フレイラ嬢はとても素直な優しい心の持ち主で、悪事を企むなどこの方には到底無理だと確信いたしました」
当時の私もカデル様から素性を明かされた時は本当に驚いた。
村のために家具や家の修繕を進んで行い、子供達と体力が尽きるまで遊んであげていた木こりの少年が、エノウの第二王子だったなんて。
ちなみに相談に乗ってくれた友人というのもカデル様のことだ。
王家の勝手すぎる振る舞いに対して私以上に怒ってくれた彼は、親身になって相談に応じてくれた。
婚約者候補の件も、先程の公開プロポーズも、実は彼が提案してくれたアイデアである。
まさかの事実に口をあんぐりと開けて固まるアンファはなんとも品がない。
「だっ…だからってそんなの無効だよ!だってフレイラは僕の婚約者なんだよ!?」
「殿下!申し上げますが、フレイラは婚約者ではなく婚約者候補です!お集まりの皆様に誤解を招かせる発言はお控えいただきたい!殿下は王家と我がボルタニカ家が交わした約束を、まさかお忘れだとおっしゃるのでしょうか?」
アンファの発言を訂正したのは私の父だった。アンファに向けるその目つきは鋭く細められている。
「『フレイラが十八歳になるまで他の殿方から婚約の申し込みが無ければ、改めて第一王子の正式な婚約者に戻る』と決められたあの話し合いの場に殿下はいらっしゃいませんでしたが…陛下の方からお話はありませんでしたか?」
カデル様のアドバイスの元、父が婚約者候補の件を提案した際、国王はいい顔をしなかったそうだが「フレイラ自身、醜い傷がある自分では殿下にふさわしくないと気に病んでいる」と建前を付け加えればさすがに負い目を感じたらしく、渋々ではあるが上記の条件付きで了承された。
そう。了承されたはずなのだが、アンファはうっかりなのかわざとなのか、周囲に対して出戻った私のことを度々「婚約者」と間違った紹介をしていた。「婚約者」と「婚約者候補」では、立場は全く違うのだから、こちらとしてはとんだ迷惑である。
私もその都度咳払いで訂正を促していたので、一時期は喉にいいと評判の紅茶を愛飲していた。
「も、もちろん知ってるよ!だからフレイラが他の男から求婚されないように、裏でこっそり手を回して…」
「アンファ!この馬鹿が…!」
「あっ…」
国王が息子の失言を叱責したが、時すでに遅し。
「まあ…やっぱりあの噂は本当だったんですのね。学園でフレイラ様に殿下以外の殿方が一切お近づきになろうとしないのも、おかしいと思ってましたわ」
「聖女の証が現れる前から多くの婚約の申し出があったそうですもの。過去に冤罪をかけられたぐらいではその人望は変わらないと思ってましたが…王家が根回しをしていたなら納得ですわね」
魔法学園の生徒である令嬢達が、アンファに冷めた視線を投げかける。
「ち、違うんだよフレイラ…僕はただ前と同じように君と仲良く過ごしたかっただけで…」
アンファは縋り付くように訴えるが、さすがに我慢の限界である。
「殿下…私がセンティーカに戻った際に、私にかけられた第一声を覚えておいでですか?『久しぶりだね。変わってなさそうで安心したよ』と、謝罪の一言もありませんでしたよね?」
「えっ…?だ、だって…」
「あの時に少しでも謝ってくだされば、まだ殿下への評価を改められたかもしれません。けれど、変わっていないのはむしろ殿下の方です。いつも能天気で気遣いはおろか場の空気も読めず、自分の非を認めて謝ることもできない、まるで大きなお子様。そんな貴方様と過ごす時間はとてつもなく苦痛でした!」
私の発言にショックを受けたのか、アンファは心底悲しそうな表情を浮かべる。
「ずっと…僕のことを憎んでたってこと?」
「むしろ許したと申した覚えなどありません。あの日、殿下のご命令で聖女の証を剥がされたことを、私は今でもしっかりと覚えています」
そう言いながら私は左手の手袋を外し、痛々しい傷跡が残る手の甲を曝すと、群衆はどよめき、女性達からは小さく悲鳴が上がった。
「そんな…そんなの、言われないとわからないよ!だってあの時の君は、怒ってなかったじゃないか!」
アンファは顔を真っ赤にして叫んだ。
「再会した時の君は以前と変わらない澄ました顔で落ち着いた様子だったから、過去のことは水に流してくれたんだと思ってた!なのに、今になって昔のことをそうやって蒸し返すなんて酷いよ!」
酷いのは一体どちらなのだろうか…なんだか微かに頭痛がしてきた。
隣に立つカデル様も、私と同じ様に渋い顔をされている。
「アンファ王子…そもそも貴殿はフレイラ嬢に無実の罪を着させた挙句、一生残る傷を負わせた加害者ということを自覚されていますか?」
「違う!僕は被害者だ!僕はただミドリに騙されていただけなんだ!だから僕は悪くない!」
首をぶんぶんと横に振り反省の色も皆無なアンファの姿に、来賓者達は露骨に顔をしかめる。
「そもそもミドリが…ミドリ…ミドリ………どうして!どうしてミドリはいなくなっちゃったんだよぉ!僕だって、フレイラのことなんか本当は好きじゃないのに…!」
「お前はまた余計なことを…!あの女のことは忘れろと言っただろう!」
「だって!ミドリは僕のことを好きだって言ってたんだよ!?僕だってミドリのことを心から愛してる!僕にはミドリしかいないんだ!」
「この愚息が…衛兵!今すぐアンファを別室に…!」
「お話の途中に大変申し訳ありません」
アンファと国王の会話に、大胆にも割って入ったのはカデル様だった。
「夜会の最中であることは重々承知しておりますが、この場をお借りして国王陛下にご報告したいことがございます」
カデル様はそう言ってから、会場入口近くに控えていた従者に目配せをする。
すると、会場内に荷台が運ばれてきた。その上には黒い布が掛けられた大きな箱のような物が置かれている。
「皆様ご存知の方も多いと思われますが、我が国エノウはこの五ヶ国同盟の他に『ウノース』とも同盟を結んでおります。つい先日、転移門を用いてとある人物がウノースからエノウに送られてきました」
ウノースとはこの世界の最北端に位置する、一年中雪が降りしきる過酷な環境の島国だ。
同盟国間には転移門の設置が義務付けられており、どんな遠距離でも一瞬で移動ができる便利な魔法道具だ。だが誰でも自由に使えるわけではなく、主な用途は国家間の貿易や要人の移動など…単なる一般人ではまず使えない設備となっている。
「その者は年若い女で、ウノースに到着するやいなや『自分はセンティーカから来た、フリッグ王子の運命の相手だ。今すぐ王子に会わせろ』の一点張りで話もまともに通じない状態だったそうです。王子の暗殺が目的と疑われたため、ひとまずその者の身柄は拘束されましたが、特に武器なども所持していなかったために真の目的もわからずじまいだったそうで…女が自らの出身だと言っていたセンティーカの同盟国であるエノウに相談が持ちかけられました。私共が最終的に出した結論は、この容疑者を諸々の確認のためにセンティーカでの此度の会に同行させることとなりました」
センティーカの出身の若い女性という情報に、ある予感が頭をよぎる。
まさか、その箱の中にはいるのは…。
「この者も、自らをミドリと名乗ったそうです」
カデル様はそう言って掛かっていた布を取り払う。
檻の中にいたのは紛れもなくミドリだった。
常春のセンティーカではまず見ない厚手のコートに身を包み、スヤスヤと気持ちよさそうに眠る彼女の目元には、薄紫色の靄がかかっている。たしかあれは対象を強制的に入眠させる高度な魔法だ。
件の聖女が現れたことで、ホール中に今日一番のざわつきが起こる。それでも魔法がかけられたミドリは起きる気配が無い。
カデル様が指を鳴らすと、ミドリの目を覆っていた靄が消え、彼女は手袋がはめられた手で目を擦りながら身を起こした。
「ふあぁぁ…ちょっとぉ、フリッグ様はまだ来ないの?……は?どこよここ。てか何よこれ!?出しなさいよ!」
鉄格子を掴んで力いっぱい前後に揺らすミドリ。まるで捕らえられた害獣のようだ。
ガタガタと大きく揺れる荷台にアンファが駆け寄った。
「ミドリ!会いたかったよ!どうして僕の前から急にいなくなったの!?」
「うわっ、アンファ…!どうしてあんたがウノースにいるのよ!」
「ここはウノースじゃない。センティーカだよ!」
「はぁっ!?なんでよ!?あんなに苦労してウノースにたどり着いたのに!あいつら三人必死で言いくるめて付き添わせたのも、意味無くなったってこと!?とんだ骨折り損じゃない!」
「ふざけないで!」
人混みから一人の令嬢が前に出てきた。たしか彼女は、ミドリがセンティーカを出ていった際に引き連れていった内の一人と婚約関係にあった令嬢だ。胸の前で扇子を握りしめた手はプルプルと震えている。
「貴女…オリト様はどうしたのよ!貴女と共に国を出て、それからどうなったの!?」
「オリト?あいつなら道中で狼の群れに襲われそうになった時に『ここは俺に任せろ』とか言ったから、お言葉に甘えて置いてったわよ」
悪びれもせずに言い放ったミドリに、令嬢の手から扇子が落ちた。
「そんな…オリト様…」
「オリトなんかさっさと忘れて新しい男でも見つければいいじゃない。そもそもあんたのことも、家同士が勝手に決めた婚約者でしかないって愚痴ってたし」
声を殺して泣き出した令嬢に冷たく言い放つミドリ。彼女にはもはや血も涙もないのだろうか。
「そんなことより、早くあたしをウノースに戻しなさいよ!てか今は何月なの!?十月までにあたしが癒やさないとフリッグ様は…!」
「今は十一月ですよ、レディ」
カデル王子の声に反応してこちらを振り向いたミドリは目を見開いた。
「カデル!?それにフレイラも…なんであんたまでここにいるのよ!?てか十一月って、嘘…間に合わなかったの…!?」
「何故貴女が僕の名をご存知なのかはわかりかねますが、先程のもう一つ質問の答えがまだでしたね。フリッグ様はご健勝ですよ」
「何言ってんの!?変な嘘はやめてよ!フリッグ様は生まれつき不治の病に侵されてるのよ!それは聖女の力じゃないと治せなくて…」
「嘘ではありません。十月に十七歳のお誕生日を迎えられ、先日もエノウに両陛下と共にお越しになられたばかりです」
「何でよ…意味わかんない!本当なら二年生の中盤に、フリッグ様があたしの噂を聞きつけて病気を治してもらうために留学生として学園に来るはずだったのに、いくら待っても来ないからわざわざあたしの方から会いに行ったのよ!?てかなんでフリッグ様がエノウに?そんなイベントあった?」
意味不明な発言をしつつ首を傾げるミドリだが、首を傾げたいのはむしろ私達の方だ。
「…陛下。この者の身元、貴国に引き渡してもよろしいでしょうか?」
「あ、あぁ…この度は罪人の確保へのご協力、誠に感謝する」
「罪人って…あたしのこと!?なんであたしが!?」
あれだけの罪を重ねておいて自覚が無いとは、彼女の思考回路はどうなってるのか。
「もったいなきお言葉。ただ、待望の聖女だと思われていた人物がこのような犯罪者に成り下がるとは…心中お察し申し上げます」
「はぁ!?馬鹿にすんじゃないわよ!この受けキャラが!」
カデル様の皮肉めいた発言に、ミドリがすかさず噛みついた。
彼女の言った『ウケキャラ』が何を意味しているかはわからないが、侮蔑の類いであることは確かだろう。
「あたしは紛れもなく本物の聖女よ!そもそもあたしは救済の女神の子孫なの!メヴィークがあたしと同じ珍しい黒髪だったってこと、あんた達も知ってるでしょ!?何より、この痣が証拠なんだから!」
ミドリは左の手袋を外し、手の甲を見せつけてきた。
が、何も無い。
たしかに以前はあったはずの蕾が、綺麗さっぱり無くなっていた。
「は!?なんで?なんでよ!?」
自らも手の甲を確認したミドリは慌てふためき、手の甲を反対の手でゴシゴシと擦った。しかし、そんなことで痣が浮き出てくるなんてことはなく、ただ皮膚が赤く滲むだけだった。
そんなミドリの必死さなどお構いなしに、アンファが再び彼女に問いかける。
「ねえミドリ!僕のことをあんなに好きだって言ってたのに、どうして僕を置いていったの?君が望むのなら、僕はどこまでも着いていったのに…!」
「気持ち悪いこと言わないでよ!初期メン四人攻略しないとフリッグ様ルートが解禁されないから仕方なく接してただけで、あんたなんか別に好きでもなんでもないから!」
「どうして…どうしてそんなことを言うんだよ…僕は今でも君のことを愛しているのに……うわあああぁぁぁぁぁん!!」
アンファはみっともなく声を上げて泣き始めた。床に転がって手足をバタつかせる様子は、以前コジハ村で見かけた駄々をこねる五歳時とほぼ変わらなかった。
「泣いてるヒマがあるならここから出してよ!本当に気が利かないわね!」
涙と鼻水を垂れ流してみっともなく泣きわめく王子と、檻の中で暴れる聖女。
この後、半強制的に夜会がお開きになったのは言うまでもない。
◇◇◇
先日の夜会にて待望の再会を果たした、感情豊かな第一王子とその婚約者である聖女様はこの度婚姻関係となり、現在は仲睦まじく離宮にて暮らしているそうだ。
「…物は言いようとはよく言ったものですね。要は王位継承権を失った馬鹿王子と、聖女ですらなくなった犯罪者をまとめて幽閉したということでしょう」
隣に座るカデル様は苦笑しながら、センティーカから送られてきた手紙を机に伏せた。
あの地獄のようなパーティーから半年後、私たちボルタニカ家は領民達と共にセンティーカからエノウへ移住した。
アンファはミドリ以外と結婚する気は無いと断固として意思を曲げず、めでたく用済みとなった私達は特に引き止められることもなく、スムーズに移住の手続きを終えることができた。
国王陛下から公爵の爵位を賜った父は、その恩を返すために領地で日々新しい事業に取り組んでいる。
一方の私はカデル様の妻となり、心穏やかな日々を過ごしている。
「にしても…どうしてあの女はフリッグが病に冒されていたことを知っていたのでしょう?ウノースの国民ですら知らない機密事項だったはずなんですが」
「思うに、彼女には一種の予知能力があったのだと思います。入学式の時、この世界に現れたばかりの彼女は、まるでこちらに来るのが最初からわかっていたかのように妙に落ちついていましたし…授業中も度々船を漕いでいたのに、試験の選択問題だけは毎回満点だと教師も不思議そうにしていましたわ」
「なるほど。ですがその予知とやらも万能ではなかったようですね。なんせフリッグの病気は、君のおかげですっかり完治していたのですから」
私がコジハ村にいた頃、カデル様同様に身分を隠したフリッグ王子が静養も兼ねて村を訪れたことがあった。
王子から良くない気を感じ取った私は、許可を得てから彼に祈りを捧げたところ、彼がずっと感じていた体の不調が全て消えた。
その時に初めて気づいた。痣が剥がされたからと言って、私は聖女の力を完全に失ったわけではないことを。
雨乞いや植物を成長させる能力こそさっぱり無くなったが、治癒の魔法だけは残り、更にその力は以前よりも強力になっていた。
さすがに時間の経ちすぎた傷には効かなかったが。
私が移住した後のエノウでは、医者ですらさじを投げた重病人の生存率がぐんと上がった。
人々から『治癒の女神』なんて呼ばれているのは少々照れくさいけれど、私の力が国民のために役立てられるのならこれ以上に嬉しいことはない。
いずれセンティーカが噂を聞きつけて、私を連れ戻そうとする可能性はゼロとは言い切れないが、世界有数の武装国家であるウノースが後ろについたエノウ相手には強く出れないだろう。
つい先日もエノウに遊びに来られたフリッグ王子からも「恩人のフレイラ嬢が困った時はいつでも力になる」とお言葉を頂いたばかりだ。
「あの時、フリッグ王子のお力になれて本当によかったですわ。これからもこの力が続く限りは、人々のために精一杯努めていきます」
「…フレイラ。何度でも言いますが、俺は君が治癒の力を有しているとわかる前から君に好意を抱いていましたからね。昔から、外見のせいで女のようだと馬鹿にされていた俺に対して『頼りになる』『男らしい』と言ってくれたのは、君が初めてでしたから」
「それは私も同じですわ。自分のことは二の次で、常々周りのために尽力する優しいお方…貴方が本当の木こりだったとしても、私は貴方をお慕いしていました」
私達は顔を見合わせて微笑み合うと、そのままゆっくりと唇を重ねた。
閲覧ありがとうございました。
ちなみにミドリがエノウとウノースが同盟関係にあることを知らなかったのは、ゲームの発売から数年後にシナリオライターが個人ブログでひっそり明かした没設定だったからでした。




