ある刻印師の話
城塞都市バルクレスト。
王国の辺境に築かれたこの都市は、高い外壁と複数の門によって守られている。
都市の外には魔物の出没する地帯が広がっているが、内側に入れば市場もあれば住居もあり、人々は日常を営んでいた。
西門を守る第三部隊の詰め所は、この城塞都市の西門近くに構えられてい。
堅牢な造りのその内部では、武具の整備をする騎士や、書類を運ぶ兵士が行き交っている。
その詰め所の一角。
窓際の机の前で、彼女は静かに作業をしていた。
名はエリシア。年は二十歳。亜麻色の髪は、作業の邪魔にならぬよう後ろでまとめられている。
身に着けているのは、白を基調とした刻印師用の衣装。
彼女は第三部隊に所属する、刻印師である。
刻印師の役目は、騎士の装備にルーン文字を書き込み、
戦闘を補助する『加護』を与えることだ。
剣に、鎧に、盾に――神代より続くルーンを刻む。それらはただの装飾ではなく、すべてが意味を持つ。
刻まれたルーンにより、その武器、防具……そして、それらを装備する者に加護を与えるのだ。
エリシアは、自身の前に来る騎士や兵士たちの装備に対し、一つひとつ、丁寧にルーンを書き進めていく。
今日の巡回予定、過去の討伐記録、門の周辺で最近確認された魔物の傾向。
敵の種類が変われば、必要な加護も変わる。同じルーンを流用することはできない。
外では、巡回の準備をする騎士たちの声が聞こえた。
遠くで門が開閉される音もする。
エリシアはただ、黙々とルーンを書き続けていた。
「終わりました。どうか、ルーンの加護があらん事を」
そう言って、彼女は兵士の装備にルーンを書き終えた。
兵士は、「ありがとう」と告げてエリシアの前を立ち去る。
続いて、順番を待つ兵士がエリシアの前に出る。
「剣に対してのルーン付与をお願いします。実は、ちょっと腕を痛めていて……」
「承知しました」
エリシアは、短く答える。
「ルーンを刻むのは長剣一本、でよろしいですね。今日の任務は?」
「シャンドの森の巡回です」
彼女は会話をしつつ剣を受け取り、刃の状態を確かめる。
欠けはない。だが、微細な歪みが出ている。乱暴に剣を扱った証だ。腕を痛めたのもそれが原因だろう。
「今日は、斬撃強化を弱める代わりに衝撃吸収のルーンを少し強めます。シャンドの森では、大型の魔物が現われたという記録はありません。腕の負担が減る事を最優先にしました」
「分かりました。それでお願いします」
兵士は特に異論を挟まない。
それが正しい判断であることを理解しているからだ。
エリシアは細い筆を取り、剣の鍔に小さな文字で古代文字――ルーンを書き込んでいく。
書き終わると、最後に小さく祝詞を唱える。それだけで、剣の性質が変わる。
ルーンは、派手な光を放ったりはしない。外から見れば、ただの模様にしか見えない。
「完了です」
剣を返すと、兵士は下がった。
次の騎士、その次の兵士。装備も、任務の内容も、体格も違う。
エリシアは一人ひとりに合わせてルーンを変えた。
時に防具の耐久を高めるルーンを。時には、所持者の五感を強化するルーンを。
ひとつの装備品に刻めるルーンの数には限りがある。的確なルーンを見極める必要があった。
夕刻になると、詰め所の兵は出払い少し静かになった。
午前中に巡回に出る兵は出払い、夜警の兵が動き出すにはまだ少し早い時間帯。束の間の静寂だ。
エリシアは机上の記録を整える。
刻印師の仕事は、ルーンを刻んで終わりではない。誰にどのルーンを刻んだかを記録し、それが機能したかを後で確かめるのも彼女の役割だ。
「ははははは!」
その静けさを、乱暴な笑い声が破った。
扉が開き、数人の騎士がどかどかと入ってくる。
先頭にいた男が、真っ先に目を細めた。
クラウス・ヴァルト。
この第三部隊の中でも腕利きとされる中年騎士だ。
背は高く、肩幅もある。顔立ちも整っているのに、視線と口ぶりがそれを台無しにしている。
人を値踏みする目つきで、エリシアを見る。
「よう、刻印師」
その声には嘲りの響きがある。
仲間の騎士たちが、面白がるように口元を歪める。
エリシアは顔を上げた。表情は崩さない。
視線だけで、必要な情報を拾う。鎧の擦れ。武具の消耗。呼吸の乱れの有無。誰が無茶をしたか。
――ひとまず、ルーンは想定通りに作動したようだ。
そう思い、静かに安堵の息を吐く。
クラウスは、その落ち着きが気に入らないとでも言うように、机に近づいた。
「毎回毎回、何をそんな丁寧にやってんだか」
机の上に、バンと手を置く。振動で紙がずれる。
「俺らはよ……こっちは命張ってんだ」
エリシアが静かに紙を直すと、クラウスは鼻で笑った。
「お前のその仕事、要するに決まった形のルーンを書いてるだけだろ?誰にも出来る……おまけに、俺らみたいな危険のない仕事だ。いいご身分だよなあ」
「あの」
エリシアは、首を傾げる。
「何を仰いたいのでしょうか……?」
「愛想笑いのひとつもしてみせろって言ってんだよ」
「それは、私の役職の内には含まれていません」
エリシアはきっぱりと答えた。
「私の職務は、刻印師としてルーンを刻む事。私は、それに全力を注ぐだけです」
本音だった。
別に、波風を立てたい訳ではない。
刻印師としての職務に就いている以上――それに全力を注ぐ。それが、もっとも誠実な生き方だと思っていた。
「てめえ……」
クラウスの声が冷える。
さすがに見かねて、仲間のひとりが声を上げた。
「お……おいおい、たかが刻印師の言葉如きにマジになんなよ。このタイミングで問題起こせば、下手すりゃ謹慎で騎士団長御前試合に出れなくなるぜ」
その言葉に、クラウスの動きが止まる。
騎士団長御前試合――その名の通り、この国の騎士たちの頂点たる騎士団長の前で行われる剣術試合だ。
近日、その催しがこの城塞都市で行われる事になっていた。
そこで実力を認められた者は、騎士団長直轄の上級騎士に取り立てられる事になっている。
「……そうだな」
クラウスも、その御前試合の参加者だ。そして――上級騎士に取り立てられる事を望んでいる。
「こんな女に構ってる暇はねえな」
最後に一度、エリシアに侮蔑の視線を向けた後――クラウスは踵を返し部屋を出る。
詰め所には、再び静寂が訪れた。
◇
城塞都市内の小円形闘技場。
高い石壁に囲まれた円環の内側、その周囲には中央から派遣された騎士たちが整然と並ぶ。彼らの中央の高台には、白を基調とした騎士服をまとう男が、静かに腰を下ろしていた。
王国騎士団長、レオンハルト・フォン・グラーフ。
二十代半ばという若さにありながら、この国の騎士団長として名を轟かせる人物である。白金色の髪は淡く光を受け、蒼い瞳は澄み切っている。
精悍さと秀麗さを併せ持つその顔立ちは、見る者に強い印象を残す。
その視線が闘技場に向けられているだけで、空気がわずかに引き締まる。
今から始まるのは、城塞都市バルクレストの北門を守る第二部隊と、西門を守る第三部隊の代表による剣術試合。
第三部隊の代表として闘技場の隅に立つのは、クラウスだ。
クラウスは胸を張り、いかにも自身満々といった風情だ。しかし足運びには無駄が多く、剣の構えも粗い。
エリシアはその背中を見つめながら、頭の中で静かに情報を整理していた。
(相手の剣士は第二部隊のエース。素早い踏み込み、やや右よりに重心を置く癖。防御よりも初動の攻めを重視する型)
クラウスの相手は、初手からの速攻に絶大な信頼を置いている。となれば、こちらの取るべき戦法は……それをいなす事。
そうすれば、必殺の速攻さえ耐え切れば、必ず隙が生まれる。
(となれば、攻撃よりも脚力と反応速度に重視したルーンを、刻むべき……)
そう結論付けた。
準備時間は十分にある。
刻印師として、やるべきことは明確だった。
クラウスの横に立つエリシアは小さく息を吸い、ルーン筆を取り出す。
「クラウス様、ルーンを刻みます。刻むルーンは、脚力と反応速度の上昇……」
その声は、途中で遮られた。
「いいから早くしろよ」
振り返りもせず、クラウスが吐き捨てる。
「ルーンなんでどうだっていいんだよ。騎士団長が見てるからって、張り切ってるんじゃねえよ」
エリシアの手が止まる。
「ですが、相手は初動が速く——」
「だから何だってんだ」
苛立ちを隠そうともしない声だった。
「誰がやっても同じだろ。ここで大仰なルーンでも刻んで、『私のルーンのおかげで勝てました』ってツラでもするつもりか?時間をかけんじゃねえ。普通のルーンでいい」
エリシアは一瞬だけ視線を落とし、そして頷いた。
「……分かりました」
施したのは、標準仕様のルーン。
身体強化と耐久補助を施した、『普通のルーン』だ。
「これで終わりです」
クラウスは満足そうに鼻を鳴らし、前に出た。
エリシアはその背中を見送りながら、心の中で静かに区切りをつける。
(——選んだのは、あなた自身。)
クラウス、そして対戦相手の二人が闘技場の中央に立つ。
試合開始の号令が響いた。
クラウスは、ちらりと騎士団長レオンハルトを見る。
(見てろよ)
口の端を吊り上げた。
剣を構え、一歩踏み出す。
その瞬間、対戦相手が大きく踏み出した。
(へっ……この程度……!)
回避して、カウンターの一撃を叩き込む。
それはクラウスにとっては余裕の事だ。――その、はずだった。
「あ……?」
回避が、間に合わない。体に……いつものようなキレがない。
対戦相手の持つ、試合用の刃引きの剣が――クラウスの体に、叩き込まれた。
◇
第三部隊の控え室の空気は、敗戦の熱を引きずったまま重く淀んでいた。
鎧を外したクラウスが、床に籠手を叩きつける。
「……ふざけんなよ」
その声には、隠しきれない怒気が含まれている。
「なんだよ、あの加護は。明らかにおかしかっただろ」
「おかしい……とは?」
「俺の動きが、いつもと明らかに違った。てめえ……俺の動きを阻害するルーンでも刻んでやがったんじゃねえのか!?」
「いえ。あなた様のお望み通りのルーンを刻みました。『普通』のルーンを」
「あ?」
「個別調整なし。公式規定の、ルーンです」
説明するまでもない。
最低限の補助しか与えない、『普通』の加護。
「てめぇ……!」
クラウスが一歩踏み出す。
「誰のせいで負けたと思ってんだ!騎士団長の前で、俺がどれだけ恥を……」
「あなたが言った通りにしました」
エリシアの声は淡々としている。
「『時間をかけるな』。『普通でいい』と」
「なんだと……?」
「今までも、同じようなことを仰られたことはありましたが……魔物との戦いにおいて『普通の』ルーンを刻み、その結果として命を落とすことがあってはならないと思い、普通のルーンは刻んで来ませんでした」
これまで、エリシアは……誰に何を言われようとも、考え得る限りもっとも適したルーンを刻み続けてきた。寝る間も惜しみ、身に着けた高度な技術を用いて。
もしもそこで妥協すれば、最悪の場合、人が死ぬ。それも一人ではなく――大勢の人が。
だからこそ、常に適切なルーンが刻まれ、クラウスのような人間であっても、魔物との戦いで活躍することが出来ていたのだ。
「ですが、今回は……個人の力量を試すための試合。クラウス様が、望まれたのであれば――私としては、その望み通りのルーンを施すべき。そう判断しました。そして、クラウス様は自身の実力で戦われました。――満足、いただけませんでしたか?」
「なに……?」
「ご自身の力を、遺憾なく発揮されたものと思います。そして――その実力に見合った結果が、示されました」
その瞬間、クラウスの顔が歪んだ。
「てめえ……!」
怒声と共に、クラウスは壁に立てかけてあった剣へと手を伸ばした。
試合に用いられる刃引きの剣ではない、真剣だ。
鞘走りの音が、控え室に鋭く響く。
「その身で受けろ!俺を舐めた報いを――」
剣が、振り上げられる。
その瞬間だった。
「――そこまでだ」
低く、よく通る声。
扉が開き、白金色の髪を揺らす秀麗な騎士が姿を現した。
「き、騎士団長閣下……!」
王国騎士団長レオンハルト・フォン・グラーフ。
その姿を認めた途端、クラウスの手から剣が滑り落ち、床でカランと乾いた音を立てた。
「クラウス――という名だったか。先の試合の敗北自体は、仕方のない事だ。だが――その責を刻印師に押し付け、挙句、危害を加えようとするとはな」
短く、ため息が落ちる。
「騎士団長として、その行いを看過する事はできない」
そう言って、レオンハルトは扉の方を振り返る。
「――この男を連行しろ。暴行……いや、殺人未遂犯だ」
即座に応じ、扉の外から騎士が二人、姿を現した。
「ひっ……ま、待ってくれ!やめろ!」
抵抗は虚しく、クラウスは瞬く間に取り押さえられる。
左右を騎士に拘束され、そのまま部屋の外へと連れ出されていった。
レオンハルトはその様子を一瞥した後、エリシアへと視線を戻す。
「……大した胆力だ。殺されかけたというのに、怯えの色ひとつ見せないとは」
「私自身に、ルーンを施していましたから」
そう言って、エリシアは服の袖を僅かにめくる。
その内側には、確かにルーンが刻まれていた。
「あの方が繰り出す一撃であれば……このルーンを刻んでおけば、十分に跳ね返せると踏んでいました」
「……参ったな」
レオンハルトは、苦笑する。
そして、一歩、エリシアへと近づいた。
「しかし、あなたは……俺が探していた人物のようだ」
「どういう事でしょう」
「騎士団本部に、来ていただきたい。王国の中枢で――刻印師としての力を、存分に発揮して貰うために」
「……」
沈黙するエリシアに、レオンハルトは言葉を重ねる。
「本部所属となれば、給金も今までとは比べ物にならない。俺の推薦であれば、異を唱える者もいない。悪い話ではないと思うんだが――」
「いくつか、お聞きしてもよろしいでしょうか」
「ああ」
「私がいなくなった後、この城塞都市バルクレスト第三部隊の刻印師は?」
「実を言うと、この城塞都市の軍備を再編するつもりでね。城塞自体も老朽化している。それを一新するのと同時に、兵と刻印師も増員する予定だ」
「それなら……大丈夫ですね」
エリシアとしては、自分だけが中央へ引き抜かれ、後は知らない――というつもりはなかった。
自分が去った後の城塞都市の行く末は、気がかりだった。
だが、この騎士団長が軍備を再編するというのであれば。心配はいらないだろう。
それでも――まだ、気になる事があった。
「王都には、大図書館があると聞いています。そこには、ルーンに関する記述の書かれた書物も……数多くあると」
頭に浮かんでいたのは、書棚だった。
厚い背表紙が並ぶ大図書館。
神代から続くルーンの変遷、失われた刻印式、地方では閲覧が許されていない古文書。
「私がそれらを読む事は、可能ですか?」
「もちろんだ」
「失伝したルーンの再構成や、複合刻印の研究も?」
「無論、可能だ」
その答えを聞いた瞬間、エリシアの口元が綻んだ
「……そうですか」
その声は、先ほどまでよりも少しだけ軽い。
「私は、ルーンを刻むのが好きです。知らないルーンがあれば、読みたい。試せるなら、試したい。それが出来る場所へ行けるなら……ぜひ、連れて行ってください」
一拍の沈黙。
レオンハルトは、小さく息を吐いた。
「……なるほど」
苦笑とも感嘆ともつかぬ表情で、肩をすくめる。
「金でも、地位でもなく……好きなルーンに没頭できるから、王都に行く――か。君のような刻印師は、初めてだ」
「そうでしょうか」
「少なくとも、俺の知る限りではな」
騎士団長は、どこか楽しげに言った。
「だが――悪くない。そういう人間の方が、信用できる」
その言葉を受け、エリシアは再び、小さく口元を緩める。
「では……よろしくお願いします」
そう応じた声は静かで、いささかの揺らぎもなかった。
だが、その時すでに――彼女の意識は、この場を離れていた。
思い描いているのは、まだ見ぬ数多のルーン。
これから触れる知識と技法、その連なり。
彼女の心は、すでに次の探究へと向かっていた。




