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ある刻印師の話

作者: 六条少将
掲載日:2026/01/28

 城塞都市バルクレスト。

 王国の辺境に築かれたこの都市は、高い外壁と複数の門によって守られている。


 都市の外には魔物の出没する地帯が広がっているが、内側に入れば市場もあれば住居もあり、人々は日常を営んでいた。

 西門を守る第三部隊の詰め所は、この城塞都市の西門近くに構えられてい。


 堅牢な造りのその内部では、武具の整備をする騎士や、書類を運ぶ兵士が行き交っている。


 その詰め所の一角。

 窓際の机の前で、彼女は静かに作業をしていた。


 名はエリシア。年は二十歳。亜麻色の髪は、作業の邪魔にならぬよう後ろでまとめられている。

 身に着けているのは、白を基調とした刻印師こくいんし用の衣装。


 彼女は第三部隊に所属する、刻印師(こくいんし)である。


 刻印師(こくいんし)の役目は、騎士の装備にルーン文字を書き込み、

 戦闘を補助する『加護』を与えることだ。


 剣に、鎧に、盾に――神代より続くルーンを刻む。それらはただの装飾ではなく、すべてが意味を持つ。

 刻まれたルーンにより、その武器、防具……そして、それらを装備する者に加護を与えるのだ。


 エリシアは、自身の前に来る騎士や兵士たちの装備に対し、一つひとつ、丁寧にルーンを書き進めていく。


 今日の巡回予定、過去の討伐記録、門の周辺で最近確認された魔物の傾向。

 敵の種類が変われば、必要な加護も変わる。同じルーンを流用することはできない。


 外では、巡回の準備をする騎士たちの声が聞こえた。

 遠くで門が開閉される音もする。


 エリシアはただ、黙々とルーンを書き続けていた。


「終わりました。どうか、ルーンの加護があらん事を」


 そう言って、彼女は兵士の装備にルーンを書き終えた。

 兵士は、「ありがとう」と告げてエリシアの前を立ち去る。

 続いて、順番を待つ兵士がエリシアの前に出る。


「剣に対してのルーン付与をお願いします。実は、ちょっと腕を痛めていて……」


「承知しました」


 エリシアは、短く答える。


「ルーンを刻むのは長剣一本、でよろしいですね。今日の任務は?」


「シャンドの森の巡回です」


 彼女は会話をしつつ剣を受け取り、刃の状態を確かめる。

 欠けはない。だが、微細な歪みが出ている。乱暴に剣を扱った証だ。腕を痛めたのもそれが原因だろう。


「今日は、斬撃強化を弱める代わりに衝撃吸収のルーンを少し強めます。シャンドの森では、大型の魔物が現われたという記録はありません。腕の負担が減る事を最優先にしました」


「分かりました。それでお願いします」


 兵士は特に異論を挟まない。

 それが正しい判断であることを理解しているからだ。


 エリシアは細い筆を取り、剣の鍔に小さな文字で古代文字――ルーンを書き込んでいく。


 書き終わると、最後に小さく祝詞を唱える。それだけで、剣の性質が変わる。

 ルーンは、派手な光を放ったりはしない。外から見れば、ただの模様にしか見えない。


「完了です」


 剣を返すと、兵士は下がった。


 次の騎士、その次の兵士。装備も、任務の内容も、体格も違う。

 エリシアは一人ひとりに合わせてルーンを変えた。


 時に防具の耐久を高めるルーンを。時には、所持者の五感を強化するルーンを。

 ひとつの装備品に刻めるルーンの数には限りがある。的確なルーンを見極める必要があった。


 夕刻になると、詰め所の兵は出払い少し静かになった。

 午前中に巡回に出る兵は出払い、夜警の兵が動き出すにはまだ少し早い時間帯。束の間の静寂だ。


 エリシアは机上の記録を整える。

 刻印師(こくいんし)の仕事は、ルーンを刻んで終わりではない。誰にどのルーンを刻んだかを記録し、それが機能したかを後で確かめるのも彼女の役割だ。


「ははははは!」


 その静けさを、乱暴な笑い声が破った。


 扉が開き、数人の騎士がどかどかと入ってくる。

 先頭にいた男が、真っ先に目を細めた。


 クラウス・ヴァルト。

 この第三部隊の中でも腕利きとされる中年騎士だ。


 背は高く、肩幅もある。顔立ちも整っているのに、視線と口ぶりがそれを台無しにしている。

 人を値踏みする目つきで、エリシアを見る。


「よう、刻印師(こくいんし)


 その声には嘲りの響きがある。

 仲間の騎士たちが、面白がるように口元を歪める。


 エリシアは顔を上げた。表情は崩さない。

 視線だけで、必要な情報を拾う。鎧の擦れ。武具の消耗。呼吸の乱れの有無。誰が無茶をしたか。


 ――ひとまず、ルーンは想定通りに作動したようだ。

 そう思い、静かに安堵の息を吐く。


 クラウスは、その落ち着きが気に入らないとでも言うように、机に近づいた。


「毎回毎回、何をそんな丁寧にやってんだか」


 机の上に、バンと手を置く。振動で紙がずれる。


「俺らはよ……こっちは命張ってんだ」


 エリシアが静かに紙を直すと、クラウスは鼻で笑った。


「お前のその仕事、要するに決まった形のルーンを書いてるだけだろ?誰にも出来る……おまけに、俺らみたいな危険のない仕事だ。いいご身分だよなあ」


「あの」


 エリシアは、首を傾げる。


「何を仰いたいのでしょうか……?」


「愛想笑いのひとつもしてみせろって言ってんだよ」


「それは、私の役職の内には含まれていません」


 エリシアはきっぱりと答えた。


「私の職務は、刻印師(こくいんし)としてルーンを刻む事。私は、それに全力を注ぐだけです」


 本音だった。

 別に、波風を立てたい訳ではない。

 刻印師(こくいんし)としての職務に就いている以上――それに全力を注ぐ。それが、もっとも誠実な生き方だと思っていた。


「てめえ……」


 クラウスの声が冷える。

 さすがに見かねて、仲間のひとりが声を上げた。


「お……おいおい、たかが刻印師(こくいんし)の言葉如きにマジになんなよ。このタイミングで問題起こせば、下手すりゃ謹慎で騎士団長御前試合に出れなくなるぜ」


 その言葉に、クラウスの動きが止まる。

 騎士団長御前試合――その名の通り、この国の騎士たちの頂点たる騎士団長の前で行われる剣術試合だ。

 近日、その催しがこの城塞都市で行われる事になっていた。

 そこで実力を認められた者は、騎士団長直轄の上級騎士に取り立てられる事になっている。


「……そうだな」


 クラウスも、その御前試合の参加者だ。そして――上級騎士に取り立てられる事を望んでいる。


「こんな女に構ってる暇はねえな」


 最後に一度、エリシアに侮蔑の視線を向けた後――クラウスは踵を返し部屋を出る。

 詰め所には、再び静寂が訪れた。



 城塞都市内の小円形闘技場(コロシアム)

 高い石壁に囲まれた円環の内側、その周囲には中央から派遣された騎士たちが整然と並ぶ。彼らの中央の高台には、白を基調とした騎士服(サーコート)をまとう男が、静かに腰を下ろしていた。


 王国騎士団長、レオンハルト・フォン・グラーフ。

 二十代半ばという若さにありながら、この国の騎士団長として名を轟かせる人物である。白金(プラチナ)色の髪は淡く光を受け、蒼い瞳は澄み切っている。

 精悍さと秀麗さを併せ持つその顔立ちは、見る者に強い印象を残す。


 その視線が闘技場に向けられているだけで、空気がわずかに引き締まる。


 今から始まるのは、城塞都市バルクレストの北門を守る第二部隊と、西門を守る第三部隊の代表による剣術試合。

 第三部隊の代表として闘技場の隅に立つのは、クラウスだ。


 クラウスは胸を張り、いかにも自身満々といった風情だ。しかし足運びには無駄が多く、剣の構えも粗い。

 エリシアはその背中を見つめながら、頭の中で静かに情報を整理していた。


(相手の剣士は第二部隊のエース。素早い踏み込み、やや右よりに重心を置く癖。防御よりも初動の攻めを重視する型)


 クラウスの相手は、初手からの速攻に絶大な信頼を置いている。となれば、こちらの取るべき戦法は……それをいなす事。

 そうすれば、必殺の速攻さえ耐え切れば、必ず隙が生まれる。


(となれば、攻撃よりも脚力と反応速度に重視したルーンを、刻むべき……)


 そう結論付けた。


 準備時間は十分にある。

 刻印師(こくいんし)として、やるべきことは明確だった。


 クラウスの横に立つエリシアは小さく息を吸い、ルーン筆を取り出す。


「クラウス様、ルーンを刻みます。刻むルーンは、脚力と反応速度の上昇……」


 その声は、途中で遮られた。


「いいから早くしろよ」


 振り返りもせず、クラウスが吐き捨てる。


「ルーンなんでどうだっていいんだよ。騎士団長が見てるからって、張り切ってるんじゃねえよ」


 エリシアの手が止まる。


「ですが、相手は初動が速く——」


「だから何だってんだ」


 苛立ちを隠そうともしない声だった。


「誰がやっても同じだろ。ここで大仰なルーンでも刻んで、『私のルーンのおかげで勝てました』ってツラでもするつもりか?時間をかけんじゃねえ。普通のルーンでいい」


 エリシアは一瞬だけ視線を落とし、そして頷いた。


「……分かりました」


 施したのは、標準仕様のルーン。

 身体強化と耐久補助を施した、『普通のルーン』だ。


「これで終わりです」


 クラウスは満足そうに鼻を鳴らし、前に出た。


 エリシアはその背中を見送りながら、心の中で静かに区切りをつける。


(——選んだのは、あなた自身。)


 クラウス、そして対戦相手の二人が闘技場の中央に立つ。

 試合開始の号令が響いた。


 クラウスは、ちらりと騎士団長レオンハルトを見る。


(見てろよ)


 口の端を吊り上げた。

 剣を構え、一歩踏み出す。


 その瞬間、対戦相手が大きく踏み出した。


(へっ……この程度……!)


 回避して、カウンターの一撃を叩き込む。

 それはクラウスにとっては余裕の事だ。――その、はずだった。


「あ……?」


 回避が、間に合わない。体に……いつものようなキレがない。

 対戦相手の持つ、試合用の刃引きの剣が――クラウスの体に、叩き込まれた。



 第三部隊の控え室の空気は、敗戦の熱を引きずったまま重く淀んでいた。

 鎧を外したクラウスが、床に籠手を叩きつける。


「……ふざけんなよ」


 その声には、隠しきれない怒気が含まれている。


「なんだよ、あの加護は。明らかにおかしかっただろ」


「おかしい……とは?」


「俺の動きが、いつもと明らかに違った。てめえ……俺の動きを阻害するルーンでも刻んでやがったんじゃねえのか!?」


「いえ。あなた様のお望み通りのルーンを刻みました。『普通』のルーンを」


「あ?」


「個別調整なし。公式規定の、ルーンです」


 説明するまでもない。

 最低限の補助しか与えない、『普通』の加護。


「てめぇ……!」


 クラウスが一歩踏み出す。


「誰のせいで負けたと思ってんだ!騎士団長の前で、俺がどれだけ恥を……」


「あなたが言った通りにしました」


 エリシアの声は淡々としている。


「『時間をかけるな』。『普通でいい』と」


「なんだと……?」


「今までも、同じようなことを仰られたことはありましたが……魔物との戦いにおいて『普通の』ルーンを刻み、その結果として命を落とすことがあってはならないと思い、普通のルーンは刻んで来ませんでした」


 これまで、エリシアは……誰に何を言われようとも、考え得る限りもっとも適したルーンを刻み続けてきた。寝る間も惜しみ、身に着けた高度な技術を用いて。

 もしもそこで妥協すれば、最悪の場合、人が死ぬ。それも一人ではなく――大勢の人が。

 だからこそ、常に適切なルーンが刻まれ、クラウスのような人間であっても、魔物との戦いで活躍することが出来ていたのだ。


「ですが、今回は……個人の力量を試すための試合。クラウス様が、望まれたのであれば――私としては、その望み通りのルーンを施すべき。そう判断しました。そして、クラウス様は自身の実力で戦われました。――満足、いただけませんでしたか?」


「なに……?」


「ご自身の力を、遺憾なく発揮されたものと思います。そして――その実力に見合った結果が、示されました」


 その瞬間、クラウスの顔が歪んだ。


「てめえ……!」


 怒声と共に、クラウスは壁に立てかけてあった剣へと手を伸ばした。

 試合に用いられる刃引きの剣ではない、真剣だ。

 鞘走りの音が、控え室に鋭く響く。


「その身で受けろ!俺を舐めた報いを――」


 剣が、振り上げられる。

 その瞬間だった。


「――そこまでだ」


 低く、よく通る声。

 扉が開き、白金(プラチナ)色の髪を揺らす秀麗な騎士が姿を現した。


「き、騎士団長閣下……!」


 王国騎士団長レオンハルト・フォン・グラーフ。

 その姿を認めた途端、クラウスの手から剣が滑り落ち、床でカランと乾いた音を立てた。


「クラウス――という名だったか。先の試合の敗北自体は、仕方のない事だ。だが――その責を刻印師(こくいんし)に押し付け、挙句、危害を加えようとするとはな」


 短く、ため息が落ちる。


「騎士団長として、その行いを看過する事はできない」


 そう言って、レオンハルトは扉の方を振り返る。


「――この男を連行しろ。暴行……いや、殺人未遂犯だ」


 即座に応じ、扉の外から騎士が二人、姿を現した。


「ひっ……ま、待ってくれ!やめろ!」


 抵抗は虚しく、クラウスは瞬く間に取り押さえられる。

 左右を騎士に拘束され、そのまま部屋の外へと連れ出されていった。


 レオンハルトはその様子を一瞥した後、エリシアへと視線を戻す。


「……大した胆力だ。殺されかけたというのに、怯えの色ひとつ見せないとは」


「私自身に、ルーンを施していましたから」


 そう言って、エリシアは服の袖を僅かにめくる。

 その内側には、確かにルーンが刻まれていた。


「あの方が繰り出す一撃であれば……このルーンを刻んでおけば、十分に跳ね返せると踏んでいました」


「……参ったな」


 レオンハルトは、苦笑する。

 そして、一歩、エリシアへと近づいた。


「しかし、あなたは……俺が探していた人物のようだ」


「どういう事でしょう」


「騎士団本部に、来ていただきたい。王国の中枢で――刻印師(こくいんし)としての力を、存分に発揮して貰うために」


「……」


 沈黙するエリシアに、レオンハルトは言葉を重ねる。


「本部所属となれば、給金も今までとは比べ物にならない。俺の推薦であれば、異を唱える者もいない。悪い話ではないと思うんだが――」


「いくつか、お聞きしてもよろしいでしょうか」


「ああ」


「私がいなくなった後、この城塞都市バルクレスト第三部隊の刻印師(こくいんし)は?」


「実を言うと、この城塞都市の軍備を再編するつもりでね。城塞自体も老朽化している。それを一新するのと同時に、兵と刻印師(こくいんし)も増員する予定だ」


「それなら……大丈夫ですね」


 エリシアとしては、自分だけが中央へ引き抜かれ、後は知らない――というつもりはなかった。

 自分が去った後の城塞都市の行く末は、気がかりだった。


 だが、この騎士団長が軍備を再編するというのであれば。心配はいらないだろう。


 それでも――まだ、気になる事があった。


「王都には、大図書館があると聞いています。そこには、ルーンに関する記述の書かれた書物も……数多くあると」


 頭に浮かんでいたのは、書棚だった。

 厚い背表紙が並ぶ大図書館。

 神代から続くルーンの変遷、失われた刻印式、地方では閲覧が許されていない古文書。


「私がそれらを読む事は、可能ですか?」


「もちろんだ」


「失伝したルーンの再構成や、複合刻印の研究も?」


「無論、可能だ」


 その答えを聞いた瞬間、エリシアの口元が綻んだ


「……そうですか」


 その声は、先ほどまでよりも少しだけ軽い。


「私は、ルーンを刻むのが好きです。知らないルーンがあれば、読みたい。試せるなら、試したい。それが出来る場所へ行けるなら……ぜひ、連れて行ってください」


 一拍の沈黙。

 レオンハルトは、小さく息を吐いた。


「……なるほど」


 苦笑とも感嘆ともつかぬ表情で、肩をすくめる。


「金でも、地位でもなく……好きなルーンに没頭できるから、王都に行く――か。君のような刻印師は、初めてだ」


「そうでしょうか」


「少なくとも、俺の知る限りではな」


 騎士団長は、どこか楽しげに言った。


「だが――悪くない。そういう人間の方が、信用できる」


 その言葉を受け、エリシアは再び、小さく口元を緩める。


「では……よろしくお願いします」


 そう応じた声は静かで、いささかの揺らぎもなかった。

 だが、その時すでに――彼女の意識は、この場を離れていた。


 思い描いているのは、まだ見ぬ数多のルーン。

 これから触れる知識と技法、その連なり。


 彼女の心は、すでに次の探究へと向かっていた。

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