第94話 大阪の支配者
碓氷雅樹と永野梓美は、大阪の和泉市にある神社へと向かっていた。今回は大江イブキが同行しておらず、支配者に顔を出しておく必要があった。
大阪で支配者をやっている妖異は、雪女である梓美よりも永い時を生きている。そして日本の歴史において、非常に重要な存在だ。
後に安倍晴明の父となる、安倍保名という若い男性がかつて居た。彼は信太森と呼ばれていた森にある、神社へと参拝に行っていた。
参拝からの帰り道で、追われていた白い狐を助ける。その際に怪我を負い、気を失っていた保名が目を覚ますと、『葛の葉』と名乗る美しい女性が居た。
彼女と親しくなった保名は、後に葛の葉と結婚して1人の子供が出来る。生まれた男児は、安倍晴明と呼ばれて大活躍をする人物へと成長する。
だが彼がまだ幼い頃に、葛の葉はうっかり正体を見せてしまう。彼女は真っ白な体毛を持つ妖狐だったのだ。
正体を知られてしまった彼女は、夫と息子の側から離れて行ってしまう。幼い息子は嘆き悲しんだが、妖異だと正体を知られた以上仕方がなかった。
「へぇ~そうだったんですか」
「せやで。これから会うんは、その葛の葉様や。今はイズミって名乗ってはるねん」
日本を代表する陰陽師を産んだ母。下剋上を狙う妖異達から、命を狙われる危機を脱し、人間の男性と結婚した妖狐。
彼女はこれまでにも、何度か命を狙われている。安倍晴明を恨んだ妖異達が、母親を捕まえて脅しに使おうと考えて。
どうにか対抗していた葛の葉と、母親を守ろうとした晴明。しかし隙を突かれて、葛の葉に命の危機が訪れてしまう。
そこを助けたのがイブキであり、命の恩人として葛の葉は、イブキに頭が上がらない。イブキから見れば、舎弟のような存在だ。
とは言え葛の葉もまた、強力な妖異である事は変わらない。イブキには劣るというだけで、妖異の中では上位に位置している。
情勢が安定した今となっては、命を狙われていない。西日本の妖異は、イブキを中心に纏まっている。ただ強力な子を成す母体として、価値が高い事実は変わらない。
半妖である人間との子供でありながら、妖異と対等に戦える子供を産んだのだから。ここ千年ぐらいの間に、彼女の価値は跳ね上がった。
妖異と人間の交配について、色々と考え直す切っ掛けになったのが葛の葉だった。彼女が残した功績は、非常に大きいと言える。
故に虎視眈々と狙っている妖異が、潜在的に存在している可能性はある。だがイブキと敵対してまで、彼女を狙える妖異は少ない。
「凄い方なんですね」
雅樹は感心しながら、梓美の説明を聞いている。他人事のように捉えているが、彼も無関係とは言えない。
「うん。だからウチもな、雅樹君との間に子供が出来るの、楽しみやねん」
「ちょっ、ちょっと梓美先輩!」
現代の人間にしては、わりと戦える方の戦闘力。感情が生むエネルギーはかなり多い。しかも上質な魂まで所持している。
雅樹が安倍保名のような存在となる可能性は、十分高いと梓美は考えている。とても強力な娘が、産まれるのではないかと。
雪女が産むのは必ず女児である。男児を生む事はなく、雪女として産まれて来る。梓美の母親も雪女だし、祖母もまた雪女である。
そんな話をしながら歩いている内に、彼らは目的地に到着した。葛葉稲荷神社という、葛の葉を祀る神社である。
鳥居の周りには狐の像が置かれており、境内へと続く道を見守っている。道なりに進んで行けば、木々の生い茂る境内へと移動する。
「待ってたで、梓美ちゃん」
「お久しぶりですイズミ様」
大阪に入った時点で、イズミは察知していたのだろう。梓美と雅樹を待っていたらしい。赤紫色の葛の花があしらわれた、光沢のある和服を着ている美女。
同じ妖狐である那須草子とは、また違った妖艶さを持つ大人の女性。30代ぐらいに見える外見だが、実年齢は数万を軽く超える。
泣きぼくろが特徴的な、未亡人を思わせる雰囲気がある。実際彼女は保名との間に子供を作って以来、誰とも夫婦関係を持っていない。
穏やかな笑顔を浮かべているイズミは、雅樹の方へ目を向ける。上から下まで眺めた後、イズミは頬に手を当てて呟いた。
「これもまた、愛の形なんやねぇ」
「……え?」
何の話をされているのか、雅樹には全く理解出来ない。長壁姫にも、真意不明のコメントを貰っている。
「分かる〜!? ウチはもう滅茶苦茶愛してるのに、まだ答えてくれへんねん」
「あらあら」
上品に笑いながら、葛の葉は雅樹の腕を抱き寄せる梓美を見ている。雅樹本人をそっちのけに、会話だけが進んで行く。
どうにか自己紹介をさせて貰った雅樹は、ズレてしまった話の本筋を修正する。とある中学校で起きた事件についての話だ。
学校の怪談絡みの事件であり、不登校の生徒が2人出ている。広がる噂も問題であり、どうにかしたいと依頼者は思っている事。
この2点について調査をしたいと考えており、大阪府内で活動する許可を得たいという事。全ての要件を雅樹は話した。
「なるほどねぇ……怪談なんて、幾らでもあるからなぁ」
葛の葉は特に問題視していない様子だ。それも仕方ない話で、学校の怪談なんてド定番は、全国どこにでもある。
人間が信じ恐れた事で、妖異として実体を持ってしまった者達。その多くが大した力を持たず、危険性はそう高くない。
特に学校の怪談に関わる妖異の多くが、命まで奪わない者達だ。動く人体模型を見たとて、命までは奪われない。
走る二宮金次郎の像もまた、見掛けても死ぬ事はない。驚かせて恐怖心を喰らわれる程度で済む。
今回の件だって、少年達は無事に逃げ延びている。命を奪うタイプの怪談は、人間が思っている程多くない。
不幸に見舞われるとか、呪いを受けて結果的に死んでしまう場合は、それなりにあるのだが。
「イズミ様って、イブキ様と方針が似てるんや。大阪であんまり派手な事は出来ひんねん」
「なるほど……だから不登校で済んでいると」
人間と結婚して子供を作るような妖異だ。葛の葉もまた無意味には、人間を殺さない主義を掲げている。イブキと同じく、人間寄りの妖異だと言える。
イズミは感情を喰らうまでで留めており、死ぬ時以外に喰う事はない。殆どイブキと同じであり、あまり人間を殺す事はない。
以前の花山総合病院で起きた事件のような、突発的な妖異の発生でない限り、大阪であまり人は襲われない。
もしあの事件で幽霊となった、赤木涼子が妖異をして生きる道を選んでいたら、それ相応の処罰を受けていただろう。
「自由に調べてくれたらエエよ。君は余計な事をしなさそうやし」
「あ、ありがとうございます」
あっさりと認められてしまい、拍子抜けする雅樹。関東にでも行かない限り、拒否されないのではないかと思い始めた。
イブキは関西が特に動き易いと言っていたから、余計にそう感じるのかも知れないが。とにかく許可は得たので、目的の学校へ行こうとする雅樹。
だがそんな彼に対して、イズミは待ったを掛ける。まだ何かあったのだろうかと、雅樹は疑問をおぼえた。
「もうちょいでお昼やろ? ここで食べてから行ったらエエ」
「え? い、良いんですか?」
凄く大阪っぽい歓待だなと雅樹は思った。梓美が同意したので、雅樹が悩んでいる間に流れが決まってしまう。
居住スペースに移動したイズミは、割烹着を着て台所に立つ。その姿はあまりにも母性が詰まっていた。
雅樹と梓美はイズミの手料理を堪能しつつ、交流を深めた。この女性とも、仲良く出来そうだと雅樹は感じた。
長壁姫とはあっさりとした対面だったが、イズミとはかなり会話が弾んだ雅樹だった。




