第9話 依頼者のもとへ
大江イブキは移動に使う為の、マイカーを所有している。
大江探偵事務所の裏手にある、月極契約の良くある駐車場に普段は停められている。
約束の土曜日が来て、依頼者の元へ向かう為にイブキ達はその駐車場に来ていた。
10台程停められる広さの敷地内、その中心辺りにグレーのSUVが綺麗に停車してある。
「あの……これ高いヤツじゃ――」
イブキの助手として動向する碓氷雅樹は、イブキの車に付いているエンブレムを見て驚いた。
それは国産メーカーの中でも特に高級な車を中心に、全世界で販売しているメーカーの物だった。
特別車に興味があるわけでもない雅樹でも、その名前ぐらいは知っている有名なメーカーだ。
「さあ? 貰い物だからね。私は快適に乗れればそれで良いけどね」
鬼であるイブキにとって、車はそれほど重要な物じゃない。ただ人間社会に紛れる為の道具というだけ。
本気で走ればイブキの足が勝つ。縦横無尽に駆け抜けられるイブキと、交通ルールに縛られる車。
最初から勝負になんてなっていない。ただしイブキ自ら走れば、あまりにも目立ち過ぎてしまう。
人間には妖異の存在を隠している以上、そんなマヌケな真似はとても出来ない。
「……イブキさんて、もしかして滅茶苦茶偉い鬼なんですか?」
日々の生活から、薄々雅樹が感じていた感覚。ただ強いだけじゃなくて、鬼の女王みたいな存在なのではないかと。
お金に困っていないのは、国からの報酬と献上品があるから。それは雅樹も知っている。
ただそれは対価というよりも、立場に対して与えられているのではないかと雅樹は思った。
「どうだろうね? 妖異に肩書なんて無いし」
妖異達が派手に争いをしていたのは、遥か昔の話である。今は仲の悪い他種族間で、小規模な諍いが起きる程度。
総理大臣の様な立場があるわけでもなし。強者にこそ決定権があるというだけ。
そもそも妖異は個性の強い者が多く、好き好んでまとめ役になろうとする者はあまり居ない。
イブキの様に強者の配下として生きる者も居るが、それは従属であり統率ともまた少し違う。
人間とは在り方が根本的に違っている。どちらかと言えば野生動物に近い。
「それより行こうか。早く乗って」
「あ、はい。すいません」
急いではいないが、駐車場でいつまでも立ち話をしていてもしょうがない。
イブキに促された雅樹は、助手席に座った。高級車に初めて乗った雅樹は、少し落ち着かない。
慣れた手つきで車を発進させたイブキは、車を南へと向けて走り出す。
京都南から高速道路を利用するつもりだ。早めに現地へ着いて、ゆっくりと大阪で朝食を取る予定となっている。
その道すがら、雅樹は新たに生まれた疑問についてイブキに質問をする。
「先日の話にも繋がりますけど、感情のエネルギーを上手く人間が使えば、超能力みたいな事が出来ますか?」
もし人間が感情のエネルギーを、自分で上手く使う事が出来たとしたら。
それは世間一般で言う、超能力や霊能力と呼ばれてるものではないのか?
雅樹はそんな事を考えた。感情はエネルギーで、それを喰らう妖異は摂取したエネルギーを妖力に変換する。
ならばそれは、根本的に似たものではないかと。ガソリンを精製する前の原油みたいに。
「なるほど君は勘が良いね。確かにそうだよ、超能力者や霊能力者は実在する。まあ偽物が殆どだけどね」
イブキが言うには、先祖返りに近い形で異能を発揮する人間が居るらしい。
ただしペテンではない本物は稀で、総人口に対して数%しか居ないという。
「人間は妖異から力の殆どを無くし、その分感情に特化させた生命なんだ。だから私達よりも強い感情を抱く。まあその結果が、幽霊化だけどね」
より効率よく膨大なエネルギーを得る為に、余計な力を削り感情を最優先に作られたのが人間。
最初からその目的しか考えておらず、反作用に気付いたのは暫く経ってからだ。
人間の知性が高まり、独自の文化を形成し始めた頃に事件は起きた。
死んだ人間の魂が、幽霊となって完全な妖異化を果たしたのだ。
半妖として作られた存在であった為、進化をするとは妖異達も考えて居なかった。
食糧としての半端な存在が、まさか自分達の領域にまで上がって来るなんて。
想定外の事態ではあったが、結局妖異としては大した力を有する事は無かった。
人間の幽霊は妖異の中で、かなり下位に位置する。生前よりも知性が低下し、生前の記憶に執着する。
これなら放置しても問題はなかろうと、妖異達は人間という生命を作り替えはしなかった。
その後も想定外の力を発揮する人間が出たものの、大きな損害は出ずに終わったのでやはりそのまま。
妖異以上に強い感情を抱けるメリットの方が、デメリットより遥かに大きかったからだ。
「え、人間が妖異にとっての脅威になる事って、あるんですか?」
その説明だとまるで人間が、妖異への悪影響を及ぼす事があるかの様に聞こえる。
「……たまにあるんだ。人の想いが籠もった武器とかね。妖刀の類が良い実例かな」
「妖刀、ですか」
異常なまでに感情を込めて製作された武具。妖異達のように力を持たない人間だからこそ、道具を製作する文化が生まれた結果。
本来なら傷1つ妖異につけられない筈の人間が使う武器。しかしその中から、例外が生まれて来た。
「これも私達の失敗と言えば失敗かな。伝承にあるでしょ? 妖怪を斬った刀の話とかさ」
「はぁ、まあチラッと聞いた事はありますけど」
人間が重ねて来た歴史の中で、紛い物ではない真実が幾つか存在する。それが妖異に反抗した人間達の話。
決してそう多くはないが、感情というエネルギーを武器に妖異が傷を負わされた実例がある。
「今はもう工場生産だからね。既製品の銃なんかじゃ私達はダメージを受けない。よほど強い念の籠もった、手作りの弾丸でもあれば別だけどね」
どうやら人間でも、妖異にダメージを与えられる。あの日無力だったのは、その知識が無かっただけなのではないかと雅樹は考えた。
「じゃあもしかして、俺も妖異と戦える?」
感情のエネルギーを使いこなせれば、以前対峙した餓鬼の様な存在が相手でも、反撃出来るのでは?
もう怖がらなくても良いのではないかと、期待を胸に雅樹は尋ねた。しかし――。
「無理だよ。君にそれだけの情念があるかい? どうしても、人生の全てを賭けてまで、妖異と戦う覚悟を持てるかい?」
今まで雅樹が見た事もないぐらい、真剣な表情でイブキが見つめていた。
そこまでの覚悟があるかと言われたら、無いとしか雅樹には言えない。
だって仇の餓鬼は既に灰となった後だし、妖異全てに同じだけの感情を、自分が持てるかと言えば分からない。
例えば隣に座るイブキは、妖異だけど雅樹の敵ではない。自分に害をなさない妖異にまで、死んで欲しいなんて願えない。
妖異に対して思う事はあれども、その存在全てにまで怒りを感じているわけじゃない。
「そこまで想わないと、無理なんですか?」
「それだけ強い想いが必要さ。幽霊になるのだってそう。余程の想いがあったか、それだけの想いが集まったか。どちらかの場合でしか幽霊化はしない」
雅樹の淡い期待はすぐに潰えてしまい、盛り上がりかけた気分は萎んでいく。
「そりゃあ強力な妖刀でも持てば、戦うぐらいは君でも出来るかも知れない」
「え!? じゃあ!」
まさかの意見に、再び雅樹の心に希望が宿る。刀なら剣道を習っていたから、素人よりは上手く扱える。
それなりに剣道は上手かったから、どうにか出来るのではないかと考えた。
だがイブキの答えは、雅樹の望む回答では無かった。
「君は命を守って欲しいと頼んだのに、命を捨てに行きたいのかい? 傷を負わせる事が出来るのと、勝てるかどうかは別物だよ?」
「…………あ」
先程からイブキは、傷を負わせる方法しか話していない。一度として人間が、妖異に勝ったとは言っていない。
妖異に傷を負わせたという話は事実としてある。だが討伐したという類の伝承は偽物である。
人間が妖異を相手に、勝利する事は殆どない。妖異としては下位であり、人間と存在が近い人間の幽霊が相手ならともかく。
「君は死にたくないのだろう? なら余計な事を考えないで良い。私が守ると契約したのだからね」
「すいません……」
どうやら調子に乗り過ぎていたらしいと、雅樹は己を恥じた。物分りの悪い子供みたいで、情けなかったなと。
これから依頼者に会うと言うのに、このままでは不味いだろうとも。
暫くは反省していようと、雅樹は黙って思考を落ち着かせ続けた。




