第8話 病院からの依頼
碓氷雅樹が高校に通い出してから、1週間が経過していた。転校の理由が暗い内容の為、どこか気を遣う雰囲気が校内には漂っている。
事故として処理された両親の死は、小さいながらも地元のニュースで報じられている。
調べればすぐ分かる事だし、このSNSの時代は情報の拡散スピードがとても早い。
噂なんて気にせず声を掛けてくれる生徒も居るが、腫れ物を扱う様な傾向があるのは否めない。
友達も出来はしたものの、まだ学校に馴染めたとは言い切れない状況だ。
ある程度は仕方ないと雅樹も受け入れているし、声を掛けづらいと感じてしまうのは仕方ないとも。
だって自分だったら、何と声を掛けていいか分からない。両親を亡くした同級生に対して。
雅樹は別にクラスの人気者になりたかったわけじゃない。楽しければ良いかと、気持ちを切り替えていた。
部活に入る気はないので、帰宅部として雅樹は大江イブキの探偵事務所に帰って来ていた。
学校から近いのもあり、大体は16時ぐらいに雅樹は帰宅する。
「帰りました」
ただいまと言うには、まだ少し違和感がある雅樹は毎日帰りましたと伝えている。
「やあマサキ、お帰り」
今日も腰まである黒髪をポニーテールにし、パンツスーツ姿のイブキはあまりにも美しい。
化粧を必要としない天然由来の美。肌は白く睫毛もしっかりと自己主張している。
マスカラもアイラインも涙袋も、イブキという完成された美貌には必要がない。
むしろ人間のメイクなど、余計なノイズにしかならないだろう。何せこの美しい女性は、人間ではないのだから。
輸入品の木製デスクに座りながら、イブキは書類に目を通していた。
「あの、コーヒー淹れますか?」
「ありがとう。頼むよ」
最近の雅樹は助手として、イブキの手伝いをしている。殆どはお茶汲みと事務所の掃除だけだが。
囮役なんて言われたけれど、実質的にはただの雑用係でしかない。
あとはちょっとした買い出しも、最近では増えて来た。雅樹の外出に対する心理的ハードルが、かなり下がって来たからだ。
学校の方でも妖異に遭遇する事はなく、イブキの傘下である鬼や雪女との接点はない。
あまりにも衝撃的な事件に遭いはしたが、あれ以来とくに妖異とは会っていない。イブキ以外には。
そんな日々を送っている雅樹は、最近の日課であるお茶汲みをこなす。
「どうぞ」
イブキのデスクにコーヒーを持って行き、カップとソーサーを手渡す。
雅樹はコーヒーを淹れる才能があったらしく、イブキからは重宝されている。
「マサキ、学校の方はどうかな?」
「えっと、まあ普通、ですかね」
それは良かったとイブキが返したタイミングで、探偵事務所のドアが開かれた。
少なくとも雅樹がここに来て以来、初めての来訪者である。入り口には高そうなスーツを来た小太りの中年男性が立っていた。
「……アンタが霊能探偵っちゅーやつか?」
コテコテの大阪弁で、男性はイブキに対して質問した。
「ええそうですよ。そう呼ばれているのは私です」
「ほんならちょっと、お願いがあるんやけどエエか?」
中に入って来た男性は、イブキのデスクから少し離れた位置にある来客用のソファに近付いた。
イブキも移動し反対側のソファに向かう。応接用のテーブルを挟んで、革張りのソファにお互い座る。
3人掛けのソファなので、細くスタイルの良いイブキが座ると4人座れそうに見える。
対して小太りの男性の方は、どこか狭苦しく見える。そんな事を思っていた雅樹は、イブキからお客様にコーヒーを出す指示を受けた。
「なんや、あの子は? スタッフなんか? 学生みたいやけど」
「ええまあ、助手みたいなものですよ」
関西人らしいやや踏み込んだ発言も、イブキは華麗に受け流した。
依頼に来た男性は、大阪市内にある花山総合病院の院長である花山一正。58歳の医療従事者だ。
彼の依頼というのは、院内で騒ぎになっている幽霊騒ぎの調査だった。
「ワシが海外出張をしとる間にやで、何や知らんけど幽霊が出た言うてな、エライ騒いどるんや」
「なるほど」
随分と迷惑をしていると言った雰囲気で、花山は話を続ける。どうやら彼は幽霊を信じていない様子だ。
新しいコーヒーを淹れて来た雅樹は、ソファに座るのも変かと思ってイブキの斜め後ろに控えた。
「病院におったらな、そんな噂は山程聞くねん。せやのに看護師やら医師やらがな、怖い言うて出勤せんのや。子供やないのにアイツらホンマに」
「つまり、その噂についての原因を究明すれば良いのですね?」
雅樹はここで違和感を覚えた。依頼者の花山は幽霊の存在を信じていない。対してイブキは、幽霊が居る事を前提に考えている様に思えた。
雅樹は人間が半妖だとイブキから教わった。妖異に作られた存在であると。だから幽霊なんてものは居ないんじゃないか? そう思ったのだが違うらしい。
思い返せばイブキの肩書は『霊能探偵』だ。じゃあやっぱり居るのかと、雅樹は少し混乱していた。
「まあ何や、それっぽい事をして安心さしたってや。盛り塩とかお祓いとか、そういう感じの」
「いつからにしますか? 明後日なら土日ですし、来院者も少ないでしょう」
それは花山にとっても都合の良い話だ。何やらその界隈で有名らしい、霊能探偵なんて怪しげな者を大々的に招きたくはない。
土日の極力人の出入りがない間に、サクッと解決して貰おう。そう考えて花山は快諾した。
「明後日の土日やったら、ワシも京都出張から帰っとるさかいちょうどエエわ。ほな依頼料の話やけど――」
話が早くて助かったと、花山は料金の話に移行しようとした。しかしイブキはそれを遮る。
「報酬は解決した後で決めましょう。結果を見て、貴方が相応しいと思った額をお支払い下さい」
思わぬ発言に花山は一瞬固まった。もし自分が1万円しか、支払わなかったらどうするのかと。
霊能探偵なんて呼ばれている事自体が怪しいのに、料金についても偉く適当な決め方だ。
「うちはお金に困っていませんからね。いつもこうして、依頼者の方に委ねているのですよ」
「…………ほぉ、羨ましい話やなぁ。儲かってんのや」
目の前の女性は、霊能探偵なんて胡散臭い呼ばれ方をしている。しかし良く周囲を見渡せば、調度品の全てが高級品だ。
花山は少しイブキに対する評価を改めた。彼は何も知らない。鬼であるイブキに対して、各界の重鎮達が献上品として贈った品々であると。
「ほんなら明後日の土曜日、朝の10時でどやろか?」
「ええ、構いませんよ」
それから依頼書を作成し、報酬以外の部分だけを決めて話は纏った。
ほな頼むでと言い残し、花山は探偵事務所を出て行く。その姿を見送ってから、雅樹はイブキに質問する。
「幽霊って、居るんですか?」
雅樹は人間を人工生命体というか、ホムンクルスに似た存在なのだと思っていた。魂なんて持たないものかと。
「もちろん居るよ。病院やお墓、事故現場辺りが定番の発生地点だね」
「い、居るんだ……」
幽霊の実在を知った雅樹は、とある可能性に思い至る。それは自分の両親についてだ。
「い、イブキさん! じゃあ俺の両親が妖異になっている可能性は……」
人間ではなくなっていても、再会が出来るのならと雅樹は僅かな希望に縋る。
「残念だけど、それは無いよ。ちゃんと成仏した後さ」
雅樹の淡い期待はあっさりと崩れ去った。覚悟はしていたが、やはり駄目かと雅樹は項垂れた。
良い機会だからとイブキは、幽霊の発生について講義を始めた。
幽霊とは死んだ人間や動物の霊魂が、何らかの切っ掛けにより妖異へと進化した姿を指す。
動物の方は元々長生きする事で、妖異へと進化する生き物として生を受けた。
人間と違い妖異の因子を持たないが、自ら体内に因子を生み出す能力を有している。
そうであるが故、死して霊魂となっても妖異になる可能性を持つ。死なずに進化した場合は、そのまま上位種族の妖異となる。
「上位種族で有名なのは、長生きした狐、九尾の狐だね。男を誑かすのが大好きな連中さ。お気に入りの人間を囲っては、骨抜きにしている」
傾国の美女なんて言うじゃない? アレだよアレとイブキは半笑いで解説した。
どうやらイブキは、九尾の狐達があまり好きではない様子だ。ハーレムの形成に興味がないのかも知れない。
続けてイブキは、肝である人間が幽霊になるパターンを説明していく。雅樹が聞きたかったのはそこだ。
「人間の感情には、物凄いエネルギーがあるんだ。だから私達は食べているし、それを効率よく量産する為の人間さ」
もう何度も聞いて来たし、何度も喰われたのでそれは雅樹も知っている。あんまり良い気分はしないが。
「だからね、人間の感情が集まると何かが起きる時がある。正の方向に作用した場合で言えば、観客に応援されて普段よりも良い試合が出来たとかね」
それは雅樹も何となく理解出来た。自分が剣道をやって居た時に、初恋のお姉さんに応援して貰った時は力が滾った。
スポーツ界でも良く聞く話で、火事場の馬鹿力的な何かが作用する話は良くある。
他にも怪我や病気で死にかけていた人が治ったり、行方不明の人がまさかの生還を遂げたり。
正の方向で想像出来る事象は、雅樹が思い浮かぶだけでも結構な量がある。
「じゃあ、幽霊になるって……」
ここまでの説明で、人間が幽霊になるメカニズムについて雅樹は思い至る。
「そうさ。負の方向に強い念、感情が動いた時。例えば死の淵に立たされた時、生に強く依存した時。同じ様な無念や思念が集まる土地だとね、それらが集まって妖異へと進化する。例えば病院とかね」
人が幽霊になる流れを教わった雅樹は、背中に冷たい汗が流れるのを感じた。つまり依頼で行く病院には、幽霊となった元人間の妖異が居るかも知れない。
遂に助手という名の囮役として、本当の仕事をする事になるのかも知れないと。
ホラーの定番、事態を甘く見るお金持ちです。




