第63話 雅樹の戦い
大江イブキと那須草子は、アカギと対峙する前から幾つかの策を用意していた。
捕えられた碓氷雅樹を迅速に助ける為、考えられていたプランの1つ。その中の想定と現場の状況は一致していた。
イブキと草子に雅樹の姿を見せびらかす目的で、見える場所に置くだろうという予想。
先ずその時点で予想通りであり、簡単な拘束しかしないという点も草子の読み通りだ。アカギの性格を良く分かっている。
雅樹を痛めつけるアピールをするだろう事も想定通りで、実際にアカギは彼を尾で殴った。
妖異によっては人質の四肢をもぐ事もあるだろう。しかしアカギはその選択肢を取らないと草子は見抜いていた。
何故ならアカギは性格が悪い。そんな事をするならば、必ずイブキと草子の目の前でやる。アカギなら苦しむ雅樹の姿を見せつける。
そしてアカギが雅樹を侮っている事も、やはり草子の考えた通りだ。妖刀を持った雅樹の戦闘力を甘く見た。
「おのれ人間風情があああああ!」
尾の先を斬り飛ばされたアカギが、血眼になって雅樹を睨んでいる。人間のガキだと舐めていたせいで、痛手を負わされてしまったから。
怒り狂ったアカギは、雅樹を殺そうと攻撃を仕掛ける。ここで雅樹を殺せば、自分を守る盾がなくなるというのに。
あっという間に冷静さを失ってしまい、アカギは状況が見えていない。この成果は草子が望んだ以上の展開だった。
イブキか草子のどちらかが助けに行くまで、雅樹が無事であれば良い。これはそういう作戦だ。アカギが我を忘れているなら余計やり易い。
部下達への指示が中途半端だったので、蛇女や大蛇達は混乱している。この隙をイブキと草子は逃さない。
そして救出対象の雅樹は、どうにか時間稼ぎを出来ている。その為に草子は刀を雅樹に渡したのだ。
「下がれ小童!」
「は、はい!」
刀から聞こえる声に従い、雅樹は大きく後ろに下がる。目の前をアカギの爪が掠めて行った。切り裂かれた数本の前髪が宙を舞う。
「全く女狐め、こんな未熟者とは聞いておらんぞ!」
草子に投げられた日本刀は、妖刀小鴉という特別な刀。とある名工が命を賭して打ち上げた逸品。仇の妖異を斬る為に、人生の全てを注ぎ込まれた刀。
現在は草子が所有しているが、元々は使い手を選ぶ刀として有名だった。江戸時代に草子の手に渡り、それ以来ずっと若藻村で保管されている。
文字通り刀工の魂が宿っており、気に入らない使い手に当たると呪い殺して来た。名刀だが厄介な問題児でもあった。
今回は草子の指示で雅樹のサポートをしているが、本当なら使われたくない相手だ。自分を握るに相応しいと思えないからだ。
「ボサッとするな! 右だ!」
「っ!?」
雅樹は慌てて小鴉を右に振る。アカギの左手が迫っており、雅樹の振るった刀身と、鋭い爪が接触する。綺麗にアカギの爪を切り裂き、直撃を避ける。
しかし勢いのまま飛来した爪の先が、雅樹の右頬を掠めていく。薄く切れた傷口から、赤い血が滲み出て来ている。だが今は気にしていられない。
怒りに染まったアカギが、自らに恥じをかかせた人間を殺そうと迫っている。息つく暇もありはしない。
人間と妖異では、そもそもの身体能力が違う。小鴉の指示が無ければ、雅樹はとっくに死んでいただろう。草子の策がしっかりと機能している証だ。
「おのれ生意気なぁぁぁ!!」
アカギの猛攻をどうにか雅樹は凌いでいるが、そう長くは戦えない。何故なら雅樹は大量の血を抜かれている。貧血症状はまだ残っている。
こんな展開になるのであれば、余計な事をせず大人しく待っていれば良かった。雅樹は内心後悔をしているが、今更考えても遅い。
しかしまた判断ミスをしたという考えが、雅樹の心を濁らせていく。貧血状態と精神的な未熟さが、雅樹の動きを鈍らせる。
「何をしておる小童! 下がらんか!」
「えっ……」
それは一瞬の遅れだが、致命的な隙。雅樹へと迫るアカギの右手には、鋭い爪が残されている。雅樹の心臓に向けて、鋭利な暴力が向かう。
これは死んだと雅樹は悟った。しかしこうなったのは自分のせい。このままイブキと草子の足手まといになるよりは良い。
自分の人生はこんな終わり方をするのかと、雅樹は目を閉じて生を諦めた。最後にイブキと草子に迷惑を掛けた事を、謝れないのが心残りだなと思いながら。
雅樹の体を襲う衝撃、手から落ちる小鴉。床に倒れた衝撃で、酸素が吐き出されて咳き込む。しかし彼は不思議に思った、胸部を貫かれた痛みがない。
おかしいと思って胸の辺りを手で触ると、傷跡なんてどこにもない。じゃあ今の衝撃は何だったのかと、雅樹はゆっくりと目を開ける。
「………………せ、先生?」
そこには胸部を貫かれた草子が立っていた。突き飛ばした時の格好で、雅樹を見て微笑んでいる。とても綺麗な笑顔だった。
「良かった……まー君が無事で……」
「な、なんで……どうして……こんな……」
雅樹は混乱している。初恋の女性の胸部から、アカギの腕が生えている。心臓部を完全に貫いており、明らかな致命傷だ。
初めてイブキと出会った時に見た光景と同じ。それから餓鬼がどうなったかは、今でも良く覚えている。灰になって消えてしまう。
「くっ……くくく……ははははははははは!! やったぞ! 玉藻前を殺した! あはははははは!」
アカギの腕が引き抜かれ、草子の体が床に倒れる。慌てて雅樹は駆け寄って、草子の体を助け起こす。
ぽっかりと穴が開いた胸部は、どう見ても助からないと雅樹でも分かる。ここから助ける方法なんて雅樹は知らない。
「ま、また俺のせいで!」
今度は初恋の人まで、自分のせいで死ぬ。雅樹には耐え難い絶望が襲い掛かる。目の前が真っ暗になった。
こんな事になるのなら、あの日イブキに助けられない方が良かった。高校生になりたいなんて願わなければ。
また大切な人を目の前で喪ってしまう。雅樹はもう心が壊れてしまいそうだった。しかしそんな暗い気持ちは、あっという間に消え去る。
「悲しまなくても大丈夫よ……まー君。貴方は……何も悪くない。私はいつまでも……まー君を愛しているわ」
雅樹から唇を離した草子が、雅樹に向かって微笑んでいる。初恋の人と初めて交わしたキスは、感情を喰らう為のもの。
絶望に飲まれた雅樹の心は、あっさりと無になる。そして同時に、草子の肉体は灰となって消えていく。雅樹の両手には、もう何も残っていない。
この世から消えてしまった初恋の女性。その悲しみさえも喰われてしまい、どうして良いのか分からなくなる雅樹。
脳裏に蘇るこれまでの日々。草子と過ごした時間。楽しかった想い出の数々が、雅樹の心を満たしていく。
「はははははは! さあ、次はお前だ酒吞童子! そこを動くな!」
雅樹が防戦を始めるなり、イブキは戦闘を開始していた。既にその剛腕で多くの蛇女や大蛇を葬ったが、それもここまでだった。
意気消沈した雅樹は、もう小鴉を握ってはいない。この状況でイブキが戦おうとすれば、アカギは雅樹を再び人質に取るだろう。
形勢が逆転した事と、草子を殺した事で気を良くしたアカギは勝ち誇る。あっさり殺してしまったので、喰らう事は出来なかったが。
「酒吞童子を拘束しろ、指先からゆっくりと喰い殺してやる」
勝利を確信したアカギは、雅樹の方なんて見ていない。イブキを喰らう事で頭が一杯になっている。その迂闊さが故に、痛い目を見たというのに。
アカギの背後では、再び小鴉を手に取り立ち上がる雅樹の姿がある。だが今はアカギ達全員が、イブキに注目している。誰も雅樹に気付いていない。
「さあ酒吞童子、観念し…………は?」
大仰に振るったアカギの右手が、渾身の一閃で斬り飛ばされた。それは悲しみと後悔を喰われた少年の一撃。
今は怒りと憎しみを糧に、再び立ち上がった決意の証。狙ったのは首だったが、右腕に邪魔されてしまった。しかし雅樹は諦めていない。
「お前だけは、絶対に許さない!」
草子に叩き込まれた技術を全て使い、戦う事を決めた雅樹の宣言が、勝ち誇っていたアカギに突きつけられた。
参考資料として買った怪異辞典と都市伝説図鑑のお陰で、3章の展開が色々と捗りました。
66話からが3章になります。




