第60話 囚われの雅樹
アカギの策略により攫われてしまった碓氷雅樹は、蛇女達の住処へと連れて来られていた。
何故ただの軽トラで逃げおおせたかと言えば、特殊な処理を施した車両を使っていたからだ。
蛇や爬虫類の持つ擬態能力を反映させた妖術で、周囲へ溶け込み意識出来なくなる様になっていた。
相手が蛇女アカギであると最初から分かっていれば、大江イブキや那須草子達も捜索方法を工夫していただろう。
しかし何の事前情報もないまま行われた誘拐だったので、どうしても対処が後手に回ってしまっている。
「ほう、お前が酒吞童子と玉藻前が取り合う男か」
下半身は大蛇で、上半身が女性の妖異。群馬県の支配者である蛇女アカギ。美しい肌を晒しながらも、何も衣類を纏っていない。
頭髪の代わりに大量の細い蛇が垂れ下がっている。瞼のない蛇の目がじっと雅樹を見つめている。
明らかに人外ではあるが、人間である雅樹から見ても結構な美人に映っている。だが同時に悍ましさも感じていた。
毒でまだ全身が麻痺している雅樹は、上手く体を動かす事が出来ない。自分の置かれた状況を把握するので精一杯だ。
「あんたは……誰だ」
少し話す事ぐらいなら可能だが、洞窟の床に寝転がったまま上半身を起こす事すらままならない。どうりで拘束されていないわけだと雅樹は納得した。
こんな状態なら、ロープで縛る意味もない。起き上がれもしない人間など、妖異から逃げられるわけがない。
「私はアカギ、この地を支配している蛇の女王さ」
高慢な態度を隠そうともせず、床に転がる雅樹を見下ろす。雅樹が少し遠くを見れば、玉座の様な石造りの椅子が見えている。
女王というのはどうやら本当らしいと雅樹は思った。しかしそんな妖異の話など、雅樹は聞いた事が無い。まだ彼が知らない事は沢山ある。
48の都道府県にそれぞれ支配者がおり、細かい支配圏も含めれば50を超える。雅樹はまだその全てを把握していない。
「そ、そんな事より約束は守った! 妻と娘を返してくれ! これでもう解放してくれる約束だろう!」
アカギと雅樹の会話を遮る様に、誘拐を行った中年男性が叫ぶ。どうやら彼は人質を取られていたらしい。
雅樹は今回の件について、少しだけ状況が見えて来た。このアカギという妖異の命令で、中年男性が自分を誘拐した。
その理由まではまだ分からないが、実行犯もまた被害者だったという事。ろくな妖異では無さそうだと雅樹は警戒感を高める。
「なんだ、まだ居たのか。もう随分前に喰ったよ、お前の妻と娘は」
「なっ!? そ、そんな! 約束が違う!」
実行犯の男性は、アカギが使っていた都合の良い駒だ。市議会議員であり、後ろ暗い仕事をやらせていた相手。
人間を攫って来させたり、アカギの悪事を隠蔽させたり。イブキの様な存在に、人間の乱獲がバレないよう暗躍をさせていた。
しかしこの男もこれで用済みとなった為、隠していた真実をアカギは告げた。男を使う為に人質としていた妻と娘は、とっくの昔に喰われた後だと。
「煩い、黙れ」
アカギがそう告げると、大蛇が男の背後から現れて一瞬で飲み込んだ。あまりの理不尽さに、雅樹は怒りを覚えた。
イブキや草子達と、あまりにも人間の扱いが違い過ぎる。餌だという立場は分かっているが、こんな残酷な行いはあんまりだと。
しかし無力な雅樹は、何もする事が出来ない。例え麻痺毒が無かったとしても、周囲にいる蛇女達や大蛇を相手に戦えない。
人間では妖異に勝つ事が出来ない。イブキから教えられたこの世の真実。妖怪退治なんて、夢のまた夢。
ここに沢山の銃火器があったとしても、蛇女アカギに傷1つつけられない。悔しさが雅樹の胸に広がっていく。
「なんだお前、文句でもあるのか?」
アカギが面白そうだと雅樹を見ている。どうせ人間には何も出来ないのに、怒りを顕わにする雅樹が滑稽だった。
こんな人間の子供が、自分に対して何が出来るというのか。アカギは雅樹を見て、強気になれる理由を見つけた。
その太い下半身で雅樹を締め上げ、彼の体を持ち上げる。ちょうど目が合うぐらいの高さで固定し、雅樹の顔を覗き込む。
「ふん、これがあるから私が何もしないと思ったか?」
アカギは雅樹の首元に手を伸ばし、強引に御守りを奪い取る。イブキの妖力が込められた特別な物。雅樹を守る為の一品。
しかしそれは、支配者クラスの妖異には意味を成さない。あくまで傍若無人な、弱い妖異を遠ざける為の効果しかないのだ。
「そうじゃ……ない。こんな事をしていれば……イブキさんが……許さない」
少しずつ麻痺が解けて来た雅樹だったが、今度は拘束されていて身動きが取れない。大蛇の下半身がしっかりと雅樹を絡めている。
そんな状況であっても、雅樹はイブキを信じている。イブキだけじゃない、草子達もきっと気付いている筈だと雅樹は思う。
何よりイブキは約束している。雅樹の命を最後まで守ると。雅樹が天寿を全うするその日まで、共に居ると約束した。
「くっ……ははははは! 馬鹿め、それももう終わりだ」
「な、何が……どういう意味だ……」
雅樹はまだ自分の置かれた状況を正確に把握出来ていない。何故自分が攫われたのかすらも。だからアカギが笑っている理由が分からない。
「あのいけ好かない酒吞童子と玉藻前は、どうやらお前がお気に入りらしいな」
「そ、それが……何だ……」
愛してると宣言した草子はともかく、イブキがどうか雅樹は良く分からない。少なくとも餌としては気に入られているらしいが。
大切にされているかは良く分からないものの、色々と便宜を図ってくれているのは確かだ。それだけは雅樹にも分かる。
「貴様を人質に使って、奴らを食い殺す。奴らの力を得た私が、この国の女王となる。全ての支配圏は私の物だ」
アカギが雅樹を攫った理由と、彼女が何をしたいのか雅樹は知った。まさかそんな大それた事を考えていたなんてと、雅樹は大層驚いている。
自分を人質にしたぐらいで、草子はともかくイブキが大人しく従うとは雅樹には思えない。そこまでの絆なんて築けていないからと。
契約とやらを破棄するだけで、イブキは自由になる事が出来る。こんなヤツに従って殺される必要はない。
随分とガバガバな作戦を立てたものだと、雅樹は呆れて物も言えない。絶対に失敗するだろうと雅樹は思う。
「俺なんか人質にしても、イブキさんは止まらない。お前の負けだよ、諦めろ」
雅樹から見れば、何故そんなバカげた事を思い付いたのか不思議でならない。どう考えても穴しかない計画だ。
案外この妖異は馬鹿なのだろうかと、雅樹は目の前の蛇女を見る。少なくともイブキや草子達の様な、高い知性を感じられない。
普通に考えれば、たかが人間を人質にして効果がある妖異なんて少ないだろう。草子達ですら、止められるか分からない。
愛犬などのペットぐらい愛着があれば、盾に使えるかも知れない。それならまだ雅樹にも理解出来る。
だが自分はただの餌だ。食肉用の家畜を殺されたくなければ、などと脅迫されても何とも思わない。可哀そうと思う事はあっても。
「バカめ、お前は奴らの何を知っている? あいつらは他の妖異と違い、人間を大切にしている。必ずお前の命を優先するだろう。ガキのお前には分からないだろうがな」
「そ、そんな筈は……」
ない、と雅樹は断言出来ない。確かに目の前の蛇女と、イブキ達は随分と違う。人間への対応は穏やかだ。
たかだか16年生きただけの自分は、イブキ達の事をそれ程知らない。彼女達の過去について、殆どの事を聞いていない。
もしアカギの言っている事が本当なら、自分のせいでイブキ達が殺されてしまうかも知れない。
嫌な予感が雅樹の中に生まれた。もしそうであるのなら、自分を見捨てて生きて欲しい。ただそれだけを雅樹は願う。
もう自分のせいで誰かに死なれたくない。助けてくれなくて良い、助けに来ないでくれと雅樹は祈り続けた。




