第58話 若藻村での休日
故郷である若藻村に滞在中の碓氷雅樹は、先日昔から仲の良い友人達と再会した。幼い頃から共に過ごした幼馴染達だ。
3月に村を出て以来、4ヶ月と少しが経過している。改めて村の生活を経験して、雅樹は都市部との違いを痛感している。
便利さはもちろん華やかさも全然別物だ。本当に長閑な田舎の村であり、非常に小さなコミュニティ。
しかしそれが雅樹には心地が良い。両親の死と改めて向き合った、彼の心を癒してくれている。
那須草子や江奈、メノウとの蟠りもとりあえず解消し、以前までとそう変わらない関係に戻りつつあった。
大江イブキとの対立も一時休戦となったので、栃木の支配者である江奈とメノウは、宇都宮市内の住処に戻った後だ。
現在イブキと草子はどちらが雅樹を保護するかで、長い話し合いを続けている。暫く終わりそうも無かったので、雅樹は幼馴染達と過ごしている。
「2人共、今日は仕事じゃないの?」
雅樹は特に仲が良かった2人と共に、村の中を歩いている。1人は幼馴染の少女、米農家の家に生まれた扇奏多。
いつも通り長い黒髪を後ろで纏め、小さなおでこを晒している。見るからに元気そうな見た目をした、健康的な田舎の美少女だ。
日焼けをあまり気にしていないからか、既に少し日焼けをしている。真っ黒とは言わないが、ほんのり小麦色になっていた。
「雅樹が帰って来ているからさ、私達は少し時間を貰えたんだよ」
そう答えた奏多の隣で頷いている少年は、もう1人の友人である長谷川拓海だ。父親が猟師をやっており、拓海もその後を継ぐ為に修行中の身。
身長は雅樹よりも少し低く、170センチちょうど。体格はがっしりしているので、ひ弱そうには見えない。
頭髪はかなり短く、ベリーショートとボウズの間ぐらい。線が細めの雅樹と真逆で、ワイルドな雰囲気の少年だった。
「俺も今日は休みを貰った。修行を1日休むぐらい、大した事じゃないしな」
豪快に笑いながら、拓海は雅樹の背中を叩く。いつも通りのやり取りが、今の雅樹には丁度良かった。
「ありがとう、2人共」
4月に入ってから、雅樹の周囲は大きく変わった。妖異という化け物と出会い、あっさり両親を喪った。
イブキのお陰で高校生活を取り戻せたが、世界の見え方が大きく変わってしまっている。
人間はあくまで妖異の家畜に過ぎず、ただ飼われているだけ。豚や牛と変わらない存在であると知ってしまった。
簡単に人間を殺して喰らう彼らにとって、自分達はちっぽけな生命でしかないのだと。
ただ全ての妖異がそう考えているわけでは無く、イブキの様にあくまで幸せな人生を願う妖異も居る。
そしてそれは初恋の女性である草子も同じだった。玉藻前という超有名な妖狐でありながら、人間を心から大切にしている。
雅樹は一度疑ったものの、村の幸せな生活が嘘ではないと証明している。誰も不幸な生活を送ってはいないのだから。
今までもこれからも、若藻村は温かな日々が続くのだろう。そう心から思える程に、平和な雰囲気に包まれている。
「にしても雅樹さぁ、あの凄い美人誰? 草子姉さんとタメを張る人って居たんだね」
奏多はイブキが気になっているらしく、雅樹に直接問いかけた。この村1番の美人である、草子と同等レベルの美女。
草子はこの村で生きる若い少女達の憧れであり、将来は草子みたいになりたいと願う。だからこそ奏多は気になるのだ。
「あ~……あの人は大江イブキさん。今の俺の保護者だよ」
「何だ、草子さんから乗り換えたのかと思ったぜ」
2人は雅樹が草子に恋をしていた過去を知っている。拓海が誤解するのも無理は無い。急に美女を連れて村に戻ったのだから。
「乗り換えって、先生とはそういう関係じゃあ……」
今でも雅樹は草子に対して、淡い恋心を持っている。自分が恋愛対象として見て貰えないと思って、勝手に諦めただけで。
そして出会ったとんでもない美女のイブキと、上京学園で仲良くなった可愛らしい先輩、永野梓美。それぞれタイプは違えど魅力的な女性だ。
現在の雅樹が抱いている気持ちはとても複雑だ。草子への気持ちは無くなっていないが、イブキの事も気になっている。
彼女達ほどの美女ではないけれど、梓美だって十分可愛らしい少女だ。幼馴染である奏多とも良い勝負をしている。
色々と有り過ぎたせいで、雅樹は自分の恋心と向き合う余裕が殆ど無かった。今自分が誰を好きなのか、良く分からない状態だ。
「でも草子姉さんって、雅樹を特別扱いしているじゃない?」
「そ、そうかなぁ? ただの弟子っていうか、弟扱いだと思うけど」
雅樹は草子から男として、見て貰えていないとずっと思って来た。しかし奏多から見た草子は、雅樹に特別な感情を向けている様に見えた。
実際に草子は愛していると発言していたが、それは雅樹に対してだけではない。気に入った男達を囲っているだけなのだ。
それが真実であり、雅樹は自分が特別な相手とは思っていない。ただ先日の話し合いをしてからは、やたらと草子が絡む様になってはいるが。
これまでの様な弟子と師匠ではなく、男と女の関係として。だから雅樹は困惑している。どういうつもりなのか分からなくて。
「どっちを選ぶんだよ雅樹は?」
拓海が雅樹にとても答え難い質問をする。どっちというか、誰というか。3名の魅力的な女性が、雅樹の周囲には居る。
妖異との恋愛が成り立つのかはともかくとして、梓美は1歳上の先輩だ。雅樹から見れば一番距離が近い。
ただイブキは恋人をやってくれるとも過去に発言しており、そういう対象として見てくれる可能性はある。
どういう意味での愛しているという発言か分からないけれども、草子もまたそれらしい反応を見せた。
「選ぶって、俺にそんな権利はないよ」
「何だよ、ハッキリしねぇなぁ」
ニヤニヤと笑いながら、拓海は肘で雅樹をつつく。気の知れた間柄だからこそ、遠慮せず出来る会話だった。
奏多も雅樹の真意を知りたがり、どうなのかと問う。当然雅樹には答えられず、回答に困ってしまう。雅樹は苦し紛れに話題を変えようとする。
「お、お前らはどうなんだよ」
雅樹は2人の気持ちを知っている。奏多は拓海が好きで、拓海もまた奏多を好いている事を。中学までは非常に微妙な関係性だった。
「もう付き合っているけど」
「そうだぞ。連絡しなかったっけ?」
交際を始めた事をあっさりと白状する2人。全く聞いていなかった雅樹は、とても驚いた表情をしている。
「えっ!? 聞いてないって! いつから!?」
「先月だよ。俺から告白した」
中学までは中途半端な関係で、雅樹は早く付き合えば良いのにと思っていた。そんな過去は何処へ行ってしまったのか、あまりにも堂々と表明する拓海。
あっさりと雅樹の反撃は終わってしまい、再び雅樹が質問攻めに戻りかけた。しかし1台の軽トラが彼らの近くまで来た事で、彼らの恋バナはそこで終了した。
「すまない君達、道を尋ねたいのだけどね」
40代ぐらいの野球帽を被った男性が、荷台にブルーシートの掛かった軽トラの運転席から声を掛ける。
3人が見た事もない人物で、恐らく外から来た人物だろうと雅樹達は判断した。何かの納品に来たのだろうと。
たまにこうして若藻村にやって来て、道を尋ねられる事が度々あるのだ。配達のドライバーが変わった時に良く起きる。
「良いですよ」
雅樹が返答したその瞬間、右足に痛みを感じた。ふと目線を向けると、1匹の蛇が足に嚙みついている。
しかも雅樹だけではなく、奏多と拓海も同様だった。まるで狙ったかの様に、同じタイミングで3人は噛まれていた。
「なん……だ……これ……」
雅樹は立っていられなくなり、フラフラと地面に倒れる。残る2人も同様で、地面に倒れ伏している。
軽トラの運転手が車を停めてブルーシートを捲る。そこには何匹かの蛇がおり、3匹の蛇も荷台へと戻って行く。
そして男性は雅樹の体を掴み背中に担ぐ。
「ま……まさき……」
拓海は今まさに連れ去られそうな雅樹を助けようと藻掻く。しかし体が上手く動かせず、結局何も出来ない。奏多の方も同様だ。
男性は残る2人に見向きもせず、雅樹を荷台に載せるとブルーシートを再び掛けた。
そのまま軽トラが走り去るのを、幼馴染の2人は見ている事しか出来なかった。




