第55話 両親の墓
碓氷雅樹と那須草子達の間に生まれた蟠り。それは簡単に解消するような物ではない。
自分達が妖異である事を隠したまま、これまで雅樹達村人と接していた過去。
そして雅樹の両親が死ぬ結果へと繋がってしまったすれ違い。どちらもすぐに受け入れられる程、雅樹は精神が成熟していない。
だが同時に遠慮なく怒りと不満をぶつける程、雅樹の精神は幼くも無い。普通の高校1年生にしては、少々大人びては居る。
それは長年に渡って草子と接して来たからであり、剣道を通して武の精神と健全な肉体を形成して来た為だ。
大江イブキの所有するグレーのSUVには、そんな微妙な関係性の者達が乗車していた。7人まで乗れる車だったので、全員で移動している為だ。
「イブキさん、そこを左です」
若藻神社から墓地まではそう離れておらず、車で移動すれば10分ぐらいで到着する。
ただ車内の空気は中々に気まずいものがある。気にしていないのはイブキだけだ。
草子や相馬薫は雅樹への負い目がやはりあるし、江奈とメロウも同様だ。そして当然雅樹も。
「どうでも良いけど、そろそろ辛気臭い空気は止めてくれない? これ私の車なんだけどね」
どうしてもさっぱりとした空気にはならず、湿気を帯びた空間となっている。
ギリギリお葬式ムードでない車内で、雅樹は助手席に座り両親の遺骨が入れられた骨壺を抱いていた。
車の外は長閑な山村の風景が続いており、とても穏やかな空気が流れている。車内とは真逆の光景だった。
何とも言えない車内の空気が消え去る事はないまま、イブキのSUVが村の墓地へと到着する。
「さて、行こうかマサキ」
「はい」
乗車していた6名は車を降りて、墓地の管理者が住まう屋敷へと向かう。そこには60過ぎの男性が暮らしている。
若藻村で代々墓地の管理を任されて来た一族であり、千年近くも村の墓地を守って来た。
年季の入った2階建ての屋敷には、墓守である老人が1人で暮らしている。
息子夫婦は別の家で生活しており、代替わりするまでは農家を営みながら生活する。それがこの一族の特徴であり伝統だ。
雅樹は呼び鈴を鳴らし反応が返って来るのを待つ。家主は墓場の清掃を午前中に終わらせ、昼は屋敷にいると雅樹は知っているから。
『はい』
「あの、碓氷です。納骨に来ました」
老人は当然雅樹を知っているので、納骨に来たと聞いて驚いている。碓氷家の人間は皆まだ年若いからだ。
今行くとの返答を貰い、雅樹達は老人が出て来るのを待つ。2分程で屋敷の外へ出て来た老人は、思ったよりも大勢居たので再び驚く。
「何だ? 随分とまた大勢じゃないか、まー坊や」
若藻村の老人達の多くは、雅樹をまー坊と呼ぶ。雅樹が幼い頃から、草子がまー君と呼んでいた影響だ。
「いえまあ、色々とありまして」
老人は驚いたものの、イブキ以外は知っている者ばかり。それ以上の言及をしなかった。
優先すべきは納骨を進める事で、知らない女性が1人居るぐらい大した問題にならない。
雅樹から両親共に亡くなったと聞かされた老人は、悲しそうな表情で雅樹の肩に手を置く。
「辛かっただろうに……でもまー坊が生きていたのは幸いだったな」
また同じ事を言われたなと、雅樹は複雑な気分になる。今はまだ良かったとは思えないから。
いつかはそう思える日が来るのかも知れない。だがそれがいつになるのか、雅樹に分かる事ではない。
「それでお前、生活は出来るのか?」
「うん、それは大丈夫。あの人と暮らしているから」
雅樹は視線でイブキを示す。そこに居るのは高そうなスーツを着た大人の女性で、見た目はしっかりしていそう。
関係性は分からないにしても、怪しい所は特に見られない。老人の目には草子と何やら親しげに話しているように見えた。
実際のところ人間ではなく、草子と親しい訳では無い。ただイブキが草子の失敗を弄っているだけだ。
真実を知らない老人は、草子の知り合いなら大丈夫だろうと判断した。知り合いではなく因縁の相手なのだが。
「分かった。じゃあ納骨を済まそうか」
老人が先頭に立って、屋敷のすぐ近くにある墓地へと入っていく。若藻村は小規模な村であり、墓地はそれ程大きくない。
すぐに碓氷家の墓石が置かれている場所へ到着する。雅樹と老人が香炉を動かし、拝石を持ち上げる。50㎏を超える重さを誇るので、男性2人掛かりでの作業だ。
妖異組なら片手で動かせるのだが、雅樹は納骨を自分の手で済ませたかった。雅樹の意思を察したイブキ達は、敢えて手を貸さなかった。
「まー坊、そこに骨壺を入れろ」
「うん……」
雅樹の手によって、両親の骨壺が納められた。後は拝石を元に戻して、香炉を置いたら作業は終了だ。
持参した線香を取り出した雅樹は、マッチで火をつけ線香立てに挿す。線香の香りが周囲へと広がっていく。
雅樹達は碓氷家の墓に向かって手を合わせる。それはイブキや草子達も同様だ。死者を悼む行為に人間も妖異も関係ない。
「ありがとうおじさん」
「困った事があったら、いつでも村に帰って来いよ」
墓守の老人は屋敷へと帰って行く。雅樹は暫く墓石の前で立っていた。これで一区切りはついた。
しかし心の整理はまだ出来ていない。簡単にどうにか出来る問題ではないから。どうしても両親に対する罪悪感は残る。
イブキは気にする必要はないと言うが、あっさりと受け入れる事は雅樹に出来ない。ただ縛られるのも違うと雅樹は思う。
いつまでも自分達の死に、拘る事を願うような両親でないと雅樹は理解している。あくまで気持ちの問題だ。
「まー君、少しだけ良いかしら?」
草子が雅樹の隣に立つ。何の目的があるのか雅樹には分からない。ただ草子から感じたのは優しさだった。
「うん、良いよ」
「亡くなった2人の為に、祈らせて欲しい。せめて来世が幸せである様にと。那須草子ではなく、玉藻前として」
その違いが雅樹には分からなかったが、拒否する理由がないので了承する。すると草子の様子が大きく変わる。
頭部には狐耳が生え、臀部からは9本のフサフサな尾が出現する。金色の毛は美しく、1本1本がツヤツヤと輝いている。
金毛九尾と呼ばれている妖狐、伝説に残る大妖怪。玉藻前としての姿を見せた草子は、とても艶やかで美しい。
本当の姿を見せていても、妖力を隠しているので威圧感が雅樹を襲う事はない。草子が何かを呟くと、指先から金色の光が墓石へ飛んで行く。
碓氷家の墓が10秒ほど金色に輝き、少しずつ元へと戻って行った。草子の姿も元通りになり、幻想的な光景は消えた。
「……ありがとう、先生」
「私は礼を言われる立場じゃないわ。今のはせめてものお詫びでしかない」
自らの失策により、雅樹の両親を死なせてしまった。そんな予定は無かったというのに。
だからこそ草子に出来る最大限の詫び、玉藻前が与える最大の加護を送った。来世を生きる2人に向けて。
「うん。それでも、嬉しかったから」
今の行為にどんな意味があるのか、雅樹には良く分からない。だけど特別な行為であるのは伝わったから。
強大な妖異である草子の祈りは、とても温かなものだった。それだけ分かれば雅樹には十分だ。
「ねぇまー君、暫く村に滞在するのかしら?」
「あ、えっと……」
こんな展開になるとは思っていなかった雅樹は、納骨だけ済ませて帰るつもりだった。
しかし現在の状況を思うと、どうすべきか悩む所だ。幼馴染にも誘われている。
決めるのは自分ではなくイブキだからと、彼女の方を見る雅樹。
「少しぐらいは構わないさ。探偵事務所には代理の者を置いておくから」
「そう。なら私の家に泊まると良いわ。部屋は空いているから」
草子の家を拠点にして、暫く雅樹は故郷に滞在する事となった。




