第54話 一応の和解
碓氷雅樹は再び若藻神社へと戻った。境内では既に那須草子こと玉藻前が待っていた。
その隣には真っ青な表情の巫女が居る。昔から雅樹が知っている女性だ。
名前は相馬薫といい、雅樹は何度も会話を交わした間柄である。
「あれ? 薫さん?」
何故この場にと一瞬雅樹は思ったが、すぐに1つの可能性に思い至る。
「……もしかして、薫さんも?」
彼女も妖異であったのかと、雅樹は草子へと視線を送る。
ある程度の冷静さを取り戻しているので、雅樹は草子に喚き散らす事もない。
「ええ。彼女は私の部下であり、今回指示を出した相手よ」
「申し訳ございませんでした!」
女性ながら雅樹と変わらない身長を持つ草子に対して、薫は10センチ以上背が低い。
それだけでも小さく見えるのに、勢い良く頭を下げる姿は余計に小さく見えた。
妖異が人間の自分へ頭を下げたので、雅樹はとても驚いている。
「部下のミスは私のミス。謝って済む問題じゃないけれど、本当にごめんなさい」
続いて草子が頭を深く下げた。有名な大妖怪で、雅樹の初恋の女性。そして剣道の先生でもある。
草子と薫が頭を下げる理由は1つしかない。雅樹の両親を結果的に殺してしまった事だ。
この短時間で相当怒られたのか、薫はブルブルと震えている。
もし雅樹が許さないと言えば、薫の身がどうなるか分からない。
ただそんな事を雅樹は知らないので、とても複雑な気分だった。
「頭を上げてよ。俺にも責任はあるからさ、とりあえず話をしよう」
雅樹はまだ心の整理が出来ていない。だけど彼女達を一方的に責める気にはなれない。
悪意があっての行動じゃなかった。それは雅樹も理解しているから。
「まー君……でも……」
「良いから。先生達だけの責任じゃないよ」
頑なに頭を上げない草子達に、雅樹は再度頭を上げるように促す。
「姉様、雅樹がこう言っているのですから……」
今回の件に直接関わっていないメノウと江奈が、草子と薫の肩に手を置く。
渋々といった雰囲気で、両者は頭を上げた。それから再び本殿へ戻り、那須草子サイドと大江イブキサイドで向き合う。
改めて今回の件について、説明が行われる事になった。今度は結果も踏まえた上で。
「私の判断が甘かった。酒呑の言う通り、策に溺れたのは間違いないわ」
草子は己の非を認めつつ、本来はどうなる筈だったのか、そして起きた事の分析を雅樹へと説明する。
「私は貴方がとても魅力的な魂の持ち主だと分かっていた。だからあの御守りを渡した」
村を出る雅樹に対して、持っておいて欲しいと言って渡した若藻神社の御守り。
雅樹なら自分が渡せば常に所持すると、分かっていて渡したとも打ち明ける。
先生として、そして女性として、雅樹が好意を抱いていると知っていたから。
その御守りには、雅樹の魂を平凡な物へと偽装する術が掛けられていたという事も。
「……御守り? ああ、あれの事か玉藻前。餓鬼ごときに破壊されるとは、相変わらず道具作りが下手だね」
イブキは小道具の類を作るのが得意だが、草子はあまり上手いと言えない。
薬の類ならかなり上手く作れるのだが、護符や御守りなどは平凡な腕前だ。
もちろんイブキが特別上手いだけで、草子は下手と言われる程ではない。
あくまでイブキから見れば下手だと言うだけだ。しかし結果は結果として、受け止めねばならない。
「……やはり破壊されたのね」
その可能性に思い当たっていた草子は、悔しそうな表情を浮かべた。
雅樹本来の価値さえ知らないままであれば、破壊される事は無かった。
うっかり薫がどれだけ価値のある存在か、念入りに教えてしまったのが悪い方へ働く。
あの玉藻前が大切にしている人間ならば、さぞ価値の高い男なのだと餓鬼は判断した。
脅かすだけでは済まさず、目撃者となる両親を含めて喰い逃げする算段を立ててしまった。
「話を聞く限り、恐らくそういう事だと思うわ。本来なら怖がらせるだけで良かったのに」
口先で誤魔化しただけで、口裂け女も本当は雅樹に興味を示していた。
ただし所持していた御守りの質が違った。明らかに強力な妖異の所有物だと一目で分かった。
だから最初は追跡だけに留めた。様子見をして大丈夫そうなら、味見ぐらいは出来るかと期待して。
しかしすぐにイブキが現れてしまい、言い訳を並べ立てて口裂け女は逃げ出した。
その事を知っているのは口裂け女だけで、この場に居る誰も知らない隠された真実だ。
「本当にごめんなさい。貴方の両親を殺すつもりなんて無かった。でもこうなってしまった」
草子にとって、雅樹の両親はそれほど重要で無かった。だが雅樹を苦しませるつもりも無かった。
それとこれとは別の問題であり、辛い思いをさせてしまった事実は無くならない。決して変えられない現実だ。
「まー君を苦しめたかったのではなく、ただ安全なこの村に帰って来て欲しかっただけなの。私は本当に、心から貴方を愛しているわ」
傾国の美女、玉藻前。またの名を妲己。彼女は恋多き女性だが、その気持ちは常に本物である。雅樹に対する感情も偽りではない。
だがそれはそれ、これはこれ。草子は雅樹を真っ直ぐに見つめている。ここからはケジメの問題だ。
「だからねまー君、私達を恨みなさい。薫を殺せというのなら、受け入れましょう。私の命を望むのなら、貴方に捧げましょう」
「そ、そんな事、望む筈ないじゃないか……」
確かに両親を失ったのは辛い。しかし雅樹にも落ち度はある。
何度も静止する草子の意見を聞かず、自分の好奇心を優先した。
草子に言われた通り、正体を明かされても諦めた可能性は低い。
だから薫と草子の命なんて、望むつもりは毛頭ないのだ。
「結局はさ、悪いのはあの餓鬼だろうに。いつまでそんな不毛なやり取りを続ける気だ?」
あくまで中立の立場であるイブキは、誰のせいか決めようとす行為が不毛にしか見えない。
結局余計な行動に出たのも、雅樹の両親を殺したのも全部餓鬼の行いだ。
確かに草子と薫にも落ち度はあり、雅樹にも同様の事が言える。
「イブキさん……でも……」
やはり雅樹は自分を責めてしまう。自分の望みが両親の死に繋がったと。
「でもじゃない。君は何も知らなかった。対策なんて取れないだろう。それとも君は全知全能のつもりかい? いつでも正解を選べるのかな?」
「そ、そんなつもりは……」
雅樹が自分を責めるのは、結局後付けの理由でしかない。ただの結果論だとイブキは断じる。
事実として雅樹はイブキと出会うまで、妖異なんて存在を知らなかった。
正しく脅威度を把握していれば、村の外へと出る選択を取らなかった。
しかしそれは今だから言える話でしかない。中学時代の雅樹が、判断ミスをしたのではない。
選択の結果が毎回良い結果に繋がるとは限らない。どうしてあの時こうしたのかと、後から嘆くのは簡単だ。
そんな後悔を、いつまで続けても未来には繋がらない。過去はどうやっても変えられないのだから。
「強いて言えば、玉藻前が惚れた男に弱いのが悪い。実際に妖異が人間を喰う所を見せれば良かった」
「そんな残酷な事…………いえ、その通りね…………。私達の真実を見せるのが、私は怖かった。まー君に嫌われたく無かった」
草子は本当に雅樹を大切にしていた。だから残酷な場面を見せようとしなかった。
そこがイブキと決定的に違っている点だ。イブキはお気に入りの雅樹に、残酷な現実をあっさり教える。
対して草子は、温室で育てるかの様に過保護な面がある。どちらが正しいとは言えないが。
ただ雅樹を箱入りにしてしまったのは、他ならぬ草子自身だ。理想の楽園を作ろうとした末路。
もっとシビアに向き合っていたら、結果が変わった可能性はある。
だがやはりそれも結果論だ。それに雅樹は、草子を恨むつもりはない。
「先生…………。あの……俺は両親の納骨に来たんです。だから今から、一緒に来てくれませんか?」
そもそもの目的である、両親の遺骨を納める事。そこへ同行して欲しいと雅樹は提案する。
先ずは両親を墓場へ。これからどうするかは、それから考えたいと雅樹は思った。
「……私達が行っても良いの?」
「はい。父さんと母さんも、怒ってはいないと思うので」
完全な解決と言うにはまだ早いが、雅樹は前へ進む道を選んだ。事情を聞いたら、両親も分かってくれそうな気がしたから。




