第45話 私キレイ?
碓氷雅樹は夜の京都市内を走る。永野梓美との楽しい時間とは打って変わり、妖異との時間が始まった。
雅樹には1つ疑問がある。京都は大江イブキの支配圏で、生活している妖異はイブキの配下ばかり。
ならこんな風に、自分を追い掛ける理由はない筈だと。しかし怪しげな気配は、付かず離れずついて来る。
(どういうつもりだ? 何がしたい?)
雅樹には追われる理由が分からない。梓美を狙わなかった事は喜ぶべき点だが、この状況が良いとは言えない。
イブキの下へ行きたい所だが、このまま人が多い場所に行って良いのか分からない。
そのせいでもし誰かが犠牲になったら、そう思うと身動きが取りづらい。
結果的に人の居ない場所を選択するしかない。雅樹は裏路地を通り公園へと向かう。
少々危険ではあるが、イブキなら気付いてくれる筈。そう信じて雅樹は、妖異らしき存在と対峙する。
以前にイブキから聞いていた。支配圏内に居る全ての妖異を把握していると。
この公園は雅樹の足で、探偵事務所から徒歩10分ぐらいの距離にある。
イブキであれば一瞬で来られる位置だ。雅樹のチョイスはそう悪くない。
彼女がどこかに出掛けていなければだが。そこだけが唯一の懸念材料だろう。
(さあ、どうする?)
雅樹は公園の真ん中で立ち止まる。背後には嫌な空気を放つ存在が居る。
雅樹と一定の距離を維持し続けた相手。湿気のある視線を隠そうともしなかった者。
狩る側の立場で、追い続けて来た何者か。雅樹は意を決して背後を振り返る。
そこに立っていたのは、真っ赤なワンピースを来た1人の女性。
「何か、俺に用でも?」
雅樹は確信している。少し離れた位置に居る女性が、ただの人間ではないと。
10件を超える事件と関わり、雅樹が開花させた感覚。妖異の放つ異様な空気を感じ取る能力。
間違いなくこの赤い女性は、人間じゃないと第六感が告げている。
「あの、聞いてますか?」
黙って立っている女性は、長い黒髪を無造作に垂らしている。見たところ背丈は雅樹より低そうだ。
目は辛うじて確認出来るが、口元にはマスクを付けており表情は分からない。
ただジッと雅樹を見つめたまま、何も言わずに立ち尽くしている。
雅樹が夜の公園で対峙した真っ赤な女性は、街灯で照らされたまま微動だにしない。
「用がないのなら、放っておいてくれませんか?」
やはり何もリアクションを起こさない真っ赤な女性。しかし突然に笑い声を上げ始める。
「アハハハハハハハ!」
甲高い笑い声が響き渡る。不気味な声が、雅樹の耳を刺激する。まだイブキは現れない。
ひとしきり笑った赤い女性は、ゆっくりと雅樹に向かって歩いて来る。
何をするつもりだと、彼は身構えつつ胸元に下げた御守りを服の上から握る。
「私、キレイ?」
「……は?」
マスクを着けたまま、自分がキレイかと問いかけてくる謎の妖異らしき女性。
それはかつて日本中で大流行したとある都市伝説。マスクを着けた女性の怪談話。
キレイと答えれば、回答者の口が裂かれる。ブサイクだと答えれば、鎌で斬り殺される。
有名なのは1970年代に岐阜県を発祥に全国へと広がった噂話。
しかし古くは江戸時代にも巷で流行していたとの説もある怪異。
「私、キレイ?」
女性は雅樹のリアクションを無視して、同じ事を再度尋ねて来る。
世代的に雅樹はこの都市伝説を知らない。既に廃れてしまった噂であり、対処方法を聞いた事がない。
「……まあ、キレイなんじゃないですか?」
警戒しつつ雅樹は適当に答えた。答えてしまった。だから女性はマスクを外しながら問い掛ける。
「こんな顔でも?」
パックリと横に裂けた口。耳元まで続く裂け目は赤黒い肉が見えている。かつて日本中の子供達を恐れさせた者。
「うわっ!?」
以前に出会った餓鬼とはまた違う裂け方をしており、単に口が大きいのではない。
まるで刃物で無理矢理裂かれた様な傷口であり、あまりに痛々しい見た目をしている。
あまりのグロテスクさに驚いている雅樹へと、ゆっくりと口裂け女が手を伸ばす。
「そこまでにして貰おうか」
女性にしては少し低めの声が告げる。それは雅樹の待ち望んでいた聞き慣れた声。
口裂け女が背後を振り返ると、真っ黒なパンツスーツ姿の女性が立っていた。
180センチという高い身長に、腰まである長いポニーテール。
月の光に照らされたその姿は、どの角度から見ても美しい。完成された美貌は、何時どこに居ても輝かしい。
「イブキさん!」
雅樹はホッと胸を撫で下ろす。漸く待ち望んだ存在が現れてくれたと。
「それで、お前は何をしに来た? ここが誰の土地か、分からない筈はないだろう?」
イブキが口裂け女に問い掛ける。まさか彼女が出て来ると思っていなかった口裂け女は、早口で弁解を始めた。
「ま、待って下さい! 私は頼まれただけなんです! 貴女の土地である事は重々承知しております」
先程までのおどろおどろしい喋り方は鳴りを潜め、急に普通の話し方で口裂け女は話している。
「頼まれた? 誰に、何を?」
イブキは訝しみながら口裂け女を見る。頼まれたとは何の話だと。
「よ、妖狐ですよ! この少年を脅かして来たら、美味しい人間をくれると言われて!」
「……妖狐? マサキ、君に妖狐の知り合いなんて居るのかい?」
問われた雅樹は思わず首を横に振る。そんな知り合いなんていた事がない。
そもそもイブキ以外で、まともに知り合いと呼べる妖異は居ない。
知らないからこそイブキと出会う事になり、今日までこうして生活して来たのだから。
「知らないって言ってるけど?」
胡乱げな表情で、イブキは口裂け女を見る。嘘を疑われた口裂け女は慌てて反論する。
「本当ですよ! 私みたいな木っ端妖異が、こんな濃密な妖力を纏う人間に手を出せませんよ!」
口裂け女は有名な存在だが、特別強力な妖異ではない。御守りを所持する雅樹に手は出せない。
すぐに雅樹へと近付かず、暫く観察しながら尾行を続けたのは、飼い主が近くに居るか確認する為だ。
しかし中々飼い主が現れないので、今がチャンスだと脅かしに掛かった。
「ふぅん……一応筋は通るかな」
「も、もう良いですよね!? 私は貴女の土地で、勝手な事をするつもりはありませんから!」
どこまでも下っ端ムーブを続ける口裂け女に、雅樹は少し呆れ気味だ。
さっきまでは堂々としていたのに、今はまるで強者に媚びるチンピラみたいだと。
ただイブキが相当強いらしい事は雅樹も分かっているので、仕方がないのかなとも思ってはいる。
雅樹のイメージでは、普通の妖異がそこらのチンピラや半グレ。
そしてイブキはヤクザの親分か、マフィアのボスみたいなもの。
「まあ良い、今回は見逃そう」
イブキはさっさと行けと、手のひらを振って口裂け女に合図する。
「で、では私はこれで」
そそくさと口裂け女はマスクを着け直しながら、足早に公園を出て行った。
「マサキ、君は本当に妖狐と知り合いじゃないんだね?」
「え、はい。知るわけないじゃないですか」
どうやら妖狐なり九尾の狐なり、苦手意識を持っているらしいイブキ。
再び雅樹に確認を取り、何やら考え込んでいる様子だ。顎を指でなぞりながら思案する。
「念の為だ、うちの妖異達に注意喚起をしておくよ。他所から来た妖異には、必ず目的の確認を取る様にと」
「でも変な話ですよね? 襲えとか捕まえろじゃなくて、脅かせなんて……」
雅樹にはそんな事をされる意味が分からない。脅かして何になるというのか。
しかも知りもしない妖狐なんて存在に。これまでの人生で、動物に恨まれる様な事はしていない。
イタズラで殺した狐でも居たのならともかく、そんな事実は一切ないのだから。
「全く、朝帰りになるだろうからと飲みに出掛けたらこれだ。君も中々困った子だね?」
「え、これ俺が悪いんですか!?」
何故自分が責められているのだろうかと、雅樹は困惑するしか無かった。




