第41話 雅樹の成長
時刻21時半となり、大江イブキと碓氷雅樹は廃村へと戻って来た。
妖異が活発になり始める時間帯だ。妖異対策課からの報告では、工事現場で事故が多発したのも夜間の工事だ。
昼間もまったく無かった訳では無いが、そちらは突然体調不良を訴える等の現象が中心だった。
イブキの見立てでは、そちらの方は呪いの類だと判断している。
村をダムに沈めようとする者達への、怨嗟が呪いとなって作業員へと襲い掛かったのだと。
感情に特化して作られた人間は、幽霊になっても強い感情を持ち続ける。
妖異へと進化し妖力を得ていれば、その様な事は簡単に行える。
「さてマサキ、今回はこれを持って行くと良い」
イブキはSUVのトランクから、護符の巻かれた木刀を取り出した。
「これは?」
「君は剣道をやっていたと聞いていたからね。ただ護符を渡すよりも、この方が良いかも知れないと思ってね」
雷撃で妖異を弾く結界を、防御や反撃に使える。ただ素手で護符を持つよりも、幾らか雅樹に向いている。
「これまで見て来て、素手は落ち着きが無さそうだったからね」
花山総合病院の依頼を受けてから、既に10件の妖異に関する事件と関わった。
その中で雅樹が武器を利用したのは、徳島での1件だけ。それ以外は全部素手だった。
「確かに、こっちの方が馴染みますね」
雅樹の反射神経はかなり高く、素手でもある程度の対応が出来る。
もちろん護符等を持っていなければ、ただ反応が出来るだけで防御は出来ない。
しかしこうして木刀に貼り付ければ、これまでよりは幾らか積極的に護符を利用出来る。
今までは反撃らしい事はまともに出来ず、護符を握ったパンチがせいぜいだった。
幾らイブキが守るとは言え、自衛手段が何もないのは流石にリスクが高い。
これからも助手をやらせる上で、イブキが考えた新たな形だった。
「戦おうとは考えなくて良い。あくまで自分を守る為に使って欲しい」
「分かってます。戦いになるとは思っていませんから」
妖異と人間では、身体能力の差が大きい。雅樹に出来るのは反応する事だけ。
優れた反射神経を駆使して、ただ防御に徹する。彼が出来るのはそこまでだ。
身に着けた剣技で撃退する所まではいけない。そんな訓練は積んでいない。
「よし、それじゃあ始めようか。いつも通り誘き出して貰おう」
イブキは無線機を雅樹に手渡す。受け取った雅樹は、ズボンのベルトに無線機をセット。
新たに貰った木刀を構えて、数回素振りをして使い勝手を確かめる。
「へぇ、良い剣筋をしているね」
イブキが想像していたよりも、雅樹が木刀を振る姿が随分と様になっていた。
「そうですか? 先生が見たらサボっただろうと怒られそうですけど」
雅樹の故郷に居る剣道の師匠。彼が先生と呼ぶ女性が見たら、最近素振りをしていないと速攻でバレるだろう。
春から夏に入るまで、雅樹は殆ど竹刀を振っていない。体育の授業で触る以外に、竹刀を使う機会がない。
それでも積み重ねた練習の成果は無くなっておらず、手に馴染んだのを感じた雅樹は出発する。
「さて、じゃあ行って来ます」
「また後でね、マサキ」
廃村から少し離れた山道に、イブキが所有しているSUVが停まっている。
ここから雅樹が幽霊と接触するまで、イブキは待機するのみだ。
このスタイルに変えて以来、イブキが調査に掛ける時間は激減している。
やはり圧倒的な強者であるイブキが、単独で練り歩くと逃げる妖異は多い。
特に人間の幽霊などは、普段抑えているイブキの妖力を見ただけで敗北を悟る。
妖異としては最弱クラスである、人間の幽霊は所有する妖力が低い。
普通の妖異レベルまで抑えていても、それでも大きな開きがある。
かと言ってこれ以上は抑えられないので、イブキの方にはもう打てる手が無かった。
「本当に、良い拾い物だよ君は……」
イブキはキセルに火を灯し、ゆっくりとタバコを吸いながら雅樹の背中を見送った。
一方廃村へと向かう雅樹は、ヘッドライトを付けて夜の山中を歩いていく。
奇しくもイブキと雅樹が居た場所は、とあるオカルト研究会のキャンプとは真逆の位置だった。
彼らの痕跡に雅樹が気付く事はなく、1人で廃村へと入って行く。
「イブキさん、とりあえず井戸の方に行けば良いですか?」
雅樹は廃村に入った所で、無線機を使いイブキに尋ねる。
『そうだね。あそこに遺体を捨てられたのなら、幽霊として生まれ変わった重要な場所だし』
雅樹はイブキの指示に従い、廃村の端にある井戸を目指す。だいぶ慣れて来たのもあり、雅樹の足取りは以前よりも軽い。
怖くないとは言わないが、耐性が少しついて来た。必要以上に怯える事はない。
1人で進んでいた雅樹だったが、足音が聞こえて来たので一旦ヘッドライトを消し民家の陰に隠れる。
様子を伺っていると、月明かりの下に出て来たのは明らかに人間と思われる女性だ。
初めて見る顔だったが、とりあえず接触を図る事にした雅樹は女性に近付く。
倒れそうになったのが見えたので、慌てて駆け寄り手を掴んだ。
「きゃあああああああああ!」
何かから必死で逃げていたらしい女性は、大きな叫び声を上げた。
「ちょ!? 落ち着いて下さい! 大丈夫ですか?」
女性を助け起こした雅樹は、女性から事情を確認する。どうやら他に4人居たらしい事が判明した。
しかし聞く限りでは雅樹より先に妖異と接触したらしく、既に4人は犠牲となった可能性が高い。
「イブキさん、人間を発見しました。生存者1名。あと多分ですけど、4人殺られました」
何でこんな所に来ちゃうかなぁと雅樹は呆れながら、イブキと連絡を取る。
『何ともまあ、物好きだねぇ。とりあえず放置で良いよ』
「了解です」
随分と場馴れした雰囲気を見せる雅樹を見て、オカルト研究会の生き残り、芦田遥は雅樹に縋る。
「た、助けて!」
結構可愛らしい年上の女性だったが、雅樹にとってはどうでも良かった。
むしろ少し邪魔というか、今は関わらないで欲しかった。何も持っていない女性まで、守り切る余裕が雅樹にはない。
「分かりましたから、この空き家にでも避難していて下さい!」
雅樹はやや強引に、近くの空き家に女性を入らせた。まだ何か言っているが、雅樹は無視して先へ進む。
もし幽霊が彼女を追っているとすれば、井戸まで行かなくても遭遇出来るかも知れない。
そうなれば今回も御守りに付与された、妖異と接触したら即イブキに位置情報が行く妖術の出番である。
「どこに居る?」
雅樹は再びヘッドライトを点灯させ、周囲を確認しながら前へと進んで行く。
村の中には死角が多い。生け垣の陰、曲がり角、空き家と空き家の隙間など。
月明かりとヘッドライトの光だけが頼りで、闇が周囲を支配している。
慣れて来たとは言っても、恐怖心は無くなっていない。ただ前よりマシになっただけ。
緊張感が雅樹の精神をジリジリと削っていく。突然感じた嫌な予感に、素早く雅樹は反応した。
「そこか!」
ふと右を向けば、空き家の角に紺色の作務衣を来た老人が立っていた。
眼窩の窪んだ目には瞳がないが、明らかに雅樹の事を見ている。
すると突然何かを叫びながら、老人は物凄い速度で雅樹に向かって来た。
「御守りの効果がない!?」
今まで出会った妖異の全てが、必ず御守りを警戒していた。しかしこの老人はそうじゃない。
「くっ!?」
雅樹は木刀を握り締め、向かって来る老人の腕を横薙ぎに切り払う。
バチバチと紫電が弾け、老人の勢いが落ちる。続けて雅樹が放った突きは、老人の胸元を直撃する。
再び輝く紫電により、老人は後ろに仰け反った。完全に老人の勢いを停止させられたが、雅樹に出来るのはここまでだ。
倒したり撃退したりする事は彼に出来ない。だがそれで良い、彼の役目はあくまで囮。
「良くやってくれた。どんどんスムーズになるね」
いつの間にか空中から飛来したイブキが、雅樹の隣で綺麗な着地を決めていた。




