第4話 妖異とは何か
大江イブキが所有する雑居ビルは、3階が居住スペースで2階が探偵事務所である。
どこにでもある様な40坪の土地に建てられた、ありきたりなビルだった。
外観は少々古びた印象を感じさせるが、内装は結構綺麗な物件だ。築年数は35年。
2階にある探偵事務所のスペースは、イブキ1人で運営するにはやや広い。
家具類やカーペットなどは、ビルの外観に反して高級な物が使われている。
イブキが座る事務机は、高級な木製の輸入品だ。50万円もする品だが、そんな事は雅樹には分からない。
そしてイブキもまた、値段には興味がない。それらは全て、献上された品々だからだ。
「それで、今日は何を知りたいのかな?」
ここ数日に渡って投げかけて来た、雅樹からイブキへの質問。本日雅樹が聴きたいのは、根本的な話だ。
「妖異はどうしてこんなにも、人間に似ているのですか?」
それは1番雅樹が知りたかった問題だ。両親を喰らったバケモノも、目の前に居るイブキも見た目は人間だ。
イブキなんて街中を歩けば、100人中100人が振り返る超絶美人だ。男性であれば、是非ともお近づきになりたいと願う理想そのもの。
でも喰らう相手に似ている意味が、雅樹には全く分からない。その疑問に対するイブキの答えは、雅樹の想像を遥かに超えていた。
「それは勘違いだよマサキ。妖異が人間に似ているのではなくて、人間が妖異に似ているんだよ」
「………………え?」
ただ言い方を変えただけに思える話だが、導き出される結果は別物である。
つまりイブキが言っているのは、本来妖異が持っている容姿に、人間の方が似ているという事。
人間の見た目の方が正解なのではなく、妖異の外見の方がこの世界の真実であるという話だ。
「この星ではねマサキ、自然発生していない唯一の生命が人間なのさ」
「な…………は?」
イブキの口から語られた真実は、人間社会の常識を根底から覆すものだった。
猿から進化して類人猿になり、そこから最終的に行き着いたのが人間。それがこの社会における認識だ。
だがイブキの発言は、その歴史を全否定するものだ。雅樹は衝撃のあまり混乱した。
「え? あの、それはどういう?」
「どうも何も、人間は私達妖異の因子を元に作られた、半妖なんだよ」
それから始まる妖異と人間の歴史話。イブキが知る全てを雅樹に話した。
この星を支配していた妖異は、永きに渡って争い合っていた。互いの領地や獲物を求めて。
最も強い者が全てを決める資格を持つ、完全なる弱肉強食の世界が形成されていた。
それは野生動物の世界と、なんら変わらない社会。妖異が妖異を喰らう時代が確かにあった。
「だけど私達は気付いた。このままではいつか滅んでしまうとね。他の生命と同じ様に」
基本的に妖異という存在は寿命がない。老いる者も居るし、老けない者もいる。だが加齢では死なない。
しかし飢えだけは、全妖異が共通して死んでしまう。争いの果てに残された最後の個体の周囲には、喰うべき妖異が残されていない。それでは滅ぶしかない。
種族ごとの諍いはともかくとして、このままでは食糧難に陥る未来が見えていた。
激しい争いの中で、お互いに数を減らし過ぎてしまったのだ。そこで妖異達は一度考えた。
「そして決めたのさ。自分達の因子を持つ、尽きない食料を養殖しようとね」
「よ、養殖……」
それは人間である雅樹にすれば、あまりにも衝撃的だった。そして同時に、餌と言われた意味が分かった。
妖異達にとって、人間というのは純粋な生命ではなくクローンの様な存在。
思いもよらない話を聞かされて、革張りの応接用ソファに座っていた雅樹は言葉が出て来ない。
「人間は何故か地球の支配者の様に振る舞うけどね、君達は生かされているだけなんだよ。私達妖異が、喰い合って滅びない為の代替品として」
気になっていたからただ質問した。それだけの話がとんでもない世界の真実に繋がった。
平和な日常など、最初から存在していなかったのだ。そんなものがあると、勝手に思っていただけで。
今も日本は平和だと、信じて暮らしている人がいる。こんな恐ろしい真実を知らずに。
もし今雅樹が立っていたら、膝から崩れ落ちていただろう。それぐらいの衝撃だった。
「おやおや、良い感じの絶望感だねぇ。頂こうか」
そんな雅樹の心を埋め尽くす絶望を、いつもの様にイブキが吸い上げていく。
沈み込んだ心が強制的にリセットされ、感情を吸い付くされた雅樹は再起動した。
物凄く最悪な真実を知ったのに、その時に生まれた感情はもう雅樹の中にはない。
これまでで1番妙な気分になった雅樹は、溜息を吐きながら零した。
「じゃあ俺達が生きる意味なんて、ないんだ」
「ん? また勘違いをしているねぇ。君達には人生を謳歌して貰わないと困るんだ」
また分からない事を言い始めたなと、雅樹は訝しんでイブキを見る。
「忘れたのかい? 妖異は人間をただ食べるだけじゃない。全てを諦めた無感情な肉塊なんて、食べる価値がないんだよ。食品サンプルを齧るようなものさ」
人間らしく感情が動いていないと、イブキ達妖異は満たされない。そもそも妖異が争い合って喰らい合ったのも、感情を喰らうという目的があるからだ。
人間が生きる意味を失い、ベルトコンベアを流れる生肉の様な存在に成り下がっては意味がないのだ。
「私達はね、君達の人生まで否定はしないよ。好きに生きれば良いのさ。横暴だと思うかも知れないけどさ、それを言ったら豚や牛はどうなるんだい?」
人間だって豚や牛を飼育して食べている。そして彼らは、ただ食われるだけの目的で生かされている。
自分達がするのは良くて、されるのは嫌なのかい? そう問われては雅樹も言い返せない。
「何も人間を全員食い尽くすわけじゃない。何も知らずに寿命を迎える者は大勢居る」
イブキ達妖異は、人間とはそもそも種として違う。人間は毎日食事を摂らないと体調を壊す。
だが妖異は少々喰わずとも影響は出ない。実際イブキは雅樹と出会うまで、暫く人間を喰っていなかった。
「人間の常識で考えないでよ。私達は人間じゃないのだから。私は君と出会うまで、半年ぐらい人間を喰らってなかったんだよ?」
妖異が半年食べずに居るのは、人間にとって朝食を抜いたぐらいの感覚だよとイブキは言う。
絶滅を避ける為に生み出した生命を、考え無しに食い尽くす筈がないでしょうとも。
「ぶっちゃけた話をしよう。年間で妖異が人を殺す数よりも、君達同士でやっている同族殺しの方が遥かに多いからね。殺人事件に戦争、テロとかね」
一度絶望した雅樹だったが、そこまで具体的に説明されると少し落ち着けた。
だからって良いとも思えないが、人間が人間を殺すより少ないなら印象は大きく変わってくる。
ただそうなると、人間とはなんて愚かしいのだろうとも思ってしまう。
何故なら妖異の餌として生かされているのに、そんな真実も知らずに殺し合っているのだから。
雅樹は何とも言えない気分になってしまう。
「何か、バカみたいですね。餌同士で殺し合うなんて」
「それは仕方ないよ。妖異の因子を持っているのだから。争いは本能だよ、半妖としてのね」
絶望して呆れて、最後には半妖だから仕方ないとオチがついた。
知ってしまったこの世界と、人類の秘密に頭を抱えたくなる雅樹。
そして湧き上がる新しい疑問。じゃあこれまでに提唱されて来た通説や常識は何なのか?
「イブキさん、じゃあ人類の歴史だとかそういうのは何なの?」
「ああ、アレね。私達はこうして人間社会に混じっているでしょ? それが1番効率良いからね。そんな状況を考慮して考えて欲しい。何らかの説を唱えた者が、果たして人間だと言い切れるかな?」
またしても大きな衝撃を受けた雅樹は、何度目か分からない目眩を感じた。
そんな所まで妖異の手は伸びているのかと、呆然と受け入れるしか無かった。自分の心を守る為に。
「何でそこまで……妖異はやるんですか?」
それは最後の抵抗にも近い問いかけ。常識がガラガラと崩れ落ちていく雅樹の悲鳴。
「だって君より心の弱い人間が、世の中には沢山居るんだよ? 真実を知ったら壊れちゃうじゃない。味のしない肉塊だらけになったら困るよ。それに隠しておかないと、鬼退治だとか魔女狩りだとか言って、定期的に反抗期がやって来るからね。面倒事は御免だよ」
案外人間に配慮をしてくれているんだなぁと、ややズレた感想を抱く事しか雅樹には出来なかった。
次からは毎朝1話更新です。