第37話 妖異対策課と助手
大江イブキと碓氷雅樹が広島県の廃村に向かう数日前。平日の夕方に来客があった。
日が落ちきる少し前、控えめなノックと共に1人の女性が探偵事務所に入って来る。
少し高めの身長に、ほっそりとした体。タイトスカートを履いたビジネススーツの女性。
まだ十分若そうだが、どこか貫禄を感じさせる堅い空気を纏っている。
ややツリ気味の目とクールな雰囲気が、少し近付き辛い印象を与えている。
完璧な美を誇るイブキには及ばないが、美女と呼んで差し支えない大人の魅力も備えていた。
「失礼しますイブキ様」
女性は軽く頭を下げながら、慣れた感じでイブキへと声を掛ける。
肩まである良く手入れされた長い黒髪が、お辞儀に合わせて揺れている。
「時間通りだ。相変わらず律儀だね」
イブキの知り合いらしく、フレンドリーな対応を見せている。
ならばこの人も実は妖異なのだろうかと、雅樹は少し身構えていた。
「ああ、違うよマサキ。彼女は普通の人間だ」
「な、なんだ……違うのか」
彼の基準だとかなり美人に見えたので、つい怪しいと思ってしまった己を雅樹は恥じた。
綺麗な女性だからと、疑ってしまう癖が彼の中で出来つつあった。
例えば上京学園の学園長も美しい大人の女性だ。それ故に雅樹は少し警戒をしていた。
学園長はイブキから聞いていた妖異の片方、鬼か雪女のどちらかではないかと。
しかし良く考えてみれば、徳島の小松茂は特に男前という程では無かった。
山姥だって綺麗では無かったし、変な勘違いをしていたなと雅樹は認識を改める。
「イブキ様、その子は一体?」
来客の女性が雅樹を不思議そうに見ている。お互い出会ったのは今回が始めてだ。
「彼は私の助手だよ」
「碓氷雅樹です、初めまして」
雅樹は自己紹介をしつつ、軽く頭を下げておく。武道を嗜んでいただけに、姿勢の良い綺麗なお辞儀だ。
「これはどうも、私は東坂香澄と申します」
「この前言っていただろう? 彼女は妖異対策課の人間だ」
雅樹より頭1つ分ぐらい低い背丈をした目の前の女性が、例の妖異対策課で働く人だと雅樹は明かされた。
てっきりもっと屈強な男性が就く職業だと思っていた彼は、思っていたイメージと違って驚いている。
「私は京都支部の室長をしています。ところでイブキ様、私の所属を明かしたという事は……」
香澄の切れ長の目が雅樹を観察している。一見ただの高校生でも、妖異について知っている存在。
しかもイブキが助手とまで言っている。何か特別な理由でもあるのかと、香澄は疑問に思った。
彼は容姿の優れた体格の良い男子に見えるが、芸能界でトップを張れる程ではない。
何よりイブキは見目麗しい男性だからと、喜んで侍らせる趣味はない。
その事を香澄は良く知っているので、流石にそんな理由ではないと判断出来る。
「彼の魂はとても綺麗でね、物凄く美味しい人間なのさ。囮役もこなせるしね」
「…………まさかと思いますが、イブキ様が保護した少年というのは…………」
何て理由で側に置いているのかと、香澄は呆れ果てた様子を見せている。
雅樹の両親が餓鬼に喰われた事件で、香澄は部下から報告だけは受けていた。
両親が亡くなり行く宛の無い少年をイブキが保護すると。しかしこれでは保護と呼べない。
「そうだよ、ここに居るマサキが保護した人間だ」
「イブキ様……食料として囲うのは保護とは言いません……」
頭が痛いと言わんばかりに、香澄は額に手を当てている。
しかし同時に止めろと言った所で、聞き入れないのも分かっている。
妖異が人間の言う事を聞くのは稀であり、誰も彼も好き勝手に生きている。
人間の定めたルールなど、素直に従う事はない。紛れ込む為に模倣はしても、本当の意味で守りはしない。
「碓氷君、でしたね? 困った時はここに電話をして来なさい」
懐から名刺を取り出した香澄は、雅樹に差し出し受け取らせた。
そこにはちゃんと言われた通りの肩書と、妖異対策課の電話番号が載っていた。
香澄へ直通で繋がる携帯番号も記載されている。良く分からないまま名刺を貰った雅樹。
「は、はぁ……」
困った時と言われても、雅樹は既にイブキとの生活に慣れ始めている。
命を守る対価として喰われるのは、未だにどうも慣れないが。最近は精気まで吸われだし、色々と複雑な男心が働いている。
「それで、要件はなんだいカスミ?」
本題を話せとイブキが急かし、香澄が資料をバッグから取り出した。
木製のデスクを挟んで、香澄はイブキに差し出す。結構な厚みの茶封筒だ。
「今回の依頼はこちらです」
中身はA4用紙が何枚も綴じられた分厚い資料。イブキは手に取りパラパラと捲る。
雅樹はイブキの背後に周り、資料を見るが良く分からない事だらけだ。
専門用語が多く議事録なども含まれており、まだ高校生でしかない雅樹には読み方が分からない。
「広島県の廃村ねぇ。相手の正体は分かっているのかな?」
「一応は見当がついています。広島支部が職員を送ったところ、帰って来た生存者は1名のみ。証言がやや心許ないのですが、可能性が1番高いのは幽霊かと」
資料の読み方が分からない雅樹でも、2人の会話で今回の相手が幽霊なのは理解出来た。
また幽霊かと、雅樹は呆れている。今日までにも何度か依頼を受けたが、半分以上は幽霊が相手だった。
徳島の事件以来、8件受けて6件が幽霊に関する事件だ。流石に雅樹も慣れて来た。
慣れたというか、見飽きたというか。思った以上に幽霊があちこちに居た。
「発生して間もない幽霊だろう? その割には被害が多いんじゃない?」
「被害に遭ったのが外資系の工事会社でして……恐らくそれが原因かと」
支配圏を持つ妖異達は、人間が多少死んでも気にしない者が多い。
放っておいても誰かが病気や事故で死ぬ。他所から来た一時的に活動するだけの人間なんて、それ以上に管理が面倒でしかない。
細かい数の管理なんて、まともに見ている支配者は少ない。イブキの様なタイプは稀だ。
日本の妖異は殆どイブキ等の一部の妖異に、全体の管理をほぼ丸投げしている。何かがあったらイブキ達が何とかするだろうと。
特に西日本の妖異はその傾向が強く、任せる代わりに協力的だ。
「なるほどね。報告を見る限りだと、それなりに頭は回りそうだ。今回もマサキに囮を任せてサクッと終わらせよう」
「わざと遅れないで下さいよ?」
助手として働く事に慣れたマサキは、もう囮役への抵抗感はだいぶ低い。
率先してやりたがる事はないが、やれと言われたら普通にやる。
その関係もあって、最近イブキは助けるタイミングを遅らせて遊ぶ事がある。
雅樹がどんなリアクションを見せるのか、楽しんでいるのだ。彼が命の危険に迫られない範囲で。
「……前言を撤回します。碓氷君、君は私へ連絡する前に先ず、カウンセリングを受けなさい。私が手配しておきます」
「え、え? 何で?」
当たり前に囮役をやろうとする雅樹を見て、香澄は雅樹に対する認識を改めた。
彼女は妖異の恐ろしさを知っている。囮役をやろうなんて御免だ。
対策課の実動部隊でも、こんな風に和やかな雰囲気で囮役なんて決めない。
死の危険が高い非常に恐ろしい役回りだ。それをあっさりと受け入れる雅樹が、香澄には理解出来ない。
「日程が決まったらすぐに連絡を入れます。君の電話番号を教えなさい」
やや強引に香澄は雅樹の電話番号を入手した。そんな対応になるぐらい、雅樹は変に覚悟が決まってしまった。
両親を目の前で喰われた経験と、イブキに感情を喰われる日々。
あまりにも暴力的で強引なメンタルケアが、雅樹を妖異と対峙出来る少年へと変えた。
これがイブキの狙いだったのか、それとも雅樹の才能だったのか。答えはまだ分からない。




