第26話 夜の廃工場①
夜にむけて仮眠を取った碓氷雅樹は、大江イブキと共に再び廃工場を訪れた。
囮役となって、妖異を誘き出す為に。しかしそこで、予定外の事が起きていた。
なんと岡山に帰った筈の依頼者、沢城里香が廃工場で待っていたのだ。
補導をされない様にか、しっかりとメイクを施し派手なTシャツとショートパンツ姿だ。
ボブカットをアップに変えており、うなじが見える様にしている。お陰で大学生ぐらいに見える。
彼女の考えた事は、それとなくイブキと雅樹にも伝わった。随分と思い切った事をする少女だとも。
「困ったねぇ。家で待っている様に言った筈だけど」
あまり困っている様には見えない余裕の態度だが、イブキが里香の行動を咎める。
「す、すいません。でもせめて協力ぐらいは、したいと思って……」
女子高生の依頼を聞いた上に、報酬は自分で決めて良いと言われた。
それなのに何もしないなんて、里香にはとても出来なかった。
本格的な調査は夜だと聞いていたので、こうして待っていたのだ。
「あ、あの、沢城さん。凄く危険だから、止めた方が良い。調査は俺達に任せて下さい」
妖異の危険性を知っている雅樹は、帰るように里香を促す。
「え、でも、助手さんも高校生ですよね?」
キョトンとした表情で、里香は疑問を投げかけた。依頼に来た時、制服姿の雅樹を見ている。
何なら雅樹の方が一学年下であり、里香の方がお姉さんだ。何故雅樹は良くて自分が駄目なのか、分からなくても無理はない。
「あ〜その、それはそうなんですけど……」
そこを突かれると、雅樹は返答に困ってしまう。上手く説明する方法は浮かんで来ない。
「報酬の代わりに自分を差し出す、そういう事かな?」
雅樹が悩んでいる間に、イブキが里香へと問いかける。
「は、はい! そうです!」
「うーん。それは良いけどね、命懸けになるよ? その覚悟はあるのかな?」
そんな風に言われると、里香も躊躇いを覚える。この廃工場については、里香も調べたから知っている。
何人もの行方不明者が出ており、死んだ社長の幽霊が出るとの噂まである。
まさかそんな筈は無いと里香も思いたいが、まるで本当に幽霊が出るかの様な話をされた。
そうなると里香も一旦は考える。しかし里香は姉を慕っており、ここまで来て逃げ帰る事はしたくない。
警察でも見つけられ無かったのだから、普通の方法では解決しない。だから霊能探偵と噂されるイブキを頼った。
何より雅樹の存在が、彼女に覚悟を与えてしまった。同い年ぐらいの彼にでも、何か出来るのだと考えた。
「やります! やらせて下さい!」
覚悟を決めた表情で、里香はイブキに宣言した。その背後では、雅樹が頭を抱えていた。
「じゃあ雅樹、君に御守りを返すよ。その前に少し術を掛けるから待ってね」
イブキがポケットから雅樹の御守りを取り出し、何やら呟くと御守りがぼんやりと青く輝く。
本来は雅樹が御守りを外した状態で、廃工場を練り歩き妖異を誘き出す算段だった。
気配を殺したイブキが敷地の外で待機し、雅樹からの連絡が入った時点で突入する。
イブキが連絡用に持参した無線は、妖術を施した特別製だ。どの様な特殊な空間内でも使用出来る。
イブキの様な鬼は、基本的に物理攻撃が得意な種族だ。しかし永い時を生きる彼女は、様々な妖術にも精通している。
彼女が使えるのは鬼火だけではない。記憶を操作する術もそうだし、結界を張る事も出来る。
「え? 今のは?」
何も知らない里香は、何故御守りが青く光ったのか理解出来ない。
混乱する彼女を放置して、イブキは雅樹に御守りを渡す。
「作戦変更だよ。その御守りには、君が妖異と接触したら私に位置を伝える術を施してある。1回限りだから、あまり動かないでね」
「わ、分かりました」
里香も囮に使えるのなら、雅樹が御守りを外す意味が薄れる。
イブキからすれば里香と雅樹、どちらの命を優先するかなんて比べるまでもない。
里香もそれなりに価値のある魂だが、雅樹には遠く及ばない。
「あの、イブキさん。沢城さんの分は?」
雅樹からすれば、当然の疑問だった。何故自分だけが御守りを渡されるのだろうかと。
「彼女とは何も契約していない。それに対価を払うと言うんだ、ちゃんと払って貰わないとね」
「で、でも……」
イブキの言いたい事は雅樹にも理解出来る。しかし自分だけ安全な状態と言うのも、何だか嫌な気分になる。
殺されない雅樹と、殺されるかも知れない里香。前提条件が全然違う。
「それともマサキ、君が彼女の分も対価を払うのかい?」
ニヤリと笑いながら、イブキは雅樹を見ている。その意味を雅樹は理解した。
彼女の対価に相応しいだけの、感情を喰わせろという事だろうと当たりをつけた。
「……払うなら、沢城さんも守ってくれますか?」
「もちろんだよ。御守りは無いから、ちょっと違う方法だけどね」
イブキは花山総合病院で使ってみせた、護符を取り出し雅樹に渡す。
その効果は雅樹も見た事があり、電撃で妖異を弾く結界を発生させる。
「それじゃあマサキ、対価は後のお楽しみにしておくよ」
「う……は、はい」
とても良い笑顔で、ニッコリと笑うイブキ。何をさせられるのかと、雅樹は今から不安だった。
ともあれ作戦はもう決まっている。イブキは無線を手に姿を消す。
雅樹は里香に大雑把な流れを説明して、預かった護符を手渡した。
「これをポケットにでも入れておいて下さい。絶対無くさないで下さいよ」
「あ、あの、さっきから何を……」
里香は状況がイマイチ理解出来ていない。何をするのかは聞いたものの、囮役だとか誘き出すとか、目的が良く分からない。
さっきからまるで何かが、ここに居るかの様に話が進んでいる。
「ちょっとした妖怪退治ですよ、これからやるのは」
「へ?」
目の前に居る少年が、何を言っているのか分からない。里香はまだ混乱している。
しかし雅樹は廃工場の敷地内へ、既に歩みを進めている。慌てて里香もその背中を追う。
ふと雅樹は入口近くの倉庫に、とある物が置かれていたのを思い出した。
「ちょっと寄り道します」
里香を連れて雅樹は倉庫へと向かう。それは里香の姉である沢城真希が、ピッキングでドアを開けていた倉庫だ。
雅樹は探偵事務所から持って来た、ヘッドライトを装着してスイッチを入れる。
目的の場所まで歩いていき、床に転がされていた鉄パイプを拾う。ちょうど100cm程度の、竹刀ぐらいのサイズだ。
「何も無いよりは良いだろ」
前回の事件では、完全に素手の状態だった。それよりは多少マシだろうと雅樹は考えた。
もちろん攻撃する目的で持って行くのではない。一撃ぐらいは防げるだろうと言う考えだ。
イブキが気付いて突入して来るまで、どれぐらい掛かるのか不明だ。御守りがあるとは言え、絶対に安全とは限らない。
万が一の場合は、身を守る必要がある。念の為の保険として、持っていく事にしたのだ。
「……一体何と戦うの?」
刀を持つかの様に、鉄パイプを握る雅樹を見て里香は疑問を覚えた。
「戦いませんよ、こんなんじゃ武器にならないし」
雅樹の行動が、里香には全く分からない。不思議そうな表情で、雅樹の事を見ている。
あまりのんびりしても居られないので、移動をしながら雅樹は里香に説明する。
外は月明かりがあるので、バッテリーを節約する為にヘッドライトのスイッチを切る雅樹。
「良いですか? 今から俺の言う事を信じて下さい。これから化け物を誘き出します。もし人間みたいに見えたとしても、本物の化け物です」
星空と月光の下で、真剣な表情で雅樹は話す。それが嘘や冗談には、とても里香には見えない。
「だから絶対に、俺から離れないで下さいね」
「え、ええ……」
雅樹は鉄パイプを構えながら、目的の建物へと歩みを進めて行く。




