第24話 徳島の支配者
大江イブキと碓氷雅樹の2人は、徳島市内のとある屋敷を訪れている。
小松と表札が掲げられた、大きな日本家屋だ。木製の門に瓦屋根、庭には見事な枯山水。
明らかにお金持ちの住む場所だと、雅樹は少し緊張していた。
そんな屋敷に来たというのに、イブキはインターホンで私だとしか名乗らなかった。
良いのかそれでと雅樹は思ったが、普通に客間へ通されている。
藺草と焚かれた香の匂いが広がっている和室は、やはり高級感が漂っている。
雅樹には壁に飾られている掛け軸の価値が分からない。出されたお茶の価値も、湯呑の値段さえも。
座った分厚い座布団は、とても柔らかくて初めての体験だった。市販の安い座布団とは全く違う。
客間から見えている日本庭園からは、小鳥達の鳴き声が聞こえている。
やはり雅樹には、その鳴き声が何の鳥のものかは分からない。あまりにも馴染みが無い空間だ。
しかしイブキは違うようで、勝手知ったる身内の家に来たかの様な態度を貫いている。
「マサキ、そんなに緊張しなくて良い。大した相手じゃない」
「そ、そうなんですか?」
雅樹から見れば、どう見ても凄い人物が住む家にしか見えない。
イブキからは寄り道をすると言われただけで、誰の家なのかすら分かっていない。
どうも落ち着かない雅樹が緊張しながら待っていると、目的の人物がやって来たらしい。
「お待たせしましたイブキさん」
姿を現したのは、60代ぐらいに見える小太りの男性だ。こんな屋敷に暮らしているだけあって、高そうな和服を着ている。
頭髪はやや薄くなっているが、ハゲてまではいない。白髪は目立つものの、まだカツラの類は必要なさそうだ。
ニコニコと人の良さそうな笑顔を浮かべながら、室内へと入って来た。チラリと雅樹を見て、一瞬目を細めたが特に言及はない。
「長話をするつもりは無いんだ。ただ君の支配圏で少し動くからね、一言伝えに来ただけさ」
「おや、そうでしたか。てっきりその人間を売りに来たのかと」
その会話だけで、雅樹はこの男性が人間ではないのだと分かった。
彼の支配圏で動く。それはつまり目の前に居る存在が、妖異である事を意味している。
イブキの様に、徳島を支配している人ではないモノ。見た目は人間に見えても、人間ではない。
彼らの姿こそが本来正しい見た目であり、自分達人間が妖異に似ている。
その真実を知る雅樹は、違う意味で緊張する事になった。大した相手じゃないかと、イブキに物申したい気持ちと共に。
「彼は売り物じゃないよ。私のモノだからね」
売りに来たと思われた事を、イブキは明確に否定する。イブキの妖力は見境なしに人間を襲う様な、低級の妖異を寄せ付けない。
しかし支配圏を持つ様な、上位に位置する妖異には効果は殆どない。
つまりこの男性には、御守りの効果は発揮されない。イブキの妖力にカバーされた、雅樹の魂はしっかりと見えている。
「それは残念、良い値段が付きそうな男子なのに」
心底残念そうな様子を見せる男性。そして雅樹は、人間に値段がつく事を知った。
「マサキにも紹介しておこう。彼は小松茂、徳島を支配する化け狸さ」
「え、えっと……よろしくお願いします。碓氷雅樹です」
今度は化け狸と来たかと、雅樹は身構える。ただ元が狸なら、あまり怖くないかもと彼は考える。
これまでに教えて貰った、動物から妖異へと進化した存在。それなら幾らか親近感が持てる。
狸は見た目だけなら可愛らしい動物で、危険性の高い生き物ではないからと。
「こんな見た目をしているが、狡猾な奴だから見た目に騙されてはいけないよマサキ」
「そんなまさか、私の様なケチな商売人に大した事は出来ませんよ」
ニコニコと笑う男性が、一気に胡散臭く見えて来たなと雅樹は認識を改める。
結局妖異である事実は変わらないし、安全と断定するのはあまりにも早計だ。
「さて義理は果たした、そろそろお暇させて貰うよ」
「また良い商いがあったら、その時はよろしくお願いしますよイブキさん」
機会があったらねとイブキは返し、雅樹を連れて客間を出て行く。
広い日本家屋の廊下を歩き、玄関を出て門の外へ。すぐ近くへ停めたSUVに2人は乗り込む。
「あの、この前大阪では挨拶なんてしませんでしたよね?」
雅樹は疑問に感じた事を口にする。確か借りがあるからとか言っていたなと思い出しながら。
「アイツは私に頭が上がらないからね。逆にあの爺さんはそうじゃない。対等な相手だ、筋は通さないといけない」
妖異達がそれぞれ持っている支配圏。それは日本の都道府県とほぼ同じ区分で分かれている。
大きくは47の支配圏があり、それ以外にも小さな支配圏を含めれば50を超える。
その支配圏にはそれぞれ支配者がおり、基本的には他者の支配圏で勝手な行動は許されない。
「関西圏内なら、わりと私は好きに動ける。それに西日本は同盟で纏っている」
「な、なるほど」
他府県に出る機会が殆ど無かったので、雅樹があまり気にしていなかった事。
日本全国に居る妖異達と、その支配地域に関する話題。良い機会だからと、雅樹は色々と聞いてみる事にした。
「西日本はって、東日本は違うのですか?」
雅樹の純粋な疑問に、イブキは珍しく嫌そうな表情を見せた。不味い質問だったのかと、雅樹は少し焦った。
「東の連中はあまり好きじゃないね。特に九尾とか」
ちょくちょくイブキが口にする、九尾の狐へ向ける敵意に似た感情。
あまり仲が良くなさそうだと雅樹は予想していたが、やはりそうだったのかと確信を得る。
「基本的に東と西はあまり仲が良くない。戦争をする程じゃないけどね」
「何か理由があるんですか?」
意味もなく対立はしない筈。そう思った雅樹は、もう少し踏み込む事にした。
「…………大昔に東と西で大きな争いをしてね。その名残だよ」
随分と昔の事なのか、古い記憶を辿るかの様にイブキは話す。初めて見せる反応に、雅樹は興味を惹かれた。
これまでにイブキは、昔の事を詳しくは話していない。イブキの過去を知りたくなった雅樹は、質問を続ける。
「イブキさんはその時、どうしていたんですか?」
「マサキ、あまり女性に昔の事を聞くものじゃないよ」
どうやらこの話は、これ以上聞けないらしい。じゃあ仕方がないと雅樹は質問を変える。
「なら小松さんにも関係する話ですけど、動物が妖異になるって、どうしてですか?」
以前幽霊の件で出て来た話。実物を初めて目にしたので、ついでに聞いておこうと雅樹は考えた。
長く生きた動物が、妖異の因子を自ら生み出し妖異へと進化する。
それがかつて教えられた、雅樹の知る知識。それは理解しているが、メカニズムは良く分からないままだ。
「それについては、正直良く分からない。動物に限らず、昆虫や植物が妖異に至る事だってある。ただ何故そんな機能を有しているかは不明なんだ」
「そうなんですか……」
ちょっとした興味本位だったから、分からないのなら別に良いかと雅樹は考えた。
「私の予想で良いなら、話せるけど聞きたいかい?」
「あ、それはちょっと興味あります」
真実ではないにしても、恐らくは永い時を生きた鬼の意見は聞いてみたい。
イブキ個人の意見を知りたくなった雅樹は、彼女が考えた意見を尋ねる。
「恐らくだけど、この星にとっての最適解は妖異なんだ。環境がどう変化しても、決して死なない生命。だけど変に増えすぎても困る。だからこんな風に、出来ているのではないかな。激しく争い合えば滅びに向かうのも、抑止する機能だと思えば納得は出来る。あくまでこの現状からの推測だけどね」
なるほどなと、雅樹は思った。正解なのかは分からないまでも、ある程度は理解が示せる話だと。
そんな会話を続けながら、イブキと雅樹は問題の廃工場へと向かって行く。




