第23話 徳島へ向かう車中にて
三連休を利用して、大江イブキと碓氷雅樹は徳島へと向かう。
まだ日が昇る前から出発し、現在は淡路海峡大橋をイブキの運転するSUVが走行している。
ちょうど日の出が始まり、雅樹は初めて瀬戸内海を見た。
田舎の山中で暮らして来た雅樹が、初めて生で見た大海が広がっている。
綺麗な青い海と、美しい空がどこまでも続いている。広大な四国の大地と繋がる橋の上から、雅樹は感動を覚えながら大自然を眺めていた。
「凄い…………綺麗だ…………」
「自然が持つ美しさは良いものさ。現代的なコンクリートジャングルも嫌いではないけどね」
雅樹の目標の1つに、海で泳ぐというものがある。山奥には無かった、母なる海へと入ってみたい。
故郷の山にも川や池ならあったが、海とは比べるまでもない。特別泳ぐのが好きというわけではないが、憧れる気持ちだけは昔からあった。
「あっ……でもやっぱり、海にも妖異が居るんですよね?」
ふと思い至った雅樹は、嫌な予感がしたので聞いてみた。この広大な海の中にも、化け物が居るのだろうかと。
「そりゃあ居るさ。人魚とか海坊主とか、神社姫なんかもね」
「…………やっぱり人間を襲いますよね?」
大自然に感動していた雅樹だったが、妖異が存在する世界の真実を思い出した。
海に居る妖異も、当然人間を喰うのだろうと警戒する。やっぱり泳げなくても、別に良いかも知れないと。
「当然さ。魚介類ばかり食べる奴も中にはいるけどね」
当たり前の様に人間を食べるのだと明かされ、雅樹はとても微妙な気分になった。
「雅樹は男性だからね。人魚には気をつけた方が良い。死ぬまで搾り取られるからね、性的な意味で」
それだけ聞けばある意味お得なのでは? と一瞬雅樹は考えた。彼とて思春期の男子だ。
「ふむ、君は枯れ果てたミイラになりたいのかい?」
雅樹の考えが読めたのか、イブキはそんな事を言う。
「……え?」
「人魚の男漁りは容赦がない。1週間もあれば、君は全て吸い尽くされてミイラになるだろう」
想像していた内容とかけ離れており、美しい人魚との都合の良い妄想は消え去る。
たった1週間でミイラになるなんて、間違いなく異常事態だ。
イブキに感情を喰われるのとは明らかに違う。経験したくはないなと雅樹は思う。
「あ……そう言えばですけど、イブキさんは感情しか喰わないじゃないですか? 肉体まで喰うタイプとは何が違うんです?」
自分が喰われる側だからこそ、あまり深く考えてこなかった違い。妖異の食性についての疑問。
普段から雅樹はイブキと共同生活をしているので、もう慣れ切ってしまっていた。
一度だけ血を吸われた事はあったものの、あれ以降血肉を要求された事はない。
「それは好みの問題だね。私はグルメだから、美味しい者を何度も食す。殺してしまうのは勿体ないし」
「は、はぁ……」
自分が物理的に喰われない真実を知り、何とも言えない雅樹である。
「君が死ぬ時には全部残さず頂くから、安心してくれて良いよ」
何を安心しろというのかと、雅樹は内心でツッコんだ。結局最後は喰われるのかとも。
しかしふと雅樹は思う。それはつまり、一生イブキは自分と共に居るのかと。
「あの……イブキさんって、俺が寿命で死ぬまで、守ってくれるんですか?」
「そう約束しただろう? 私に全てを差し出せと」
これはどう判断すれば良いのかと、雅樹は頭を悩ませる。
自分が死ぬまでこの美しい鬼は、共に居てくれる。安心ではあるけど、それはこのままずっと一緒に暮らすという話でもある。
鬼と餌ではあるけれど、それじゃあ一生同棲になる。思春期の男子としては、色々と思う所はある。
妙にイブキを意識してしまいそうになり、雅樹は強引に話題を変える。
「そ、それは分かりました。さっきの話ですけど、人間を物理的に喰う意味ってあるんですか?」
先程のイブキによる説明を思えば、殺さず生かす方が効率的だと雅樹は思った。
しかしあの日、餓鬼は自分の両親を喰らった。人間の肉体を喰らう姿を見た。
「もちろんあるよ。恐怖心なんかが染み渡った肉だからね。好き好んで喰う妖異は幾らでも居る」
「……イブキさんも、好きなんですか?」
これまでにも何度となく、恐怖心をイブキに喰われた。彼女もそんな肉が好きなのかと雅樹は問う。
「私は本来、プラスの感情を喰らう方が好きだからねぇ。幸福感とか愛情とか、そういう類。恐怖に染まった肉は微妙かな」
イブキの回答を聞いて、少し安堵する雅樹。どうしてそう感じたのかは、自分でも分かっていない。
「だからマサキ、君には幸せな人生を歩んで欲しいのさ」
「……それを今言われても、複雑なんですけど」
美味しくなるから幸せになれ、イブキの言いたい事をまとめるとそうなる。
喰われる側としては、微妙な気分になるのも仕方ない。幸福を願う言葉を、素直に喜べない。
「恋人が欲しいのなら、私が相手をしてあげるよ?」
「はあっ!?」
唐突な発言に、雅樹は驚きの声を上げる。今この鬼は何と言ったのかと、運転席を見る。
そこにはいつも通りの態度で、整った横顔を晒しているイブキが居る。
恋人って、あの恋人だよなと雅樹は考える。自分がこの美女と、付き合えるというのかと。
「人間の男を喜ばすぐらい出来るよ。幾らでも君を喜ばせよう」
チラリと視線を動かしたイブキは、雅樹の目をじっと見ている。
自分は人間で、イブキは鬼である。そんなの雅樹は良く分かっている。
しかしイブキが美女である事に変わりはない。もしこんな美しい女性と、そんな想像をしてしまう。
それと同時に、雅樹は気になる事が出来た。イブキは自分以外の男性とも、そういう事をしているのかと。
「……イブキさんは、今までにも男性を?」
「まあ恋愛感情を持たせる方が、楽で効率的だからね。九尾共の様に、囲いまくってハーレムを作ったりはしないけど」
雅樹は何だか、少し嫌な気分になった。自分だけがイブキの特別な相手ではない。
自分は餌という立場であり、ただの助手でしかない。それは分かっている。
そもそも恋人ですらないのだから、嫉妬心を抱く方が間違っている。
頭では分かっていても、何故かそんな風になってしまう。雅樹は自分の感情が良く分からない。
恋愛感情を向けるような相手ではないし、イブキに恋をしている訳でもない。
それなのに雅樹の心は、自らの意思とは違う動きをしてしまう。
「安心しなよ、君は特別だ。他の男達とは違う」
雅樹の葛藤を見抜くぐらい、イブキにとっては簡単な事だ。生きて来た年月が、あまりにも違う。
彼の様に若い男子の未熟な精神面なんて、手に取る様に理解出来る。
「……それ、誰にでも言ってません?」
「心外だなぁ、私はそんな嘘をつくタイプではないよ」
特別だと言われて嬉しい気持ちと、ただ手玉に取られただけではないかと疑う気持ち。
その両方がせめぎ合い、雅樹は断定出来ずにいる。信じて良い言葉なのか、そうではないのか。
そもそも言っている事が本当だったとして、それはどう言う意味なのか?
どうイブキにとって特別なのか、それを直接聞く勇気は持てない。
「ま、恋をしたくなったら言うと良い。お金が欲しいなんて願いだって叶えるよ」
「…………それはちょっと」
幸せにはなりたいが、自分でちゃんと掴みたい。ただ与えられた幸福で、満足したくはない。
雅樹はどうしても、そう考えてしまう。今までの人生でも、自分の意思で選んで来た。
剣道を上手くなって嬉しかったのは、自分で努力した結果だから。それと幸福も同じ筈だと。
彼女が欲しいからと、イブキにお願いして恋人ごっこ。魅力的ではあるけど、それは違うと雅樹は思った。
仮にそうなるとしても、自分の意思で好きになった結果でありたい。ただの下心でそんな関係になりたくない。
色々と悩む雅樹を乗せたイブキのSUVは、徳島県に向かって進んで行く。




