第22話 体育の授業
前話で沢城里香の姉である真希の、行方不明になっている期間が抜けていたので追加しました。
行方不明になった愚かな配信者達の話は、3ヶ月前の出来事です。
新たな依頼を受けた翌日の午後、碓氷雅樹は体育の授業を受けている。
上京学園では健全な精神を育む為に、武道を体育の授業に取り入れている。
そして1年生の体育では、剣道が採用されていた。敷地内にある剣道場で、剣道部の顧問を務めている体育教師が授業を取り仕切る。
「次、西田と若林!」
指名された生徒同士で、剣道の試合を行う。一辺が11メートルの正方形に、白のテープが貼られている。
中心地点にあるバツの字を挟んで、2本の開始線が向かい合っている。
2人の生徒が防具を身に着けた状態で、お互いに開始線の前に立つ。
教師の掛け声で両者は礼をして、開始位置で待機している。どちらも素人であり、立ち方がぎこちない。
「始め!」
一応は教えられた摺り足で、距離をどうにか詰めようと模索する2人。
だがそれ以上に、彼らを苦しめている問題がある。使い回しの防具はとても匂う。
しかも小手などから匂いがうつるので、尚更質が悪いのだ。試合とは別の戦いがそこにはある。
なるべく早く終わらせたいが、手抜きがバレたら注意を受ける。
「め、め〜〜〜ん!」
そんな彼らを眺めながら、雅樹は懐かしい感触を味わっていた。
今は防具をつけていないが、竹刀は手元に持っている。子供の頃から何度も振って来た竹の武具。
ただ強くなれるのが嬉しくて、上手くなるのが楽しくて。雅樹が熱心に打ち込んで来た剣道という競技。
武道における精神も、ちゃんと学んで来た。大切な事を教わった。
雅樹に剣道を教えてくれたのは、師範をやっているとある女性。短い金髪がとても似合う、美しい人。
剣道場に身を置いていると、昔の思い出が雅樹の中で蘇る。ほんの少し前まで、純粋に剣道を楽しめていた頃の記憶。
妖異なんて存在を知ってしまい、強くなる意義を見失う前の生活。
自分の竹刀ではないけれど、とても馴染む竹の感触。柄を握ると、自然に心が凪いで行く。
(なあ碓氷、お前剣道やってたんだよな?)
普通の声量で話していると、私語を慎むようにと注意されてしまう。
それ故に雅樹の友人である相葉涼太は、小声で雅樹へと話しかけている。
(そうだけど、それが?)
当然雅樹も小声で答えるしかないので、同じ様な声量で返答する。
(どんぐらい強いの? 何段?)
(あ〜その、山奥の村だったからさ。昇段審査は受けてないんだ)
山奥の辺鄙な村にある、歴史ある古い道場。村では戦国時代からあったとか、もっと古いとか言われていた。
流派は特に名乗っておらず、段位などもない。ただ剣術を教えてくれるだけの場所。
それでも雅樹にとっては、楽しい競技であった。殆どの教えは学んだ。
村を出たら試験を受けようと、雅樹は考えていた。しかしそれは、果たされなかった。
(じゃあ何? そんなに強くないのか?)
(どうだろう? 村では強い方だったけど)
前に居た高校の部活動見学では、あんまり強そうだと雅樹は感じなかった。
その高校は剣道の強豪であった筈なのだが、雅樹にはその様に見えなかった。
雅樹にとっての強さの基準は、故郷に居る師範の女性。その師範と比べて、高校生達の動きはイマイチだった。
雅樹の目標は師範を守れるぐらいに、強くなる事だった。雅樹にとって初恋の女性を、守れる男になりたかった。
彼が故郷で唯一勝てなかった、彼女よりも強くなりたいと願っていた。
「次、碓氷と小林!」
「あ、はい!」
名前を呼ばれた雅樹は、防具を素早くつけて道場の中央に向かう。
この授業では、剣道の経験者は同じく経験者としか試合をしない。事前に経験者だと答えた雅樹の相手は、当然剣道の経験者だ。
雅樹の相手を務めるのは、同じクラスの剣道部員。試合は今日が初めてなので、相手の実力はよく知らない。
今日までは基礎を教わって来ただけで、雅樹が全力を出した事はない。
つまりお互いに、どれぐらい強いのか正確には把握していない。
「始め!」
いざ試合が始まり、雅樹は対戦相手を見る。動きはそう悪くないが、あまり強そうにも見えないと感じた。
もしも相手が自分ではなく師範の女性なら、きっと彼は負けているなというのが雅樹のジャッジだ。
隙だらけとまでは言わないが、距離の詰め方が甘いなと判断した。
少しの探り合いを交わして、雅樹は試合を終わらせに行く。
「面!」
「面あり!」
スッと駆け抜ける様な、綺麗な1本が入る。対戦相手は驚いた様子を見せている。
しかし雅樹の方は、普通に攻めただけでしかない。当然の結果が出ただけだと思っている。
そのまま雅樹がストレートに2本目を取り、2本先取で勝利した。それが何を意味するか、雅樹は理解していなかった。
「碓氷、今日から剣道部に入らないか?」
教師が急に雅樹の両肩を掴み、そんな事を言い始める。当然雅樹は困惑する。
「え、いや、何ですか急に?」
「本当にその腕前で段位を持っていないのか? 碓氷なら中学時代に二段まで行けたと思うが?」
剣道には中学生が取得出来る段位に制限がある。通常は二段までで、それ以上は高校生になってからだ。
そんな決まりすら特に気にしていなかった雅樹は、そうなんだ? ぐらいの感想しかない。
「あ〜その、夕方は用事があるので部活はちょっと……」
「そこを何とか! 答えは今じゃなくて良い、考えてみてくれないか?」
そう言われてもなぁと、雅樹は内心思っていた。適当に返事をしながら、雅樹は道場の隅に戻る。
帰宅後は大江探偵事務所の助手をしないといけない。ただ飯食らいになるつもりはないからだ。
それに今となっては、初恋の人より強くなりたいと昔ほどは思っていない。
何故なら妖異に襲われてしまえば、守る事なんて出来ない。雅樹では守り切れない。
イブキの御守りを渡した方が、雅樹が戦うより遥かに効果的だ。
あとは自分を囮にするぐらいしか、自分に出来る事なんてない。
雅樹が剣道を続けなくなったのは、そこに大きな理由がある。人間では勝てない相手を知ったから。
妖刀に希望を見出したのは、そんな男心も根幹にある。自分でも妖異を相手に戦えるのなら。
あの人を守れる様になるのなら、また強くなる為に頑張る意味がある。
そう考えた事が確かにあった。雅樹だって、恋愛感情を持つ思春期の男子だ。
カッコいい所を見せたいとか、そんな風に思う年相応の感覚を持っている。
「そろそろ予鈴か……。よし、片付けを始めるぞ!」
教師の指示で道具類を片付けて、雅樹達は道場を出て行く。するとそこには、永野梓美が居た。
ウェーブのかかった長めの茶髪。着崩した制服に、短いスカート。
美人で派手なギャル系の女子。遊んでいそうに見えて、そんな事はない可愛らしい雅樹の先輩。
「見てたで〜。凄いやん雅樹君」
少しからかう様な表情で、梓美は雅樹のお腹を指でつつく。
「見てたって、梓美先輩も授業でしょ?」
「自習やったからサボってん」
軽くウィンクを決めながら、梓美は堂々とサボりを明かす。誇らしそうにピースまで決めて。
梓美はあれ以来こうして、毎日の様に雅樹の所へやって来る。
美人と接するのを嫌うほど、雅樹は歪んだ価値観をしていない。
年相応の感覚を持っているので、梓美と接する機会を楽しんでいた。
恋愛感情までは抱いていないが、異性としては意識している。
(ああそうか。梓美先輩って、少しあの人に似ているんだ)
剣道を久しぶりにやった事で、明確に思い出した相手。生まれ故郷にいる初恋の女性。
雅樹が梓美を好意的に見ているのは、かつて憧れた女性と似た雰囲気を感じたからだ。
「どしたん雅樹君?」
「いえ、何でもありませんよ」
これが今の碓氷雅樹が送っている日常。一度破壊された青春を、彼は確かに取り戻していた。




