第20話 愚かな配信者達 後編
10人の若者達は、真っ暗な工場内を警戒もせずに探索している。
時折ゲラゲラと笑いながら、とても楽しいそうに練り歩く。
彼らは心霊スポットに行く配信を、もう何度も経験している。だから恐れる事なんてない。
俺達はビビったりしないと、自信満々にしている。しかし恐怖心とは、本来必要なものだ。
危険を察知する為の心理的動きとして、あって然るべき生き物の本能。
恐れを知らずに居られるのは、大江イブキの様な圧倒的な強者だけだ。
人間は素手で熊に勝てない。海の中でシャチより早く泳げない。空だって飛べない。
出来ない事は沢山あり、人間という生き物は万能には程遠い生き物だ。
「何もおきねぇじゃねぇか! ハハハ! 次は地下まで行こうぜ」
リーダー格の金髪の男が得意げに笑っている。仲間達も同調して笑っている。
もし彼らの体から、首が取れれば死んでしまう。だが地球上の生き物には、そこから再生する生物も居る。
体を半分ほど失っても、死なない生き物が居る。だが人間には、そんな能力はない。
虫に刺されただけでも、人間は簡単に死んでしまう。蚊のように小さな虫にすら、人間は殺される。
人間を殺せる蟻が居る。蜘蛛にだって人は殺せる。天敵は思った以上に多い。
自然界の掟を忘れて、野生の本能を失って来た人間達。あまりにも危機感が足りていない。
「幽霊が居るってんなら出て来いよなぁそろそろさぁ! 待ちくたびれたぜ」
帯刀しなくなってから、1000年も経っていない日本人達。いきなり襲われない平和な時代。
しかしそれは、表向きの話だ。殆どの人間が知らないだけで、今も昔も変わっていない。
かつての侍達が、戦っていた相手は人間だけではない。それは人間を喰らう恐ろしい化け物達。
妖異と呼ばれる上位存在から、搾取される側だった。喰い殺される危険があった。
それは今も変わっていない。ただ妖異達の管理方法が、より上手くなっただけだ。
昔よりも餌としての人間を、上手く飼う様になっただけ。それを知らないだけだ。
「あん? 1人足りなくねぇか?」
リーダー格の男が気付いた。10人から9人へと変わっている事に。
「あ〜ケンジが居ないみたいっす! 便所じゃないですか? さっきありましたし」
仲間達の1人が、そんな事を言う。そして誰も疑わない。それぐらいの事なら、あっても不思議ではないと。
恐怖心を正しく発揮出来ない彼らは、置かれた状況にまだ気付けない。
ビビっていない俺達という、虚構に縋り付いて離れないせいで。
怖がって良いのだ、こんな真っ暗で静かな場所は。廃棄された工場の、怪しげな雰囲気を恐れて良い。
もしこれがサバンナであれば、いつ茂みからライオンが飛び出して来るか分からない。
もしナイル川であれば、いつ川からナイルワニが襲い掛かるか分からない。
本来この場所は、それぐらい危険である。だが愚かにも彼らは、狩人の狩場に自ら入り込んだ。
鴨の群れが葱を背負って、ノコノコとやって来てしまった。来なくても良い場所へ。
来るべきではない場所へ、甘い考えで入り込んだ。今まで大丈夫だったから、今回も大丈夫だと。
「ぎゃっ!?」
「何だ? おい、どうした?」
リーダー格の男が、誰かの悲鳴に反応した。しかし誰からも返事はない。
気がつけば彼らは、8人に減っている。流石に警戒し始めたのか、軽薄な雰囲気は消えて行く。
「おいお前ら、一旦集合だ!」
逆立てた金髪から、汗が一雫垂れていく。リーダー格の男が呼び集めた時、集まったのは7人しかいない。
「な、何が起きた? ケンジお前か? ドッキリのつもりか?」
7人の若者達は、警戒心を強める。まさか幽霊なんている筈がない。
仲間が悪ふざけをしているだけ。そう思いたいのに、暗闇からは返事がない。
バアと言いながら出て来て、ビビったと自分達を笑う筈だ。その筈なのに、一向に変化は見られない。
「お、おい! 今誰か、オレの足に触っただろ!」
若者達の1人が、突然そんな事を言って騒ぎ始める。
「触ってないわよ。変な事を言わないで」
赤髪の若い女性が、騒ぎ始めた仲間に苦言を呈した。今そんな悪ふざけは不要だと。
「ほ、本当だ! さっき誰か――」
その男が嘘ではない、そう証言しようとした瞬間、彼の姿は暗闇に吸い込まれて行った。物凄い速さで。
「な、な、何だ今のは!?」
「どうなってるのよ!?」
6人になった若者達は、慌てて周囲を警戒し始める。手にした僅かな光で、周辺を照らすが何も居ない。
そして消えた仲間達も居ない。静寂が工場内を満たしている。
先程まで強気に配信していた彼らの勢いは、既に霧散してしまっている。
「な、なあ嘘だろ? あんな噂が本当なわけ――」
「うるせぇ黙れ!」
リーダー格の男はイライラしながら、周囲に気を配っている。
曲がりなりにも群れのリーダー故か、この状況を把握して解決するつもりらしい。
その判断に至るのは、かなり遅すぎたようだ。突然廃工場内に、機械の駆動音が鳴り響いた。
何かが動き出した、それだけは分かる。しかしここには電気が来ていない筈だと、彼らは混乱している。
「ね、ねぇ……噂どおりなら……」
リーダー格の男にしがみついていた金髪の女性が、恐る恐るベルトコンベアを指さす。
廃工場にまつわる噂。幽霊に捕まった者は、機械で肉塊にされる。その血で染まるベルトコンベア。
それを思い出した彼らは、息を殺しながら見守る。そして流れて来た、赤黒い液体。
ガンガンと警鐘が、彼らの脳内で鳴っている。良くない事が起きていると、嫌でも理解させられた。
そして続いて流れて来たのは、何かの肉の塊。更に流れて来たのは、ケンジという男の頭部。
「う、うわああああああ!?」
「お、おい! 待てお前ら!」
散り散りになって駆け出していく若者達。どこに逃げるべきかも分からないまま、必死に走って逃げ惑う。
混乱した頭で考えながら、彼らは1階の出口へと向かう。階段を駆け上がり、転がる様にドアへ駆け寄る。
「あ、あれ!? 開かない! 開かないぞ!?」
「どけ! 俺がやる!」
リーダー格の男が、必死にドアをガチャガチャと動かす。しかし開かない両開きのドア。
ガラス部分を蹴破ろうと、必死で蹴りつけるが効果はない。
男性陣で協力してタックルを仕掛けるも、全くドアはびくともしない。
「クソッ! おいマキ! ピッキングを――マキはどこだ!?」
ピッキングを得意とする赤髪の若い女性が、どこにも居ない。もう5人しか……ここには居ない。
10人で来た筈が、既に半分狩られた後だ。残された彼らの絶望は、あまりにも深い。
そしてその絶望こそが、妖異達が好む人間の感情。膨大なエネルギーとなる素。
彼らは知らない、わざと怖がらせているなんて。もっと感情を得る為に、妖異は彼らを甚振っている。
「だ、だから俺は止めようって言ったんだ!」
「何だと!? 今更何を言い出す!」
混乱した状態から始まる、良くある仲間割れ。そんな場合ではないのに、誰かに不満をぶつけたい。
そんな未熟さが生む、致命的な隙。どうにかして逃げ続ければ、もう少し長く生きられたかも知れない。
「いっつもお前が――ゲフッ……カッ」
「いやああああああああ!?」
何者かの腕が、背後から男性の胸を貫いている。その手には心臓が握られている。
勢い良く引き抜かれる腕と、倒れていく死体。そこに居たのは、異形の化け物。
人の形をした、人間ではないもの。掴んだ心臓を口に運び、クチャクチャと咀嚼する捕食者。
ついに対面した、噂の正体。それは幽霊なんていう妖異の底辺ではない。
残された4人が0人になるまで、そう時間は掛からなかった。10の餌は、あっさりと妖異の手に落ちた。




